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第一章 港町カルビナ篇
#05 小金持ちと目論み
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「いやぁ~~、食った食ったぁ! すっげぇ美味かったな!」
とっぷりと日が暮れた夜の街を歩きながら、ラトがぱんぱんに膨れた腹を叩いて屈託なく笑った。その隣ではリーシャが、ラトの気分とは反比例してガックリと肩を落としている。
「お金が無い……。今日の宿代が……」
「んなもん、別に野宿で良いじゃねぇか」
「あんたねぇ……誰の所為でこうなったと思ってるのよ。私なんか、エルフの里から旅立つときに友達から貰った首飾りを、代わりに引き渡すことになっちゃったんだからね」
「リーシャだって美味そうに食ってたじゃんか。なぁ、ミィナも美味かったよな?」
と突然話を振られたミィナが、どう答えたものかと若干狼狽える。
「えっと……リーシャさん、そんな大事なものだったとは知らずにごめんなさい……。でも、その……とっても美味しかったですっ。今まであんなに美味しいもの、食べたことありませんでした!」
心底申し訳なさそうに謝られた上に、そんなにキラキラした目で感謝されてしまっては責めるわけにもいくまい。それにむしろ、どんどん頼んで良いと言ったのはリーシャ自身なので、ミィナが謝るというのも変な話だ。
「ううん、ミィナちゃんは悪くないから大丈夫。……でも、やっぱり宿に泊まれないっていうのは痛いなー」
無気力に呟いて夜空を仰ぐ。そんな、ほぼ十割方諦めていたリーシャの横で、不意にラトがごそごそと自分の荷物を探り始めた。探るほど多くの物をラトが所持してただろうかと、リーシャは訝しげに彼を見やる。
「ラト、あんた何やってんの?」
「あーいや、そういや折角こいつら取ってきたけど、どうしようかと思ってよ」
言って無造作にそれを取り出すと、ずいっとリーシャに差し出した。暗くて見え辛いが、ラトの手の上には、掌より少し小さい程度の木葉が何枚か。リーシャは思わずラトを殴りそうになって、ぐっと堪えた。
「こっちがお金の心配してるときに、よくもまぁ呑気に葉っぱの心配なんかしてられるわね」
するとラトが不思議そうに眉を顰め、ずいっとリーシャの顔の前へさらに突き出した。
「何言ってんだ、よく見ろってーの」
「はぁ?」
言われるがまま葉っぱの表面を注視すると、心なしか光沢があり、近くの鉱物灯の光を鈍く反射している。見間違いかと思ったリーシャは確認しようと手に取り、その見た目に 違う重さに目を丸くした。
「これって……鱗?」
「おう、森でキメラの尻尾ぶった切っただろ? あんとき落っこちてきた尻尾から何枚か剥ぎ取っといた。あれ、尻尾じゃなくて頭か。ん? やっぱ尻尾?」
「どっちでも良いし。っていうか、こんなの持ってたんだったらさっさと言いなさいよ! 私の首飾り、無駄に売っちゃったじゃない」
「まぁ良いじゃねぇか、今度新しいの買えば」
「そういう問題じゃないでしょ……」
まぁこれ以上言っても無駄なのは分かり切っていることだ。リーシャはラトへの糾弾を諦め、鱗をより一層顔に近づけて更に詳しく観察する。
しかし喜ぶリーシャとは裏腹に、ミィナはどちらかというと不安げな表情で彼女を見上げていた。
「でもそれ……お金になるんでしょうか? キメラの鱗って言っても誰も信じてくれなさそうですけど」
確かにミィナの言う通り、そもそもその存在すら疑われているキメラの一部などと信用する人間はほとんどいないだろう。だがリーシャはこれに似た素材を以前、見たことがある。
うふふ……と不敵な微笑みを浮かべて、耳打ちをするように口元に手を当ててこそっと囁いた。
「これ、“ドラゴンの鱗”だって売れば大体100,000GILLぐらいにはなるんじゃない? ドラゴンの鱗なんて見たことある人の方が少ないだろうし、きっとバレないわよ」
「……リーシャさん、それって詐欺なんじゃ……」
「細かいことは良いの、これだけ大きければ蛇の鱗も竜の鱗も大差ないでしょ。取り敢えず、商人ギルド目指しながら宿も探すわよー」
よほど田舎の村や集落でもない限り、各町には大抵、商人ギルドと呼ばれる商業連合組織が存在する。そこでは商品の卸売り、また物品の鑑定・買取や物々交換取引の仲介なども行っているのだ。
故に、施設の規模は町の大きさに比例する。時計塔に次ぐ高さを誇るその巨大な建造物は、カルビナのどこからでも拝むことが出来た。
どーんと聳える、富豪の屋敷のようなギルドの前まで来ると、ほえ~~とラトが感嘆の声を上げた。
「でっけぇなぁ~~。よし、そんじゃ行くぞ」
「……あんた、柑橘類といい勝負しそう」
