いじっぱりなシークレットムーン

奏多

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  Waning Moon 12

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 バッグから名刺入れを取り出して、一枚を手にした。

「初めまして。私……」

「ああ、わかってる。名刺はいらん、月代さんの部下だろ。こちらの連絡先も月代さんに聞けばいい。月代さんもこんなぺーぺーを寄越して」

 じろりと名刺を一瞥して、あたしの主任の肩書きが気に入らなかったのか、名刺を出しているのに受け取ってもらえない。

 飛び込み営業でもあるまいし、こうした扱いをされるとは予想していなかった。

 え、受け取って貰えなかったら、どうするんだっけ。

 パニックになったあたしの横にすっと課長が出た。

「私鹿沼の上司にあたり、シークレットムーンWEB部課長の香月と申します。鹿沼と共に、月代の代理として参りました」

 微笑みながら名刺を出すと、矢島社長は胡乱げな目で課長を見つめたが、差し出された課長の名刺をじっくりと見て、少し考え込む素振りを見せると、課長の名刺だけ受け取った。

 課長のだけ!

 だが受け取ったら、彼はひとつの名前を呼んだ。

「おい!」

 すると、どうやらこの部屋の仕切り戸の向こう側にいたらしい、ここまで案内してくれた女従業員が、お茶をお盆に乗せてやってきた。

「これ、やる」

「承知しました」

 従業員は名刺を手に取りお盆に乗せると、社長に促されてソファに座ったあたし達にお茶を出してくれた。

 社会人の心得ひとつ。

 名刺を頂いたら、名刺入れの上か自分の近くの机の上に、貰った名刺を置きましょう。目の前で部下に渡してしまうのは、論外です。

 あたし達は、屈辱的にも先方の名刺を貰えないらしい。

 しかも、向かい側に座った社長は、話し出すあたしを見ない。あの従業員にパイプ椅子を持ってこさせて立ち会わせ、ふんぞり返ったまま課長を見ている。

 確かにあたしは主任とは名ばかりのペーペーで、課長のような華々しい学歴も職歴もありませんけれど!

 だけど、そんなところで判断しないでよ!
 
「社長、こちらを……」

「ああ、君。温泉入ってきたら? 喋らなくてもいいから、うるさい。本当になんで月代さんも女なんか寄越すかな」

 女で悪いか!!

 差しだそうとしていた紙を持つ手が震える。

 こんな奴に会うためにここまで時間をかけてきて、しかも会社の命運がかかっているなんて。会社の危機でないならば、ここでこの机を思い切りひっくり返したい。

 だけど、女だからとただそれだけで見くびられている社会は、確かにあることはあたしもわかっている。

 あたしは衣里のように話術はないけれど、仮面くらいかぶれる。

「すみません。遠路はるばるやってきて、ようやく社長にお会いできたので興奮して、声高になってしまいました。もっと静かにお話しますね」

 落ち着け、落ち着け。
 こんなことでへこたれるな。

 笑え、笑え。
 嫌がらせなんてへっちゃらだと。

「ああ、じゃあ手早く話してくれないかな。こっちも忙しいのに、月代さんが話を聞いてくれというから聞いているんだ。なにかをさせたいのなら、月代さんに来て貰って。社長じゃないと話にならない」

 だけど、あたしだって人間だ。
 悪意をぶつけられても平気じゃない。

「社長は、入院しております」

 できるならここから飛び出したい。

 それでも社長があたしを任命してくれて、皆もあたしを応援してくれるのなら、あたしは私情で投げ出すわけにはいかないのだ。

「はは。あんな元気なひとが入院? 仮病かい」

「元気なら社長が自ら来ます。来れないから、あたしと課長が来ました。どうすればお話を聞いて下さるのでしょう」

「そうだな、女なら裸になれ。上から下まで真っ裸になるのなら、話を聞いて考えてやろうじゃないか。裸での打ち合わせなら」

 ――っ!!!

