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第一章
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頂上にたどり着く頃には、声は枯れてヘトヘトになっていた。
妙な安定感はあったが、視覚的にはひどいものだった。
あの崖を飛び跳ねたりしながら駆け上がったのに、振り落とされなかったのは奇跡としか思えない。
転げ落ちるように狛犬から降りると、その場に膝をついてしまった。脚が笑っていて上手く立てない。
「ほほほ、最近の若いのは軟弱だのう」
「──だから全体的に雑なんだって!!」
もう二度と乗りたくない。
無論、その二度目は一生来ないのだが、愚痴らずにはいられない。
顔を上げると、つい先程下で別れた三方を持ったままの下女二人が、絨毯の外側で頭を下げたまま待機していた。
「い、いつの間に移動したんですか?」
「その二人は狎獣にて先回り致しました」
「こうじゅ……?」
老婆が答えなかったので〝こうじゅう〟というものが何かは分からないが、とにかく別のルートを通って来たのだろうと解釈した。
「どう? 神獣の乗り心地は。楽しかったかい?」
ニシキが手を差し出している。
「──全っ然!!」
断言すると、ニシキはクスクスと笑った。
手をかりて立ち上がり、見回した。
礼服姿の囃子隊が後方で整列し、まわり一帯は紅白の花で飾られ、まるで本当の結婚式のような装飾がなされていた。
葵の足もとには、鮮やかな紅色の絹の絨毯が伸びていて、それを挟むように神官たちが整列している。
これが葵の人生の最期を飾るヴァージンロードということだ。
絨毯が伸びている先には、中央に巨大な穴がぱっくりと空いており、滝の水を吸い込んでいる。
原理はわからないが、とにかくその光景は異様なものだ。
その上に飛び出す形で舞台が造られている。
舞台を跨ぐように立つ朱色の鳥居がたっていて、鳥居から離れた位置に高座があり、惲薊が顔色ひとつ変えずに座っている。
そして、舞台の上には純白の着物を着た男が立っている。
(────リンだ)
髪を黒く染めているから、すぐにわからなかった。
腰には黒く光る刀がさしてある。
襷をかけて捲りあげられた袖からのびた、色白で華奢な腕が、人の首を斬り落とせる程の力を秘めているとは思えず、葵は不安になる。
揺れた髪の間から見えた表情は〝無〟で、やはり感情が読み取れない。
老婆が葵の前へ移動し、後ろには巫女の格好をした下女二人が控えると、音楽が鳴り出した。
笛と鼓が奏でる独特な音調は、あの恐ろしい夢で聞いたものとそっくりだ。
やはりあの夢はこうなることを予知していたのだ。
葵はどうやってもこの運命からは逃れられないのだろう。
「参りますぞ」
老婆がゆっくりと絨毯の真ん中を歩き出した。
ニシキの腕を借りて葵もぎこちなく着いて歩く。
「残念だよ」
「────え?」
「君なら上手くやってくれると思ったんだけど」
見上げると、ニシキはどこか冷めた表情で行く先を見つめている。
「……すみません」
「いや……僕こそ無理を言ってしまった」
「──あの、リンが雪花と逃げたって話、嘘だと思うんです」
ニシキがこちらを見た。
「────どうして?」
「だって、本人がそう言ってたから。雪花に会ったのは、儀式の時がはじめてだって。──私もそう思います」
まさか、と緊迫した声がした。
最初は隠したくて嘘をついているのだと思っていたが、そもそも、リンは気休めの嘘すらつかない。
家に帰る道だとか上手いことを言っておけば、簡単にここに連れてこれた。最初から葵を逃がさない手段はいくらでもあったのに、それをしなかったのだ。
紗華から聞くまでは、水巫女の役目など知る由もなかったのだから。
(不器用というかなんというか……)
「────君は違うと思ったのにな……」
「────え……?」
ニシキはそれ以上なにも言わなくなった。ただ、ずっと何かを考え込んでいた。
信じていた噂がガセだったのだから、混乱して当然だろう。