「ふふ、本当にさっぱりしてますね」
入口のどでかい両開き扉は開け放されており、まだ沢山の人間が出入りしている。その流れに任せて三人も中へ入っていった。
矩形の大広間。そして壁際に沿ってコの字に広間を囲む数々のカウンター。予想以上の人口密度だった。
「物品買取は奥と右のカウンターみたいね」
ちなみに、向かって左は物々交換取引のカウンターで、二階が卸売りのフロアである。が、卸売りの時間帯は早朝なので、現在は二階への立ち入りは禁止されているようだった。
物品鑑定・買取のカウンターはそれぞれ種類ごとに分けられているらしい。カウンターごとに、窓口の上部に“動物素材”や“植物”、“鉱物素材”、“武具類”など掘り込まれた金属板が貼られている。
三人が“動物素材”の列に並ぶと、それを見た近くのギルド嬢が突然声を張り上げた。
「本日の動物素材買取はこれにて終了とさせて頂きまーす! 他の窓口のご利用はまだ可能ですので引き続きご利用くださいませー!」
マジかよー、と小さく悪態を吐きながらすぐ背後で引き返していく客を後目で見送って、リーシャはほっと安堵の吐息を零した。
「うわ、実は結構ギリギリだったんだ。これで間に合わなかったらホントに野宿する羽目になるところだったのね」
しばらくの待ち時間は少々手持無沙汰だったものの、そんなこんなで彼女らの順番がやってきた。
「お待たせいたしましたー。それで、どういった物をお持ちでしょうか?」
「えっと……これなんですけど……」
鞄から数枚のキメラの鱗を取り出してカウンターに並べて置いた。こうして明るい場所で改めて見ると、仄暗く緑がかっているのが分かる。係のギルド員はそれを手に取ると、顔の前に持ち上げてまじまじと見つめる。
「ふむ……これは鱗ですね? しかしこれ程大きな物となると、竜鱗でしょうか」
「です!」
もちろん嘘だが、勝手に早合点してくれたのに便乗して、思いっ切り首を縦に振った。隣のミィナの目がちょっと痛いが今は気にしない。
と内心舞い上がっている彼女の前で、ギルド員がおもむろに虫眼鏡を持ち出した。鱗を裏返したりして、細かく観察している。
嘘がバレやしないかと、リーシャが固唾を吞んで見守る中、ギルド員はどこか納得のいかないような表情で首を捻った。
「申し訳ございません、私よりも詳しい人間を連れて参りますので少々お待ちください」
一言断って、足早にカウンターの奥へと去っていった。
「……これ、バレそうかも」
「だから言ったじゃないですか……」
げんなりした様子でミィナが呟く。確かに、さっきはお金に目が眩んでいたけれど普通に考えれば、鑑定を仕事にしている人間に見破れないはずがないのだ。
ドラゴンの鱗じゃないって分かったら、きっと怒られるだろうなー。などと考えている内、奥から先ほどの若いギルド員とは別の、大柄な初老の男性が現れた。
「お待たせいたしましたお客様」
カウンターの向こう側の椅子に腰かけると、虫眼鏡を手にして入念に観察を始める。ギルド員は時折「ふむ……」やら「むむう……」と呻り声を漏らしつつ、鱗を凝視し続ける。それを見ていてふと思ったことがあった。
(他のお客さんもこんなに長いのかな……)
きっと、鑑定も含めてとなると案外時間がかかるものなのだろう。ドラゴンの鱗のような希少な素材ともなれば、それが偽物でないとも限らない。――実際、偽物なわけだが。
「なぁ、おっちゃん、まだなんか?」
とラトが空気も読まずに催促するが、彼の耳には全く届いていないようだった。単に耳が悪いのか、気付かないほど集中しているのか……。
リーシャはラトを軽く睨み付け、気を悪くしてはいまいかとギルド員の顔色を窺う。
そのとき、急に彼の表情が強張った。
双眸をかっと皿のように見開き、それから、ばっ! とものすごい勢いで顔を上げた。
「お客様、一体どこでこれを!?」
「え!? ももも森で拾ったん……です、けど……」
出し抜けな問いに、思い切りどもってしまう。何とも煮え切らない返事だった所為か、ギルド員は真剣な面持ちのまま静かに目を落とした。鱗をじっと凝視したまま微動だにしない。
「あの……どうかしました?」
心地の悪い沈黙に耐え切れずリーシャが恐る恐る尋ねると、彼は虫眼鏡をそっと置いて、鱗の一枚を彼女に差し出した。
「これは竜鱗などではありません、お客様……」
浮かない表情で囁かれた言葉に、どきっと心臓が跳ねた。咄嗟に言い訳が出てこなくて、何の意味も持たない言葉を吐き出す。
「あー……それはその~~」
「――《合魔獣の尾鱗》。キメラと呼ばれる魔獣の尻尾から採れる鱗素材です」
半ば重ねられるように言葉が継がれた。ミィナとリーシャの二人は思わずはっと息を呑み、それまで詰まらなそうにしていたラトすらも、興味深げに彼の話に耳を傾ける。
