泉田高校放課後事件禄

野村だんだら

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 話が途切れたので、今朝の教室で話題にしていた「一年三組の黒板」についてもとい春日亜紗奈について、三年の知り合いも少ないことだし、ためにし小寺先輩に訊いてみることにする。
「ところで先輩、春日亜紗奈さんをご存知ですか?」
「あ、亜紗奈ちゃんなら夏純のクラスよ。どうしたの?」
「今朝、友人達の間で話題になってまして」
 そう言うと小寺先輩は目を丸くした。聡介が「一年三組の黒板」の話をすると、彼女は納得したふうな顔で頷いていた。
「それは、なんて言うか不思議ね。わざわざ落書きを消すだなんて。亜紗奈ちゃん、黒板が汚れていてもそのままにしてるし、そんな落書きなんて気にしないと思うんだけど、な。まあ、夏純が消すから気にしないだけかもしれないけど」
 言って、小寺先輩は首を捻っている。「そもそも、どうして一年生の教室に亜紗奈ちゃんがいるの?」
「少し前に最寄り駅で痴漢騒ぎがあったらしいんですけど、どうにもその被害者が妹の明乃さんで、彼女が三組なんです」
 すると小寺先輩は納得したふうに頷きつつも、やはりと言うか顔をしかめた。
「痴漢、ね。わたしが近くにいたなら、蹴飛ばしてやったんだけど」
 まあ、気持ちは分かる。分かるがしかしそれは浅慮だろう。
「やめた方がいいですよ。逆恨みで何をされるか、怖いですから。刃物とか持ってたらどうするんですか?」
「それもそうね。ああ、でも実際に見たら蹴飛ばしちゃいそう。稲富君、その時は守って」
「いや、無理ですから。通学路正反対ですし、そもそも死にたくないですし」
 小寺先輩はうなだれた。
「冗談で言ってみただけなのに、真正面から拒絶された……」
「分かりにくいです」
 聡介はため息をついた。
 ふと、正面の高篠先輩がもぞもぞと動いた。眼をしばたたかせて、眠たそうにこする。それから正面、聡介の顔をじっと眺めて、首を捻る。きょとんとしている。
「あれ。稲富君?」
 言って、もう一度首を捻る。「でも、わたし今、ぎゅってしてたはず……」
 恋愛小説を読みながら寝落ちして、そのまま幸せな夢を見ていたらしい。愛しい誰かにぎゅっと抱きしめてもらっていたのだろうか。
 聡介が思わず失笑すると、高篠先輩は恥ずかしそうに頬を赤く染めた。
「えっ。あ、やだ。わたし寝てた?」
 額まで桜色に染まっている。「ていうか、今寝ぼけて何か言ったよね、わたし」
「可愛いなぁ、夏純は」
 小寺先輩の声に、高篠先輩は不服そうな顔で振り向く。
「茉莉、稲富君がいるなら起こしてよ。恥ずかしいじゃない」
「声が大きいわよ。図書室なんだから声量は落として」
 むくれたふうに唇を尖らせる高篠先輩に、小寺先輩は苦笑する。「安心しきって寝てるあんたが悪い。写真に撮られちゃうわよ」
「稲富君は、そんなことしません」
「ところが、夏純の写真を撮りたいみたいよ?」
 高篠先輩が目をパチクリしばたたかせる。「えっ?」少し頬を緩ませて、恥じらうように染めた。以外にも好感触だ。
「実は、新聞同好会の企画がありまして」
 聡介が説明し始めると高篠先輩はどういうわけか少しだけ落ち込んで、先輩の「生徒会長然としたイメージ」を払拭できそうだという話になると、またしても頬を上気させて嬉しそうにする。
「ありがとう。稲富君、大好きよ」
「春に待ち人が来るので」
 聡介の返事に、高篠先輩は満足したふうに頷く。
「知ってる。わたし愛妾でいいから、ね?」
 だから、その冗談はやめてほしい。聡介はため息をついた。
「楚々とした顔で言うの、やめてください。何を言われているのか理解できなくなります」
 二号さんでいいだなどと、この人からだけは聞きたくない。
「艶っぽく囁けばいいのかしら?」
 そういう問題でもない。
「いや、夏純には無理でしょ。どう頑張ってもそういうの似合わないし。ちっさいし、背も胸も」
