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Lovely Moon 10
しおりを挟む~Eri Side~
給湯室から水を汲んだポットを持って病室に戻ろうとした私は、聞き慣れたひとの声に驚いてそちらを見た。
結城と……戻ってきたらしい、陽菜と香月。
うわー、なになにエレベーターで鉢合わせか。
私は物陰に隠れながら、昨夜からの結城を思い出す。
泣いていたあいつを励ますための飲み会。結城は酒を浴びるほど飲むほどに泣き上戸だったらしいことが判明、気づいた時にはしくしくめそめそと。
今まで結城がここまで酔ったことはないし、いつも陽気に笑っていたから笑い上戸かと思っていたが、実は違うということをきっと私が初めて見たようなものだ。陽菜ですら、知らないはず。
私が一緒に飲みたくないワースト2位が泣き上戸だ。そして1位が絡み上戸で、酒を楽しみに来たのにまずくなるこのワーストランク、1位と2位を混ぜ合わせたのが、結城の泥酔状態だった。
ひと言で言えば、面倒臭い。
まだひとりで涙ぽろぽろなら許せるものを、陽菜に未練たらたらのこの男は、陽菜のことで突然に泣きながら、あたしに陽菜をどんなに好きか惚気てくる。
それでそのうち、友達の方が陽菜の傍にいれるだの、香月の知らない陽菜を知っているだの自慢始める。
と思ったら、さらには「自分は香月だから譲ったんだ」とか、「香月の能力を先に見抜いたのは自分だ」とか、ライバルを大絶賛し出して「陽菜の目は節穴ではない、さすがは俺の惚れた女」だとか言い出したと思いきや、「今頃陽菜は香月に抱かれているだろう」とか、「あのふたりは両想いだから付き合ったのだろうな」とか、ぶちぶちと愚痴ては落ち込む。
これを二時間ほどされて、いい加減私は思った。
1.香月より結城の方がいい男だと、陽菜の趣味が悪いんだと、根気強く結城が浮上するまで激励する。
2.無視する。
3.説教する。
4.帰る。
4つの選択肢のうち、1.をした途端に結城は陽菜の肩を持って、今度は私を責めるだろう。うざいことこの上なし。
2.をするには、この男うるさすぎる。
だとすれば3.か4.で、私の心は限りなく4.に近かったけれど、そこを同期のよしみでぐぐぐぐっと堪えて、3.を決行する。
酒がまずくなると私はぶちギレ、結城の悪いところを具体的な例を持ち出して、延々と滾々(こんこん)と結城に説教したのだ。
『こんな調子だったら私とだけではなく、陽菜や香月とも友情は終わりだ。会社で大変な時に、陽菜しか考えられないうざくて馬鹿な男が、香月に勝てると思ってるのか。見返してやろうと思わないのか、この筋肉馬鹿!』
……これは要約で、実際はこれでもかというほど、けちょんけちょんにやりこめた。営業では課長の座を渡したけれど、プライベートは口で負けるものか。ストレートな言葉でダメ出しをした。
こんな私でも結城の気持ちはわかる。私だって雅さんに拒まれた時、泣きたいし叫びたいしで大変だった。
だけど私は、雅さんの会社にも愛情を注いでいるから、振り切るように仕事を頑張っていたんだ。自分の想いがだぶってしまい、悔しくも涙まで流して結城に言うと、結城は……笑いやがった。
――お前だけだよな、全力で俺にダメ出しくれるの。
――それって俺のこと、見てくれてるってことだろ? しかも直球で投げてくるから、傷心の心にぐっとくるわぁ~。
不覚にも、このドMが見せた笑顔にドキンとしてしまった。
なにを言っているんだ、この馬鹿は。これなら私達は傷の舐め合いから愛が生まれたようないい方だ。
な ん で そ う な る !!
