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第一章 風は吹き荒れ水は暗く沈む
6.朝
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梓娟は瞼をひくひくと動かした。
瞼を閉じていても感じる程の眩しさに、ゆっくりと目を開いてみれば、視界いっぱいに飛び込んできたのは菩薩の微笑だった。
「おはよう、延芳」
寝起きとは思えない整った容姿だ。窓から差し込む朝の眩い光に照らされ、よりきらきらと輝きを放つ眞佳は梓娟の顔に垂れた髪を掬い上げて優しく耳に掛ける。
「ッ~~~~」
梓娟はこの状況に朝っぱらから声を上げそうになった。
──あ、ぁ、あ、あ、あの、蒼眞佳と一夜を過ごしてしまったなんてっ!
頭を抱えながら激しく動揺する梓娟に追い打ちをかけるように、昨夜の甘いひと時が頭の中に浮かび上がってくる。
耳に甘く囁く熱のこもった声。
一途に見つめてくる熱い双眸。
意外にも骨張った大きな手は男らしく、締まった体は逞しく──。
と、余計な箇所まで思い出してしまいそうになり、ふるふると首を振ってそれを消し去る。
──聖人だなんて嘘じゃない!使えないって、勃たないって、十分立派なものがあったわよ!それに……。
梓娟が悶々としていると、白く細い肩に青い羽織が掛けられた。掛けてくれたのは既に身なりを整え終えた眞佳だ。
乱れ一つなくきっちりと襟を締めた青衣姿に昨夜の余韻はない。目の前にいる男は寝台の上で自分を抱いた人と同じ人には思えない。
「延芳、体は大丈夫かい?」
「え、えぇ」
「そうか、だか無理はしない方が良い。昨夜は君を散々と付き合わせてしまったからね」
──……ええ、それはもう、本当に。
梓娟の目はどこか遠くを見つめていた。
聖人と呼ばれた蒼眞佳は、尋常ではない性欲と体力の持ち主だった。
決して乱暴ではないが、絶えず梓娟を求め続け、終わることのない責め立てについに気を失ってしまった程だ。
今も全身が悲鳴を上げて動けず、はぁ、と重い息を吐いた頃、扉がドンドンと激しい音を立てた。
「おい、眞佳!何があった!」
その声は蒼晏のものだった。
「結界に気づかれてしまったか。延芳はここにいなさい。ここならば扉から見えない」
幸いこの広い部屋は、寝室が壁で区切られており、扉の方からは寝台が見えない造りになっている。なので今の梓娟の姿は蒼晏に見られる事はない。
眞佳は梓娟を安心させるように微笑むと、壁の向こうへと消えていった。
梓娟が羽織る青衣を胸元を引き寄せるようにぎゅっと握り締めていると扉が開く音が聞こえた。
「晏兄上、朝からあまり騒ぎ立てるのは……」
「誰が煩いだ!」
良くない、とでも言おうとしたのか。そんな眞佳の声を遮る蒼晏の声は珍しく荒々しいものだった。
「あのな、何もないなら急に結界を張るのは止めろ!宿で術の気を感じれば何があったのかと心配になるだろ!」
──結界?……そういえば部屋に入る時に感じた風。あれは結界の気だったの?気づかなかったわ。
梓娟はまたしても自分の未熟さに情けなさを感じて肩を落とす。
「それはすまない、次からは気をつけよう」
「何を気をつけるって──おい、待て。何で酒を飲まないお前の部屋に酒瓶がある?おまけに杯が二つだと?」
確かに昨夜眞佳は酒を飲まないと言っていた。そんな眞佳の部屋の机に置かれたそれを見て、蒼晏はますます怪しく思ったようだ。
つかつかと音を鳴らして部屋の中に入ってくる靴音が聞こえる。焦り出した梓娟は思わず寝台に手をつくが、運の悪い事に、寝台が軋む音を立ててしまった。
「……誰かいるのか?」
軋む音は決して大きな音でも無かったが、この些細な音に気付いてしまった。どうやら蒼晏の地獄耳は本当のようだ。
今度はこちらに向かってくる靴音が聞こえてくる。ますます羽織りを強く握りしめる梓娟の顔は真っ青になっていた。
「──そちらには行かせない」
しんとなった部屋に眞佳の声がやけに響いて、直後靴音がぴたりと止まった。
「……お前正気なのか?」
蒼晏の声から緊迫とした空気が伝わってくる。部屋に流れる空気もどこか冷ややかで、背筋にぞくぞくと寒気が走った。
「晏兄上がそちらに向かうと言うのならば──」
昨日街道で感じた強い気が、壁の向こうから流れてきて梓娟の長い髪をゆらゆらと揺らしていた。
二人の状況は分からないが、しかし眞佳が霊力を使おうとしているのが分かった。
──何でそんな展開になるの!?
