眉目清秀な劇団座長は、宿屋の平凡娘になぜか弱い。

ゆずまめ鯉

文字の大きさ
9 / 59

三.継母の嫌がらせ【1】

しおりを挟む
 いつものように朝餉の提供、費用の清算、客室の清掃に取りかかる。ひと段落ついたので春鶯が一階に戻ってくると、少し前までは、柜台の上に置いていたはずの客簿が見当たらなかった。糸で綴じた線装冊子だ。国から派遣された役人が、不定期に確認しに来るためなくては困る。

(……また趙夫人の仕業かしら)

 実は、少し前にも客簿を隠されたことがあり、その時は、朝餉を提供しながらそれとなく情報を引き出し、職業と滞在日数を埋めて事なきを得た。そのことを踏まえ、それからは竹紙に書き移して持ち歩くようになった。二度手間にはなってしまうが、念のためだ。
 まっさらな線装冊子を二冊用意し、一冊は予備として隠しておくことにした。隠し場所は、万が一を考え父だけに伝える。以前、趙嬌になくなったことを尋ねた際、「知らないわ。私のせいにしないで頂戴!」と怒り出したことがある。だから今回は冷静に対処することにした。


 その日の夕方。七夕が刻一刻と近づくと、帝都に押し寄せる人々は日ごとに増していく。楓流軒は、上房と中房のいくつか空きがあるだけで、ほぼ満室と大盛況だ。父親が調理した夕餉を盛りつけ、机に一つ一つ並べるだけで汗がじわじわと滲み出てくる。多忙を極めている。
 主食に副菜、汁物のほかにおかずを四、五品並べ、酒が飲みたいと言われれば酒を用意するし、甘い物が食べたいと言われれば胡麻団子を準備してある。
 宿泊客が食欲を満たした後は、大量の皿洗いが待っているため、繁忙期になると春鶯の拘束時間もうんと長くなる。
 なんとか戌の正刻、二十時に仕事を終えると、明日の朝の在庫を確認してから、遅い夕食と湯浴みを済ませることにした。厨房のすぐ近くでは、食材を保管している小さな蔵があるので、蝋燭に火を灯して覗きに行く。

「……あら? なんで扉が開いているの?」

 春鶯はすぐさま異変に気がついた。普段は閉まっているのに全開になっていた。しかも、閉じないように小さな石で抑えられているのだ。蔵から食材を運び入れる際、こうして石を使って開きっぱなしにすることはあっても、夜間にやったことはない。夜間にやってしまうと、小動物に狙われ荒らされてしまうからだ。

「……そんな。まだ在庫はあったはずなのに、野菜も、果物も、なにもかもないわ……」

 朝見たときは野菜や果物、肉があと一日分残っていたのに、今見るとすっからかんになっていた。その日、使用する食材は朝のうちに厨房に運んでいる。食材が蔵には残っていたはずなのに、すべてなくなっていた。よくよく見ると、動物の毛や、足跡、糞も見られることから、小動物が侵入したのだろう。こんなことは今まで一度もなかった。
 これから食材を買いに行こうにも、戌の刻を過ぎているため、どの店も閉まっている。明日の朝餉を用意しなければならないのに、これでは早起きして具なしの包子を大量生産するか、麺を作るしかない。
 ひとまず、暗がりで落ち込んでいるわけにもいかないので厨房に戻ると、粉の準備をする。食材はないが、粉類は仕入れたばかりだったので不幸中の幸いだ。ひたすら粉と水と塩を合わせたものを捏ねて、捏ねて、捏ねまくれば、二時辰以内に終わるだろう。徹夜を覚悟して作業している春鶯のもとへ、人影が近づいてきた。

「春鶯? こんな時間なのに、きみはまだ仕事をしているのか?」

 戌の初刻、十九時開始の夜公演を終えたばかりの楚月と、保鏢の晋高だ。

「謝公子……琳公子。実は……」

 蔵にあった食材が、獣かなにかに食い散らかされてしまった話をした。明日、朝に提供できるものがなにもなく、麺を準備していると告げる。

「食材がなくて困っているのなら、きみの力になれるよ」
「え……? どういうことですか?」
「劇団には連日、差し入れが大量に届くんだ。今日も、昼夜二回の公演で、肉や野菜や果物をたくさん受け取っているから、きみの役に立てるだろう」

 こちらとしては助かるが、それはあくまで月影座の公演に感動して差し入れられたものだ。困っているからといって受け取るわけにはいかない。

「で、ですが、それは劇団のみなさんへの贈り物では……」
「どっちにしろ、うちだけで食べきれない分は、炊き出しをしたり、寄付したりしているんだ。だから問題ない。晋高、頼めるか?」
「御意」

 隣で待機していた晋高に視線を向けると、小さく頷いた。

「この時間に運んでしまうと、また獣とやらに狙われかねないだろうから、卯の刻になったら運ぶように伝えてくれ」
「わかった」

 晋高はすぐさま厨房を後にした。
 亥の刻をとうに過ぎた厨房に二人きり。前掛けをしているとはいえ、手も服も粉だらけで、今更恥ずかしい恰好をしていることを思い出す。とりあえず、粉を払う。

「春鶯。一つ、きみの願いを聞いたから、春鶯も俺の願いを一つ、聞いてくれる?」
「え? 私にできることなら……」
「きみにしかできないことだよ。公演で疲労して肩が上がらないから、夕餉を食べさせてほしいんだ」

