古国の末姫と加護持ちの王

空月

文字の大きさ
13 / 29

アズィ・アシーク 5

しおりを挟む


  刃の軌跡を、痛みというよりも熱さが走り、そして鮮やかな赤が流れ出る。傷口から溢れ出た血を指先で掬い、リルは素早く砂地に呪印を刻んだ。

  『内的魔力』のないリルには、魔法も魔術も使えない。『魔力因子』と『発現因子』、両方を持っていなければ、『内的魔力』は持ち得ない――それはつまり、魔力によって何かを為すことができないということだ。

  けれど、それに抜け道があるということをリルは知っている。
  『発現因子』、『魔力因子』、どちらか一方のみでは魔力によって何か事象を起こすことができない。それは確かだが――魔法や魔術で形作られたものや事象に干渉することならばできるのだ。

  本来、リルがシーズに教えてもらった方法は、もう少し穏便なものだった。しかし、今の状況で時間をかけてそれを為すことはできない。
  出来る限り迅速に場を乱し、崩し、一時だけでも『結界』を消失させるためには、己の血を使うのが最も適していた。だからこそ、リルは迷うことなくそれを選んだ。
  ……兄たちに知られたらどんな反応をされるのか分かっているから、リルとしてはできるだけ選びたくはなかった選択肢だったのだが、『六葉』に遭遇してしまったならば仕方ない。『証』がない――『侵入者』と見做されれば、どう考えても穏便に別れることなどできないのだから。


  呪印が淡く光る。現在ではほぼ失われたと言われる古の魔術言語――それによって紡がれた呪が力を持つ。
  リルは『発現因子』を持っているから、自ら事象を起こすことはできなくとも、今在る事象に干渉することはできる。


  ――そう、『シルメイア』という魔術的な『要』に干渉することだって。


 『――――』

  声なき声が悲鳴に似た響きを奏でる。ごめんなさい、とリルは心の奥で呟いた。

  苦しげに身を捩る『シルメイア』の姿が歪む。
  『シルメイア』が現出できるのは、結界を形作る魔術の中に、『六葉』の肉体から『内的魔力』を自動生成する術式が組み込まれているからだ。見えない糸で『要』たる肉体と繋がった『シルメイア』は、ほんの少しその糸に干渉するだけで仮初の身体を保てなくなる。

  死ぬわけではない。何故なら『シルメイア』は生きていないから。
  消滅するわけでもない。結界の魔術が解除されない限り、『六葉』は『要』として在り続けるのだから。

  それでも心が痛むのは、『彼女』はただ役割を果たそうとしただけだと知っているからだろう。
  『侵入者』として『排除』されるわけにはいかないけれど、リル自身は未だ害を与えられたわけではない。自分一人なら――自分と焔だけだったなら、こちらから手を出さずに逃げ出すことも考えた。そもそも、リル一人であれば、『六葉』に存在を気付かれる可能性はゼロに等しく、現出した『六葉』に会うこともなかっただろうが。

  けれど実際にはリルは一人じゃなかったし、先行させたアル=ラシードと共に逃げていたとして、足止め無しに『シルメイア』から無事に逃げ出せたかというと、それは恐らく無理だっただろう。どちらにしろ、もしもの話には意味がない。


  くらり、と視界が傾いだ。ふらついた身体を焔が支えてくれる。
  苦笑して礼を言おうとしたリルだったが、きちんと言葉になったのかも自分では分からなかった。視界が暗くなり、音も、触れる感覚も遠くなる。
  流れた以上の血が失われていくのを感じる。正確には、血ではなく『発現因子』だ。その消失が、身体に影響を与えている。

  焔が慎重に、呪印に魔力を注ぐ気配がする。思うようにならない身体がもどかしく、けれど、自分にはどうしようもないということもリルには分かっていた。
  意識を失えれば楽なのだろうけれど、呪印が作動している間はそうはいかない。ひたすら耐えるしかなかった。


  ――そうして、どれほど経っただろうか。

  ふ、と体内から何かが失われる感覚が消えた。
  同時に、ほんの少し身体に注がれた魔力にリルは気付く。傷を癒すためと――それから。

 (……焔?)

  声にならない疑問を感じ取ったのだろう。焔の手が少し乱暴にリルの目を塞ぐ。

 「――負担が掛かり過ぎた。眠りな、姫さん。じゃないと回復が追い付かない」

  でも、と紡ぎかけた言葉は音にならず、焔によってもたらされた眠気が、ただでさえギリギリの淵で踏みとどまっていたリルの意識を沈めようとする。

  抗うことのできないそれに導かれ、リルは眠りに落ちた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
公爵令嬢アンジェリカは六歳の誕生日までは天使のように可愛らしい子供だった。ところが突然、ロバのような顔になってしまう。残念な姿に成長した『残念姫』と呼ばれるアンジェリカ。友達は男爵家のウォルターただ一人。そんなある日、隣国から素敵な王子様が留学してきて……

神様の忘れ物

mizuno sei
ファンタジー
 仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。  わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました

香木陽灯
恋愛
 伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。  これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。  実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。 「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」 「自由……」  もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。  ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。  再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。  ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。  一方の元夫は、財政難に陥っていた。 「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」  元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。 「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」 ※ふんわり設定です

侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています

猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。 しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。 本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。 盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

処理中です...