このままでは不味いと察した梓娟は体中痛むのを堪えて声を張り上げた。
「し、眞佳様!」
名を呼ぶと張り詰めていた気は緩んで、その代わりと風が梓娟の頬を撫でる。まるで梓娟を安心させるような、そんな優しい風だった。
「晏兄上、出ていて貰えるか?彼女が困ってしまう」
眞佳の言葉に蒼晏がどんな顔をしているかは分からない。しかし少し間があいて、その後扉が開く音が聞こえた。どうやら蒼晏は部屋を出ていったようだ。
そして今度はゆっくりとした歩調の靴音がこちらに向かってくる。この音に不思議と緊張の糸が解けていく。
だが今の自分の姿を思い出して梓娟はハッとした。
「眞佳様、待ってください!」
「……延芳?」
「…⋯着替えをしたいのでこっちには来ないで」
「それは、気を遣えずすまない」
くすりと笑う声が聞こえて、続いて椅子を引く音が聞こえた。
状況がおかしな方向に転がっている気がして、梓娟は頭にずきずきとした痛みを感じた。
──こんな筈ではなかったのに……。
そう思いながら、辺りに散らばる衣をかき集め始めた。
龍颯山へと戻る帰り道、梓娟はこれ以上のない恥ずかしさに苛まれた。
体調の悪さを気遣われ、半ば強引に眞佳に抱き抱えられて空の道を進む羽目になったからだ。
地に足が付いてない心許ない状況は恐ろしいもので、眞佳の青衣をぎゅっと握りしめて縋り付く姿は情けない。
そしてそれを後ろから付いてくる蒼晏に見続けられているので、羞恥を通り越して苦痛を感じた。
蒼晏はあれから何も言わず、何も聞いて来ず。しかし不満そうな表情に良くは思っていないのが分かる。
「飛翔は怖いかい?」
「……真っ逆さまに落ちたりしませんよね?」
「さぁ、どうだろう?」
怯える梓娟を眞佳はくすりと笑った。
「私にしっかりしがみついていて──昨夜のように」
聞こえてきた言葉に青ざめていた顔が一気に赤く染まる。
そんな梓娟の様子を、眞佳は満足げに微笑んだ。
瞼を閉じていても感じる程の眩しさに、ゆっくりと目を開いてみれば、視界いっぱいに飛び込んできたのは菩薩の微笑だった。
「おはよう、延芳」
寝起きとは思えない整った容姿だ。窓から差し込む朝の眩い光に照らされ、よりきらきらと輝きを放つ眞佳は梓娟の顔に垂れた髪を掬い上げて優しく耳に掛ける。
「ッ~~~~」
梓娟はこの状況に朝っぱらから声を上げそうになった。
──あ、ぁ、あ、あ、あの、蒼眞佳と一夜を過ごしてしまったなんてっ!
頭を抱えながら激しく動揺する梓娟に追い打ちをかけるように、昨夜の甘いひと時が頭の中に浮かび上がってくる。
耳に甘く囁く熱のこもった声。
一途に見つめてくる熱い双眸。
意外にも骨張った大きな手は男らしく、締まった体は逞しく──。
と、余計な箇所まで思い出してしまいそうになり、ふるふると首を振ってそれを消し去る。
──聖人だなんて嘘じゃない!使えないって、勃たないって、十分立派なものがあったわよ!それに……。
梓娟が悶々としていると、白く細い肩に青い羽織が掛けられた。掛けてくれたのは既に身なりを整え終えた眞佳だ。
乱れ一つなくきっちりと襟を締めた青衣姿に昨夜の余韻はない。目の前にいる男は寝台の上で自分を抱いた人と同じ人には思えない。
「延芳、体は大丈夫かい?」
「え、えぇ」
「そうか、だか無理はしない方が良い。昨夜は君を散々と付き合わせてしまったからね」
──……ええ、それはもう、本当に。
梓娟の目はどこか遠くを見つめていた。
聖人と呼ばれた蒼眞佳は、尋常ではない性欲と体力の持ち主だった。
決して乱暴ではないが、絶えず梓娟を求め続け、終わることのない責め立てについに気を失ってしまった程だ。
今も全身が悲鳴を上げて動けず、はぁ、と重い息を吐いた頃、扉がドンドンと激しい音を立てた。
「おい、眞佳!何があった!」
その声は蒼晏のものだった。
「結界に気づかれてしまったか。延芳はここにいなさい。ここならば扉から見えない」
幸いこの広い部屋は、寝室が壁で区切られており、扉の方からは寝台が見えない造りになっている。なので今の梓娟の姿は蒼晏に見られる事はない。
