死に至る恋

空月

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死に至る恋

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 これは恋の話だ。永遠に胸に秘める恋の話。
 決して伝えられることはない、伝えてはいけない恋の話。
 ――死に至るしかない、恋の話。


「おはよう。好きだよ、相良さん」
「おはよう、周くん。わたしは応えられないから、早く他の人を好きになってほしい」
「うん、わかってる。『呪い・・』のせいだって知ってるのに、律儀に返してくれてありがとう」

 登校して、教室に入って。当たり前の顔をして朝一番から告白をしてきた彼は、周《あまね》水月《みつき》くん。わたしのクラスメイトで、怪我でも病気でもないのに痛む足のために車椅子に座る――俗称『人魚姫』の『呪い・・』の保有者だ。
 

 数十年前。とある生物学者であり呪学者だった一人の男が、世界に『呪い』をばらまいた。当時では存在の認められていなかった『呪学』と生物学を組み合わせて意図的に作られたそれは、あっという間に広がって多くの人に害を為し――世間はその存在を認めるしかない状況下に追い込まれた。
 今では『呪災害』と呼ばれるその出来事によって、身に『呪い』を宿す人々は、当たり前の存在になった。
 『呪い』には系統があって、その中でも保有者が多く、特定の物語を連想させるようなものには俗称がついている。そのうちの一つが、周くんの保有する『呪い』――『人魚姫』だ。
 『人魚姫』の『呪い』の内容は、『声が出なくなり、地面に触れると足に痛みが走るようになる』というものだ。
 童話の『人魚姫』の内容をそのままなぞったかのような『呪い』の内容は、偶然じゃない。
 なぜなら、『呪い』の大半は、人々の普遍的な認識を土台に作り上げられたからだ。人が共通して持つ知識。認識。生み出された『呪い』は、そういうものを利用しているのだという。

 けれど、『呪い』が認知されて数十年。今では『呪い』は、そこまで脅威として捉えられてはいない。
 というのも、大半の『呪い』は解析され、それに対抗する術が判明しているからだ。
 周くんの『人魚姫』も例にもれず、解析が済んで、『呪い』の影響を軽減する方法が知られている。だから周くんの声は失われていないし、足の痛みもそこまで酷くはないらしい。

 『人魚姫』の『呪い』への対抗手段は、好きな人に想いを伝えること。
 だから周くんは、顔を合わせるたびに私に好きだと言う。

 ……『呪い』の完全な解き方も、『人魚姫』の場合は判明している。
 誰かに向ける恋が、あるいは愛が、成就すること。好きな人に想いを伝えて、返してもらうこと。
 だからわたしは、一日でも早く、周くんがわたしではない誰かを好きになってくれることを願っている。

 ――わたしは、その想いに応えられないから。


 周くんがわたしに『告白』するのは、一日に一度だけ。
 たぶん、応えられないと返すわたしを気遣ってのことだと思う。
 そういう、人なのだ。そういう人だと知っているからこそ、早くわたしから心を離してほしいのに、現実はそうそう思い通りにはなってくれない。


 『呪い』の保有者は、幼少時の検査でどんな内容の『呪い』を保有しているのかを知って、どんなふうに付き合っていくかを決める。『呪い』には潜伏期間があって、多くは思春期以降に発症――要するに表面化だ――するから、周くんが『人魚姫』の『呪い』を発症したのも、半年ほど前のことだった。


『いきなりごめんね、相良さん。――俺、君のことが好きなんだ』


 申し訳なさそうな表情で、だけど真っ直ぐわたしを見つめて。
 いつもはやわらかな声音が、少しだけ硬くて。
 嘘でも冗談でもないのだと、その瞳と声が告げていた。
 言わなければ、伝えなければならないのだと、初めて見る車椅子姿が告げていた。

