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4:Crazy Moon 1
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「ん……」
顔に降り注ぐ目映い陽光に顔を顰めながら、あたしは目を覚ました。
「ん……、今何時……? 会社……」
「今は七時。大丈夫、今日は会社休みだから」
「じゃあ、もうちょっと寝てる」
「おやすみ」
ころりと横に転がると、いい子いい子というように、優しく頭を撫でられた。なんでこんなところに手があるんだろうと、寝ぼけた頭でぼんやり考える。
………。
………?
………!
………!?
記号ばかりで進んだ思考回路が、ひとつの結論を導き出した。
はっとして反対側を向けば、陽光以上に眩しいイケメンの笑みがあり、心臓が内から破裂するかと思うほどに飛び上がった。
なに、この朝からどっきりは。
あたし昨日……。
――気持ちいい? ヒナ。
あたし……課長の指で……。
完全目が覚めた!!
え、あたし課長に腕枕されてたの!?
しかもあたしの片手、なんで課長と指絡め合わせて握ってるの!?
そんな感じで寝てたっけ?
え? え!?
「おはよう。寝れた?」
安らいだこの美しい微笑みに、朝から鼻血が出そうになる。
周囲の光の粒子がやけにキラキラして、目が霞みそうだ。
「お、起きてたんですか!?」
「ん」
「具合は?」
「おかげさまで良くなった。ぐっすり寝れたから」
「お熱測らないと……」
「さっき測ったら、37度1分。もう大丈夫」
「そうですか」
相変わらず穏やかな微笑み。
やだ、いつから起きていたんだろう!!
あたし化粧したまま寝てたんだ。こんなお日様当たるところなら、化粧が剥げて毛穴開いた顔の酷さが強調されるではないか!!
極上のイケメン前の羞恥プレイ。
28歳女子が気をつけねばならない肌事情。
結城ならイケメンでもすっぴん見られて平気だけれど、香月課長はなにか嫌だ。年下であたしよりすべすべとしたみずみずしいお肌を持っているから、という理由以上に、香月課長のその薄い茶色の瞳に、それがあたしだと映して貰いたくない。もうちょっと綺麗な姿を見て貰いたい。
しかも布団を足で踏んづけて寝ていたあたしの、中途半端に脱げかけたこの格好。初めて伺った異性の方のお宅で、なんとはしたない……。
貧血になりそうなほどにくらりとした頭を抑えて、慌てていそいそと服を手で整えて言った。
「すみません、病人にこんな腕枕をさせて。起きます……わっ!」
握っている手を離して起き上がろうとしたら、手が離れるどころかそのまま引き寄せられ、あたしの頭は課長の肩の上。
しかもきゅっと手と身体で挟むようにあたしを抱きしめてくるから、逃げ場失ったあたしは、朝から課長の身体の熱と匂いを思い切り感じて、死にそうになった。
今気づいたあたしもなんだけれど、服着ろよ、服!!
下は着ているのかちらりと確かめてしまったあたしは変態なのだろうか。いや、違うよね、一緒のベッドで寝てお触りされてしまった女の子なら、気になるよね。
「課長、服着ましょう、服!!」
ぺしぺしと背中を叩いてみたら、気乗りしなさそうな課長の声。
「ああ……。あっちで夜なにも着てなかったから、その癖が……」
OH! なんて刺激的なアメリカ生活。
その時下も裸だったのか聞いてみたくなるあたしは、朝から課長のフェロモン攻めを受けた結果で、脳がピンクの液状に蕩けている結果に違いない。
「あのさ……、その丁寧語やめ」
至近距離であたしの顔を覗き込んでそこまで言った課長が、突然反対側にばっと顔を背けた。
「!!!」
あたしの顔がそこまで酷かったのかと内心ガーンとショックを受け、ごめんなさいと謝ると、課長は顔を背けたまま言いにくそうに言う。
「いや、その……」
「言わなくてもいいです。わかってますから」
あたしは涙目だ。
「え、わかってるのか!?」
逆に課長が驚いた顔をして、あたしを見る。
「そりゃあ、こんなに至近距離に居るんだから隠したいものもわかってしまいますよ。もういいです、素直に言って下さい。我慢しなくていいですから。逆に我慢された方が気まずいですから」
