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第1章 追憶
砕かれたもの 2.
しおりを挟む出ない声。動かない体。
目を瞑ることも耳を塞ぐことすら出来ない……、ただ惨たらしい光景を見て聞くことだけを強いられたサクは、怒りと嘆きに発狂寸前だった。
なんだこれは。
なんなんだよ、一体――っ!!
愛しい女が自分を守るために陵辱されている光景。
たとえ自分の想いが叶わずとも、自分はその肌に触れることがなくとも、穢れを知らないあの清らかな体は護られるべきもので、それにより自分が護られることはあってはならないことだった。
それが、あっさり不可解な未知数の輩に侵入を許し、指一本触れられずして自分の四肢は砕かれ、自決の自由すら奪われたのだ。
目の前のユウナは、獣のような屈辱の姿勢にて、後ろから暴漢にそそり立つものを貫かれていた。戦慄に震える白い太腿からは、彼女の純潔が散った証が、垂れているのが見える。
そして彼女に近いところに立つのは、幼なじみであり親友だった男のもの。
サクが欲しくてたまらなかった許婚という肩書きを勝ち取った男は、ユウナを助けるどころか、顔を背けて月を見ていた。
――お前は……他の奴に姫様を渡したいか?
――渡したいはず、ないじゃないか。
ユウナを愛していないはずはない。
リュカはずっとユウナを愛していた。
たとえあの金の男に脅されてこの惨劇を引き起こしたとしても、それがユウナを苦しめる最悪な脚本であっても、それでも男としてユウナを助けるべきだと思うのに。
目の前で蹂躙されているのだ。
ユウナを好きであれば、僅かにでも情があれば。ユウナを助けられると思うのに。
サクは心で叫ぶ。
――ユウナを……。
リュカ……。
――必ず幸せにする。
あの宣誓も、嘘にするのか!?
――確かに、僕自身ですら本当のように錯覚するほどの、十三年来の演技の出来ではあったけどね。
崩れゆく――。
十三年で培ってきた、愛しい姫を慈しんで護っているという自負は、塵埃が舞い上がるかのように、儚い自己満足にしか過ぎぬことを思い知らされた。
香しく匂い立つ花を、美しく咲かせるまでに護り通した結果、望まぬ誰かに無残に散らされた。
散らせるために美しく守り通してきたわけではない。散る様を見るために、護衛をしていたわけではない。あの凄惨で痛々しい表情を見るために、傍にいたわけではないのだ。
破瓜の痛みに歪んだユウナの顔は、流れる涙でぐちゃぐちゃで。それでも気丈にも、その場に崩れ落ちようとはしなかった。
穢れを知らぬ一国の姫が、暴漢に純潔を散らされていながら、彼女は抵抗をしなかった。
抵抗すれば、サクの命にかかわると思っているからだろう。
それがわかるからこそ――。
泣きたいのに涙が出て来ない。
叫びたいのに声が出てこない。
誰からも愛される姫だった。
誰よりも幸せになるはずだった。
誰よりも自分が幸せにしたかった。
少しでもこちらを見てくれれば、動かぬ全身で伝えるのに。
自分など捨て置いて、逃げろと。
自分にはユウナに体を張られる価値はない。
そんなユウナを見て、自分は生きてなどいられないと。
だがユウナの目はこちらを向くことはなく、自ら淫猥な宴に身を投じてしまった。すべては自分の不甲斐なさが招いたことだと、サクは軟弱な自身への怒りに狂い出しそうだった。
どうして体が動かない?
どうして声が出せない?
こんなことを望んで、自分は護衛をしていたのではない。
こんな事態にさせるために、ユウナを諦めたのではない。
ただユウナに笑っていて欲しかったから。
ユウナが幸せであって欲しかったから。
それなのに――。
痛みに唇を噛みしめているユウナを、壊すかのように腰を突く金色。
小剣を床に落としても、ユウナを見ようとしない銀色。
ユウナの太腿に流れ落ちる、破瓜の血と混ざった半透明な粘液。
容赦なく虐げられる愛しの姫。
発情した動物のような獰猛な声で、金色は果てた。ぶるぶると震えるようにして、ユウナの胎内にその穢らわしい欲の残滓を放ち、そしてユウナは――。
汚濁液に塗れて、力尽きたように床に沈んだ。
まるで襤褸のように。
駆けつけて抱きしめたい。
せめて、その顔に唇を落として、ユウナについた穢れを落としてやりたい。
動けよ、俺の体早く動けよ――っ!!