「それとも課長さん、あんたが私に土下座して私のサンダルでも舐めてみるか? しばらく洗ってないサンダルだけど、いろんな菌が湧いて美味いかもしれないぞ?」
 
 あたしが裸になるか、課長が社長のサンダルを舐めるか。

 そんなの、ハナから答えは決まっている。

「わかりました。私が裸になることでよろしいですね?」

 あたしはくじけず、まっすぐと社長を見た。

「あたしの貧弱な裸くらいでお話を聞いて考えて下さるのなら……」

 あたしは立ち上がり、背広を脱いでブラウスのボタンに手をかけた。手が震える。脳裏に小林商事の副社長とのことが蘇る。

 女には、これしか手段がないのだろうか。

 課長の前でこんなこと嫌だけど、だけど契約のためなら――。


「やめなさい」


 そんなあたしを、命令口調で止めたのは、


「服を戻して座れ」


 俯くようにして膝に手を置いたまま、こちらを振り向きもしない課長だった。

「でも……」

「あなたは月代社長の顔に泥を塗る気か! そんなことをさせるために社長があなたを寄越したと思うのか!」

 それでも。それでも――。

 課長が顔を上げた。


「彼女が裸になるのを、あなたならお許しになりますか」


 ゆっくりゆっくりと、


「同じ女として、あなたは許容出来るんですか? 矢島社長」


 目の前のブルドッグではなく、女従業員を見た。

 怒りを称えた射るような鋭い目で。


「課長……、社長って……」

「この女性が社長です。名刺を受けることを拒んだこの男性は、矢島社長の内線で呼ばれて、社長のふりをしていただけのこと。部下でしょう」

「へ?」

 ふたりは黙って、課長を見ている。

「私は部下が女であることを道具にしたくない」

 きっぱりと課長は言い切った。

「あなたが彼女にそれを望んでいたとしても、私がさせない。それくらいなら、私がこの方のサンダルを舐めます」

 課長は立ち上がり、ブルドッグの前に膝をついた。

「やめて下さい、課長!! あたし裸くらい……」

「安売りするな! あなたは実力で主任になったはずだ!!」

 課長の爆ぜるような怒声にびくっとした。

「課長だってそうでしょうが!! 課長!!」

 課長は土下座をして、頭を下げたまま……言った。

「ここのホテルの従業員は皆女性ばかりだった。女性にチャンスを与えているあなたなら、部下達が見知らぬ男から、セクハラ・パワハラ……をさせられて黙っているんですか? 私は嫌です。それくらいなら、私がした方がましだ」

 そして課長はブルドッグの足を手に――。

「課長、課長――っ」


「ここまでよ!! あはははははは」


 女従業員は突然笑い出した。

「いや、ごめんなさい。まさかこんな早く見破られるとは思わなかったので。もういいわ、課長さん。あなたはそんなことをする必要はない。だから席に戻って。戻らないとそれこそ打ち合わせしないわよ」

「……わかりました」

「鹿沼さん……でしたっけ? あなたも座って」

 あたしは戻ってきた課長を抱きしめたくなった。

 土下座でも、課長にさせたくなかった。あたしひとりですむのなら、裸になっても構わなかった。

 あたしを助けるために、きっと――。

「ねぇ、課長さん。従業員が女性ばかりだったから、私が社長だと確信したんですか?」

 やっぱり、このひとが女社長だったのか。

 あたしひとりなら、見抜くことが出来なかった。

「いえ。月代が社長の情報について一切口を漏らさず、しかし鹿沼を指名したのが、私にはひっかかっていました。営業ではなく、彼女を寄越す意味があるのだと。それとホテルのことを話していたあなたは」

――お客様にゆったりして欲しいのですが、どんなエキスパートな従業員を雇用しても、やはり移動に関しては時間がかかりますからね。

「雇用したと、雇用側からの意見を述べました。そこで、もしかして社長名の矢島司というお名前は、女性のものではないのかと思いまして。勝手に名前から男性だと判断していただけではないかと」