「……ですが、キメラは、遥か西方の地――どの国の領土にも属さない不毛な高原地帯にしか棲息していない魔獣です。お客様は先ほど“森で拾った”と仰いましたが、それは間違いありませんか?」
流石はその専門の鑑定士といったところだろう。そこまでお見通しであるならば話は早い。リーシャはまず最初に、嘘を吐いてしまったことを詫びた。
「ごめんなさいっ! 本当は拾ったんじゃなくて、そのキメラから直接手に入れた物なの」
「というと、キメラと戦った……ということですか……?」
「おう! 勝ったぞ!」
リーシャが答えるより先に、勝手にラトが宣言する。黙ってなさいの意思を込めて彼に眼を飛ばすと、何をどう勘違いしたのか誇らしげに胸を張る。もう突っ込むのも面倒になって、はぁ……と盛大に溜め息を吐く。ちゃんと説明するべくギルド員に向き直った。
「いえ、勝ったといっても、倒したわけじゃなくて撃退が精一杯で――」
「勝ったぞ!」
「……だそうです」
撃退にしろ討伐にしろ、勝利した事実は変わらないのだから別に良いだろうと思うのだが、そこはラトなりに謎の拘りがあるらしい。
ギルド員にとっても、そんなことがどうでも良いのはリーシャと同様らしく、ラトの主張を尽くシカトしていた。
「……何故キメラが……――いや、もしかしたら……しかし……――だとすると……うーむ……」
顎に手を添え何やらブツブツと呟いている。すぐ手元を見ているのに、その目はどこか遠くを見つめているようである。完全にリーシャらの存在を忘れていた。
「あの~」
「ん? ……ああ、申し訳ない! わたくし、集中すると他人の声が耳に入らなくなってしまう性分でして。えー……それではこの“合魔獣の尾鱗”ですが、お売りして頂けるのでしたら、一枚につき200,000GILLで買い取らせていただきますけれども……どう致しますか?」
そうさらっと告げられた鑑定結果であったが、信じられない金額が聞こえた気がして思わず聞き返してしまう。
「ええっと、もう一度お願いします」
「はい。わたくし、集中すると他人の声が耳に――」
「いや、あの、そこじゃなくて売却額の方を……」
このギルド員も思ったより濃いキャラしてるなーと今更ながら感じる中、ギルド員は再度その金額をはっきりと口にした。
「ああ、すみません。一枚につき200,000GILLでございます」
*******
受付で伝えられた号室の扉を開けると、ラトは荷物やら何やらをぽぽーいっと放り出して一目散にふっかふかのベッドへダイブした。
「うほほーっ! 気持ちいい~~」
ミィナの村でも宿に泊まったが、寝床といっても恐ろしく簡素なものだったため、とてもじゃないが寝心地が良かったとは言えない。しかしこれなら久々にぐっすり眠れそうである。
そんなベッドでごろごろしているラトを、ミィナが手前の通路付近に立ったまま心配そうに見ていた。
「あの……食事代どころか宿泊費までお世話になっちゃって、本当に良いんでしょうか……」
すると後ろからリーシャが彼女の肩を優しく叩く。
「そういうのは気にしなくて良いのー。せっかく良い宿に泊まれるんだから、ほら、ミィナちゃんもリラックスリラックス! ……ラト、あんたはくつろぎ過ぎ! せめてシャワー浴びてからにしなさいよ……」
「お――」
という適当な返事で、ラトがリーシャの忠告を流す。そんな二人の様子を見て、ミィナがふふっと微笑を零した。が、すぐにその表情を曇らせてしまう。
リーシャが真ん中のベッドに腰を下ろして一息吐きつつ不思議そうに首を傾げる。
「ミィナちゃんどうしたの?」
「いえ……、ただ、お二人と一緒にいるとすっごく楽しいなーって。たった二日間お世話になっただけなのに、なんだか寂しくなってしまって……」
確かにミィナの言う通り一緒に旅をしたのは僅か二日間だが、リーシャも不思議と彼女の言葉に納得していた。ベッドに寝転がって天井を見上げながら感慨深げに呟く。
「そっか、明日の朝にはミィナちゃんとお別れかぁ~……」
「そういえばお二人は、カルビナを発った後はノーザニス地方に行くんでしたよね?」
「うん、そうそう。でも私、まだ自然の雪っていうのを見たことないのよねー。魔法で生み出した雪なら故郷の里で見たことあるんだけど」
「私も見てみたいです、雪……」
羨ましそうに呟いたミィナの表情はどこか物憂げだった。だからリーシャは彼女を元気付けようと、二ィッと無邪気に笑ってわざと冗談めかして言う。
「じゃあ、ミィナちゃんも一緒に来る?」
「い、いえっ、そういうつもりで言ったんじゃなくて――……その、すみません……」
だがミィナは、とんでもないとでも言いたげに胸の前で両手をわちゃわちゃ振った後、やっぱり心苦しそうにまた俯いてしまう。完全に逆効果だ。