なにひとつ動けないサクに代わり、ユウナが動いた。
彼女はサクを一度も見ることもなく、ただずるずると体を引き摺るようにして、父親である祠官の亡骸を胸に抱いて、泣きながら言った。
――大好きなお父様……。私も、すぐに参ります……。
自らの頭に伸びるユウナの手。引き抜かれる簪をを、サクは見た。
まさか――!?
駄目だ、駄目だっ!!
自分に突き立てようとするな――っ!!
……ああ、誰か。
神でも魔物でもなんでもいい。
誰か、俺に力をくれ――っ!!
ユウナを救いたい。ユウナを護りたい。
そのためになら、俺はなんでもするから!!
――……メルカ?
簪を掴んだユウナの手を、足で踏みつけたのは銀の男。
誰か、誰か、誰か――っ!!
俺を姫様のもとに!!
――ホウ、ワレヲモトメルカ?
その時、サクの耳に男とも女とも判別つかない声がした。
――チカラノダイショウニ、オマエハナニヲササゲルカ?
サクはその声に必死に縋る。
相手は正体不明。
もしかして自分の幻聴かもしれない可能性もある。
だが、真実はどうであろうとも、それに縋ることだけがサクに残された唯一の希望だった。
もしもお前が、本当に力を授けてくれるのなら……。
リュカが凶言を吐いていた。
「死ねぬ呪いをかけてやる。苦しみ続けろ、永遠に」
リュカが初めてユウナに見せた、剥き出しの憎悪を込めて。
「僕はお前が……死ぬほど憎かった」
ユウナの前髪を荒々しく掴みながら、ユウナに対する愛情すら木っ端微塵に砕いた。惑いも優しさもなにもない、ただ冷酷な男の顔で。
「生涯覚えておけ、僕の名を。さあ、言え、僕は誰だ!? 言うんだ!」
それはまるで、ユウナの心身に深く刻む呪詛のように。
「……リュ…カ……」
ユウナの声が掠れ、引き攣った。
「もう一度言えよ、お前を心から憎悪している男は誰だ!?」
「リュカ……」
見ていられない。
一刻でも早くユウナのもとに駆けつけなければ、ユウナが死んでしまう。
ユウナの心が、砕け散ってしまう。
――ナンジ、ナニヲササゲルカ?
サクは、心の声に心で応えた。
「僕は……お前が死ぬまで、憎み続ける。苦しめ、……ユウナ」
俺の命を。
俺の命と引き替えに、ユウナを守る力を!!
愛した男から心まで破壊されるユウナを、救い出して守れる力をくれ!!
――……イノチナクセバマモレナイ。ナンジノコトバハムジュンシテイル。
ならば……親父と。
親父と会えたら、俺の命をやる。
七日。
それまででいいから――!!
――リョウカイシタ。ケイヤクノシルシニ、オマエノキバモライウケル。ケイヤクノシュウリョウマデノキジツハ、オマエノカラダニキザム。
そして――。
「ああああああああ――っ!!」
すべてを黙って見届けることを強いられていた、サクがゲイの呪縛を破って大きく吼えた。
左耳だけにぶら下がっている白い牙が、青白く発光する。
同時にその光は刃となって、リュカの男の背中を切り裂いた。
その肌に刻まれていたのは烙印――。
十三年前、ユウナと共に始まった……惨劇の序幕。
「姫様ああああああああ!!」
激情に猛るサクの目からは、真紅の涙が流れていた。
「ほほう……。砕けた四肢を回復させるとは、人ではなき者と契約したのか、サクよ」
愉快そうにゲイは言った。
ユウナを抱くサクに向けて。
「その体では契約しても、もって数日。契約した力をも使いこなすこともできず、ただ一方的に魂を食われるだけだ。相手の思う壷というところだな。それでどう生きていくつもりだ?」
「お前に……、関係ねぇだろ。俺には、俺なりのやり方がある」
そしてサクは、リュカを睥睨した。
「俺は、お前を許さねぇぞ、リュカ。お前は、姫様に言ってはならない言葉を吐いた。お前程、残酷で非情な男はいねぇ……」
そしてサクは冷たく言い放った。
「姫様の敵は俺の敵。だから覚えておけ。……友情ごっこはおしまいだ」
リュカがどんな顔をしたのか確認もせず、サクはユウナを抱えると、窓を突き破って外に飛び降りた。
赤い月光を浴びて、硝子の欠片がきらきらと舞った。
「馬鹿め。今外がどうなっておるかも知らずに。ははははははははは」
凶夜に響き渡る金の声。
ただ冷ややかな面持ちを月に向けている銀。
「狂宴は、これからだ。さあ、リュカ。死に損ないは放って置いて、事を進めるぞ」
そしてリュカはゲイに跪いて、頭を垂らした。
「御意」
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