――あいつは俺を持ち上げ、お前は俺の穴を塞ごうとする。それでさ、一丸となってくれる仲間が居て、特に香月が……俺の横で色々と足りない俺の頭を補ってくれるのなら、そうしたら俺、社長でも何でもできそうな気がするんだ。
ありえない。ありえないのに……雅さんにも似たその強い瞳。
血の繋がりなどない、全くの他人なのに、頼もしくて愛おしい雅さんの面影を重ねてしまったのは、きっと私もまた、結城に付き合った酒でほろ酔い気分だったから。
――まだ俺、あいつのこと引き摺ると思うけど、仲違いしたくねぇんだ。見せつけられたりして、友達を超えたことをしでかしそうになったら、俺の頭ぶん殴ってくれ。鹿沼に対しても、香月に対しても。俺はあいつら失いたくねぇからさ。勿論お前も。
所詮私は付け足し程度。
雅さんの顔をして、結城もまた、私ではない違うひとを想う。
切ないね、こんなに顔を合わせているのに、私とふたりで飲む男はこうまでして私の顔を見ない。
だけどあんたと居ながら雅さんを思い出してる私も私だ。
雅さんへの恋心を募らせながら、痛ましい顔よりは、脳天気な笑顔が見たいと思い、静かに笑う。
――やりなよ、社長。社長として、社員である陽菜を愛してやんな。それくらい、陽菜を見続けたあんたに許されてもいいと思う。
――真下……。
――あんたは100のうち、99はダメダメだけど、1つはいいところがある。そこに皆が救われているんだから。
――はは、厳しいな。1つしかねぇのかよ。
――笑え。あんたの笑う顔に、陽菜も癒やされてきた。そこは自信もっていいところだから。だから辛くても笑え。笑えばきっと……本当になるから。
――そう……だな。踏ん張って笑うわ。
そして午前様で別れて、再び顔を合わせた結城は元気になったのかと思いきや、酒がまだ抜けていないらしく二日酔いが辛そうだ。
私は結城が時計を見ながら陽菜の姿を探していたのを知っている。
馬鹿だね、あんたが陽菜におやつの時間に帰って来いなんて言うからでしょ。おやつまであと三時間もあるというのに。
絶対いちゃいちゃしているのを想像して、落ち込んでもう何度目になるのかタバコを吸ってくると病室を出て、とうとうエレベータで鉢合わせか。
「よ、よう~、早かったなあ」
引き攣ったような奴の挨拶。
あれは全然笑えていない。
……なんだ? 陽菜と香月がいちゃついてでもいたのか。
アホな奴。なにが「早かったなあ」だよ。時間気にしていたのばればれじゃないかよ。これじゃあ陽菜、なにも喋れないよ。
私の出番か?
強張った顔で引き攣って笑っているだろう結城をぶん殴って、また説教か?
その時だった。
「おはよう、結城。一番美味しそうなケーキ、結城に買ってきたよ。丸い奴だからね」
明るい陽菜の声。
「お、おう?」
「表参道まで行って並んで買ってきたんだからね!」
これは結城の脳天気さが陽菜に移って、或いは幸せすぎて頭の中がとろとろになりすぎて状況がわからない……もしくは結城なんてどうでもよくなった発言か?
壁からじっとエレベーターから降りたふたりを見る。
「大好きな友達と、……大好きな彼氏に、ケーキ食べて欲しいんだ」
震える陽菜の声。
「あたし……朱羽の恋人にして貰った。……付き合った」
ああ、陽菜。陽菜はきっちりと結城に線を引こうとしているんだね。
私みたいに、引き摺らせないために。
あんたは優しいから、どんな思いでそんなことを言ったのか、私はよくわかるよ。結城を見ながら、あんたもまた傷つく覚悟か。
「付き合ったか……。だよな」
辛いね、辛いよな、結城。
「エレベーターの扉が開いた時に、香月に寄りかかってたお前……、凄く幸せそうだった。もう決定的……」
あんたが本当は、陽菜の隣に立ちたかったんだものね。
「俺が……そうさせたかった。だけど……お前は香月の元で目覚めたんだな。長く満月の夜を過ごしても、俺とは眠り続けたままだったけど……」
私と同じ、八年も見続けてきたんだものね。
「満月、大丈夫だった。あたし……克服出来たみたい」
「……そうか。精神科医に昔言われていたんだ。お前が本当に心から誰かを愛することが出来たら、過去を克服できるだろうって。……じゃあもう本当に俺は……必要ないな。男としては」
結城は香月の前で頭を下げた。
それは営業課長に相応しい、素晴らしいお辞儀で。
「鹿沼をよろしく頼みます。こいつを……泣かせないでやってくれ。ずっとずっと……愛してやって欲しい。こいつが今まで苦しんできた分」
偉い。
よく言った。
あんた、男を見せたよ。
香月も綺麗に頭を下げた。
「はい、ずっと愛し続けます。ありがとう、結城さん」
「……なんか嫁に出す気分なんだけど」
結城が笑えば、
「今から練習しておいて下さい」
香月も笑う。
こいついい度胸だ。陽菜なんか全然会話についていけてないじゃない。なに勝手に陽菜の人生決めてるんだよ。
笑いがとまらない。
「あなたは、彼女の……陽菜の、友情を超えた家族であることには間違いない。彼女におけるあなたへの愛情も否定したくないし、あなたの中の彼女への愛情も否定しない」
「おいおい、付き合ってそれは……」