ラトは既に鼾(いびき)を掻いているし、ミィナは黙ってしまうしで沈鬱な空気が垂れ込めそうになるのをどうにか防ごうと、リーシャはわざと大きめの声を出して立ち上がった。
「じゃあ、私はお風呂入ろっかな! ミィナちゃん、次で良い?」
「あ、はい。私は最後でも大丈夫です」
「いや……その寝てるのが最後で良いでしょ。ミィナちゃんが出てきたら起こせばいいわよ。じゃ、お先ー」
着替えだけ持ってから、肩越しにひらひら手を振りバスルームへ。脱いだ服やら下着やらを取り敢えず籠の中に入れ、いざ浴室に入ると、驚いたことにさっきスイッチを入れたばかりであるにも拘らず、もう浴槽にお湯が張られていた。
「早っ! やっぱり高級宿だと設備が全然違うわねー。お風呂も魔法道具であっと言う間に沸いちゃうなんて」
感心しつつバスチェアに腰かけるとソッコーで頭と体を洗って湯船に入った。ふぅ~~~~と深く息吹いて、鼻の下までしっかり浸かる。じんわりと体の芯から温まる心地に自然と表情が緩んだ。
ぶくぶくと泡を作りながら、キメラの鱗を売却した折のギルド員との会話をもう一度思い出す。
『こんなにお金になるんだったら、尚の事追いかけなきゃダメねっ!』
というリーシャの言葉を耳聡く聞き付けた彼が、唐突にこんなことを言い出したのだ。
『あの、お客様! もしキメラを追うに当たって何も手掛かりが無いのでしたら、ノーザニス地方のランゴード村へ行くと良い。きっと、役に立つ情報が得られるはずですよ』
標高の高い山々が連なり、一年を通して常に雪に覆われた山岳地帯。その一部を含む、レイクスティア領最北地域全体を示す呼び名――それがノーザニス地方だ。竜人族の居住域でもあるため、そのランゴード村とやらが竜人族の里だろうことは想像に難くない。
カルビナを発ってからの行く当ても特に無かったので丁度良い。
ただ闇雲にキメラを探して放浪するより、遠くとも情報を得られるかもしれない場所へ一度赴いてみた方が、よっぽどマシである。
と、そんな感じで色々頭を巡らせていたリーシャだったのだが、突然、彼女が入浴中の浴室の折り戸が、ガラッと開け放たれた。
「おい、リーシャ!」
ひょこっと顔を覗かせたのはラト。
「ひあっ!?」
ばっ! と咄嗟に隠すべきところは隠したものの、あまりに唐突な出来事に反応が遅れ、声も出せずに口をパクパクしてしまう。
「は……え……? ちょ……――」
「お前、こないだ買った俺の干し肉、どこにあるか知らねぇ? 腹減っちまってよー俺」
取り乱してしまったこちらがおかしいのか、と思ってしまうほど当然の如き振る舞いに、思わず反射的に答えてしまう。
「それなら、私のバッグの一番外側に入ってるけど……――って、それ今聞かなきゃダメなこと!? 私今お風呂入ってるの分かるでしょ!」
「お? ああ、わりわり。おっけー、外側のポケットなー」
と軽く謝って踵を返す。さらっと扉を閉めようとするラトを、今度はリーシャが呼び止めた。
「ち、ちょっと! あんた何かコメントは無いわけ!?」
入浴を(堂々と)覗かれたことよる怒りや恥ずかしさよりも、プライドを傷つけられた事が何よりリーシャを憤らせた。
自分が飛び切り美人だとは言わない。それでも故郷の里でだって、“その容姿は例外なく美形である”と人間から称えられているエルフ族の、同年代の女の子の中でも別段見劣りしている訳ではなかったし、普段からそれなりにスタイルには気を使っているつもりだ。
それなのにラトは自分の裸を見ておいて、顔を赤らめるでもなく、まじまじと見つめるでもなく――。
まさかのノーリアクション。
それはまさに、“お前には魅力が無い”と明言されているようなものだった。
呼び止められたラトは、んー? と天井の隅に目をやり顎に手を当てて思考を巡らせる。そして何かに思い当たったようで得意げに指を鳴らした。
「お前も食う?」
「違うわッ!」
目にも留まらぬ速さで飛んだ風呂桶が、スコーンッ! と軽やかな音を響かせてラトの眉間に命中した。
******
時計塔が日付変更を告げる鐘を鳴らしてから数時間が経過した頃――空が白み始める少し前に、彼女は目を覚ました。目が覚めてしまったのではなく、起きるべくして起きたのである。
身を起こして左を見ると、隣のベッドではリーシャがすぅすぅと寝息を立てており、さらにその向こうではラトが鼾を掻いて眠りこけている。
音を立てないよう素早く身支度を整えると、荷物を持って立ち上がった。
カルビナへの道中は一日分の着替えと少々の小物ぐらいしか入っていなかった荷物は、今はずっしりと重たい。そしてそれに負けないぐらい、気持ちもまた。
抜き足差し足で二人のベッドの前を通り過ぎて、ゆっくり、丁寧に、慎重に部屋の扉を開ける。
「本当に……ごめんなさい……」
