忍び働き口入れ(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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 草調儀とは、乱世において領土の境目の住人の心を領主から引き離すために拐しなどの対象にしたことをいう。領主とは領民から米を徴収する代わりにこれを守る義務を負う、それを果たせなければ見限られて仕方がない、という習いを手に取った忍び働きだ。
 しかし、乱世のことならいざしらず、この徳川の世において関八州の一隅の百姓をちょっとやそっと苦しめたところで公儀の支配体制がゆるむことなどあるはずもない。
 つまりは、敵の理屈は単なる言い訳にしか過ぎなかった。
「草調儀だなんだともうすのなら、太閤秀吉様の出自は地下であらせられた。されば、地下のために忍び働きをすることのなにがおかしいのですか?」
 得心がいくはずもなく、小平次は思わず反論をのべている。単に剣で相手を黙らせるだけでは納得がいかない心境だった。
 そこに犬が吠える声が聞こえてくる。吉足の鳴き声だった、退き陣の合図だ。
 が、この体勢では逃げるのは至難の業、というのが実情だ。
 吟ともうひとりの敵の攻防は止まっているが、それは手裏剣の無駄遣いを悟った両者が無言の対峙をはじめたに過ぎない。小平次が二対一の状況を強いられてことに変わりはなかった。
「武士の矜持を捨てた者は、犬の鳴き声の合図がお似合いだな」
 小平次が犬の声に反応した意味を見抜いた乳切木の遣い手が嘲笑を浴びせてくる。
 だが、その表情が強張ることになった。
 吟が塀を遠ざかるほうに動く。同時に、無数の忍び装束が敷地に向かって躍り込んできた。
 こやつらは――忍び装束の色や体格、人数からしてあきらかに仲間ではない。
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