 ――わたしが初めて『告白』されたのは、周くんの発症の翌日だった。


 周くんが『人魚姫』の『呪い』を持っているのを知ったのは、その時が初めてだった。発症していない『呪い』保有者が『呪い』の内容を公表するかは個人の判断に任されているから、それはよくある――と言うのもどうかと思うけれど、そういうものだった。
 現在、『呪い』の保有者は人口の約半数と言われている。呪学――正確にはそこから派生した反呪学の研究者自体が少ないので、まだまだ実態を把握できているとは言い難い、らしい。受け売りだけど。
 『呪い』保有者とそうでない人の間での差別とか、そういうのも無いとは言えない。それでも、数十年前まで存在が認められていなかったとは思えないほど、『呪い』は当たり前のように私たちの日常の中にある。

 だから、周くんの突然の『告白』に、驚きながらも得心した。
 とはいえ、クラスメイトで、それなりに親しいと言える仲だという認識はあったけど、周くんにとって『そういう』対象であったとは思っていなかった。
 きっと、周くん自身、恋心を『人魚姫』の『呪い』の発症で自覚したレベルなんじゃないかと思っていたりする。それらしい素振りは記憶になかったから。

 だけど、どれだけそれまで恋や愛らしきものの片鱗を感じたことがないとしても、周くんが伊達や酔狂でわたしに『告白』しているわけではない以上、それは間違いのない、覆ることのない事実であって。

 ――「よりにもよって」と、初めての『告白』を前に思ってしまったのは、わたしにとっては仕方のないことだった。 

 恋や愛が解呪に関わる呪いは多い。それは、事の発端の男が、意図的に行ったことだ。
 恋に狂って、愛に妄執して――そうして呪いをばらまいたから。
 たったひとりの女性を呪うため。『彼女』への『呪い』が成立する世界にするために。

 自分ではない人物と幸せに暮らす想い人に、『好きな人に想いを伝えると死に、相手にその呪いが移る』――その限定的で強力な『呪い』を成立させるために、世界を混乱に陥れた。

 一般に知られていないそれらの事情をわたしがなぜ知っているのか、その理由は至極単純だ。
 わたしが、その『呪い』の保有者だから。
 もちろん、わたしが『呪い』をばらまいた男の想い人であるわけじゃない。『呪い』をばらまくと同時に死んだ男と、その数十年後に生まれた私が出会えるはずもない。
 男の想い人だったのは、わたしの曽祖母。そして変質して血筋ごと呪う形になった『呪い』が、当時曽祖母のお腹の中にいた祖母から母へ、母から私へ、広がってしまっただけのこと。

 広がって、とは言うものの、この『呪い』は血縁以外に移った場合――つまり『呪い』の内容に則して他者に移った場合、それ以上広がることはない。二度の『呪い』の移動はないのだ。
 まあ、『呪い』が移れば元の保有者は死ぬのだから、そうでなかったとしても母数は増えないのだけど。
 『呪い』自体認識されていなかった曽祖母の代、『呪い』の詳細がわかっていなかった祖母の代で起こったことと、『呪い』自体の解析から、そういうものだと教えられた。

 この『呪い』も他の『呪い』と同じで、潜伏期間を経て発症する。発症しなければ想い人に好意を伝えることはできるし、子どもだって作れる。――だからこそ、わたしの代までこの『呪い』は続いてしまったのだ。

 普通の『呪い』は人の命まで奪うようにはできていない。『呪い』というのは本来、そこまでの影響を現実に与えるのは難しいものなのだそうだ。
 そんな中で、この『呪い』は異質だ。範囲は極小、与える影響は最悪。万が一変質して、影響はそのままに範囲が拡大したら洒落にならないこんな『呪い』は、早々に無くなってしまうのが本当はよかったのだと思う。
 曽祖母から数えて、4代。保有者になった人数は、6人。『呪い』によって死んだのは4人。血によって『呪い』が継がれた保有者が全員女で一子だけというのも呪いめいている。
 わたしの母は『呪い』の詳細がわかった時点で想い人と別れたそうだから、かろうじて『呪い』が移ってはいない。つまり、生きている。まあ、物心ついたときには心を病んでいたので、無事とは言えないけれど。