 しょんぼりとうなだれる高篠先輩。
「茉莉、両方少しだけ分けて。稲富君を誘惑してみたい」
「馬鹿なこと言わないの」
 呆れたふうに言って、ふと思い出したように「そう言えば」と呟く。「亜紗奈ちゃんのこと、聞きたいんだっけ?」
「まさか、稲富君!」
 信じられない、なんて顔をする高篠先輩。この人は、とんでもない勘違いをしている気がする。して、彼女の頭に小寺先輩のチョップが落ちた。小さく呻く高篠先輩。
「夏純、早とちり」
「そうなの?」
 小寺先輩は肩をすくめてため息をついている。事情を説明すると、高篠先輩はほっと胸を撫で下ろしていた。
「てっきり、稲富君が浮気を覚えちゃったのかと」
「させようとしているあんたがそれを言うかい」
 小寺先輩が呆れたふうに言った。「それにしても、たしかに不思議な話よね。亜紗奈ちゃん、やっぱり後ろの黒板の汚れなんて気にし無さそうだし」
「でも、落書きがあったら落ち着かないし風紀も乱れるし、普通は消さないかしら?」
 小首をかしげて、よく分からないと言いたげな顔をする高篠先輩。
「それ、夏純だけ」
 小寺先輩が肩をすくめる。「あんたが消してるから、そっちの教室、後ろの黒板綺麗なだけだからね。そうじゃなかったら授業で使うまで誰も消さない」
「そう思うなら茉莉も綺麗にしようよ、黒板。そっちの教室いつも汚い」
橋田はしだ先生の授業の前は綺麗にしてるわよ」
 橋田先生の授業は数学だ。して、高篠先輩は頬を膨らませている。
「綺麗にしてるけど、それは証明問題の解答を予め書いて、検証したいからだよね。わざわざこっちまで結泉を呼びに来て見てもらってるし、動機が不純。それに綺麗にしても、授業の直前には数式で埋まってるじゃないそれ」
「授業の前に、問題を解いて黒板に書いているんですか?」
 授業の合間である小休憩からしてすでに自習が始まっているとは、受験生とは、なんて大変なのだろう。聡介が感心していると、高篠先輩が苦笑した。
「先生に指示されているわけじゃないんだけど、みんな授業についていくのに必死と言うか、自習に必死にならざるを得なくなっていると言うか、橋田先生って無言の圧力が怖いから」
 言って、肩をすくめる。「ほら、三年生は受験生だから、数学のカリキュラムはだいぶ終わっていて、ね。橋田先生の授業は、週に六限あるうちの二限は、問題集をひたすら解いてそれをわたし達が黒板に板書して、分かりにくいところとかミスしやすいところを先生が解説するの。
 簡単と判断された問題は解答が正しいかどうか確認されただけで消されちゃうから、クラス内にも間違えられない、って雰囲気があって、それはもう息が詰まるような時間なのよ。『こんなのも分からないんですか、しょうがないですね』なんて言われることもあって。そうなった日にはもう、恥ずかしいったらないのよ」
 小寺先輩はうんうんと頷いて、同情したふうに高篠先輩を見る。
「おまけに、夏純達の進学クラスは人数が十五人しかいないから、一度の授業中に何回も回答が回ってきちゃって、最低でも三回は当たるのかしら。だからあらかじめ問題集を、自分が当てられそうな辺りに目処をつけて解いてるのよね。机の並びで順番に当てられていくから、誰かが体調不良で休むと予想が外れて大変だ、って聞いたことがあるわ」
 小寺先輩の言う、進学クラスは三年生にのみ設けられたクラスで、成績の特に良い生徒を集めて効率的な授業を行っている。基本的には国立大学の進学を目指すクラスであり、理系と文系にそれぞれ一クラスずつある。理系は十五名で文系は三十名弱、それぞれの成績上位者を集めた、精鋭ばかりの二クラスと言っても過言でない。
「だから、みんな前後数問を予め余分に解いて、万全の準備をしているんじゃない。まあ、全部解くのが理想なんでしょうけど、さ。でも、そっちだって似たようなものじゃないの?」
