古国の末姫と加護持ちの王

空月

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アズィ・アシーク 4

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「……『巡回』に当たっちゃった、かな」
 「……? 」

  ほどなくアズィ・アシークの最端に辿り着く、という場所で、リルは足を止めた。少し遅れて立ち止まったアル=ラシードが、リルの言葉の真意を汲み取れずに首を傾げる。
  彼にどう説明するべきか迷ったリルは、言葉を選んで口を開いた。

 「『創国の六葉』って知ってる?」
 「『創国の六葉』……?」

  記憶を探るように繰り返したアル=ラシードは、思い当たるものがあったらしい。少しの間をおいて、「ああ」と頷いた。

 「文献で見たことがある。古の魔術興国の祖となった、六人の人物のことだったと記憶しているが」

  淀みなく答えたアル=ラシードに、聞いておきながら、リルは内心驚いていた。
  『創国の六葉』――それに付随する、現在アズィ・アシークが在る場所にあった国については、殆ど記録が残っていないと言っても過言ではない。数少ない文献を『魔法大国』シャラ・シャハルが多く所有しているのは周知の事実であるが、『創国の六葉』についてとなると、名の通り国の成り立ちに関わる内容だ。余程古い文献であるか、後の世に新たに編纂されたか――どちらにしろかなり希少な知識がシャラ・シャハルには伝わっているということになる。

  認識を改めないといけないかもしれない、と思いつつ、リルはそれを表に出すことなく話を続けた。

 「そう、その『創国の六葉』なんだけど――彼らが後に結界の要になったんだって話は、知ってる?」
 「……結界の、要? 結界とは、今も稼働しているという大規模結界魔術のことだろうか」

  リルが頷くと、アル=ラシードは難しい顔をした。また濃くなった眉間の皺に、何だか申し訳ないような気分になるリル。

 「それは、……人柱という意味以外に解釈しようがないんだが」
 「――そういう意味での『要』で合ってるよ、アル=ラシード。……あんまり知られてないとは思うけど……」

  『創国の六葉』――古の魔術興国の建国の立役者とも言える六人の英雄的人物は、その身を以て国を護るための結界を為した。
  半永久的に展開する大規模魔術のための人柱。そうなることを己の意思で選んだのか、それとも強要された末のことであったのかは――今はもう、知る術はない。

  ともかくも『創国の六葉』は今も尚、結界の要として機能している。それは効果が反転した今も変わらない。けれど、国が滅びた原因である禁じられた魔術が、それらに与えた影響については、恐らくリルの祖国イースヒャンデにしか知られていない。

 「……ここにあった国が滅びた原因と関係があるんだろうけど、結界の魔術がおかしくなってて……。大枠の、『結界を創り出す』っていうのは変わってないんだけど、外からの侵入を拒むものだったのが反転して、内から出さないものになってるし――綻びが増えたのもあって、『六葉』が現出するようになってるらしいの。わたしも兄様たちに聞いただけだから、実際に見たわけじゃないんだけど」

  どこまで話してもいいものか――どう話せば不審に思われないか考えつつ言葉を紡ぐものの、既に手遅れな気がひしひしとする。それでも状況的に説明しないわけにはいかないのが悲しいところだった。

 「現出……?」

  怪訝そうに呟いたアル=ラシードに、リルが更に言葉を重ねようとした時だった。

  ――ぞわり、と肌が粟立つ。魔力を感知することがほぼできないリルですら感じられる、異様なまでに濃く――そして禍々しさすら覚える魔力の塊が、唐突にそこ・・に現れた。

 (見つかっちゃったか……。精霊石イースの気配でアル=ラシードの魔力も隠せるかと思ったけど、契約者がわたしだし、そこまでは無理だよね)

  反射的に固まった身体を慎重に動かし、リルはそこに現れた存在に視線を向ける。
  ちらりと見えたアル=ラシードは、魔力に当てられたのか、顔色を失くして硬直していた。それに心配にはなるものの、今は声を掛けられるような状況ではない。

  現れたそれ・・が何であるかを、リルは正確に知っていた。その、名前も。

 『――汝に――』

  声ならぬ声が空気を震わす。美しい楽の音にも似たそれは、状況さえ違えば聞き惚れるような妙なる響きだった。

  ふわり、と『声』の主の衣装の裾が翻る。――『彼女』が何者であったかを雄弁に語る、『舞』のためだけに特化したその出で立ち。しゃん、と清廉な鈴の音が鼓膜を震わせる。その音もまた、現実に在るものではない。

