眉目清秀な劇団座長は、宿屋の平凡娘になぜか弱い。

ゆずまめ鯉

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三.継母の嫌がらせ【1】

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 いつものように朝餉の提供、費用の清算、客室の清掃に取りかかる。ひと段落ついたので春鶯が一階に戻ってくると、少し前までは、柜台の上に置いていたはずの客簿が見当たらなかった。糸で綴じた線装冊子だ。国から派遣された役人が、不定期に確認しに来るためなくては困る。

(……また趙夫人の仕業かしら)

 実は、少し前にも客簿を隠されたことがあり、その時は、朝餉を提供しながらそれとなく情報を引き出し、職業と滞在日数を埋めて事なきを得た。そのことを踏まえ、それからは竹紙に書き移して持ち歩くようになった。二度手間にはなってしまうが、念のためだ。
 まっさらな線装冊子を二冊用意し、一冊は予備として隠しておくことにした。隠し場所は、万が一を考え父だけに伝える。以前、趙嬌になくなったことを尋ねた際、「知らないわ。私のせいにしないで頂戴!」と怒り出したことがある。だから今回は冷静に対処することにした。


 その日の夕方。七夕が刻一刻と近づくと、帝都に押し寄せる人々は日ごとに増していく。楓流軒は、上房と中房のいくつか空きがあるだけで、ほぼ満室と大盛況だ。父親が調理した夕餉を盛りつけ、机に一つ一つ並べるだけで汗がじわじわと滲み出てくる。多忙を極めている。
 主食に副菜、汁物のほかにおかずを四、五品並べ、酒が飲みたいと言われれば酒を用意するし、甘い物が食べたいと言われれば胡麻団子を準備してある。
 宿泊客が食欲を満たした後は、大量の皿洗いが待っているため、繁忙期になると春鶯の拘束時間もうんと長くなる。
 なんとか戌の正刻、二十時に仕事を終えると、明日の朝の在庫を確認してから、遅い夕食と湯浴みを済ませることにした。厨房のすぐ近くでは、食材を保管している小さな蔵があるので、蝋燭に火を灯して覗きに行く。

「……あら? なんで扉が開いているの?」

 春鶯はすぐさま異変に気がついた。普段は閉まっているのに全開になっていた。しかも、閉じないように小さな石で抑えられているのだ。蔵から食材を運び入れる際、こうして石を使って開きっぱなしにすることはあっても、夜間にやったことはない。夜間にやってしまうと、小動物に狙われ荒らされてしまうからだ。

「……そんな。まだ在庫はあったはずなのに、野菜も、果物も、なにもかもないわ……」

 朝見たときは野菜や果物、肉があと一日分残っていたのに、今見るとすっからかんになっていた。その日、使用する食材は朝のうちに厨房に運んでいる。食材が蔵には残っていたはずなのに、すべてなくなっていた。よくよく見ると、動物の毛や、足跡、糞も見られることから、小動物が侵入したのだろう。こんなことは今まで一度もなかった。
 これから食材を買いに行こうにも、戌の刻を過ぎているため、どの店も閉まっている。明日の朝餉を用意しなければならないのに、これでは早起きして具なしの包子を大量生産するか、麺を作るしかない。
 ひとまず、暗がりで落ち込んでいるわけにもいかないので厨房に戻ると、粉の準備をする。食材はないが、粉類は仕入れたばかりだったので不幸中の幸いだ。ひたすら粉と水と塩を合わせたものを捏ねて、捏ねて、捏ねまくれば、二時辰以内に終わるだろう。徹夜を覚悟して作業している春鶯のもとへ、人影が近づいてきた。

「春鶯? こんな時間なのに、きみはまだ仕事をしているのか?」

 戌の初刻、十九時開始の夜公演を終えたばかりの楚月と、保鏢の晋高だ。

「謝公子……琳公子。実は……」

 蔵にあった食材が、獣かなにかに食い散らかされてしまった話をした。明日、朝に提供できるものがなにもなく、麺を準備していると告げる。

「食材がなくて困っているのなら、きみの力になれるよ」
「え……? どういうことですか?」
「劇団には連日、差し入れが大量に届くんだ。今日も、昼夜二回の公演で、肉や野菜や果物をたくさん受け取っているから、きみの役に立てるだろう」

 こちらとしては助かるが、それはあくまで月影座の公演に感動して差し入れられたものだ。困っているからといって受け取るわけにはいかない。

「で、ですが、それは劇団のみなさんへの贈り物では……」
「どっちにしろ、うちだけで食べきれない分は、炊き出しをしたり、寄付したりしているんだ。だから問題ない。晋高、頼めるか?」
「御意」

 隣で待機していた晋高に視線を向けると、小さく頷いた。

「この時間に運んでしまうと、また獣とやらに狙われかねないだろうから、卯の刻になったら運ぶように伝えてくれ」
「わかった」

 晋高はすぐさま厨房を後にした。
 亥の刻をとうに過ぎた厨房に二人きり。前掛けをしているとはいえ、手も服も粉だらけで、今更恥ずかしい恰好をしていることを思い出す。とりあえず、粉を払う。

「春鶯。一つ、きみの願いを聞いたから、春鶯も俺の願いを一つ、聞いてくれる?」
「え? 私にできることなら……」
「きみにしかできないことだよ。公演で疲労して肩が上がらないから、夕餉を食べさせてほしいんだ」

 なにを言い出すかと身構えれば、春鶯は呆気に取られてしまった。食事を食べさせるだけでいいのか、と。大量の食材という、対価に見合っているとは到底思えない提案だ。

「そんなことでいいんですか?」
「俺には重要なことだよ。公演は明日もあるからね」

 そこまで疲労しているとは。楚月の言葉を素直に信じた春鶯は、こんな自分でもお役に立てるのならばと口を開いた。

「だったら、しばらく私が食べさせましょうか?」
「……言ってみるものだな」
「え、なんですか?」

 声が小さすぎてよく聞こえなかった。聞き返したのに、楚月は答えようとはしなかった。
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