リンの顔がはっきりと見えてくると、諦めで誤魔化していた恐怖がふつふつと湧き上がってきた。
────いよいよ、本当に死ぬのだ。
現実味が増すと、凄まじい緊張感で吐きそうになった。
「巫女様、失礼します」
ニシキが葵の両手を後ろで縛る。
「────し、縛るの!?」
「死ぬほど痛い思いをするのは嫌だろう?」
「どっちもやだ!!」
「わがままな巫女様だなあ」
ぶつくさ言いながらも手早く縛り終えると、葵を跪かせた。
後ろにいた下女たちが、葵の目の前に三方を置いた。
舞台には葵とリンだけを残し、皆引きさがって見守っている。
「────な、なに!? 何すんの!?」
怯えながら訊ねると、聞き慣れた声が返ってきた。
「ひとつには切った髪を乗せる────が、お前の場合は必要ないな」
リンが葵の首にかかった髪を寄せた。
「もうひとつは────」
顔の目の前に三方を置きなおす。それだけでそこになにが乗るかがわかった。
生々しい。恐ろしくて気が変になりそうだ。
自分がちゃんと息をしているか分からなくなる。
「……おい」
呼びかけられたが、何も考えられない。
脂汗が額をつたった。
「……葵」
じわじわと視界が歪んでいく。
頬に手を添えられて、強制的に横を向かされた。
「────私を見ろ」
リンはこれから人を斬るというのに平常心だった。
「水波盛では、死にゆく者の最期の言葉を大事にする。特に、国のために身を張った巫女の言葉は、可能な限り叶えたい」
「──ゆ、遺言ってこと?」
リンは小さくうなずく。
「言い遺すことは?」
「────え、え? 言い遺すこと……えっと……」
そんなことを聞かれても、頭の中は真っ白で何も出てこない。
そんなはずない、と必死で考える。
養父母、ナナと信人、和真……クラスメイトや先生。みんなの顔が浮かぶのに、楽しい思い出がひとつも出てこない。
代わりに浮かぶのは後悔ばかりで、自分が死んだ後のことなど、とても考えられなかった。
「────ない……」
「ない?」
葵は愕然とした。
自分の人生が、こんなにも薄っぺらいものだったのかという衝撃が、死ぬ事への恐怖を上回った。
「どうしよう……。最期なのに、何も出てこない……」
葵は乾いた笑いをもらした。
リンは少し目を見開いている。
「ははっ、ひどい……ひどすぎて笑えてくる」
「……お前、大丈夫か?」
おそらく頭の方の心配だろう。
けれど、そんなことはもうどうでもいい。
「────やっとわかった」
リンは静かに見守っている。
「ずっと、疎外感を感じてた。家族がめちゃくちゃになって、それでも頑張って、これ以上悪くならないように上手くやろうとしてるのに、なんで上手くいかないんだろうって……。────でも実際は違う。精一杯やってる気になってただけだった」
リンにとっては、なんの話かわからないだろう。
それでも一字一句逃すまいと、聞き入っている。
「お母さん……癇癪起こすと、必ず聞いてくるの。あんたもバカにしてるんでしょ、って。カズ……、義弟に会った日も、そう言って泣いてた」
養母はそうやって、いつも葵に確かめていたのだ。
あの最後の日を思い出すと、胸が苦しくなった。
養母はずっと寂しかったのだ。
思い描いていた幸せな家庭を、義父が愛人と作っていた疎外感と、子供が出来なかった劣等感をずっと抱えていたのだろう。
きっと、葵だけは味方でいて欲しかったのだと思う。
だから葵が愛人の息子に会っていたと知った時、ひどく裏切られた気持ちになったのだろう。
「──なのに、私は何も言えなかった。ううん、言わなかったの。ずっと聞いてるだけ。……そうすれば早くおさまるから。私はただ、自分にとって当たり障りのないように立ち回ってただけだったんだ」
今更気づいても、もうやり直すことはできない。
ぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
「────あの時、ちゃんと向き合えばよかった。私だってずっと寂しかったんだって、言いたかった。聞き流すのが……逃げるのが癖になってた。あれが最後のチャンスだったのに!!」