 なにを言い出すかと身構えれば、春鶯は呆気に取られてしまった。食事を食べさせるだけでいいのか、と。大量の食材という、対価に見合っているとは到底思えない提案だ。

「そんなことでいいんですか?」
「俺には重要なことだよ。公演は明日もあるからね」

 そこまで疲労しているとは。楚月の言葉を素直に信じた春鶯は、こんな自分でもお役に立てるのならばと口を開いた。

「だったら、しばらく私が食べさせましょうか?」
「……言ってみるものだな」
「え、なんですか?」

 声が小さすぎてよく聞こえなかった。聞き返したのに、楚月は答えようとはしなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王女様は温かいごはんが食べたい ~冷えた王宮料理を変えたら、オープンキッチンと政略婚約がついてきました~

しおしお
恋愛
異世界の王女リリアーヌは、前世の記憶を持つ転生者。 豪華絢爛な王宮で暮らし始めた彼女だったが、ひとつだけどうしても耐えられないことがあった。 ――食事が、冷めているのだ。 どれほど立派な料理でも、ぬるいスープや冷めた肉ではホッとできない。 「温かいごはんが食べたい」 そのささやかな願いを口にしたことから、王宮ではなぜか大騒動が巻き起こる。 地下厨房からの高速搬送。 専用レーンを爆走するカートメイド。 扉の開閉に命をかけるオープナー。 ついには食堂に火を持ち込むオープンキッチンまで誕生して――!? 温かさは、ホッとさせてくれる。 それは料理だけではなく、人との距離まで少しずつ変えていくものだった。 冷えた王宮に湯気と笑顔を取り戻す、 食と温かさをめぐる宮廷日常コメディ! -

ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…

ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。 一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。 そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。 読んでいただけると嬉しいです。 2/26 番外編を投稿しました。 読んでいただけると嬉しいです。 思っていたよりずっとたくさん読んでいただいていてとても嬉しいです。 とてもとてもありがとうございます!!   

目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです

MIRICO
恋愛
フィオナは没落寸前のブルイエ家の長女。体調が悪く早めに眠ったら、目が覚めた時、夫のいる公爵夫人セレスティーヌになっていた。 しかし、夫のクラウディオは、妻に冷たく視線を合わせようともしない。 フィオナはセレスティーヌの体を乗っ取ったことをクラウディオに気付かれまいと会う回数を減らし、セレスティーヌの体に入ってしまった原因を探そうとするが、原因が分からぬままセレスティーヌの姉の子がやってきて世話をすることに。 クラウディオはいつもと違う様子のセレスティーヌが気になり始めて……。 ざまあ系ではありません。恋愛中心でもないです。事件中心軽く恋愛くらいです。 番外編は暗い話がありますので、苦手な方はお気を付けください。 ご感想ありがとうございます!! 誤字脱字等もお知らせくださりありがとうございます。順次修正させていただきます。 小説家になろう様に掲載済みです。

【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます

鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
 一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────  私、この子と生きていきますっ!!  シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。  幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。  時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。  やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。  それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。  けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────  生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。 ※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!

古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。 そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は? *カクヨム様で先行掲載しております

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました【完結】

iru
恋愛
第19回 恋愛小説大賞エントリーしています。ぜひ1票お願いします。 小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

【完結】家族に愛されなかった辺境伯の娘は、敵国の堅物公爵閣下に攫われ真実の愛を知る

水月音子
恋愛
辺境を守るティフマ城の城主の娘であるマリアーナは、戦の代償として隣国の敵将アルベルトにその身を差し出した。 婚約者である第四王子と、父親である城主が犯した国境侵犯という罪を、自分の命でもって償うためだ。 だが―― 「マリアーナ嬢を我が国に迎え入れ、現国王の甥である私、アルベルト・ルーベンソンの妻とする」 そう宣言されてマリアーナは隣国へと攫われる。 しかし、ルーベンソン公爵邸にて差し出された婚約契約書にある一文に疑念を覚える。 『婚約期間中あるいは婚姻後、子をもうけた場合、性別を問わず健康な子であれば、婚約もしくは結婚の継続の自由を委ねる』 さらには家庭教師から“精霊姫”の話を聞き、アルベルトの側近であるフランからも詳細を聞き出すと、自分の置かれた状況を理解する。 かつて自国が攫った“精霊姫”の血を継ぐマリアーナ。 そのマリアーナが子供を産めば、自分はもうこの国にとって必要ない存在のだ、と。 そうであれば、早く子を産んで身を引こう――。 そんなマリアーナの思いに気づかないアルベルトは、「婚約中に子を産み、自国へ戻りたい。結婚して公爵様の経歴に傷をつける必要はない」との彼女の言葉に激昂する。 アルベルトはアルベルトで、マリアーナの知らないところで実はずっと昔から、彼女を妻にすると決めていた。 ふたりは互いの立場からすれ違いつつも、少しずつ心を通わせていく。

家族から邪魔者扱いされた私が契約婚した宰相閣下、実は完璧すぎるスパダリでした。仕事も家事も甘やかしも全部こなしてきます

さら
恋愛
家族から「邪魔者」扱いされ、行き場を失った伯爵令嬢レイナ。 望まぬ結婚から逃げ出したはずの彼女が出会ったのは――冷徹無比と恐れられる宰相閣下アルベルト。 「契約でいい。君を妻として迎える」 そう告げられ始まった仮初めの結婚生活。 けれど、彼は噂とはまるで違っていた。 政務を完璧にこなし、家事も器用に手伝い、そして――妻をとことん甘やかす完璧なスパダリだったのだ。 「君はもう“邪魔者”ではない。私の誇りだ」 契約から始まった関係は、やがて真実の絆へ。 陰謀や噂に立ち向かいながら、互いを支え合う二人は、次第に心から惹かれ合っていく。 これは、冷徹宰相×追放令嬢の“契約婚”からはじまる、甘々すぎる愛の物語。 指輪に誓う未来は――永遠の「夫婦」。

処理中です...