眞佳は梓娟を安心させるように微笑むと、壁の向こうへと消えていった。
梓娟が羽織る青衣を胸元を引き寄せるようにぎゅっと握り締めていると扉が開く音が聞こえた。
「晏兄上、朝からあまり騒ぎ立てるのは……」
「誰が煩いだ!」
良くない、とでも言おうとしたのか。そんな眞佳の声を遮る蒼晏の声は珍しく荒々しいものだった。
「あのな、何もないなら急に結界を張るのは止めろ!宿で術の気を感じれば何があったのかと心配になるだろ!」
──結界?……そういえば部屋に入る時に感じた風。あれは結界の気だったの?気づかなかったわ。
梓娟はまたしても自分の未熟さに情けなさを感じて肩を落とす。
「それはすまない、次からは気をつけよう」
「何を気をつけるって──おい、待て。何で酒を飲まないお前の部屋に酒瓶がある?おまけに杯が二つだと?」
確かに昨夜眞佳は酒を飲まないと言っていた。そんな眞佳の部屋の机に置かれたそれを見て、蒼晏はますます怪しく思ったようだ。
つかつかと音を鳴らして部屋の中に入ってくる靴音が聞こえる。焦り出した梓娟は思わず寝台に手をつくが、運の悪い事に、寝台が軋む音を立ててしまった。
「……誰かいるのか?」
軋む音は決して大きな音でも無かったが、この些細な音に気付いてしまった。どうやら蒼晏の地獄耳は本当のようだ。
今度はこちらに向かってくる靴音が聞こえてくる。ますます羽織りを強く握りしめる梓娟の顔は真っ青になっていた。
「──そちらには行かせない」
しんとなった部屋に眞佳の声がやけに響いて、直後靴音がぴたりと止まった。
「……お前正気なのか?」
蒼晏の声から緊迫とした空気が伝わってくる。部屋に流れる空気もどこか冷ややかで、背筋にぞくぞくと寒気が走った。
「晏兄上がそちらに向かうと言うのならば──」
昨日街道で感じた強い気が、壁の向こうから流れてきて梓娟の長い髪をゆらゆらと揺らしていた。
二人の状況は分からないが、しかし眞佳が霊力を使おうとしているのが分かった。
──何でそんな展開になるの!?
このままでは不味いと察した梓娟は体中痛むのを堪えて声を張り上げた。
「し、眞佳様!」
名を呼ぶと張り詰めていた気は緩んで、その代わりと風が梓娟の頬を撫でる。まるで梓娟を安心させるような、そんな優しい風だった。
「晏兄上、出ていて貰えるか?彼女が困ってしまう」
眞佳の言葉に蒼晏がどんな顔をしているかは分からない。しかし少し間があいて、その後扉が開く音が聞こえた。どうやら蒼晏は部屋を出ていったようだ。
そして今度はゆっくりとした歩調の靴音がこちらに向かってくる。この音に不思議と緊張の糸が解けていく。
だが今の自分の姿を思い出して梓娟はハッとした。
「眞佳様、待ってください!」
「……延芳?」
「…⋯着替えをしたいのでこっちには来ないで」
「それは、気を遣えずすまない」
くすりと笑う声が聞こえて、続いて椅子を引く音が聞こえた。
状況がおかしな方向に転がっている気がして、梓娟は頭にずきずきとした痛みを感じた。
──こんな筈ではなかったのに……。
そう思いながら、辺りに散らばる衣をかき集め始めた。
龍颯山へと戻る帰り道、梓娟はこれ以上のない恥ずかしさに苛まれた。
体調の悪さを気遣われ、半ば強引に眞佳に抱き抱えられて空の道を進む羽目になったからだ。
地に足が付いてない心許ない状況は恐ろしいもので、眞佳の青衣をぎゅっと握りしめて縋り付く姿は情けない。
そしてそれを後ろから付いてくる蒼晏に見続けられているので、羞恥を通り越して苦痛を感じた。
蒼晏はあれから何も言わず、何も聞いて来ず。しかし不満そうな表情に良くは思っていないのが分かる。
「飛翔は怖いかい?」
「……真っ逆さまに落ちたりしませんよね?」
「さぁ、どうだろう?」
怯える梓娟を眞佳はくすりと笑った。
「私にしっかりしがみついていて──昨夜のように」
聞こえてきた言葉に青ざめていた顔が一気に赤く染まる。
そんな梓娟の様子を、眞佳は満足げに微笑んだ。
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