「ナナのことも、カズのことも……私が欲しいものを持ってるくせに、何も無いふりして不満げなのが、本当は許せなかった。ズルいって思った。ずっと、みんなが羨ましかった」
けれど、それも違う。
自分が手を伸ばしていないのに手に入るはずがない。
「まわりに興味がないくせに、自分のことを気にかけて欲しいだなんて……なんておこがましいんだろう。自分が恥ずかしい……だから──」
葵が出した答えは、遺言としては扱えないものだった。
「────もっと、ちゃんと生きてみたい。無様でもいいから、必死こいて生きてみたい!!」
リンは身に刻みこむように、しっかりとうなずいた。
「お前の覚悟に、我らは敬意を表する」
「覚悟したんじゃない、もう逃げられないって諦めてただけだ」
「どちらにせよ、多くの命が救われることに変わりはない。その命、決して無駄にはせぬ」
葵はリンを睨んだ。
「────でもやっぱり諦めきれない。やり直したいのに、そのチャンスを奪われるんだから、私はとても頭にきてる」
「そうだな、すまぬ」
「雪花は許しても、私は……雪花と私を殺したあんたを、きっと許せない!!」
「────ああ、もっともだ」
そう返したリンは、どこか悲しげで、けれども安堵したように微笑った。
葵はようやく、本当のリンの顔を見た気がした。
きっとリンは、自分がいちばん自分を許せないのだ。
背中を押されて、葵は前のめりになる。
首にかかった髪を寄せると、リンが立ち上がる。
刀を抜く音がして、葵は目を閉じた。
その拍子で零れた涙が三方に添えられた半紙を濡らした。
(ちゃんと生きるのは、もっとずっと先になる)
〝来世〟というものがあれば、の話だが……。
「────やれ」
惲薊の低い声がした。
次の瞬間、金属がぶつかり合う鈍い音で、目を見開いた。
死んだのか、と思ったが、目の前の三方は相変わらず空のままだ。
身体に温もりを感じて、誰かに抱きとめられていることに気がついた。
首を捻って見上げると、ふわりと揺れる黒髪で一瞬女性にも見えたが、布越しからでもわかるがっしりとした筋肉質の感触で男だと分かった。
リンが振り下ろした刃が、額を覆っている仮面にくい込んでいる。
「────て、つ?」
「いっでえええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!」
雄叫びのような悲鳴が響き渡った。
いくら仮面が頑丈でも、本物の刀を受け止めたらかなりの衝撃で頭が割れてもおかしくない。
仮面には額から縦に長くヒビが入っている。
常識外れな石頭にも驚きだが、それ以上に、裏切ったと思っていた相手が、目の前に現れた驚きが大きい。
「に、逃げたんじゃ──!?」
「し、死ぬ!! もう死んだかもしんない!!」
痛みに悶えるテツに、辺りは騒然としている。
突然の邪魔が入ったリンは、静かに刀を構えた。
これまで見たなかでも比べようもないほど、ひどく怒っている。
「誰だか知らぬが、巫女の覚悟に水を差すなど、なんたる侮辱──」
「まずい、逃げるぞ!!」
テツに腕を掴まれ、引っ張られる。────が、反対の腕もリンに掴まれた。
「逃がさぬ」
「────ま、まって!! 私をはさんで殺り合うのはなしだよ!?」
葵の声は全く届いていないらしい。
リンは敵意むき出しにテツに斬りかかった。
その攻撃をテツはやっとの事で避けている。
「──ま、待った!! ちょ、おい!! 待てって!! ──あ、これ無理だ」
「ぎゃあ!? ちょっとあんた!! いま私を盾にしたでしょ!!」
「違う違う!! わざとじゃない!!」
「────葵、邪魔だ。後ろにまわれ」
「いや、二人とも手はなせよ!!」
あたりが騒然とするなか、舞台上だけが混沌としている。
「貴様!? ま、まさか!? ────どうやって!?」
全てを察したような声は惲薊のものだった。
全員の視線が注がれたが、惲薊は動揺が隠しきれず、握った拳は震えている。
あの冷徹な惲薊をここまでかき乱す存在は、かなり異質だ。
(────テツって、いったい何者なの?)
