幻想マジックオーケストラ

科虎はじめ

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プロローグ

うず

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 マントルは大海原に浮かんでいた。
 見渡す限り水平線で、取りつく島などあったものではない。社会から隔絶されるさみしささえなければ大景観を独り占めにできる。
 傲慢に罪を働いた罪人たちも逆らうことなく心をなごませる。
 配属初日のハイドも無事に一日を終えたことに胸をなでおろしていた。
 ここへ来るまではうわさに怯え、降り立ったときには足がすくむほどだった。
 ライフルを肩にかけ、マントルの淵を歩く。
 月明りが海面でなびく。
 一体なにを警戒しろと言うのだろう。
 罪人たちは赤子のように寝息を立てている。
 一日を通して暴れる者などひとりもいなかった。
 地上の地獄。
 そう呼んで恐れられた場所だとは到底思えなかった。
 前から自分と同じように海を眺めながら歩く影が見えた。
 近づくにつれて月夜に顔が浮かび上がる。
 看守長のワァンであった。
 ハイドは緩んだ帯を締めなおし、背筋を伸ばす。
 ワァンもこちらに気づく。
 ご苦労と敬礼をする。
 遅れてハイドも敬礼をする。
 「見ない顔だな」
 「本日より配属いたしました」
 ハイドは敬礼を重ねる。
 「直っていいぞ。そう固くなるな」
 ワァンはいからせた肩に手をおいた。
 余計にこわばってしまう。
 「少し歩くか」
 「はい」
 ハイドは歩を合わせようとするのだが長身のワァンのそれには遅れてしまった。
 「静かだな」
 「はい。いつもこうなのですか」
 「まあ、嵐がなければいつもこうだ。わたしもいつもこうして散歩するのが日課だ」
 「昼間、罪人もここを歩かせました。塀のない場所を好きに歩かせるのには驚きました。でもこうも海のなかでは誰も逃げようとは思わないですよね。この刑務所を考えた方はすごいです」
 「逃げたければ逃げればいいと思うがね」
 「え」
 「たぶん逃げられないんじゃなくてここから出たくないんじゃないのかな」
 「まったくです」
 「前は違ったよ。だいたい毎日誰かが死んでいた」
 ハイドは足をとめる。
 「うそだ」
 「本当だ。要塞そのものが地獄だった。こんな逃げ場のないコロシアムを設計した奴は能無しだって思っていたからな」
 「じゃあどうしてそれがこんなに」
 「オーケストラがいたんだ。月に一度はやって来てイリュージョンと音楽の演奏で楽しませてくれた」
 「興行で地獄が変わったと」
 「音楽を馬鹿にしちゃいかん。もっとも最初は彼らも暴動の制圧部隊として派遣されたんだが、いつからか持ち物の楽器で罪人たちを楽しませるようになった。たぶんただの気まぐれだと思うがな。まあ昔の話だ」
 「昔って、今は」
 「もう来なくなった。あれが現れてからな」
 ワァンは夜空を顎でしゃくった。
 灰色一面の星が浮かんでいた。
 表情なく、まるで目の上のたんこぶのようにじっとしている。
 なにも語らない墓石のようだ。
 「異星ですか。でもそれとなんの関係が」
 「なんだ。国の方針を知らんのか」
 「方針」
 ハイドは首をかしげる。そして思い当たる。
 「もしかしてそのオーケストラって全員がエディターなんですか」
 「ご明察。あとから知ったことだ。今にして考えればあの強さの理由も納得がいく。マジックだと思っていた現象も、あれは本物だったってことだ。なんて言ったかな能力のこと」
 「律動ですか」
 「そうだそれ。彼らは本物の魔術師だったってことだ」
 「ちょっと待ってください。だからつまり国が異星に調査団を派遣するためにその方々をここから引き離したってことですか」
 「違う」
 「え、でも」
 「彼らは自発的に消えたんだ。王政の遣いとは一歩違いにここを出た」
 「じゃあ今は」
 「さあな。たぶんどこかを放浪してるんじゃないのかな。国が異星の問題を解決さえしてくれれば彼らは堂々とここへ帰って来れる。罪人たちは今も静かにその日を待っている」
 城壁に波が当たる音が心地よく耳に届いた。
 遠くの船着き場でなにかが動いた。
 ハイドはそれを認めた。
 ワァンは気持ちよさそうに夜風を鼻腔一杯に吸い込んだ。
 「今夜はもういいだろう。おまえも初日で疲れたことだからゆっくり休むといい。名前は」
 「ハイドです」
 「今後ともよろしく頼むよ」
 「はい。しかしここは鉄壁です」
 ワァンは肩で笑いながら背を向けて元来た道を戻ろうとした。
 「あれもセキュリティの機能かなにかでしょうか」
 「あれとは」
 ワァンは笑いを鎮めながら尋ねる。
 「あそこの船場の黒いカーテンみたいなものです」
 「カーテン」
 歩を止め、半分首をむける。
 「あ、消えた」
 「ハイド、今なにを見た」
 「え、黒いもやです、いやカーテンがうずを巻くみたいなものが。あれ、防波堤も消えてる。ちょっと待ってください。おかしいですよ」
 ハイドは大声をあげて目を凝らす。
 さっきまであったものが音もなく消えている。
 自分の目がおかしいのかと疑ってしまうほどだ。
 ワァンも動揺から目を泳がせる。 
 なにかが要塞に侵入した。
 端末を取り出し素早く監視機能を確認する。
 いた。なんだあれは。
 一見すれば巨大なまりもが建物に沿って張っている。
 ハイドの言う通りだ。
 闇のうずが物体を侵食している。
 通った場所がみるみる消えていく。
 まずい。
 「クラスト、クラスト」
 無線に向かって大声で呼びかける。
 「看守長どうされました」
 声音から事態の緊急性が伝わる。
 「侵入者だ。ガードが破られている」
 「ガードが。ありえません」
 「ポイントBを確認しろ。うずが物質を飲み込んでいる」
 クラストは言われた通りに確認する。
 うずは動くたびに雪だるま式に大きくなっている。
 「なんだこれは」
 「そいつがなんであるか考えるのはあとだ。すぐに全員を叩き起こすんだ。罪人をあれから遠ざける班とあれを撃退する班に分かれろ」
 「了解」
 「ハイド」
 ワァンは呆然とするハイドを呼び起こす。
 「はい」
 腰が抜けかけている。
 「おまえはわたしと一緒に来るんだ」