きっとそれは、声にすらなっていなかっただろう。開けたときと同じように、細心の注意を払って扉を閉める。
耳が痛くなるほどの静寂が、部屋に降りた。
とっぷりと日が暮れた夜の街を歩きながら、ラトがぱんぱんに膨れた腹を叩いて屈託なく笑った。その隣ではリーシャが、ラトの気分とは反比例してガックリと肩を落としている。
「お金が無い……。今日の宿代が……」
「んなもん、別に野宿で良いじゃねぇか」
「あんたねぇ……誰の所為でこうなったと思ってるのよ。私なんか、エルフの里から旅立つときに友達から貰った首飾りを、代わりに引き渡すことになっちゃったんだからね」
「リーシャだって美味そうに食ってたじゃんか。なぁ、ミィナも美味かったよな?」
と突然話を振られたミィナが、どう答えたものかと若干狼狽える。
「えっと……リーシャさん、そんな大事なものだったとは知らずにごめんなさい……。でも、その……とっても美味しかったですっ。今まであんなに美味しいもの、食べたことありませんでした!」
心底申し訳なさそうに謝られた上に、そんなにキラキラした目で感謝されてしまっては責めるわけにもいくまい。それにむしろ、どんどん頼んで良いと言ったのはリーシャ自身なので、ミィナが謝るというのも変な話だ。
「ううん、ミィナちゃんは悪くないから大丈夫。……でも、やっぱり宿に泊まれないっていうのは痛いなー」
無気力に呟いて夜空を仰ぐ。そんな、ほぼ十割方諦めていたリーシャの横で、不意にラトがごそごそと自分の荷物を探り始めた。探るほど多くの物をラトが所持してただろうかと、リーシャは訝しげに彼を見やる。
「ラト、あんた何やってんの?」
「あーいや、そういや折角こいつら取ってきたけど、どうしようかと思ってよ」
言って無造作にそれを取り出すと、ずいっとリーシャに差し出した。暗くて見え辛いが、ラトの手の上には、掌より少し小さい程度の木葉が何枚か。リーシャは思わずラトを殴りそうになって、ぐっと堪えた。
「こっちがお金の心配してるときに、よくもまぁ呑気に葉っぱの心配なんかしてられるわね」
するとラトが不思議そうに眉を顰め、ずいっとリーシャの顔の前へさらに突き出した。
「何言ってんだ、よく見ろってーの」
「はぁ?」
言われるがまま葉っぱの表面を注視すると、心なしか光沢があり、近くの鉱物灯の光を鈍く反射している。見間違いかと思ったリーシャは確認しようと手に取り、その見た目に 違う重さに目を丸くした。
「これって……鱗?」
「おう、森でキメラの尻尾ぶった切っただろ? あんとき落っこちてきた尻尾から何枚か剥ぎ取っといた。あれ、尻尾じゃなくて頭か。ん? やっぱ尻尾?」
「どっちでも良いし。っていうか、こんなの持ってたんだったらさっさと言いなさいよ! 私の首飾り、無駄に売っちゃったじゃない」
「まぁ良いじゃねぇか、今度新しいの買えば」
「そういう問題じゃないでしょ……」
まぁこれ以上言っても無駄なのは分かり切っていることだ。リーシャはラトへの糾弾を諦め、鱗をより一層顔に近づけて更に詳しく観察する。
しかし喜ぶリーシャとは裏腹に、ミィナはどちらかというと不安げな表情で彼女を見上げていた。
「でもそれ……お金になるんでしょうか? キメラの鱗って言っても誰も信じてくれなさそうですけど」
確かにミィナの言う通り、そもそもその存在すら疑われているキメラの一部などと信用する人間はほとんどいないだろう。だがリーシャはこれに似た素材を以前、見たことがある。
うふふ……と不敵な微笑みを浮かべて、耳打ちをするように口元に手を当ててこそっと囁いた。
「これ、“ドラゴンの鱗”だって売れば大体100,000GILLぐらいにはなるんじゃない? ドラゴンの鱗なんて見たことある人の方が少ないだろうし、きっとバレないわよ」
「……リーシャさん、それって詐欺なんじゃ……」
「細かいことは良いの、これだけ大きければ蛇の鱗も竜の鱗も大差ないでしょ。取り敢えず、商人ギルド目指しながら宿も探すわよー」
よほど田舎の村や集落でもない限り、各町には大抵、商人ギルドと呼ばれる商業連合組織が存在する。そこでは商品の卸売り、また物品の鑑定・買取や物々交換取引の仲介なども行っているのだ。
故に、施設の規模は町の大きさに比例する。時計塔に次ぐ高さを誇るその巨大な建造物は、カルビナのどこからでも拝むことが出来た。
どーんと聳える、富豪の屋敷のようなギルドの前まで来ると、ほえ~~とラトが感嘆の声を上げた。
「でっけぇなぁ~~。よし、そんじゃ行くぞ」
「……あんた、柑橘類といい勝負しそう」
「ふふ、本当にさっぱりしてますね」
入口のどでかい両開き扉は開け放されており、まだ沢山の人間が出入りしている。その流れに任せて三人も中へ入っていった。
矩形の大広間。そして壁際に沿ってコの字に広間を囲む数々のカウンター。予想以上の人口密度だった。