「貴様、顔を見せろ」
「リン!! 待て────!!」
惲薊が焦ったように止めようとしたが、遅かった。
リンの振り上げた刃は、すんでのところで避けたテツの鼻の頭を掠め、仮面のふちに当たった。
最初の斬撃でひび割れ、歪んでいた仮面は、二つに割れて、空高く弾き飛ばされた。
仮面の下から現れた顔を見て、リンは息を呑んだ。
リンだけではない。
そこに居合わせた誰もが言葉を失った。
「────ふ、双子!?」
テツの顔は、目の前で対峙しているリンと瓜二つだったのだ。
妙な安定感はあったが、視覚的にはひどいものだった。
あの崖を飛び跳ねたりしながら駆け上がったのに、振り落とされなかったのは奇跡としか思えない。
転げ落ちるように狛犬から降りると、その場に膝をついてしまった。脚が笑っていて上手く立てない。
「ほほほ、最近の若いのは軟弱だのう」
「──だから全体的に雑なんだって!!」
もう二度と乗りたくない。
無論、その二度目は一生来ないのだが、愚痴らずにはいられない。
顔を上げると、つい先程下で別れた三方を持ったままの下女二人が、絨毯の外側で頭を下げたまま待機していた。
「い、いつの間に移動したんですか?」
「その二人は狎獣にて先回り致しました」
「こうじゅ……?」
老婆が答えなかったので〝こうじゅう〟というものが何かは分からないが、とにかく別のルートを通って来たのだろうと解釈した。
「どう? 神獣の乗り心地は。楽しかったかい?」
ニシキが手を差し出している。
「──全っ然!!」
断言すると、ニシキはクスクスと笑った。
手をかりて立ち上がり、見回した。
礼服姿の囃子隊が後方で整列し、まわり一帯は紅白の花で飾られ、まるで本当の結婚式のような装飾がなされていた。
葵の足もとには、鮮やかな紅色の絹の絨毯が伸びていて、それを挟むように神官たちが整列している。
これが葵の人生の最期を飾るヴァージンロードということだ。
絨毯が伸びている先には、中央に巨大な穴がぱっくりと空いており、滝の水を吸い込んでいる。
原理はわからないが、とにかくその光景は異様なものだ。
その上に飛び出す形で舞台が造られている。
舞台を跨ぐように立つ朱色の鳥居がたっていて、鳥居から離れた位置に高座があり、惲薊が顔色ひとつ変えずに座っている。
そして、舞台の上には純白の着物を着た男が立っている。
(────リンだ)
髪を黒く染めているから、すぐにわからなかった。
腰には黒く光る刀がさしてある。
襷をかけて捲りあげられた袖からのびた、色白で華奢な腕が、人の首を斬り落とせる程の力を秘めているとは思えず、葵は不安になる。
揺れた髪の間から見えた表情は〝無〟で、やはり感情が読み取れない。
老婆が葵の前へ移動し、後ろには巫女の格好をした下女二人が控えると、音楽が鳴り出した。
笛と鼓が奏でる独特な音調は、あの恐ろしい夢で聞いたものとそっくりだ。
やはりあの夢はこうなることを予知していたのだ。
葵はどうやってもこの運命からは逃れられないのだろう。
「参りますぞ」
老婆がゆっくりと絨毯の真ん中を歩き出した。
ニシキの腕を借りて葵もぎこちなく着いて歩く。
「残念だよ」
「────え?」
「君なら上手くやってくれると思ったんだけど」
見上げると、ニシキはどこか冷めた表情で行く先を見つめている。
「……すみません」
「いや……僕こそ無理を言ってしまった」
「──あの、リンが雪花と逃げたって話、嘘だと思うんです」
ニシキがこちらを見た。
「────どうして?」
「だって、本人がそう言ってたから。雪花に会ったのは、儀式の時がはじめてだって。──私もそう思います」
まさか、と緊迫した声がした。
最初は隠したくて嘘をついているのだと思っていたが、そもそも、リンは気休めの嘘すらつかない。
家に帰る道だとか上手いことを言っておけば、簡単にここに連れてこれた。最初から葵を逃がさない手段はいくらでもあったのに、それをしなかったのだ。
紗華から聞くまでは、水巫女の役目など知る由もなかったのだから。
(不器用というかなんというか……)
「────君は違うと思ったのにな……」
「────え……?」
ニシキはそれ以上なにも言わなくなった。ただ、ずっと何かを考え込んでいた。
信じていた噂がガセだったのだから、混乱して当然だろう。
リンの顔がはっきりと見えてくると、諦めで誤魔化していた恐怖がふつふつと湧き上がってきた。
