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しおりを挟む会社の帰り道、唯は自分のマンションの部屋に明かりがついているのに気付いた。
ユウマが居るっ––
そう思うと足が駆けて、エレベーターの扉にぶつかりそうになる。
焦る気持ちをなんとか隠して、ドアを開けると、堪らなく美味しそうな香りが鼻を掠めた。
「おかえり」
そう言ってキッチンから顔を出すユウマは、唯にはなんだか久しぶりな気がする。
ユウマは夕方から夜にかけていない日が多かったからだ。
「ただいま……」
どうしても顔が緩んでしまう唯に、ユウマはフッと穏やかに笑いかける。
「そんなに焦って帰って来たの?汗、かいてるよ」
ユウマは唯の額に滲んだ汗を指で拭った。
「先にシャワー浴びたら?そしたらご飯食べよう」
ユウマが唯の耳元でそう呟くと、唯の体はビクッと震えた。
「それとも、一緒に入ろっか?」
ユウマの指が、唯の指に絡まる。
ユウマの指の感触が、唯の皮膚の奥深くまで染み込んでいく。
その感触を味わう様に唯は目を閉じ、ただ頷いた。
「……もうすぐ工事終わるみたい」
お互い下着だけを身につけて、唯のベッドで寝転んでいると、ユウマが唯にそう告げた。
「本当助かったよ、お姉さん。部屋、このまま綺麗にしてね。急な来客にも困らないよ」
そう揶揄うユウマに、唯はどこか距離を感じる。
先程まで、あんなに近くで体は重なっていたのに––––
「––競り落としたαがお姉さんで良かったよ。お姉さんみたいなαも居るって新鮮だった……。今まで会った事無いタイプで面白かった。最初会った時、いろいろ言ってごめんね」
ユウマが柔らかい笑みを浮かべる。
やめてよ、そんな風に言わないで––
もうこの関係は終わりって、ハッキリ言わずにあえて遠回しに言わないで……––
と唯は言いたい。でも言えない––––。
唯は、ユウマを見る。
どうせ、ユウマは自分に背を向ける––
分かっている。分かってるのに、なんとか唯はユウマを引き止めたい。
唯は徐に立ち上がると、貰った名刺を仕舞う名刺ケースから一枚の名刺を取り出す。
するとベッドに戻って、それをユウマに差し出した。
「––何、これ?」
ユウマが上体を起こし、差し出されたものを受け取る。
「祖父の代から付き合いのあるデザイン会社の社長さん……。父とは子供の頃から顔見知りで、Ω支援にも力を入れてるの。凄く厳しい人だけど、理解もある。
––っ行ってみたら?絵、好きなんでしょ……?」
「……なんで?」
ユウマの声色は低く変わる。
「才能があるって……思ったから」
唯の声は段々細く、小さくなった。
「もしかして……荷物、勝手に見た?」
ユウマの問いに、唯は目を合わせず小さく頷く。ユウマの声は、冷たく鋭かった––
「……俺がΩだから?Ωだから同情で仕事貰えって?」
ハッと腹立ち紛れの呆れた笑みを、ユウマが漏らす。
「あんなのただの素人のお遊びだよ?
あれで金が貰えるなんて思ってない。 そんなに世間は甘く無いんだよ」
ユウマの怒気に圧されて、唯がビクッビクッと震える。
分かっている––––。
踏み込んではいけなかった場所に、唯は勝手に踏み込んで行った。
それでもせめて、ユウマが少しでも喜んでくれるかも、未来に希望を見出せるかも、と思わなかったと言えば嘘になる。
「……ごめ––ごめんなさっい……勝手に見たりして……。ユウマに聞く事がっ––どうしても出来なくて––」
「そもそも勝手に人の物見るのはルール違反……––いや、もう違反はしてるか––とっくに。だから、こんな事になった––。
自業自得だ」
ユウマは自分を嘲笑う。
「––違うの!本当は私、ただユウマの事知りたくてっ––でも、聞くのは……大人なのに、そんな干渉するとか––私、私はっ、力になりたいって––」
「余計な事しないでよ。最初からそうだった。可哀想なΩって、ずっと思ってたでしょ?馬鹿にすんなって––」
ユウマが自らの顔を片手で覆う。
長く白い指は、微かに震えていた。
「……もしかして、本気になっちゃった?俺はΩだからさ、箱入り娘とか箱入り息子のαは特に転がしやすいんだよ。皆、俺の見た目に騙される––」
ユウマはそう言って、顔を上げる。
唯の頭では泣いて喚いてでも否定した方が良いと分かっている。
むしろ、そうしたい。
でも、面倒くさい年上女––そう思われたくは無い。
大人の関係も理解できない、勘違いして、勝手に盛り上がって、独りよがりで––––そんな自分に呆れられたく無かった。
〝本気になっちゃった––?〟
言っていいはずの無い言葉は、唯の中に溢れ出してくる。決して伝えてはいけない。
お互いが守る最低限のルール––
抱いてはいけない感情––––
それさえ既に、唯は破っていた
唯の予想に反して、ユウマの表情は怒っているのか悲しんでいるのか唯には判断が付きづらい。
ただ、ユウマを失望させた……その事を唯はハッキリと理解する。
まだ怒鳴られる方がマシだった––……
唯の胸に後悔が広がり、息をするのさえ苦しい痛みが押し寄せて来る。
ユウマへの思いは、幾ら隠しても漏れてしまう。
「……ダメじゃん、お姉さんなのに––。 顔に出し過ぎ––分かりやすいっ……」
泣きそうな顔でそう微笑むユウマに、唯は涙が溢れて止まらなかった。
決して重ならない、未来の見えない関係を歩める程、二人はお互いを知らない。
名前も、年齢も知らない関係。
一時の感情に流されてはいけない––––
大人の関係とは、お互いの見せたい部分だけを見せ合って、非現実の世界を楽しむのも––
だけど、今唯がユウマの前に晒しているのは、一番見せたく無い、見せてはいけないものだった。
唯は、ユウマが穏やかに微笑むのが好きだった。
ユウマが居る場所だけ、光って見えて、ずっと見ていたかった。
叶うのなら、一番近くで––
唯が、唯だけがユウマを喜ばせたかった––––
唯は、ユウマが好きだった。
好きで、好きで仕方なかった––––
そしてユウマは、唯の前から姿を消した––––
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