「物品買取は奥と右のカウンターみたいね」
ちなみに、向かって左は物々交換取引のカウンターで、二階が卸売りのフロアである。が、卸売りの時間帯は早朝なので、現在は二階への立ち入りは禁止されているようだった。
物品鑑定・買取のカウンターはそれぞれ種類ごとに分けられているらしい。カウンターごとに、窓口の上部に“動物素材”や“植物”、“鉱物素材”、“武具類”など掘り込まれた金属板が貼られている。
三人が“動物素材”の列に並ぶと、それを見た近くのギルド嬢が突然声を張り上げた。
「本日の動物素材買取はこれにて終了とさせて頂きまーす! 他の窓口のご利用はまだ可能ですので引き続きご利用くださいませー!」
マジかよー、と小さく悪態を吐きながらすぐ背後で引き返していく客を後目で見送って、リーシャはほっと安堵の吐息を零した。
「うわ、実は結構ギリギリだったんだ。これで間に合わなかったらホントに野宿する羽目になるところだったのね」
しばらくの待ち時間は少々手持無沙汰だったものの、そんなこんなで彼女らの順番がやってきた。
「お待たせいたしましたー。それで、どういった物をお持ちでしょうか?」
「えっと……これなんですけど……」
鞄から数枚のキメラの鱗を取り出してカウンターに並べて置いた。こうして明るい場所で改めて見ると、仄暗く緑がかっているのが分かる。係のギルド員はそれを手に取ると、顔の前に持ち上げてまじまじと見つめる。
「ふむ……これは鱗ですね? しかしこれ程大きな物となると、竜鱗でしょうか」
「です!」
もちろん嘘だが、勝手に早合点してくれたのに便乗して、思いっ切り首を縦に振った。隣のミィナの目がちょっと痛いが今は気にしない。
と内心舞い上がっている彼女の前で、ギルド員がおもむろに虫眼鏡を持ち出した。鱗を裏返したりして、細かく観察している。
嘘がバレやしないかと、リーシャが固唾を吞んで見守る中、ギルド員はどこか納得のいかないような表情で首を捻った。
「申し訳ございません、私よりも詳しい人間を連れて参りますので少々お待ちください」
一言断って、足早にカウンターの奥へと去っていった。
「……これ、バレそうかも」
「だから言ったじゃないですか……」
げんなりした様子でミィナが呟く。確かに、さっきはお金に目が眩んでいたけれど普通に考えれば、鑑定を仕事にしている人間に見破れないはずがないのだ。
ドラゴンの鱗じゃないって分かったら、きっと怒られるだろうなー。などと考えている内、奥から先ほどの若いギルド員とは別の、大柄な初老の男性が現れた。
「お待たせいたしましたお客様」
カウンターの向こう側の椅子に腰かけると、虫眼鏡を手にして入念に観察を始める。ギルド員は時折「ふむ……」やら「むむう……」と呻り声を漏らしつつ、鱗を凝視し続ける。それを見ていてふと思ったことがあった。
(他のお客さんもこんなに長いのかな……)
きっと、鑑定も含めてとなると案外時間がかかるものなのだろう。ドラゴンの鱗のような希少な素材ともなれば、それが偽物でないとも限らない。――実際、偽物なわけだが。
「なぁ、おっちゃん、まだなんか?」
とラトが空気も読まずに催促するが、彼の耳には全く届いていないようだった。単に耳が悪いのか、気付かないほど集中しているのか……。
リーシャはラトを軽く睨み付け、気を悪くしてはいまいかとギルド員の顔色を窺う。
そのとき、急に彼の表情が強張った。
双眸をかっと皿のように見開き、それから、ばっ! とものすごい勢いで顔を上げた。
「お客様、一体どこでこれを!?」
「え!? ももも森で拾ったん……です、けど……」
出し抜けな問いに、思い切りどもってしまう。何とも煮え切らない返事だった所為か、ギルド員は真剣な面持ちのまま静かに目を落とした。鱗をじっと凝視したまま微動だにしない。
「あの……どうかしました?」
心地の悪い沈黙に耐え切れずリーシャが恐る恐る尋ねると、彼は虫眼鏡をそっと置いて、鱗の一枚を彼女に差し出した。
「これは竜鱗などではありません、お客様……」
浮かない表情で囁かれた言葉に、どきっと心臓が跳ねた。咄嗟に言い訳が出てこなくて、何の意味も持たない言葉を吐き出す。
「あー……それはその~~」
「――《合魔獣の尾鱗》。キメラと呼ばれる魔獣の尻尾から採れる鱗素材です」
半ば重ねられるように言葉が継がれた。ミィナとリーシャの二人は思わずはっと息を呑み、それまで詰まらなそうにしていたラトすらも、興味深げに彼の話に耳を傾ける。
「……ですが、キメラは、遥か西方の地――どの国の領土にも属さない不毛な高原地帯にしか棲息していない魔獣です。お客様は先ほど“森で拾った”と仰いましたが、それは間違いありませんか?」
