然る日の手紙 泉田高校放課後事件録

野村だんだら

文字の大きさ
31 / 55

5の3

しおりを挟む
 ファインダーの向こうで黒の日傘がふわりと揺れる。縁取りのフリルが小さく踊るその上で、猫が花と戯れている。
「あの、先輩」
 涼乃が振り返るその時を待ってシャッターを切った。撮影にも慣れてきたらしく別段に驚いた様子こそなかったものの、聡介の名を呼んだ涼乃は何故か愁眉を寄せていた。
「どうしたの?」
 憂い顔も儚げで絵になるが、これが演技でないならさすがに気になる。
 撮影場所に選んだ清津谷公園は、泉田中学からほど近い、山裾にある公園兼無料のキャンプ場で、砂防堰堤の整備された谷川沿いにキャンプサイトの並ぶ風光明媚な土地だ。ただし来るまでには数キロメートルに及ぶ坂道を登らねばならず、途中からはペダルを漕ぐのを諦めて、自転車を押して上った。ともすれば疲れてしまったか、足を痛めただろうか。
「大丈夫? どこか痛む?」
「いえ、大丈夫ですよ」
「本当に? 疲れてないかい?」
 すると涼乃は苦笑を浮かべた。
「疲れていないと言えば嘘になりますけど、わたし、この公園が好きですし、不満があるわけでもないですよ」
 言いながら涼乃は、谷川にかかる吊り橋の上から下流に目を向けている。裾野の先に広がる泉田町は、田園の中に家々の点在する田舎然とした景色で、そうした街並みの遙か向こうには名古屋の高層ビルが、うっすらと霞がかって見えている。
 森林に挟まれたここから見上げる空は狭く高い。青色の中に、江斐川河川敷にある滑走路から飛び立ったらしいグライダーが一機だけ見えていて、ふとした折に陽を受けてギラリと光沢を放った。動力のない航空機は、穏やかな空に輪を書いて飛び、ひたすら高みを目指して昇っていく。
 美しい景色に穏やかな風。しかし傍らの少女の顔は、晴れない。
 聡介が横顔を眺めていることに気付いたらしい、涼乃が嘆息した。
「えっと。気後れは、ちょっとしてるかもしれませんけど」
 困ったふうな顔で、日傘を傾ける。「これ、貰っちゃって良かったんでしょうか?」
「俺が持っていても使わないからね」
「そんなこと言って、わざわざ買ってくれたんですよね」
 聡介が肩をすくめて言えば、涼乃は、やはり申し訳なさそうに小さく笑った。
 広げた傘を見上げて、ふと思い直したふうに「猫、可愛いです」と笑顔を作る涼乃。作り笑顔を見たかったわけではないのだが、あるいは聡介の願いは贅沢というものだろうか。
 肩の高さで構えていたカメラを聡介が下ろせば、涼乃は、心なしか悲しそうに愁眉を集めて、気を取り直すようにかぶりを振る。どうにも彼女の憂い顔は、ただ恐縮しているというだけのものでもない気がした。あるいはその表情には、まるで異なる理由があるのかもしれない。
「ねぇ、片瀬さん」
「先輩。ちょっと気になったんですけど」
 聡介を遮って口を開いた涼乃には、機先を制された心地がした。これ以上、踏み込んでほしくないということなのだろう。
 して、涼乃の示した先には一人の男性が、川沿いに設営したテントの前で火を焚いていた。小さな折り畳みのグリルに薪をくべて、まだ点けたばかりらしい火を大きくしている。なるほど、これはまた露骨に話を逸らされたものだ。
 致し方ない。肩をすくめる。
「あの人が、どうしたの?」
 小さく眼を見張った涼乃は、聡介が話に乗るとは露程も考えていなかったようだ。控えめに咳払いをして、彼女はたどたどしく語る。
「なんだか変なんです。えっと、火がおこったのは分かったんですけど、何がおこったのか分からないんです」
 待ってほしい。何がおきたって火がおきたと涼乃は自分で言っているわけで。要するに、「どういうこと?」よく分からない。
「だから、火がおこって、でも何がおこった……あっ」
 気付いて、赤くなる。露骨に咳払い。「えっと、薪に火が点いたんです。でも、どうして点いたのか、分からなくて。なんだか急に火が熾ったと言うか。
 ライターやチャッカマンを使ったわけでもないですし、フイゴや団扇で扇いだわけでもないのに、ちょっと火花を散らしただけ……それも、火花があってしばらくは火は見えなかったんですよ。なのに、しばらくしたら急に、薪に火がついて。稲富先輩、わたしは何を見たんでしょうか。まるで魔法でも見たようです。何が起こったんでしょうか?」
 最初は、自身のことから話を逸らすつもりで水を向けただろう涼乃は、説明しているうちに気になってきたらしく、話しの途中から首を捻っていた。そんな彼女の顔を見れば愁眉は開いていて。あるいはこの話題が、彼女にとって多少の気晴らしになるかもしれない、と思う。
「火花は、どんな感じだったんだい?」
「細い棒とナイフを、こうしてマッチを擦るみたいにしたら、一瞬だけ大きな火花が散って。でも、それだけです」
 手振りを交えて説明する涼乃。携帯電話を取り出した聡介が、それらしいキャンプグッズを調べてみれば、ファイヤースターターなる道具が見つかった。マグネシウムの合金で出来たスティックにナイフ等を擦り付けると火花を散らすことができるらしい。
 検索結果を涼乃に見せると「たぶん、これです」と言った彼女は、もう一度首を捻った。
「この道具、火熾しに使えるみたいですけど、でも説明を見る限りかなり上級者向けというか。とても、簡単に火を点けることなんて出来そうにないですよね」
 火花を薪に当てただけでは、当たり前だが点火しない。固形着火剤を使用した上で送風などの燃焼の手助けを丁寧に行ってもなお、ファイヤースターターを使用しての一発での点火は、初心者には難しいようだ。
 テントの前には、グリルの他にミニテーブルが出ている。テーブルの上にはカップ麺と、無色透明な液体の入ったペットボトルが二本。片方のボトルの表面には赤色のテープが巻かれていて、遠くてよく見えないものの黒の油性ペンで文字が書いてあることが分かる。他に気になることと言えば、ボトルキャップの色が異なることくらいだろうか。
「なるほど」
 呟けば、隣で涼乃が目を丸くした。
「分かったんですか?」
「たぶん、ね。推測でよければ聞かせるよ」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合短編集

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

初恋♡リベンジャーズ

遊馬友仁
青春
【第五部開始】  高校一年生の春休み直前、クラスメートの紅野アザミに告白し、華々しい玉砕を遂げた黒田竜司は、憂鬱な気持ちのまま、新学期を迎えていた。そんな竜司のクラスに、SNSなどでカリスマ的人気を誇る白草四葉が転入してきた。  眉目秀麗、容姿端麗、美の化身を具現化したような四葉は、性格も明るく、休み時間のたびに、竜司と親友の壮馬に気さくに話しかけてくるのだが――――――。  転入早々、竜司に絡みだす、彼女の真の目的とは!?  ◯ンスタグラム、ユ◯チューブ、◯イッターなどを駆使して繰り広げられる、SNS世代の新感覚復讐系ラブコメディ、ここに開幕!  第二部からは、さらに登場人物たちも増え、コメディ要素が多めとなります(予定)

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

俺が咲良で咲良が俺で

廣瀬純七
ミステリー
高校生の田中健太と隣の席の山本咲良の体が入れ替わる話

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

処理中です...