────いよいよ、本当に死ぬのだ。
現実味が増すと、凄まじい緊張感で吐きそうになった。
「巫女様、失礼します」
ニシキが葵の両手を後ろで縛る。
「────し、縛るの!?」
「死ぬほど痛い思いをするのは嫌だろう?」
「どっちもやだ!!」
「わがままな巫女様だなあ」
ぶつくさ言いながらも手早く縛り終えると、葵を跪かせた。
後ろにいた下女たちが、葵の目の前に三方を置いた。
舞台には葵とリンだけを残し、皆引きさがって見守っている。
「────な、なに!? 何すんの!?」
怯えながら訊ねると、聞き慣れた声が返ってきた。
「ひとつには切った髪を乗せる────が、お前の場合は必要ないな」
リンが葵の首にかかった髪を寄せた。
「もうひとつは────」
顔の目の前に三方を置きなおす。それだけでそこになにが乗るかがわかった。
生々しい。恐ろしくて気が変になりそうだ。
自分がちゃんと息をしているか分からなくなる。
「……おい」
呼びかけられたが、何も考えられない。
脂汗が額をつたった。
「……葵」
じわじわと視界が歪んでいく。
頬に手を添えられて、強制的に横を向かされた。
「────私を見ろ」
リンはこれから人を斬るというのに平常心だった。
「水波盛では、死にゆく者の最期の言葉を大事にする。特に、国のために身を張った巫女の言葉は、可能な限り叶えたい」
「──ゆ、遺言ってこと?」
リンは小さくうなずく。
「言い遺すことは?」
「────え、え? 言い遺すこと……えっと……」
そんなことを聞かれても、頭の中は真っ白で何も出てこない。
そんなはずない、と必死で考える。
養父母、ナナと信人、和真……クラスメイトや先生。みんなの顔が浮かぶのに、楽しい思い出がひとつも出てこない。
代わりに浮かぶのは後悔ばかりで、自分が死んだ後のことなど、とても考えられなかった。
「────ない……」
「ない?」
葵は愕然とした。
自分の人生が、こんなにも薄っぺらいものだったのかという衝撃が、死ぬ事への恐怖を上回った。
「どうしよう……。最期なのに、何も出てこない……」
葵は乾いた笑いをもらした。
リンは少し目を見開いている。
「ははっ、ひどい……ひどすぎて笑えてくる」
「……お前、大丈夫か?」
おそらく頭の方の心配だろう。
けれど、そんなことはもうどうでもいい。
「────やっとわかった」
リンは静かに見守っている。
「ずっと、疎外感を感じてた。家族がめちゃくちゃになって、それでも頑張って、これ以上悪くならないように上手くやろうとしてるのに、なんで上手くいかないんだろうって……。────でも実際は違う。精一杯やってる気になってただけだった」
リンにとっては、なんの話かわからないだろう。
それでも一字一句逃すまいと、聞き入っている。
「お母さん……癇癪起こすと、必ず聞いてくるの。あんたもバカにしてるんでしょ、って。カズ……、義弟に会った日も、そう言って泣いてた」
養母はそうやって、いつも葵に確かめていたのだ。
あの最後の日を思い出すと、胸が苦しくなった。
養母はずっと寂しかったのだ。
思い描いていた幸せな家庭を、義父が愛人と作っていた疎外感と、子供が出来なかった劣等感をずっと抱えていたのだろう。
きっと、葵だけは味方でいて欲しかったのだと思う。
だから葵が愛人の息子に会っていたと知った時、ひどく裏切られた気持ちになったのだろう。
「──なのに、私は何も言えなかった。ううん、言わなかったの。ずっと聞いてるだけ。……そうすれば早くおさまるから。私はただ、自分にとって当たり障りのないように立ち回ってただけだったんだ」
今更気づいても、もうやり直すことはできない。
ぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
「────あの時、ちゃんと向き合えばよかった。私だってずっと寂しかったんだって、言いたかった。聞き流すのが……逃げるのが癖になってた。あれが最後のチャンスだったのに!!」
「ナナのことも、カズのことも……私が欲しいものを持ってるくせに、何も無いふりして不満げなのが、本当は許せなかった。ズルいって思った。ずっと、みんなが羨ましかった」
けれど、それも違う。
自分が手を伸ばしていないのに手に入るはずがない。
「まわりに興味がないくせに、自分のことを気にかけて欲しいだなんて……なんておこがましいんだろう。自分が恥ずかしい……だから──」