「……相良さん? 心ここにあらずって感じだけど、大丈夫?」

 気づかわしげな周くんの言葉に、大丈夫だよと手を振れば、彼は心配そうな素振りを残しながらも、姿勢を正して前を向いた。
 そう、わたしと周くんの席は隣同士だ。別に何かの作為があったわけじゃなくて、くじで廊下側から二番目一番後ろの席を引いたわたしと、車椅子の関係で列の一番後ろが固定位置の周くんの席が、たまたま隣り合っただけのこと。
 ……『告白』されるようになってからの席替えで近くの席になったのは初めてだったので、最初は少し戸惑ったりはしたけれど。

 ちら、と周くんへ視線を向ける。周くんは基本的に真面目なので、始業五分前から、姿勢を正して先生の到着を待つ。先生が教室に入ってきた時点で各々やっていたことをやめて席に着く人が大半な中、浮いてしまいそうなものだけど――それが教室の一風景として溶け込んでいるから不思議だ。
 それは周くんの纏う雰囲気とか空気感とか人柄とか、そういうものが関係しているんだろう。
 廊下から先生の足音が聞こえてきて、チャイムの音が響いて。
 今日も代り映えのない、一日が始まる。

 少し目が悪いのだという周くんは、授業中だけメガネをかける。銀色のフレームの細身のメガネは、周くんによく似合ってる、と思う。疲れるみたいで、時々外して目をぎゅっと瞑るのがちょっとかわいい。男の子に『かわいい』という形容はだめなのかもしれないけど、心の中で思う分には自由だと思うことにしている。
 両利きで、たまに両手にペンを持って同時に動かしているのを見るとびっくりする。あれは特技の域なんじゃないだろうか。
 休んだ時に見せてもらったノートは、要点をしっかり押さえて、適度に色も付いている、すっきり見やすいものだった。テスト前には、よく男の子たちに貸してほしいとお願いされるのを見たりもする。あのノートだったら納得、というかわたしも参考にさせてもらいたいくらいだ。
 休み時間は、仲のいい男の子たちに囲まれて、楽しそうに会話していることが多い。昨日見たテレビの話とか、授業での先生の脱線の話とか、小テストが憂鬱だとか、そんな他愛のない話。
 発症して、『呪い』保有者だと知られても、周くんの周囲の人たちの態度に大きな変化は見られなくて、よかったと思う。

 『呪い』に複数の影響が含まれる場合、その出方が偏る場合がある。周くんがそれで、『声が出なくなる』部分より、『足に痛みが走るようになる』部分の方が重く出ているらしい。先に症状が出たのも、『足に痛みが走る』方だったから、初めての『告白』も言葉でのものだった。『声が出なくなる』の方が先に出たなら、きっと手紙とかで伝えられたんだろう。
 だから、『呪い』が発症する前も、後も、変わらず、周くんの男の子にしては少し高めの、優しい声が教室のざわめきの中に溶け込んで聞こえてくる。

 ……その声に、耳を傾けるのが好きだった。
 それだけでよかったのだ。ただ声が聴けるだけで――生きていると、何でもない日を過ごしていると、感じられるだけで。

 伝えられることのない、伝えてはいけない、想いの行き先なんてなくてよかった。
 『好きだよ』と言われて返せない苦しさを、知りたくなんてなかった。

 はやく、はやく。
 だれかわたしじゃない人を好きになって、想いを通わせて、周くんの『呪い』が解けてほしい。

 周くんが『好きだよ』と言う度にわたしの中に降り積もる、甘くて苦い気持ちが、嬉しくて苦しい気持ちが、抱えきれなくなって――わたしもだと応えてしまう前に。

 死に至るしかないのに、往生際悪く生き延びているこの恋を殺す方法を、わたしはそれだけしか思いつかないから。
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