どれだけ酷い顔をしているのだろう。見られない顔だから、さっさと化粧して化けて来いと言われた方がすっきりする。
「え、我慢しなくてもいいって……いいの?」
「はい、いいです。(言われる)準備は出来ましたから」
ごくり。
課長が唾を飲み込んだのか、喉仏が上下に動いた。
「じゃあ……」
「ちょっ、なにするんですか!?」
覆い被さり、キスをしてこようとした課長に驚いた声を上げたら、彼の方も驚いた顔をした。
「なにをって、俺に抱かれる準備が出来たって……」
「誰がいいました、そんなこと!? あたしの寝起きの顔が酷いと言いたいんでしょう!?」
「は? 酷い?」
「素直に言っていいですって! あたしポジティブに行きますから!」
「……。ああ、そっちか」
「そっちってなんですか! あたしだって女の子……」
「俺、眼鏡外してるのに、そこまで細かく見えると思う?」
「あ……」
ちゅっとリップ音をたてて頬にキスされ、囁かれた。
「――が、ばれたのかと思って焦った」
「……はい!?」
あたしの耳に聞こえたのは、朝限定の男事情。真っ赤になってぽかぽか拳で叩こうとしたら、課長は手のひらで受け止めながら、声をたてて笑った。
悔しいくらいに綺麗な顔で。
「化粧した顔もキリッとした美人で好きだけれど、皆がその顔を見ているのなら、俺は化粧しない顔を見たい。いいじゃないか、俺は昔、あなたの化粧していない顔を見て、凄く可愛いと思ってキスしまくっていたんだし。今も可愛いよ」
「な!? 見えていないくせに出任せ言わないで下さい!!」
そうやって、九年前の地雷を踏んで、爽やかさを装いながら口説くように甘く言うから、あたしは絶対化粧をしてやろうと堅く心に決めた。
しかしなんだこの豹変ぶりは。
いつもの大人びてクールよりも冷たすぎる姿はどうしたんだろう。
「あの、課長……なにか嬉しいことでもありました?」
「……。なんで?」
「いえ、いつものようにツーンとしてないので。ああそうか、熱が下がって気分がいいんですね」
「……はぁ」
疲れ切ったような盛大なため息が聞こえた。
「お疲れならどうぞ寝ていて下さい。……あ、眼鏡見っけ!」
枕の下に埋もれた眼鏡発見。手を伸ばして彼の眼鏡を掴むと、彼につけてみた。
「……なに?」
うおおおお!
眼鏡か!? 眼鏡が彼のキラキラを凍らせるのか!?
この眼鏡は、魔法の眼鏡なのか!?
瞬時に理知的な氷の彫刻が出来上がったことに驚き、このアイテムのどこに魔法があるのかひっくり返したり色々見た後に、ちょっと離してその眼鏡のレンズを眺めたら、あたしのピントにぴったりあう。
「課長これ……。あたし視力0.6なんですが、まさか課長もそんな程度?」
「はは、バレたか。それほんの少しだけ度が入っている。俺機械弄るから電磁波避けにと、向こうの大学の教授がプレゼントしてくれたんだ。それに女避けにもなるし、少しは大人「じゃあ裸眼の視力は悪くないってことですか?」」
課長の言葉に被せるようにしてあたしは言った。
視力がいいというのなら――。
「うん、あなたの顔の状況がわかるくらいは」
「――っ!!!!」
やっぱり!!
あたしは思わず遠ざかる。
「だから言ったじゃないか、可愛いって」
「真顔で言わないでください、あたし自身のことはあたしがよーくわかっていますから!」
ぷりぷりしてそう言うと、課長があたしの腕をとった。
「結城さんは、そう言わないの?」
「え?」
「なんで結城さん、友達で我慢してる? 俺なら、あなたを一度抱いてしまったら、友達なんかじゃいられない」
爽やかだったその目が、途端に男のものとなる。
ぎらついたような、攻撃的な目に。
「俺の女だと、周りに自慢する。他の男につけいられる隙など与えないほど、独占するのに」
射竦められたかのように、ぞくりとする。
こうなれば――。
「過剰評価の凄いアメリカンジョークですね。あたしは身の程をわきまえてますので、喜んでくれる他の方にそれ言ってあげて下さい。それより課長、シャワー使わせて貰っていいですか?」
逃げるしかないでしょうが!!