  両眼を覆うように巻かれた布の存在すら、彼女の美しさを損なってはいなかった。花の顔《かんばせ》を予感させる、整った口元が再び動く。

 『――汝に、証ありや?』

  問う彼女に、『意思』と呼べるものが存在しないことをリルは知っていた。結界の要――そして番人としての役割をなぞることしか、彼女にはできない。

  ――『盲目の舞姫』シルメイア。

  『創国の六葉』のひとりであり、のちに禁術の基となる魔術によって、生者とも死者とも呼べない存在――結界の要となった人物。
  守るべき国が跡形もなく滅びたときから、まるで幽鬼のように結界内アズィ・アシークに現れるようになったのだと、兄たちから聞いていた。『六葉』それぞれが、一定区域を『巡回』するように動くことがあるということも。
  まさか、実際に目にするとは思っていなかったけれど。

  少しでも気を抜けば気圧けおされるような、威圧感さえ覚える濃密な魔力。それは彼女シルメイアが肉体を持たない代わりに、魔力によって身体を形作っているからだ。
  その在り方は、精霊イーサーを真似てはいるものの、似て非なるものでしかない。与えられた役割――『命令』と言い換えてもいい――以外、何をすることもできない、しようと『思う』こともない、人形のような存在。

  精霊《イース》が淡く明滅するのが視界に入る。焔が心配しているのだとわかって、少しだけリルは笑った。そして、『シルメイア』を真正面から見据える。

  掛けられた問いに返す言葉は、決まっていた。

 「――証は、ありません。あなたが創った、あなたが守りたかった国は滅びました。……それなのに、未だに役目に縛り付けたままで、ごめんなさい」

  届かない言葉だと知っていても、言わずにはいられなかった。感傷でしかないと、わかっていても。
  兄達の中で、唯一現出した『六葉』と顔を合わせたことのあるザードも、遭遇する度に意味などないと知りつつも謝罪を口にするのだと、苦い笑みで言っていたのを思い出す。だからさっさと結界を解除する方法見つけなよ、とシーズをせっついていたのも。

  全て諸共に滅びたのなら、『創国の六葉』が人柱となったままであることもなかっただろう。けれど、現実に彼らは未だに『要』のままで――そして、魔術に関する知識の大半が失われた後に彼らを解放するには、長い長い時間が必要だった。

  自由に結界を出入りすることができるのは、滅びた大国の血を引く――その『証』たる魔力を持っている者だけだ。
  リルには『魔力因子』がないため魔力そのものがないし、そもそも魔力があっても『証』と認めてはもらえない。質の異なる魔力を、『シルメイア』が気付かないはずがないのだから。アル=ラシードの魔力も同様で、だからここでリルが取れる選択肢は一つしかなかった。

  『シルメイア』から目を逸らさないまま、アル=ラシードに近付く。硬直状態からはなんとか脱したらしく、リルの行動を窺っているのが気配でわかった。
  『シルメイア』は未だ動かない。『焔』の存在が『シルメイア』の行動を阻害しているのだろうと判断して、リルは迷いを振り捨て、叫んだ。

 「――走って!」

  同時にアル=ラシードの背を押す。ほとんど突き飛ばすような形になったけれど、そこまで気遣っていられる余裕はなかった。

  無理やり走らされる形になったアル=ラシードが、リルがその場に留まっていることに気付いて足を止めようとするのに、もう一度叫ぶ。

 「わたしのことは気にしなくていいから! そのまま走って!! すぐ追いかけるから!」

  一瞬迷うような素振りを見せたアル=ラシードだったが、リルを気にする様子を見せつつも、速度をゆるめることなく走っていく。それを見届けて、リルは『シルメイア』に視線を戻し、精霊石イースに触れた。定められた通りに指先で叩き、思念で以て呼びかける。

 (――イース・ナアル=【焔】、出てきて)

  全て伝えきる前に精霊石イースが明滅し、瞬く間に宙に炎が広がる。一瞬で現れた焔は、どこか複雑そうな顔をしていた。

 「……お願いね」

  そうリルが言えば、心底気の進まなさそうな声で「了解」と返ってくる。リルは苦笑して、それから腰元に提げていた短剣を手に取った。鞘から引き抜くと、刀身がきらりと月光を反射する。

  リルはそれを短剣を持つのと逆の腕に当て――躊躇いなく、引いた。
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