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英傑犬、江戸暮らし
今桐継(いまぎりけい)
第一話
一
貞享三年の暮れ。徳川将軍、綱吉の御世。世に言う生類憐れみの令が出る一月前だった。
とある大名屋敷、幕閣の重責を占める老中の住まいの濡れ縁から数間離れた場所に人影がたたずみ、彼を三匹の犬が見上げていた。それぞれ日本古来の狩猟犬の白の地犬(じいぬ)と南蛮渡来の狆(ちん)とグレイハウンドでどこか不安げで落ちつかない。縄で首を縛られ、その端で輪が造られ楔で地面に打ち込まれている。
地犬は耳が小さく立耳、尾は巻いていた。それにどこか愛嬌のあるなつっこい顔立ちをしていた。他方、グレイハウンドは手足が長く体が大きい割りに優しげな顔つきをしていた。特にどこかすましたような顔立ちが可愛らしい。三匹目の犬、狆(ちん)はつぶらな瞳にくしゃっと中央に寄った顔が愛らしい小さな犬だ。
だが、犬たちを見下ろす男、眼窩の落ち窪んだ陰陽師は断固として泰山府君祭の呪文を唱えていた。
「是泰山府君乞願、奉命以死者蘇生為、縁以是為」
彼の呪文の今回の儀式は“犬”が重要だった。現将軍は犬年、その縁を利用するために贄として御三家の屋敷にかかわりのある犬をさらってきていた。なぜ、そんなことをするか? それは現在の政治が大老堀田正俊に主導されたものということにある。これが他の老中は面白くなかった。
そこで、大権現こと徳川家康の魂をこの世に呼び戻しこれを味方につけることで錦の御旗として堀田の政治に終止符を打つという陰謀が練られていた。事実、無数の気配が濡れ縁のほうに感じられる。彼、登照(とうしょう)は背筋に薄ら寒いものを感じた。もし、万が一にも儀式を失敗すれば自分は藩士たちに斬殺されてしまうだろう。
自分は道を誤ったか――多額の謝礼に目が眩んでこの依頼に飛びついてしまった。市井ではそれなりに名も売れているのだから欲張る必用はなかったのではないか。そこで、いかんいかん、と彼は胸のうちでつぶやいた。どちらにしろすでに依頼を受けてしまったのだ。今さら止めるなどと言い出したらそれこそ刀の錆にされてしまう。
やがて、呪文も終わりに近づいた。
「泰山府君問、死者蘇生是非、願死者現世還」
急急如律令、と唱えた瞬間、肩に激痛が走った。とても集中を保つことはできなかった。
それでも、彼の呪文は効果を発揮する。登照は天から魂が降りてくるのが見えた。
が、異常があった。三つ、だと――苦痛とは別の意味で顔を歪める。しかも、
「ま、待て」
魂はなんと、贄として用意した三匹の犬に吸い込まれるようにして消えた。
現将軍の縁を利用したのが裏目に出たか――だが、後悔しても遅い。
いや、それよりこの肩の激痛――。
「棒手裏剣だと」
ということは、濡れ縁の方が騒がしくなった。頻りに呻くような声が聞こえてくる。
「この儀式、幕閣に、堀田に露見していたか」
登照は歯の間から息を吐いた。
そんな彼の前に三人の忍者が現れ素早く犬を抱えた。縄は忍刀(しのびがたな)で断ち切る。
「おのれ、戦国の亡霊め」「貴様こそ、平安の異物め」
登照の罵声に、忍者のひとりから怒声が帰ってきた。転瞬、忍者たちは闇へと消えた。
とにかく終わりだ。ことが堀田に露見したとなれば儀式など二度と叶うはずもない。というより、こののちも命があるかもおおいに危うかった。
「やはり、手を出してはならぬ依頼であったか」
登照は苦渋の声を吐いてその場に立ち尽くす。夜気が常より妙に寒く感じられた。
今桐継(いまぎりけい)
第一話
一
貞享三年の暮れ。徳川将軍、綱吉の御世。世に言う生類憐れみの令が出る一月前だった。
とある大名屋敷、幕閣の重責を占める老中の住まいの濡れ縁から数間離れた場所に人影がたたずみ、彼を三匹の犬が見上げていた。それぞれ日本古来の狩猟犬の白の地犬(じいぬ)と南蛮渡来の狆(ちん)とグレイハウンドでどこか不安げで落ちつかない。縄で首を縛られ、その端で輪が造られ楔で地面に打ち込まれている。
地犬は耳が小さく立耳、尾は巻いていた。それにどこか愛嬌のあるなつっこい顔立ちをしていた。他方、グレイハウンドは手足が長く体が大きい割りに優しげな顔つきをしていた。特にどこかすましたような顔立ちが可愛らしい。三匹目の犬、狆(ちん)はつぶらな瞳にくしゃっと中央に寄った顔が愛らしい小さな犬だ。
だが、犬たちを見下ろす男、眼窩の落ち窪んだ陰陽師は断固として泰山府君祭の呪文を唱えていた。
「是泰山府君乞願、奉命以死者蘇生為、縁以是為」
彼の呪文の今回の儀式は“犬”が重要だった。現将軍は犬年、その縁を利用するために贄として御三家の屋敷にかかわりのある犬をさらってきていた。なぜ、そんなことをするか? それは現在の政治が大老堀田正俊に主導されたものということにある。これが他の老中は面白くなかった。
そこで、大権現こと徳川家康の魂をこの世に呼び戻しこれを味方につけることで錦の御旗として堀田の政治に終止符を打つという陰謀が練られていた。事実、無数の気配が濡れ縁のほうに感じられる。彼、登照(とうしょう)は背筋に薄ら寒いものを感じた。もし、万が一にも儀式を失敗すれば自分は藩士たちに斬殺されてしまうだろう。
自分は道を誤ったか――多額の謝礼に目が眩んでこの依頼に飛びついてしまった。市井ではそれなりに名も売れているのだから欲張る必用はなかったのではないか。そこで、いかんいかん、と彼は胸のうちでつぶやいた。どちらにしろすでに依頼を受けてしまったのだ。今さら止めるなどと言い出したらそれこそ刀の錆にされてしまう。
やがて、呪文も終わりに近づいた。
「泰山府君問、死者蘇生是非、願死者現世還」
急急如律令、と唱えた瞬間、肩に激痛が走った。とても集中を保つことはできなかった。
それでも、彼の呪文は効果を発揮する。登照は天から魂が降りてくるのが見えた。
が、異常があった。三つ、だと――苦痛とは別の意味で顔を歪める。しかも、
「ま、待て」
魂はなんと、贄として用意した三匹の犬に吸い込まれるようにして消えた。
現将軍の縁を利用したのが裏目に出たか――だが、後悔しても遅い。
いや、それよりこの肩の激痛――。
「棒手裏剣だと」
ということは、濡れ縁の方が騒がしくなった。頻りに呻くような声が聞こえてくる。
「この儀式、幕閣に、堀田に露見していたか」
登照は歯の間から息を吐いた。
そんな彼の前に三人の忍者が現れ素早く犬を抱えた。縄は忍刀(しのびがたな)で断ち切る。
「おのれ、戦国の亡霊め」「貴様こそ、平安の異物め」
登照の罵声に、忍者のひとりから怒声が帰ってきた。転瞬、忍者たちは闇へと消えた。
とにかく終わりだ。ことが堀田に露見したとなれば儀式など二度と叶うはずもない。というより、こののちも命があるかもおおいに危うかった。
「やはり、手を出してはならぬ依頼であったか」
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