伯父の命により、高潔すぎて『聖人』と噂の男の元へ行く事になりました。

すずみ

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第一章 風は吹き荒れ水は暗く沈む

7.従兄妹

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 そこは静寂に包まれた大広間。
 天井から吊るされた御簾たちが、風に揺られてはたはたと靡いている。
 ここで祓氏たちが断じ合う場として使われているが今は辺りに人の気配はなく、薄暗さが淋しさを感じさせる。
 そんな厳粛たるこの降龍館の、そんな一室で微かな二つの吐息が歪に響いていた。

『眞佳様ー!どちらにおられますかー!』

 朦朧とする意識の中で、遠くの方から声が聞こえてくる。目の前の男の名を探す声だ。

「……眞佳、さまっ、呼ばれて──っ」

 知らせようとした唇は強引に塞がれて声を遮られてしまう。そうして何度目かの熱い口付けにくらりと目眩を起こした。
 梓娟は魔物退治から帰ったばかりの眞佳にここへと連れて来られた。
 梓娟は眞佳が出かけていたから「おかえりなさい」と言葉を掛けただけ。そんな他意のない言葉のどこが良かったのか。急に気分を良くした眞佳に、人のいなかった近くの部屋に連れ込まれた。
 それがこの大広間だった。
 祭礼も行う事もあるという厳かな場だと聞いていた梓娟は、こんな場所で始め出した眞佳に驚きを隠せなかった。
 しかし瞬く間に結界を張られ、この場に不相応な行為を及んでいた。
 
「……放っておけば良い。それよりも今は私だけを見て」
「っ──」

 そうして広い部屋に唇を熱く重ねる音を響かせる。
 駄目、と言おうとしても口を塞がれているので言葉を発する事が出来ない。そのくせ聞こえてくる音はやけに耳に響いているので、梓娟は恥ずかしさでいっぱいだった。
 
 ──頭がくらくらとする……もう、何も考えられない……。

 次第に苦しさで意識は遠くなっていた。立つことすらままならず、縋るように眞佳を見上げた。

「──」

 眞佳が名を呼んだが、その言葉すらもう聞こえてはなかった。
 けれど何故だかその声がとても心地良くて、梓娟は無意識に眞佳の首筋にしがみついた──。




「か、体が痛い……」

 梓娟はあまりの辛さに廊下の柱に片手を付け、ずるずるとその場にうずくまる。
 灯華での一件から数日、龍颯山に戻ってからも眞佳は梓娟を求めた。
 誰もいない広間や人が来ない蔵室、果ては祓氏の小館にある梓娟の部屋にまで忍び込んでくる始末だ。
 有り余る精力に、本当にあの聖人蒼眞佳なのかと疑っていた。
 
 ──これまで抑圧されていた反動なのかしら?これじゃあ夫人が沢山いる白家はくけの当主と同じじゃない。

 毎日求められる梓娟はおかげでげっそりとしていた。
 しかしいつまでもうずくまってはいられずよろよろと立ち上がる。まるでつかまり立ちを覚えたばかりの赤子のような状態だ。
 
 ──いや色仕掛けを仕掛けたのは私よ?でもまさかここまで成功するなんて思わないわよ。蒼眞佳は私の事本当に好きなの?

 あの蒼眞佳の心を射止めるなんて信じられずにいた。けれどその蒼眞佳は好きではない女を抱くような軽薄な男にも思えなかった。

 ──まるで以前から私を知ってるような感じだった。でも会った事は無い筈だし、もし知ってるとしても顔を合わせる機会なんて、年に一回の山狩りぐらいしかない。けれどもしそうなら私が黒梓娟だって事がばれて……いえ、それはないわ!もしそうならここを追い出されている筈だもの。

 ふるふると首を左右に激しく振る。
 その時、激しい風が悪戯に梓娟の髪を乱した。
 この龍颯山で風が吹き荒れるなんて珍しくもないが、館の中での突風は珍しい。
 ぼさぼさに乱れた髪を整えていると、鈴を転がすような声が聞こえて来て反射的に身を伏せる。そして青い欄干から顔を覗かせて、声がする方向へと目を向けた。

「眞佳お兄様、龍華泉の蓮が今年も美しく咲いていましたの。一緒に見に行きませんか?」

 優雅に歩く眞佳の隣で麗しい女が微笑む。
 名は蒼月桂そうげっけい。眞佳の従兄妹で、歳は梓娟とそう変わらなかった筈。
 蒼家直系である彼女は、本来この山の頂上にある蒼家大本殿に住んでいる。だが昨日突然此処へと下りて来た。
 彼女は『蒼家の月の女神』と噂された。その噂通り、眞佳と並んでも引けを取らぬ美しさをしている。
 この麗しい二人の間に割り入れるのはきっと蒼晏ぐらいだ。
 遠巻きで二人を見つめる女の祓氏たちは、皆うっとりとした表情でため息を落とした。

「まるで月の天人と女神。あんなにお似合いな二人は他にはいないわ」
「月桂様は老大家ろうたいか様がお決めになった眞佳様の許嫁。他の五門家になんて負けない、素敵な夫婦になるわよ」

 取り巻きの声に、梓娟は顔を俯かせながら欄干に身を隠した。
 蒼の老大家とは眞佳たちの祖父で、蒼家一族の絶対的権威だ。
 そして老大家は、何故か何もないこの時期に月桂を次代当主の伴侶として選び、選ばれた彼女は眞佳の元へとやって来たのだ。
 このままいけば二人は形式的に婚姻を結び、眞佳は晴れて蒼家の当主となる。
 あまりにも急な話ではあったが、これは当然の流れだった。純血を何よりも重んじる蒼家で従兄妹同士の婚姻は当たり前な事で、何より並んで歩く二人はこれ以上ない程にお似合いだ。

 ──……なのに、どうして胸が痛むのよ……?

 ただ伯父の命で、ただ好奇心で、色仕掛けをしに来ただけの梓娟の胸は、ずきずきと痛みを叫んでいた。
 黒善爾に言われた二週間まで後二日。しかしもう目的は果たしたと言って良い。

 ──私は、彼を本当に愛している訳ではないわ。

 なのでこれ以上此処にいて、可笑しな方向へと転がれば一大事だ。

「……此処にいる必要はもう無いわね。夜更けにでも此処を抜け出そう」

 慕っていると嘘をついた。
 嘘である筈だった。
 けれどもう蒼眞佳に会えないと思うとさらに胸の痛みは強くなっていた。
 二人に背を向ける梓娟は、眞佳がこちらを見つめている事に気付く事はなかった。
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