勿忘草は、ノスタルジアな潤愛に乱れ咲く

奏多

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7.ダチュラは、偽りの魅力で陶酔させる

体と心と

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 昔の真宮はどうかはわからないが、少なくとも異国の皇女と執事がこの屋敷に入り交じることにより、真宮家は碧眼第一主義と変化を遂げたのだろう。
 常識や人情を超えて、碧眼の血を重んじるようになったのだろうと香乃は思った。
 
「皇女の碧眼は魔力がある。碧眼は皇女が持ってこそ! さあ、アナスタシア様を称えよ。平伏せ。すべてはアナスタシア様のために。その身も心も捧げるのだ!」

 河原崎執事は、完全に狂信者だ。
 対して、凛とした佇まいを見せる穂月は……屍のような無表情な面持ちで、口元だけ艶笑を作る。
 無と艶。死と性。
 相反したものを併せ持つこれは、一体誰なのか。
 当主が我を忘れるほどの魔性を、執事が異常に興奮する理由を、香乃は穂月から見出すことは出来なかった。

 昔の穂月のようなのに、穂月たらしめる突き刺すような狂気が見られない――外見が似ているだけの見知らぬ女性を見ている気分だ。
 これは本当に、自分の目の前で死んだ穂積の片割れとみなしていいのだろうか。
 それとも、当主が恋をしてきて、母が慕ったアナスタシアと呼ばねばならないのだろうか。
 こんなに穂月の顔で生きているのに、昔の記憶を共有しているのに、これは穂月の純正ではないと思うと、なんだか虚しくなってきた。

 ……わからない。
 なぜ穂月の記憶があるアナスタシアが誕生出来たのか。
 そこまでひとの体は簡単に付け替えることができるのか。

 執事が高笑いをしている。

 ……まるでわからない。
 たくさんの女性が犠牲になっているのに、笑える神経が。
 ひとつを生かすために多数を犠牲にするのは、本当に許されるものなのだろうか。

 笑う。
 笑う。
 執事の声だけが鳴り響く。
 耳障りな笑い声だった。

 香乃は両耳を手で塞ぎ目を瞑る。
 見たこともない、北の大国に思いを馳せてみる。

 栄華を極めた豪奢な城。
 色とりどりのドレスに彩られた、煌びやかな舞踏会。
 それはきっと、異国の模倣で始まった明治大正期の日本では、近づくことも出来なかった歴史ある厳然とした美も兼ね備えているだろう。

 そんな故郷や王家に仕えた先祖を誇りに思うのはわかる。
 わかるが、どう考えてみても――河原崎執事には賛同出来ない。

 駄目だ。
 どう考えても、この執事は……真宮を蝕む元凶だ。
  
「大切なものを……懐古的ノスタルジックに思い続けるだけじゃ駄目なんですか?」

 目を開き耳から手を離した香乃は、思わず言葉を洩らした。
 執事の笑い声が止んだ。

「枯れて無くなってしまった花は元に戻らない。それが摂理、世の理。だからひとは、散る花に心を寄せ、その美しさと儚さを称える。此の世はなんと無常だと嘆きながら」

 香乃が勿忘草に恋い焦がれていた気持ちのように。

「ひとの命も花と同じ。終わりがあるから、華麗に咲き誇れる。ロマノフ王朝と同じく」

 すると河原崎執事は鼻で笑った。

「それは日本人が好きな、感傷と言う名の妄言。散り際の枯れた花を誰が好みましょうか。いずれ朽ちる花など誰からも見向きもされない。いつだってひとが求めるのは、終焉を感じさせない満開の花! 永遠に狂い咲く華麗な花! それこそが歴史に新たに刻まれるもの!」

 そんな花があるのだとすれば――。
 香乃は静かに答えた。

「物珍しさはひととき。やがて枯れない花ならば放置され、人々から忘れられる。そんな中で、永遠に生きろとあなたは仰るのですか?」

 いまだ生き続ける穂月の存在は、今でも不気味に思う。
 しかし彼女は、執事によって死ねないのだ。永遠の咎人のように生き続けることを強いられる。
 それも自発的ではなく、他人のものを無理矢理つけられることで。
 ……そんな人生は、酷く哀れに思えて。

――生きていてよかったとは言わないんだな、カノ。

「過去は懐古的ノスタルジックに懐かしむものであり、蘇らせるものではない。時間は巻き戻らないんです。それがわからずに過去に囚われ続けると、どんなに綺麗な過去でもただの薄汚れた我執となる。その囚われ人は、時代に順応出来るひと達から見ればただの異端……いえ、ただの異常者になる」
「なにを……」