流石はその専門の鑑定士といったところだろう。そこまでお見通しであるならば話は早い。リーシャはまず最初に、嘘を吐いてしまったことを詫びた。
「ごめんなさいっ! 本当は拾ったんじゃなくて、そのキメラから直接手に入れた物なの」
「というと、キメラと戦った……ということですか……?」
「おう! 勝ったぞ!」
リーシャが答えるより先に、勝手にラトが宣言する。黙ってなさいの意思を込めて彼に眼を飛ばすと、何をどう勘違いしたのか誇らしげに胸を張る。もう突っ込むのも面倒になって、はぁ……と盛大に溜め息を吐く。ちゃんと説明するべくギルド員に向き直った。
「いえ、勝ったといっても、倒したわけじゃなくて撃退が精一杯で――」
「勝ったぞ!」
「……だそうです」
撃退にしろ討伐にしろ、勝利した事実は変わらないのだから別に良いだろうと思うのだが、そこはラトなりに謎の拘りがあるらしい。
ギルド員にとっても、そんなことがどうでも良いのはリーシャと同様らしく、ラトの主張を尽くシカトしていた。
「……何故キメラが……――いや、もしかしたら……しかし……――だとすると……うーむ……」
顎に手を添え何やらブツブツと呟いている。すぐ手元を見ているのに、その目はどこか遠くを見つめているようである。完全にリーシャらの存在を忘れていた。
「あの~」
「ん? ……ああ、申し訳ない! わたくし、集中すると他人の声が耳に入らなくなってしまう性分でして。えー……それではこの“合魔獣の尾鱗”ですが、お売りして頂けるのでしたら、一枚につき200,000GILLで買い取らせていただきますけれども……どう致しますか?」
そうさらっと告げられた鑑定結果であったが、信じられない金額が聞こえた気がして思わず聞き返してしまう。
「ええっと、もう一度お願いします」
「はい。わたくし、集中すると他人の声が耳に――」
「いや、あの、そこじゃなくて売却額の方を……」
このギルド員も思ったより濃いキャラしてるなーと今更ながら感じる中、ギルド員は再度その金額をはっきりと口にした。
「ああ、すみません。一枚につき200,000GILLでございます」
*******
受付で伝えられた号室の扉を開けると、ラトは荷物やら何やらをぽぽーいっと放り出して一目散にふっかふかのベッドへダイブした。
「うほほーっ! 気持ちいい~~」
ミィナの村でも宿に泊まったが、寝床といっても恐ろしく簡素なものだったため、とてもじゃないが寝心地が良かったとは言えない。しかしこれなら久々にぐっすり眠れそうである。
そんなベッドでごろごろしているラトを、ミィナが手前の通路付近に立ったまま心配そうに見ていた。
「あの……食事代どころか宿泊費までお世話になっちゃって、本当に良いんでしょうか……」
すると後ろからリーシャが彼女の肩を優しく叩く。
「そういうのは気にしなくて良いのー。せっかく良い宿に泊まれるんだから、ほら、ミィナちゃんもリラックスリラックス! ……ラト、あんたはくつろぎ過ぎ! せめてシャワー浴びてからにしなさいよ……」
「お――」
という適当な返事で、ラトがリーシャの忠告を流す。そんな二人の様子を見て、ミィナがふふっと微笑を零した。が、すぐにその表情を曇らせてしまう。
リーシャが真ん中のベッドに腰を下ろして一息吐きつつ不思議そうに首を傾げる。
「ミィナちゃんどうしたの?」
「いえ……、ただ、お二人と一緒にいるとすっごく楽しいなーって。たった二日間お世話になっただけなのに、なんだか寂しくなってしまって……」
確かにミィナの言う通り一緒に旅をしたのは僅か二日間だが、リーシャも不思議と彼女の言葉に納得していた。ベッドに寝転がって天井を見上げながら感慨深げに呟く。
「そっか、明日の朝にはミィナちゃんとお別れかぁ~……」
「そういえばお二人は、カルビナを発った後はノーザニス地方に行くんでしたよね?」
「うん、そうそう。でも私、まだ自然の雪っていうのを見たことないのよねー。魔法で生み出した雪なら故郷の里で見たことあるんだけど」
「私も見てみたいです、雪……」
羨ましそうに呟いたミィナの表情はどこか物憂げだった。だからリーシャは彼女を元気付けようと、二ィッと無邪気に笑ってわざと冗談めかして言う。
「じゃあ、ミィナちゃんも一緒に来る?」
「い、いえっ、そういうつもりで言ったんじゃなくて――……その、すみません……」
だがミィナは、とんでもないとでも言いたげに胸の前で両手をわちゃわちゃ振った後、やっぱり心苦しそうにまた俯いてしまう。完全に逆効果だ。
ラトは既に鼾(いびき)を掻いているし、ミィナは黙ってしまうしで沈鬱な空気が垂れ込めそうになるのをどうにか防ごうと、リーシャはわざと大きめの声を出して立ち上がった。
「じゃあ、私はお風呂入ろっかな! ミィナちゃん、次で良い?」
