勿忘草は、ノスタルジアな潤愛に乱れ咲く

奏多

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7.ダチュラは、偽りの魅力で陶酔させる

ダチュラの意味

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「ほ、穂積様になにがおわかりになるのか! 私が、どれだけ尽力してきたのか……私のすべてを否定なされる気か!」

 大きく見開いた河原崎執事の目は、欲にぎらついて血走っている。
 ありありと浮かぶ狂気――それは穂月にはないものだ。

「確かに私には悲願があった。しかしそれで真宮にご迷惑をおかけしましたか!? 物心ついた時から真宮のために働き、全身全霊での忠誠心を見せてきたはず。あなた様にとやかく言われる筋合いはない。それとも、私には欲を持つこともいけないとおっしゃられるのですか!」

 穂積は冷ややかに返した。

「河原崎。それは開き直りというものだ」
「なにを……!」
「お前は執事として完璧に裏方の仕事をこなしてきた。ただ執事として自我を抑えられても、男としての欲は抑えられなかった。その結果、尊き血族で織りなすはずの王政復古の悲願は、従僕のお前の手で潰えたんだ。それが現実」
「潰えてなどない!!」
 
 激高を受けても、穂積は辛辣に続けた。

「お前は大義名分を免罪符にしているだけ。俺にはただ嫉妬に狂った男の戯言にしか聞こえない」
「誰に嫉妬をしていると!?」
「父さんだよ。ここにいる、真宮家当主」

 香乃は思わず、穂積の父親を見た。
 彼は座ったまま穂月の足を抱きしめている。

「笑止! なぜ私がご当主に嫉妬などいう、俗めいた感情を……」

 嘲るようにして笑う執事。
 その目が泳いでいることを香乃は見る。

「この奥の院は、お前だけの楽園だった。この少女趣味の部屋を見るからに、世俗より隔離したこの部屋で、成長を認めるどころか子供に退化させようとしていたのだろう。男を知らない無垢なる少女のまま、お前だけを頼らざるをえないこの場所に、永遠に閉じ込めようとした」

 執事の片眉が跳ね上がる。

「しかし香乃の母親もここに入っていたということは、スペアである女性であれば、出入りはある程度許したのかもしれない。しかしお前にとっては渋々だったはずだ。お前以外の他人は、不可侵であって欲しかったから。なぜならここは、お前の愛欲の温床だったからだ」

(愛欲の温床?)

 香乃の背筋がざわざわとする。

「卑猥な言い方をなさるでない! 私はここでアナスタシア様と愛し合っていたのだ!」
「ああ、ダチュラを使ってな。ダチュラがなければお前の愛はアナスタシアに受け入れられなかった。アナスタシアにとって、お前はただの下僕にしか過ぎなかったからだ。だからダチュラで意識を混濁させて、犯していたのだろう? ダチュラはいわば、催淫剤セックスドラッグ

(ダチュラがそんな目的に使われていたの? だから丹精込めて育てたというの?)

「違う! 私達は愛し合って……!」

 河原崎執事は穂月に救いを求めた。
 穂月はぞっとするほど冷たい微笑を浮かべて、言った。

「へぇ? 初耳」

 途端に執事は焦ったように言う。

「演技はよしなされ、ナースチャ。私のВеликая Княжна(第四皇女)!」
「Блин, надоело(うんざりだ)」

 顔を歪めて穂月がなにを言ったのかは香乃にはわからない。

「どうして……」

 執事から、なにかが崩れる音を香乃は聞いた気がした。
 穂積は話を続けた。

「安泰だった河原崎の楽園に、予期せぬ侵入者が入った。男である父さんだ。するとアナスタシアはどんな反応をしたか」

――あなたの子供をちょうだい。

「意識ない肉体と契って、そこに本当に愛があったのかなかったのかなどはどうでもいい。問題はお前がダチュラを愛の花だと特別視している一方で、アナスタシアはそれを使って別の男の子供を望んだということ。彼女にとっては、ダチュラもお前も特別ではなかった」
「……っ」
「お前は知っていたはずだ。アナスタシアにはダチュラに対する耐性ができてしまったことに。ダチュラが効かなくなってしまった彼女は、お前を拒んでいた。今のように」