「そう。こちらの女性の方との世間話を、課長さんは聞いていたのね。そんな些細なことで……あははは、愉快だわ。いいわ、沼田、下がって」

「い、いいんですか?」

「そして謝罪しなさい。私はそんなことを言えと指示していないわよ。私はただ怒らせろと言っただけ。性別軽視は私が嫌うところよ」

 すると、今まで社長だと思っていたブルドッグは深々と頭を下げて、あたしに謝ったのだ。

「申し訳ありませんでした。私は経理担当の沼田と申します。どうかお許し下さい」

「は、はあ……」

「私からも部下の失礼な態度を謝ります。試すつもりだったとはいえ、ごめんなさい。怖かったでしょう」

「そ、そんな……」

「そして課長さん。香月さんだったかしら。あなたに土下座させてしまったこと、本当にごめんなさい」

「いいんです。わかって下さればそれで。社長、顔を上げて下さい」

 課長の言葉で、頭を垂らした女社長は、顔を上げて言う。

「私は、男に負けたくない一心でここまでやって来たわ。だからね、泣き出さず狼狽えず逃げ出さず、困難に挑もうとする女性が好き。泣いて逃げ出せば庇護して貰えるとの女のイメージを地で行く女性は大嫌い。今の子なんて特に、働く根性もなくて雇用しても疲れるからと辞めていく。結婚の腰掛けみたいに思って、"やじま"を愛してくれないの」

 あたしはふと、千絵ちゃんがシークレットムーンに居た時、そういうものだと言っていたことを思い出した。スポ根のように会社を愛することは流行らないと。

 ジェネレーションギャップもあるのだろうか。否、あたしはいつの年代にも会社を愛する心は尊重されると思うのだ。
 
「あなたは隣の課長さんと会社を助けるために、迷うことなく自分を捧げようとした。その献身さからしても、あなたは合格。信用できる。本当ならうちが雇いたいくらい」

「……あ、ありがとうございます」

 笑顔で言われ、あたしは恐縮して項垂れてしまった。

 こうして、千絵ちゃんにスポ根と言われた愛社精神も、認めてくれるひともいるのだ。

「そして女性が男の道具ではないということを認め、女性の実力を評価してくれる男性が好き。もしも彼女が困難に陥って、それが会社のためだからと言い訳してプライドを守るために課長さんが黙ったままなら、私は席を立つつもりだった。だからあなたも合格よ、課長さん。彼女と会社を助けるために、自らプライドを捨てようとしたあなたなら、女の私の話もちゃんと聞いてくれる気がする」

「ありがとうございます」

「忍月コーポレーションって、実は好きじゃないの。こっちが事業拡大した途端に、上役つれてくる。それまでは無視していたくせにね。だけど月代さんは、女性を認めてくれて真剣に取り合ってくれたから、話を聞いて契約をした。その後も何度も顔出したり、ホテルを利用したりしてくれてね。彼がいなくなったから、忍月さんはやめたの。無意味だったから」

 社長は、取引先にも人望があったのか。

「月代さんは、独立しても声をかけてこなかった。あの方なりの誠実さだと思っていたけど、今回連絡を頂いたということは、かなり大変だということは私も承知してる。だけど私も、それだけでは話を聞けない。彼が来ないのなら、あなた達の人柄を知って、あなた達の真剣さを知らなきゃ。人間的に信用してお金をかけられるに値する人達なのか。事業の話はその後なのよ、私にとって」

 女社長はにっこりと笑った。

「さすが月代さんね。彼が認めてこちらに向かわせてくれたあなた方が大好きになったわ。私、うるさい女だけど、真剣にお話をしましょう」

 泣きそうになる。

 だけど泣いちゃ駄目だ。女社長に嫌われてしまう。


「「ありがとうございます」」


 あたしと課長は立ち上がり、同時に頭を下げた。


「では改めまして。名刺を交換して下さる?」

 女社長の手にある名刺には、『代表取締役社長』という肩書きがきちんと印字されていた。

 第一関門突破――。

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