眉目清秀な劇団座長は、宿屋の平凡娘になぜか弱い。

ゆずまめ鯉

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一.楓流軒【2】

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「小姐(お嬢さん)。しばらく泊まりたいんだが、部屋は空いているかな?」

 春鶯に声をかけたのは、紺の長袍ちょうほうを着こなす身なりの良い男で、長い黒髪を後頭部で高く束ねて結び、目元には白い仮面をしていた。そのすぐ後ろには、灰色の長袍を身に纏い、黒髪の上半分を結い上げ、下半分は長く垂らした髪型に、鋭い目をしたこれまた男前が立っていた。
 長袍とは男性が日常的に着用する、足首まで届く長い生地の衣装のことで、右前合わせになっている。ゆったりとした袖と見頃が特徴的だ。

「ええ、ありますよ。上中下、いかがなさいますか?」
「上房に十七日。飯ありで」

 あまり耳にしない、はきはきとした美声が響く。どちらも背が高く、一人は仮面で、もう一人は無表情だが、惹きつけられる風貌をしている。そんな宿泊客から、一番高い上房に十七泊と告げられ、春鶯は驚きながらも笑みを浮かべた。

「十七泊も!? ありがとうございます!」
「これで足りるかな?」

 そう告げながら宿泊費と食事代として銀二十一両を置いた。上房は二人で泊まっても一泊銀一両で、食事代は朝晩二食で、一人一日百文。十七日分だと宿泊で銀十七両、食事代で銀三両と四百文なので、六百文も多い。釣り銭を返そうと準備しようとした春鶯の手を止め、仮面の男は小さく首を振った。

「釣り銭は不要だ」
「まあ。精一杯、おもてなししますね!」

 受け取った代金を一時的に袖にしまってから、それぞれ竹紙に名前を書いてもらい、客簿に書き写す。仮面の男の名前は、謝楚月しゃそげつというらしく、職業は芸人。もう一人の男の名前は琳晋高りんしんこう、職業は保鏢ほひょう。どうやら、仮面をしている男──楚月そげつに、護衛として雇われているらしい。滞在理由は当然ながら帝都公演だ。演奏するのか歌劇なのか気になるところだが、初対面の客人の個人情報をいきなり聞き出すわけにもいかないので、春鶯は普段通りに対応する。

「帝都は初めてですか?」

 三階の部屋まで案内する途中、無言のままなのもどうかと、差し障りのなさそうなことを尋ねた。

「いや。何度も足を運んでいるよ。ここの宿も、どこか見覚えがあるんだ」
「そうだったんですね」

 しかし、春鶯は謝楚月という名前に聞き覚えはない。客簿を管理するようになったのは四年前からなので、それ以前に泊まった経験があるのかもしれない。

「あ、そうそう。帝都に到着する前、大勢の匪賊に狙われたんだけど、隣にいる保鏢がたった一人で撃退したんだ」
「まあ、琳公子はお強いんですね!」
「……別に、普通だ」

 肩越しに振り向き背後にいる琳晋高を褒めてみるも、やっぱり表情は変わらなかった。

「はは。不器用なだけだから気にしないで」
「大丈夫ですよ」

 話しかけられるのが苦手なら、あまり声をかけないのも気遣いだ。
 三階一番奥の部屋に通すと、広々とした空間には木の爽やかな香りに包まれていた。奥の壁際には寝台が二つ並んでおり、その間には小さな卓を置いている。左手には帝都の歴史や地図を納めている書棚と、衣服を収納するための箪笥、身支度を整えるための銅鏡と台、大き目の円卓には茶器と急須とお茶菓子を用意している。調度品の類いは景観を損なわないように、無名の画家が描いた絵が何枚か飾られている。
 二部屋しかない上房は、繁忙期でも値段の高さから空いていることも珍しくない。それゆえに十七泊もしてもらえると、宿屋側としても大変助かる。
 一泊八十文の下房が十五部屋、一泊二百五十文の中房が十三部屋ある。楓流軒は、帝都にある宿屋の中でも比較的高めの料金設定だ。それゆえに、複数人で泊まっても部屋代は変わらないため、三、四人で中房や下房に泊まって割り勘する客もいるくらいだ。
 羽振りのよい上客に、春鶯は鼻歌でも奏でたい気分だったが、一階に戻るなり現実に引き戻された。
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