「あ、はい。私は最後でも大丈夫です」
「いや……その寝てるのが最後で良いでしょ。ミィナちゃんが出てきたら起こせばいいわよ。じゃ、お先ー」
着替えだけ持ってから、肩越しにひらひら手を振りバスルームへ。脱いだ服やら下着やらを取り敢えず籠の中に入れ、いざ浴室に入ると、驚いたことにさっきスイッチを入れたばかりであるにも拘らず、もう浴槽にお湯が張られていた。
「早っ! やっぱり高級宿だと設備が全然違うわねー。お風呂も魔法道具であっと言う間に沸いちゃうなんて」
感心しつつバスチェアに腰かけるとソッコーで頭と体を洗って湯船に入った。ふぅ~~~~と深く息吹いて、鼻の下までしっかり浸かる。じんわりと体の芯から温まる心地に自然と表情が緩んだ。
ぶくぶくと泡を作りながら、キメラの鱗を売却した折のギルド員との会話をもう一度思い出す。
『こんなにお金になるんだったら、尚の事追いかけなきゃダメねっ!』
というリーシャの言葉を耳聡く聞き付けた彼が、唐突にこんなことを言い出したのだ。
『あの、お客様! もしキメラを追うに当たって何も手掛かりが無いのでしたら、ノーザニス地方のランゴード村へ行くと良い。きっと、役に立つ情報が得られるはずですよ』
標高の高い山々が連なり、一年を通して常に雪に覆われた山岳地帯。その一部を含む、レイクスティア領最北地域全体を示す呼び名――それがノーザニス地方だ。竜人族の居住域でもあるため、そのランゴード村とやらが竜人族の里だろうことは想像に難くない。
カルビナを発ってからの行く当ても特に無かったので丁度良い。
ただ闇雲にキメラを探して放浪するより、遠くとも情報を得られるかもしれない場所へ一度赴いてみた方が、よっぽどマシである。
と、そんな感じで色々頭を巡らせていたリーシャだったのだが、突然、彼女が入浴中の浴室の折り戸が、ガラッと開け放たれた。
「おい、リーシャ!」
ひょこっと顔を覗かせたのはラト。
「ひあっ!?」
ばっ! と咄嗟に隠すべきところは隠したものの、あまりに唐突な出来事に反応が遅れ、声も出せずに口をパクパクしてしまう。
「は……え……? ちょ……――」
「お前、こないだ買った俺の干し肉、どこにあるか知らねぇ? 腹減っちまってよー俺」
取り乱してしまったこちらがおかしいのか、と思ってしまうほど当然の如き振る舞いに、思わず反射的に答えてしまう。
「それなら、私のバッグの一番外側に入ってるけど……――って、それ今聞かなきゃダメなこと!? 私今お風呂入ってるの分かるでしょ!」
「お? ああ、わりわり。おっけー、外側のポケットなー」
と軽く謝って踵を返す。さらっと扉を閉めようとするラトを、今度はリーシャが呼び止めた。
「ち、ちょっと! あんた何かコメントは無いわけ!?」
入浴を(堂々と)覗かれたことよる怒りや恥ずかしさよりも、プライドを傷つけられた事が何よりリーシャを憤らせた。
自分が飛び切り美人だとは言わない。それでも故郷の里でだって、“その容姿は例外なく美形である”と人間から称えられているエルフ族の、同年代の女の子の中でも別段見劣りしている訳ではなかったし、普段からそれなりにスタイルには気を使っているつもりだ。
それなのにラトは自分の裸を見ておいて、顔を赤らめるでもなく、まじまじと見つめるでもなく――。
まさかのノーリアクション。
それはまさに、“お前には魅力が無い”と明言されているようなものだった。
呼び止められたラトは、んー? と天井の隅に目をやり顎に手を当てて思考を巡らせる。そして何かに思い当たったようで得意げに指を鳴らした。
「お前も食う?」
「違うわッ!」
目にも留まらぬ速さで飛んだ風呂桶が、スコーンッ! と軽やかな音を響かせてラトの眉間に命中した。
******
時計塔が日付変更を告げる鐘を鳴らしてから数時間が経過した頃――空が白み始める少し前に、彼女は目を覚ました。目が覚めてしまったのではなく、起きるべくして起きたのである。
身を起こして左を見ると、隣のベッドではリーシャがすぅすぅと寝息を立てており、さらにその向こうではラトが鼾を掻いて眠りこけている。
音を立てないよう素早く身支度を整えると、荷物を持って立ち上がった。
カルビナへの道中は一日分の着替えと少々の小物ぐらいしか入っていなかった荷物は、今はずっしりと重たい。そしてそれに負けないぐらい、気持ちもまた。
抜き足差し足で二人のベッドの前を通り過ぎて、ゆっくり、丁寧に、慎重に部屋の扉を開ける。
「本当に……ごめんなさい……」
きっとそれは、声にすらなっていなかっただろう。開けたときと同じように、細心の注意を払って扉を閉める。
耳が痛くなるほどの静寂が、部屋に降りた。
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