あたしそういうのを笑ってかわせるほどの経験値ないんだよ。
会社じゃないんだから、営業モード続かないんだよ。
浴室に逃げ込んだあたしは、閉めたドアに背を凭れさせるようにして更衣スペースで座り込み、呟いた。
「冗談、キツすぎるって……」
顔から火がでそうに熱く、ドキドキが止まらなかった。
「はぁ……手強い、全く靡かない。誰がこんな台詞、他の女に言うかよ。嬉しいことありましたかって、本気で聞くなよ。顔より俺を意識しろよ。……そうか、そこまで俺は眼中外か。そっちがその気なら」
そんな不穏な呟きが、ドアの向こう側から聞こえていることを知らずに。
……その数十秒後、シャワーを片手にした鏡の向こうにいるあたしの身体の異変に声を上げる。
「なにこれぇぇぇぇ!!」
あたしの首から胸にかけて咲き乱れる赤い華があったからだ。
……あたしの騒ぐ声に、にんまりと笑った課長が、リビングから給湯ボタンを押していたことに気づかずして、自分の身体よりもまず先に、あたしが昨晩濡れるにいいだけ濡れたショーツを密やかに手洗いしている時、突然背中からピーピー音が鳴った。
「なに、何の音!?」
慌てた時、浴室のドアががらりと開いた。
「ああ、湯が沸いた音だ。どうせだから、一緒に入ろうと思って」
課長が、下半身にタオルを巻いて、裸で普通に入ってきたのだった。
「一緒って……」
「ひとりで待っていてもつまらないので」
課長の様があまりに堂々としすぎて、あたしは唖然と口を開けていた。
あ、浴室なのになんで眼鏡かけてきたんだろう、とか、腰に巻いてるあの一枚が邪魔だなとか、馬鹿みたいなことを頭の片隅で考えながら。
そんなどうでもいいことより、まずはあたしの身体に咲いた赤い華を文句言うべきじゃないか?
とりあえず思考回路が、彼にもの申す優先すべきものを弾きだした。
「課長、寝ている間にあたしの身体にキスマ「鹿沼主任。身体洗わないで、ここでなにを?」」
うぉぉぉぉ、会社モードなんですか!?
ここで!? 裸で!?
久しぶりの(マッパの)冷視線だというのに、不意打ち食らったようなこの冷めた目線に、強烈なドキドキが止まらない。え、あたしMなの!?
彼が示す指を辿れば、洗浄途中のショーツに行き着く。
「――っ!!!!」
教師や親に隠していたエロ本とか大人のオモチャとかを見つけられた、なんだかそんな気分。
やばっ!
慌てて後ろに隠し、借りたタオルをあたしが見られたくないところに巻き付け、何事もなかったかのように必死で振る舞う。
突っ込むな、突っ込んで聞いてくるな!! 突っ込んで聞いてきたら、噛みついてやるから!!
密やかに怨念のような呪いを飛ばすあたしは、キスマークを問い質そうなどという気持ちは、とっくに空の彼方。
「それは?」
「キャ、ヤダミナイデクダサイヨ~、エッチ~」
「……なぜに片言」
無視してあさっての方を向いて、次の手を色々考えている間に、課長はそのまま白くて大きな浴槽にざぶんと浸かった。
え、本気で入ったの!? 冗談じゃなくて!?
目が合うと、彼は艶然とした笑みであたしを片手で手招いた。
「来る?」
誘惑された瞬間、「行くぅ」とふらふらと赴きそうになるあたし自身に喝を入れて、あたしから出た言葉は――。
「お風呂入って、眼鏡曇らないんですか?」
どうでもいいじゃないか、そんなこと!
そう思えど、違うこと考えなきゃ、一緒に入っちゃうよ。
やだよ、あたしと課長そんな仲じゃないでしょう。課長の余裕ぶった冗談を真に受けてどうするの。絶対あとで笑い飛ばされそう。それをネタに脅迫されて、あれやこれやされるんだわ。
だって普通に考えて、こんなイケメンとマッパでお風呂どっきりなんて、ありえないから。なにかの間違いだから。
……いやまあ、寝てしまっている仲だけれど。気持ちよすぎて何度も何度もして貰った仲だけれど。
あたしは、熱がありながらもほぼひとりでトラブル抑えた、凄い上司の部下なだけなんだから。
ファイティング、HINA!
NO MORE セクハラ!
「はい。曇らない仕様ですからご心配なく」
左様ですか! 仕様ですか!
にこやかだったのに、眼鏡をかけたらやはり冷たい。
お湯に浸かっているだろうに、冷たい。
丁寧語が空々しく感じるのは、いつの間にやら彼の素の声に慣れたからなのか。急にそんな口調にされると、なんだか落ち着かない。
課長が態度を変えるくらいになにかしでかしたかしらと色々と記憶を巡らせれば、どれもこれもが思い当たり、赤面ものばかり。
いやまあだけど、上司と部下なんだから、これでいいよ。線を引かれたようなこの距離が一番あたし達に相応しいんだから。
……凄く寂しいけど。
入ってすぐショーツを洗っていたからよく見ていなかったけれど、浴室は大理石調の白いタイルで覆われ、あたしの家の寝室より大きく広い。
浴槽の方がドアに近いところにあり、洗い場にいるあたしの方が、奥に追い詰められているような構図だ。
簡単に逃げられる感じでもなければ、石けんで泡立てた中途半端なショーツと、中途半端に濡れたあたしの身体では服が着れない。というか、この状態の下着どうするの?