 子供の頃、夜にトイレに行くのが怖くて部屋を出られなかった。
 扉を少し開け、隙間から覗く廊下の先の闇に怯えていた。
 思えば、そのときに想像した闇の恐怖もこんな感じだったような気がクラストにはしていた。
 クラストは静かに刀を抜く。
 うずは構えもしなければましてや臆することもない。
 この化物め、どこに目玉つけてやがる。
 幼い自分の恥ずかしい過去も、うずを目の前にしたら正当化したくもなった。
 間髪なく斬りかかる。
 すぐに太刀筋は飲み込まれた。
 どうなってる。眉をしかめる。
 すかさず予備の帯刀を抜く。それを月夜に高々と上げる。と、瞬間うずの動きが止まった。
 構うことなく力の限り振り下ろす。
 刃はまた飲み込まれる。
 まるで水面を叩いているだけのようだ。
 しかしなんだ。
 一瞬だがうずがひるんだ。
 痛覚に触れたわけじゃない。
 むしろなにかを嫌悪したようだった。
 考えろ。なんだ。なにを嫌がった。
 うずがクラストの腕に絡みつく。
 激痛が肩を襲う。思わず顔が歪む。
 しまった。腕を持っていかれた。
 動脈から血が溢れて流れる。
 後方部隊は悲鳴をあげる。誰ももう頭の整理が追いつかない。夢の中の出来事だ。
 うちのひとりが恐怖から銃を発砲した。
 と、うずは同じ挙動をした。
 弾は当たったのか。いや、むしろ飲まれた。
 クラストは銃を引き抜き、ありったけの弾丸を見舞った。
 引き金を引くたびに全身を引きつらせる。 
 なるほど、わかった。
 「クラストさん」
 部隊が絶望に嘆いた。
 「来るな。早く逃げろ。ワァン守長に伝えろ・・・・」
 なるほど、こいつが嫌がるものがわかった。
 光だ。
 さっきの剣先に映えた月明りも、銃口で弾かれる閃光も、うずは光を嫌がっている。
 うずはクラストの背中を飲み込んでいた。
 「こいつには光が効くと看守長に伝えろ」
 「はい、でも」
 隊員は恐怖で足がすくむ。股間を濡らす者もいた。
 「早く脱出しろ」
 クラストは叫んだ。
 部隊は鞭打たれたように退却した。
 夜空を見上げる。
 月の位置がまだ高い。夜明けはほど遠い。
 うずが夜行性なら悪夢はまだしばらく醒めそうもない。