葵が出した答えは、遺言としては扱えないものだった。
「────もっと、ちゃんと生きてみたい。無様でもいいから、必死こいて生きてみたい!!」
リンは身に刻みこむように、しっかりとうなずいた。
「お前の覚悟に、我らは敬意を表する」
「覚悟したんじゃない、もう逃げられないって諦めてただけだ」
「どちらにせよ、多くの命が救われることに変わりはない。その命、決して無駄にはせぬ」
葵はリンを睨んだ。
「────でもやっぱり諦めきれない。やり直したいのに、そのチャンスを奪われるんだから、私はとても頭にきてる」
「そうだな、すまぬ」
「雪花は許しても、私は……雪花と私を殺したあんたを、きっと許せない!!」
「────ああ、もっともだ」
そう返したリンは、どこか悲しげで、けれども安堵したように微笑った。
葵はようやく、本当のリンの顔を見た気がした。
きっとリンは、自分がいちばん自分を許せないのだ。
背中を押されて、葵は前のめりになる。
首にかかった髪を寄せると、リンが立ち上がる。
刀を抜く音がして、葵は目を閉じた。
その拍子で零れた涙が三方に添えられた半紙を濡らした。
(ちゃんと生きるのは、もっとずっと先になる)
〝来世〟というものがあれば、の話だが……。
「────やれ」
惲薊の低い声がした。
次の瞬間、金属がぶつかり合う鈍い音で、目を見開いた。
死んだのか、と思ったが、目の前の三方は相変わらず空のままだ。
身体に温もりを感じて、誰かに抱きとめられていることに気がついた。
首を捻って見上げると、ふわりと揺れる黒髪で一瞬女性にも見えたが、布越しからでもわかるがっしりとした筋肉質の感触で男だと分かった。
リンが振り下ろした刃が、額を覆っている仮面にくい込んでいる。
「────て、つ?」
「いっでえええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!」
雄叫びのような悲鳴が響き渡った。
いくら仮面が頑丈でも、本物の刀を受け止めたらかなりの衝撃で頭が割れてもおかしくない。
仮面には額から縦に長くヒビが入っている。
常識外れな石頭にも驚きだが、それ以上に、裏切ったと思っていた相手が、目の前に現れた驚きが大きい。
「に、逃げたんじゃ──!?」
「し、死ぬ!! もう死んだかもしんない!!」
痛みに悶えるテツに、辺りは騒然としている。
突然の邪魔が入ったリンは、静かに刀を構えた。
これまで見たなかでも比べようもないほど、ひどく怒っている。
「誰だか知らぬが、巫女の覚悟に水を差すなど、なんたる侮辱──」
「まずい、逃げるぞ!!」
テツに腕を掴まれ、引っ張られる。────が、反対の腕もリンに掴まれた。
「逃がさぬ」
「────ま、まって!! 私をはさんで殺り合うのはなしだよ!?」
葵の声は全く届いていないらしい。
リンは敵意むき出しにテツに斬りかかった。
その攻撃をテツはやっとの事で避けている。
「──ま、待った!! ちょ、おい!! 待てって!! ──あ、これ無理だ」
「ぎゃあ!? ちょっとあんた!! いま私を盾にしたでしょ!!」
「違う違う!! わざとじゃない!!」
「────葵、邪魔だ。後ろにまわれ」
「いや、二人とも手はなせよ!!」
あたりが騒然とするなか、舞台上だけが混沌としている。
「貴様!? ま、まさか!? ────どうやって!?」
全てを察したような声は惲薊のものだった。
全員の視線が注がれたが、惲薊は動揺が隠しきれず、握った拳は震えている。
あの冷徹な惲薊をここまでかき乱す存在は、かなり異質だ。
(────テツって、いったい何者なの?)
「貴様、顔を見せろ」
「リン!! 待て────!!」
惲薊が焦ったように止めようとしたが、遅かった。
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最初の斬撃でひび割れ、歪んでいた仮面は、二つに割れて、空高く弾き飛ばされた。
仮面の下から現れた顔を見て、リンは息を呑んだ。
リンだけではない。
そこに居合わせた誰もが言葉を失った。
「────ふ、双子!?」
テツの顔は、目の前で対峙しているリンと瓜二つだったのだ。
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