ここは課長の家だから住人である課長がなにをしても、ただの客人のあたしには文句言えないことはわかってはいるけれど、考えてみればこのひとデリカシーっちゅーもんないのかしら!?
女が浴室にいる時に入るのが、アメリカンスタイルとか言っちゃう!?
郷に入らば郷に従えっていう言葉、知らないのかしら!
今あなたの居住は日本のここでしょうが!!
慎ましやかに! 奥ゆかしく!
「ぶはっ」
課長はあたしから顔を背けた。
「なにか!?」
「いえ……くくく、駄目だこのわかりやすい百面相に笑いが」
「なにか言いました?」
「いえ。……くくくく」
浴室に、課長の笑い声が反響する。
なんで笑われたのかさっぱりわからない。
「課長、本気になにしに来たんですか!? 用があるならすませて……」
警戒しながらそう言うと、
「ああ、あなたが上がるまで、一緒に湯に浸かってテレビを見ようかと」
さらっと。とにかくさらさらっと、あなたなにを仰っているのでしょう。
課長がまっすぐ壁に向けてさした指の先には、庶民には無縁の、壁にかかっているらしいバステレビなどいうものがある。さらによく見れば、課長が手を伸ばせば届く距離の壁に色々なボタンがついたパネルがある。
突然パチッと音がして、薄暗くなった。
代わりに課長の入っている浴槽の中が灯がついた。色が変わるLEDだ。
「ちょ、なんで暗く……」
「テレビが光るので」
「リビングで見ればいいじゃないですか!!」
「ここの方が落ち着くんです」
課長がいるのに、下着も身体も洗えない。なによりタオルはあたしの身体に巻いているもの一枚。これを外したらマッパだ。これはさすがにやばい。
テレビからの笑い声が響く。
駄目だ。このひと、てこでも動かないつもりだ。だけどきっと湯にのぼせたら部屋に戻るはずだ……そう思えど出て行く気配はなく、テレビから漏れる笑い声が響くのみ。
「……熱くないんですか?」
「ああ、向かい側から涼しい風が来るんです」
確かに課長の髪が揺れて、課長は気持ちよさそうだ。
この金持ちめ!!
「私にお構いなく、どうぞ思う存分濡れた下着をお洗い下さい」
ギクッとなりすぎて、ショーツがタイルの上に落ちた。
「気づかないとでも思ってたんですか? 可愛いひとだ」
朝なのに窓のない暗がりの中、神秘的な氷のような青色に染まった課長は、妖しく艶笑する。人外の美貌を見せつけながら。
「トイレがわかりませんでした? それとも、寝ている時に漏らすのが癖「あんたのせいでしょうが!!」」
思わず言ってしまった。……真っ裸にタオル一枚の際どい姿のままで。暗いから言えるのだ。
「へぇ? 私のせいだと? 私、あなたにどんなことをしたんですか?」
「……っ!」
「熱を出していて、なにも記憶がないんです。ねぇ私がどんなことをして、あなたが下着が洗わないといけないほどに濡れてしまう羽目になったんですか? 具体的に教えて下さい」
この――ドSめ!
「それと夢の中で、あなたから、"課長は魅力的すぎてあたしを乱します。だから触られたくない。ドキドキがとまらなくなるから。あたしは課長の玩具にはなりたくない"とか言われた気もするんですが、本当のところを教えて下さい」
「確信犯でしょう、絶対そうでしょう!?」
あたしは涙目だ。
「一言一句間違えずになんでそんなもの記憶してるのよ!! 脳細胞の無駄遣いよ!!」
思わず人差し指を突き立てると、課長の手が動いた直後に、天井からシャワーがふってきた。
「うわっ、冷たっ、なにこれ! あたしシャワー出してないのに!!」
「ああ、オーバーヘッドシャワーを間違って出してしまいました。あれ、温度どこで変えるんだったかな」
嘘つき――っ!!
冷水にパニックになっているあたしは、ドアから出ていくことを忘れて、おいでおいでと両手を出している、ライトアップされてホカホカ湯気立つ課長の下に、本能的に反射的に駆け込んでしまった。
「よいしょ」
持ち上げられたあたしは、ドボンと浴槽の中。
「なっ!!」
そこで我に返る。
「あなたが飛び込んできたんでしょう? テレビ見えないんですけど」
「え? あ、ごめなさい……」
浴槽から出ようとしたあたしは、またもや課長の手によりくるりと向きを変え、課長の足の間にドボンだ。
逃げられないように、後ろから抱きしめられて。
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