「こっちは夏純のクラスと違って人数が多いからね。一度の板書で前後の黒板に合わせて八人くらいが書いたって、一度回答すれば次の回答までには余裕があるし、その間にみんな解いちゃってるのよ。だから予め問題を見て、分からないと思ったところだけ授業時間外で解いているの」
「なるほど、だから毎回こっちに来ては証明問題ばかりを結泉に訊いているのね」
 言って、高篠先輩はため息をついていた。「似たような問題を、立て続けに四回くらい訊いた時は、茉莉の前で口にはしなかったけど結泉もうんざりしてたよ。意味もなくノートが汚れるからやめて、って。結泉、茉莉のためにノートに証明問題をいっぱい解いて、そう毎度一発でスマートに解けるわけでもないから、それだけ無駄な数式とかでノートを汚してるんだからね。で、茉莉のために結局はルーズリーフ買ってるし、結泉。この際だから言うけど、そうした努力の末に辿り着いたエレガントな解答だけを、茉莉は目にしてるのよ」
「そんなこと言ったって、分からないんだ、ってば。そもそもエレガントってなによ」
 小寺先輩が叱られた子供のようにふくれている。
「茉莉は甘え過ぎなの。結泉も甘いからダメなんだけど。証明問題が苦手なら、解き方を覚える努力をしなくちゃ」
 国立大学を目指すにしろそうでないにしろ、なるほど、やはり受験生は大変らしい。今は一年生だからいいが、聡介にもいずれはその時期が訪れるわけで、この先を思うと少しだけ憂鬱になる。
 ふと、高篠先輩が聡介の様子に気付いて慌てた。
「あ、ごめんごめん。一年生の稲富君の前でする話じゃなかったわね。大丈夫、橋田先生の授業、一年生と二年生のときは普通というか分かりやすいくらいだから、あんまり心配しなくていいからね」
 ちょっとずれたフォローが、なんだか彼女らしい。聡介が失笑すると、高篠先輩は安堵の息をついていた。ちなみに一年生の間では、橋田先生の授業は分かりやすいと概ね好評だ。
「授業の話題はやめにしましょ。えっと、どうしてアサちゃんが一年生の教室の黒板を消しているのか、という話だったよね」
「それなんだけど、予習とか復習とかをしていた、ってことはない?」
 小寺先輩の言に高篠先輩は首を捻って、
「授業の予習と復習を、ノートを使わずに黒板にした、ってこと? 自分のした板書だから消した、って?」
 小寺先輩が頷く。
「予習と復習はしたかったけど、わざわざノートに残すようなことでもなかったから……うーん、変かな?」
「ノートに残せば後々見返せるから、その方がいいと思うけど」
 高篠先輩の否定的な意見に、そうだよね、と唸っている小寺先輩。
 では、ノートに残す必要のないもので、黒板を使う必要のあることであれば、これを説明できるのだろうか。ひとつ聡介には思い付くことがある。
「一年生の教室にいたからついでに、後輩に勉強を教えていた、ということはないですか?」
「あ、それなら確かに黒板を使うかも。アサちゃん面倒見がいいし、一年生の子に喜んで教えそう。それに、アサちゃん自身は分かり切ってることだからノートに残す必要なんてないし」
「でもそれだと、教室前方の黒板に書けばよくない?」
 小寺先輩である。「わざわざ落書きを消してまで後方の黒板を使う必要なんてないし。それに、決まった曜日だけ消されていることも説明できないよ」
「数学の証明問題なら、黒板の前と後ろ両方使ってやることも」
「夏純、一年生の授業でそんな証明問題やらない、ってば。難し過ぎるから。わたしにもそんなの絶対解けないし」
 小寺先輩が呆れたふうに言う。
「あ、そっか。一年生に教えるんだもんね。でも、そうなると後ろの黒板を使わないといけない事なんて」
 うーん、と首を可愛らしく傾げて、「ダメ、思い浮かばないわね」
 高篠先輩は諦めたふうに首を振った。胸の辺りまであって先の方だけ緩くウェーブのかかった、ふんわりとした髪がさらさらと艶のある音を立てて揺れた。
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