 遠くから無数の悲鳴が聞こえていた。
 次第にその数は減っていく。
 逃げるにも、どこへ逃げていいのかわからない。
 隠れるにも、もうすでに要塞の半分はうずに食われて場所がない。
 報告を受けたワァンは月を見上げた。
 涙がこぼれないように部下の死を悼んでいる。
 ハイドにはそう見えた。だが違った。
 月の位置とマントルにおぶさるように膨れ上がったうずを睨み、そして見比べていた。
 「脱出だ」
 「え、なんですか。嘘だ」
 「聞こえなかったか。脱出と言ったんだ」
 「そんなことしたら罪人はどうなるんです。全員を輸送する手段なんてありませんよ。そもそもこの要塞事態が船の役割でしたよね。でもうずのせいで無茶苦茶です」
 「だから脱出だと言っているんだ」 
 「うずを放っておくんですか」
 「クラストが対峙してダメなら勝ち目はない」
 「そんな。じゃあ軍は」
 「どんなに早くてもあと数時間はかかる。それまでここは持たない」
 「ぼくは戦います」
 「死にたければ残れ。わたしはこの状況を抜け出して立て直す」
 「地獄だ」
 ハイドは膝から崩れた。
 「物理的な攻撃も効かない。光も一時的な麻痺程度。なにも打つ手なしだ」
 ワァンは強がってぎこちない笑みを浮かべる。
 が、すぐに気を持ち直す。
 自分を取り囲む隊員を見回す。
 「救命用のポッドがある。まだうずに飲み込まれていないはずだ。すぐにそこへ向かう。到着次第すぐに脱出すること。無事に脱出できたものは必ず国に報告すること。以上」
 ワァンを筆頭に走った。
 膨れ上がるうずを横目に恐怖を突き放すかのように懸命に地面を蹴った。
 うずは不格好な山から次第に形を変えて枝分かれしていった。
 ぶつりと切れて独立するうずもあった。
 身軽になったものは坂を転がる球体のように追い立てて隊員を飲み込んだ。
 唯一、拳銃の閃光だけがうずの動きを止めることができた。
 ようやくポッドの保管場所にたどり着く頃にはワァンとハイド、それに隊員がわずか三名にまで減っていた。
 考えている暇はない。
 すぐに二人乗りのポッドに体を滑り込ませる。
 ハイドはワァンの後ろに乗り込んだ。
 救命用だ。操作はたやすい。
 方位を定めて発射ボタンを押すだけだ。あとは陸地まで自動で運んでくれる。
 ただし、行き先は選べない。
 生命を保持するのに最低限必要な機能に絞られている。
 「ゲートが開いたらすぐに脱出だ」
 ワァンの声が無線に届く。
 ポッドにひとり乗り込んだ隊員の顔がいくらか安堵の色を浮かべる。
 開きかけたゲートにみるみるカビが生えていく。
 そしてゲートが消えた。
 うずが脱出口まで回り込んで塞いでいた。
 ワァンはポッドの中に救難用の発煙筒を見つける。
 反射的にポッドを飛び下り、筒を地面に擦りつけて発火させる。
 煙とともに眩しい光が灯る。
 それをうずに投げる。
 図体のでかいうずは避けることなく発煙筒を飲み込んだ。
 体内で光が暴れているのか腰をくねらせるようにしてもだえる。
 他の隊員もそれにならって発煙筒でうずを威嚇した。
 いつまでも投げずに身を守ろうとする。
 ワァンも攻撃を促すが防衛本能が判断の邪魔をする。
 それがいけなかった。
 うずは発煙筒を持つ隊員の頭を飲み込んだ。
 また次、そして最後のひとり。あっという間のことにワァンとハイドは言葉を失う。
 ここまでか。
 ワァンは目を閉じる。
 ゲートの先に影があるのをポッドの中からハイドは認めた。
 全身が血だらけだった。
 土埃が止血するように汗と混じってこびりついている。
 立っているのがやっとの様子のその男は首に数珠繋ぎのものをぶら下げてゆっくりうずの背後から近づいて来た。
 恐れた様子もなく、力の限りうずまでたどり着こうとしているようだった。それにワァンも気がついた。
 「クラスト」
 声がこぼれた。
 あれが。
 初めて目にするクラストの姿にハイドはくぎ付けになった。   
 近くなり、彼が首から下げるものが手榴弾であることがわかった。
 ピンをひもで結び、一斉に起爆できるようにしてある。
 その先を残された腕でしっかり握っていた。
 「なにをなされているんですか看守長。早く脱出していただかないと」
 クラストは笑みを浮かべた。
 強がりではない。
 もうなにも恐れる必要はない。
 そう得心しているようだった。
 「早く乗ってください。そこの新米を死なせるつもりですか」
 ワァンは震えるハイドに目をむける。
 そして再びポッドに飛び乗った。
 クラストは倒れ込むように自らうずの体内にもたれかかった。
 闇がクラストの体を飲み込んでいった。
 やがて顔と腕だけになった。
 手の先にはひもの結び目があった。
 クラストは挑戦的な笑みを浮かべた。
 「いつか仇を取ってくださいよ、守長」
 ポッドの扉が閉まる。
 「クラスト」
 ワァンは叫ぶ。声は分厚い扉にむなしく吸い込まれた。
 すると、クラストが口を動かしている。ワァンは言葉を読み取ろうと必死に読唇して口の動きを真似る。
 「げん・・・・とら」
 なんだ。なにが言いたい。
 「げん・・・・ま…とら」
 わかった。
 「幻想マジックオーケストラ」
 瞬間、視界が震え全身にすさまじい重力がのしかかった。
 ポッドは空高く滑りあがった。
 目の隅で異星をとらえ、意識を失った。

 
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