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しおりを挟む〝––頭が悪そう……〟
唯の人生で初めて終われた言葉だった。
数日間、唯の頭の中にはユウマの言葉がこだまして、果たして自分がしたかった事は何か……を考える。
少なからず、感謝して欲しかったことには間違いない。
喜ぶと思った––––
ユウマはきっと、嬉しい––と感じてくれるはずだと。
そして、自分は良いことをした気になって、祖父孝行も出来て、なんだか人生の中で1番良い行いをしたときっと誇りに思っただろう。
唯は仕事に集中していたが、それでも不意に思い出すユウマの言葉に、とっくにコピーも終わったコピー機の前でただただボーッと突っ立っている。
「桜庭さん」
唯は不意に声をかけられると、はいっ!と返事して、もう一度コピーのスイッチを押してしまった。
えっと声を上げてまた最初から何十枚と始まるコピー音に、唯はあたふたとし始める。
「桜庭さん、何してるんですか」
半ば呆れた声で、ピシッとしたシャツ
を纏った腕が唯の前に現れた。
そして液晶画面の中止を押すと、その人物は唯の顔を覗き込む。
「何枚コピーする気ですか」
揶揄う様にその人物は唯に笑いかける。
「宮川くん……ごめんね。ありがとう」
唯は急いでコピーした書類を手に取ると、宮川に軽く頭を下げた。
宮川は唯の大学時代の後輩で、大学時代には面識は無かったが、この会社に入社してから飲み会でたまに会い、会えば挨拶する程度の仲になっていた。
とはいえ、はたから見れば宮川が先輩で唯は後輩に見える。
宮川はラグビーで鍛えたしっかりした体格で背も大きく、唯は小柄で子供っぽい。宮川くん大学の後輩なんですと唯が周りに言えば、笑いを取るネタの一つになっていた。
「桜庭さんて天然ですけど、仕事は真面目って評判だったのに」
「……過去の話みたいに言わないでよ」
唯がそう返すと、宮川は精悍な顔立ちから白い歯を覗かせる。
「今日は桜庭さんの奢りでお願いします。 新しく出来た居酒屋行きたいんですよ、期間限定のカクテルがあって……」
「私が奢るのに、お店選べないの?」
唯が少し大袈裟な顔をすると、宮川はまたハハッと笑う。
気分転換は、確かに必要だ––––
唯も釣られて、フッと笑った。
「…はぁ、やっぱ転職か独立ですね」
酒が回り始めると宮川は、だいたいいつもこの話をする。
「外資は、実力主義だからね。営業は皆転職か独立してくよ」
唯はいつも大体同じ言葉を宮川に言う。 唯は総務に所属しているが、それでも今まで何人も送別会で見送ってきた。営業程では無いが、総務も入れ替わりは激しい会社だ。
「でも目標達成すると、もうちょっと追い込みたくなるんですよ。独立するにしても、もう少し人脈が欲しいので」
ほんのり染まった頬で、宮川はそう言う。
宮川はβらしい––––
唯も直接本人に確認した事は無い。それでも彼の家柄はきちんとしたもので、宮川の経歴には一点の曇りも無い––
それでも、αとβは何かが、決定的に違う。
「αはやっぱり合理的だし効率も良いですよね。営業は容姿くらいしかこの業界差異は付けられないけど、あの人たちは俺の横を華麗に駆け抜けて行きますよ」
「華麗に……」
唯はαらしいαは苦手だ。
輝いていて、何でも出来て、自信に満ちているαが。
––––αの割に、頭悪そう
ユウマの一言が、また唯の脳内に響き渡る。
––––私って、本当にαなの?
唯は脳内の余計な雑音をかき消すように小さく首を左右に振り、目の前にあるグラスを空にする様に一気に流し込んだ。
「桜庭さーん……タクシー拾うから住所言ってー」
宮川はうんざりした顔で先程から何度も同じ言葉を吐く。
「宮川くんは偉い……宮川くんは凄いよ、本当……私なんてさ…でも宮川くんはさー……」
「いやその先気になるーさっきからずっと同じ事言ってるー」
唯は宮川におぶられて、その身を預けている。
飲み過ぎた事なんてほとんど無いのに、今夜ばかりは煽る様に唯は飲んでしまった。
時折薄目を開けて、なんとか話そうとするが、唯は眠気に抗えない。
騒がしい繁華街の音と、独特の匂い––––それが不快で何度も目を開けるのに、唯の口は思う様に動かなかった。
だが、唐突に唯の視線を釘付けにする人物を、唯は薄目でも捉える。視界の隅でも、なんとも強烈に記憶に残っている人物––––。
……見間違い––?
いや見間違えるはず無いっ––!
すらっとした体に、中性的な顔立ちと雰囲気……小さな顔にバランスよく収まった綺麗な顔は困った様に笑っている。
色素の薄さも相なって、その儚げさが色っぽく見えた……––––
バーテンダーの格好をしたユウマだ。
スーツ姿の男2人に、ユウマは何やら絡まれている。
「ユウマッ!ユウマーーーー!私の頭はっ悪くなああああいっ–––!」
唯は怒気を含んだ声を上げる。
ユウマはこれ以上無いほど目を見開いて、怒鳴り声を上げた唯の方を見た。
––––ユウマのあの驚いた顔……
フッと唯は笑みを浮かべる。
なんだか喰らわせてやったような気がする––––
唯は満足そうな笑みのまま、また目を閉じた。
「桜庭さーん!起きたんじゃないのー!?」
唯の耳に、遠くから宮川の声が響いていた。
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