「朱羽……」
「……それが俺に出来る最大限の譲歩です。俺はあなたの意向を無視して勝手に彼女を恋人にしました。だけど、本当に勝手ですけど……あなたとの断絶を俺も陽菜も望んでいない。だから俺を恨んでも殴ってもいいから、彼女との友情を続けて貰えませんか」
香月は深々と頭を下げた。
「そんな顔をさせてしまい、本当にすみません!!」
……香月、結城が死にそうな顔をしているのは、ただの二日酔いだから。
私は香月のことはよく知らない。なんで陽菜が夢中になって、結城が香月との友情を温めたいのかも。雅さんがなんで困窮した会社に彼を入れたのか、忍月の専務まで頼りにしている彼は、私から見れば、私同様、隠すべきものがあるために感情を外に出さないようにしているタイプのもので。
頭がいい顔がいい。あの筋肉馬鹿とはまるで違うエリートだから、陽菜と結城が惹かれたわけではなさそうだ。
香月って、馬鹿がつくほど真面目で律儀なんだ。ひと慣れもしていなさそう。……だから香月はわからない。彼が受けている好意を。
「なんで友情、鹿沼限定?」
「は?」
……ひとのよさを見抜くのは結城が上か。
「お前ともだろう?」
ははは、香月のあの表情。
理解不能とでも言いたそうに、眉間に縦皺刻ませているよ。
「ああ、仲間として結城さんを支えるという意味なら……」
「そんなのじゃなく、プライベートでだって」
「は?」
馬鹿真面目な香月。
近寄りがたさがなくなるこうした瞬間が、結城は気に入っているのか。とても楽しそうだ。
「お前、こいつと喧嘩したり困ったら誰に相談するよ?」
「え、渉さん……」
「即答すんな。専務より、俺の方が身近だろうが!!」
「は?」
うわ、あの馬鹿。恋愛相談に乗る気かよ。あんたの方でしょうが、恋愛相談したいのは。
「俺、男の友達っていねぇんだわ。ということでよろしく」
結城が手のひらを香月の顔の前に出した。
香月は意味がわからないらしい。途方に暮れているようだ。
陽菜すらわかっているのにね。
「朱羽は? 結城のこと友達に思えない?」
「え? だけどあなたと付き合ったら、事情が……」
「両方手に入れろよ、……香月。鹿沼と俺と」
「え? は?」
「お前頭悪いな、頭いいくせに。プライベートでも友達になろうって言ってるんだよ。俺と鹿沼みたいに、お前も俺と友達しようってことだよ。嫌か?」
「嫌ではないです、それは光栄ですけれど、あの……」
「なんだ?」
「友達って……なにをすればいいんでしょうか。俺、友達が居たことなくて。結城さんは……俺になにを期待しているのかなって。あの、残念ですけど俺、陽菜と別れる気は……」
「はああああ!? それは友情ではなく打算っていうもんだろうが!!」
「す、すみません。俺、打算以外に結ばれた友達っていたことなかったんで」
「お前どこまで、可哀想な奴よ。俺の方がマシじゃねぇかよ。もう俺が教えてやるから。お兄様が今度、居酒屋に連れていってやる」
「居酒屋でなにを……」
「酒を飲むんだろう!? 他になにしたいよ、お前は!!」
「え、陽菜とデート……」
「傷口抉るな、アホ!!」
エリート香月にアホと呼べる結城は一体何者なのか。
奴はボケにしかなり得ない人種だと思っていたけれど、奴をツッコミ役にさせる男がいたなんて、世も末だ。
私は堪えきれず、大声で笑ってしまった。
「あれ、衣里!!」
「なんなの、あのいいところで純粋培養されたようなあんたの彼氏。まるで昔の私みたいなんだけれど」
――そう、まず友達になろう、衣里。
雅さんに言われて戸惑う私みたいに。
「友達というものはだな、まずはこうされた手のひらをパチンと叩くんだ、こういう風に」
結城が笑って、むりやり上げさせた手のひらに自分の手のひらをぶつけた。そんなこと、私や陽菜にもしないくせに、やっぱり同性は違うのかしら。
パシーン!!
爽快な音が、不穏だった空間に広がる。
雨雲を消し去ったのは、曖昧に流さなかった陽菜の勇気と、勝ち誇らずに結城に見せた香月の真摯さと、踏ん張って笑った結城の男気。
今三人に広がるのは、見事な快晴――そんな気分にさせる、新たなる関係がある。
もう愉快でたまらない。
なんなのこのオチ。
結局結城のあの天真爛漫な笑い顔を引き出したのは、恋敵っていうことか。
まあいいけどさ、昨夜は結城のおごりだったしさ。あんな結城の姿、私……黙っててあげるから。楽しければいいね、男の友達。
「……まだ、専務にはっきりと返事してなかったけど、俺の大事な友達であるお前らには先に言っておくわ」
結城がいつもの調子を取り戻して言った。
すっきりした顔をしているのは、結城なりに心の整理が少しついたのだろう。
「俺、社長……精一杯頑張ってみようと思う。……力を貸してくれ」
私達は返事の代わりに、笑いながら結城を手で叩いた。さすがに香月は笑うだけだったけれど、結城と握手している。
――そうこなくっちゃ。
結城のはったりで忍月の連中を黙らせて、雅さんの会社をなんとしてでも守ろうと、そう皆で誓いあった。
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