 異常者扱いされた執事は、怒りに顔を赤めている。
 しかし香乃は怯まなかった。

「言わせていただきます。すべてのものには終わりがあるのだと自覚し、変化に身を委ねるべきです。王朝だけではなく、ひとの命すら自分の力でなんとか出来ると本気で考えてらっしゃるのなら、思い上がりも甚だしい! あなたは神ではなく、神が作った無力なただの人間です! わたし達と同じで!」

 込み上げるものは怒りにも似て。

「あなたがしてきたことは、何千年もかけて歴史を築いてきた、わたし達の祖先……ええ、ロマノフ王朝とやらを作った偉大なる方々や、それに代々仕えてきた執事の先祖への多大なる冒涜です!」

 香乃は執事に向けて人差し指を突きつける。
 執事は怒りに、慇懃さを消し去った。

「な、なにがわかるというのだ。この偉大なる計画を! 我らの悲願を! なにもわかっていない小娘が!」
「まぁ。こんなアラサーを小娘と若く見積もって下さったことには感謝致しますわ」

 ぷっと吹き出したのは誰からだろう。
 確かめる余裕すらないまま、香乃は続けた。

「ええ、私はあなたが大事にするものの価値など、なにひとつわかりません。わたしにとってひとの命に勝るものはありませんので。昔も今も」
「……っ!!」

 香乃はキッと執事を睨み付けてまくしたてた。

「あなたこそ、なにをもってわかっていると言えるんですか! あなたは日本で生まれたのでしょう? でしたらあなたにとって故郷は、この日本! ロマノフ王朝や皇帝一家を見て仕えたわけでもなければ、皇女を生きさせろと亡き皇帝から直接密命を受けたわけでもない。あなたの愛国心は、すべて口伝によって作り上げられたもの。いわばあなたの父親が押しつけ、あなたが作り出した妄想の類いです!」
「な……戯言を……」

 じりと執事は後退る。
 香乃の言葉のなんらかは、ダメージを与えることが出来たようだ。

「戯言? ではお聞きしますが、皇女様を生かすために、真宮の女性を犠牲にするやり方は、お父様からの案なんですか?」
「もちろんだ! そのために私は医療技術も……」
「河原崎執事。医療も携わったあなたにとって、〝生きる〟とはどういうことを言うのですか?」

 しんと静まり返っている。
 ふた組の勿忘草の瞳が向けられていることを、香乃は感じた。

「生きるとは、肉体が終焉を迎えないことだ!」
「では心は?」
「え?」
「……皇女の心を考えたことがありますか? 他人を犠牲にしてまで、永遠に生き続けねばならない、彼女の心を」

 河原崎執事は目を細めた。

「そんなもの、どうでもいい」

 彼はそう言い放つ。
 途端、香乃は自分の中でなにかがぶちっと切れた音を聞いた。
 
「馬鹿言わないでよ! 人間はただの肉のカタマリじゃないわ、心があるの。心があって初めて人間と言えるの! アナスタシアだってきーくんだって穂積だって、犠牲になったひと達だって心がある感情がある。心があって生きている人間なの!」
「心は、心臓の別称のこと。感情などは、脳が見せた幻覚!」
「ひとの心を軽んじないで!」

 香乃が思わず爆ぜると、穂積が横から手を伸ばして香乃の肩を引き寄せた。
 そして息を切らしている香乃の頬を、よく頑張ったというように撫でながら言う。

「お前は、心が手に入らないから、体を支配しようとしたのではないか?」
「は……?」

 執事は驚いた顔をした。

「誰よりも、アナスタシアに魅せられたのは――河原崎、お前だろう。厳密に言えば、純正ではない、貼り合わせられた歪なアナスタシアに魅了された。男として」

 香乃は慌てて執事を見る。
 そこには動揺に瞳を揺らす老人の姿がある。

「ち、違う。私は使命感で……」
「お前、宿下がりをしたはずの理人の母親も、アナスタシアに使ったな」
「……っ」
「……理人は、アナスタシアとお前との間の子供か。アナスタシアに生殖能力がないのなら、借り腹を使って」

 空気が揺らいだのは、どこが原因なのか。

「理人がアナスタシアの子供なら、お前の悲願とやらは説得力を持たないな。お前は親から、アナスタシアの世継ぎの相手には真宮の直系と言われているかもしれないが、一介の召使いの血を混ぜろとは言われていないはずだからな。王家の血統は穢れる――違うか?」

 執事の顔が青ざめている。

「だからお前がしたことは使命などではない。お前個人の醜く汚れきった妄執からだ」

 香乃は穂月を見た。
 薄く笑っているようだ。

 彼女には、アナスタシアとしての記憶もあるのだろうか。
 穂月とアナスタシア、別々の者の記憶は統合できるものなのだろうか。
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