 幻覚剤がなければ愛し合えない関係は不憫だと思うけれど、それは自業自得だ。
 心を疎んじて、執事は力尽くで自分のものにしたのだ。
 どんなに愛を説かれても、共感することは出来ない。

「そして、ダチュラがなくても一目で欲情された父さんに憎悪を抱いた。まだ少年で怯えていただろうと父さんに」

 香乃の喉奥からひゅうとおかしな音がする。

「どこかで見ていたお前は慌てて、変化の兆しを見せる狂宴を止めにきたはずだ。その時から、お前が父さんに抱き続けたものは、本当に忠誠心だけだったのか?」

 河原崎執事は答えない。

 香乃は想像してみる。
 愛する女性を寝取ったのは、ダチュラ酔いと享楽に恍惚としている表情の少年。
 自分とは違い地位がある。しかもアナスタシアの相手にと親から言われた正式の相手。
 横恋慕した相手に、すべてを奪い取られたと思ったのではないか。
 だとすれば――。

「お前はまず父さんの記憶からアナスタシアと交わった記憶を消そうとした。利用したのは香乃の母親だ。近親相姦の状況証拠を残すことで、罪悪感や恐怖からアナスタシアへの興味をそらそうとした。そうやって考えれば、お前が香乃の母親を身ごもらせたのは、誰と誰の受精卵だったのかなど、簡単だろう。借り腹として香乃の母親が産んだのは、お前とアナスタシアの子。理人の姉になる」

 俯いたままの河原崎の体がびくりと震えた。

「同時にこう思ったはずだ。アナスタシアの体に、やがて自分の血を受け継いだ子供が貼り合わせられていけば、真の意味でお前とアナスタシアはひとつになれると。それはお前にとってはこの上ない、倒錯的な悦びだったろう。そうした愛の完成が、憎い恋敵の手でなされるのだとすれば、それは父さんへの意趣返しにもなる」

 執事はわなわなと唇を戦慄かせるだけでなにも言わない。
 言えないのだろう、近くから当主の鋭い目を向けられているのだから。

「だからアナスタシアのメンテを怠った。そして父さんを連れて、アナスタシアの老化を見せつけた。一刻も早く手を打たねばならないと囁いて」

 香乃は頭を手で抑える。
 完全に、ひとの心を無視している。

「だが誤算が生じた。父さんは老化したアナスタシアの修繕をしようとしなかった。父さんが恋をした姿とはかけ離れていたから。そこでお前は慌てて、隠していた……香乃の母親が産んだ子供のことを囁いた。子供を使えば、以前の姿に戻ると。永遠に父さんのものになるのだと。しかしその子は結果的にはアナスタシアを蘇らせる力にはならなかった。だから別の真宮の女達から付け替える必要があった。古くなれば捨て、新たなものをつける。真宮はアナスタシアの肉体となる部品を製造するだけの牧場のような家柄になりはてた」

 詰るような碧眼が、執事を捕らえる。

「ここまで歪んだ私情で動いていて、それでもそれが使命感からだとお前は言うのか」
「そ、そうだ。私は偉大なる使命がある。たかが日本の真宮という小さな家の長子如きに、糾弾される筋合いはないわ!」

 執事は脆そうに見えて頑強だ。

「だったらひとつ、お前に聞こう」

 穂積はにたりと笑って執事に近づくと、自らの碧眼を彼によく見せた。

「……この碧眼に拘るのは、アナスタシアの高貴なる血筋の証だからだよな?」
「そ、そうだ」
「お前の親が連れてきたのは、本当にロマノフ王朝の最後の皇女なのか?」
「そう言っているだろうが!」

 香乃が見ているだけで震えが来そうな穂積の笑い。

「へぇ? 本当にアナスタシア皇女が碧眼だったと、お前は信じるわけか」
「え……」

 執事の引き攣った顔に、なにかが走る。

「アナスタシア皇女が、勿忘草の色のような鮮やかな碧眼だったと、どの文献を読めば書いてある?」

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