犬を舐めるな従えよ(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

文字の大きさ
1 / 56

しおりを挟む
    英傑犬、江戸暮らし
                                     今桐継(いまぎりけい)
     第一話

   一

 貞享三年の暮れ。徳川将軍、綱吉の御世。世に言う生類憐れみの令が出る一月前だった。
 とある大名屋敷、幕閣の重責を占める老中の住まいの濡れ縁から数間離れた場所に人影がたたずみ、彼を三匹の犬が見上げていた。それぞれ日本古来の狩猟犬の白の地犬(じいぬ)と南蛮渡来の狆(ちん)とグレイハウンドでどこか不安げで落ちつかない。縄で首を縛られ、その端で輪が造られ楔で地面に打ち込まれている。
 地犬は耳が小さく立耳、尾は巻いていた。それにどこか愛嬌のあるなつっこい顔立ちをしていた。他方、グレイハウンドは手足が長く体が大きい割りに優しげな顔つきをしていた。特にどこかすましたような顔立ちが可愛らしい。三匹目の犬、狆(ちん)はつぶらな瞳にくしゃっと中央に寄った顔が愛らしい小さな犬だ。
 だが、犬たちを見下ろす男、眼窩の落ち窪んだ陰陽師は断固として泰山府君祭の呪文を唱えていた。
「是泰山府君乞願、奉命以死者蘇生為、縁以是為」
 彼の呪文の今回の儀式は“犬”が重要だった。現将軍は犬年、その縁を利用するために贄として御三家の屋敷にかかわりのある犬をさらってきていた。なぜ、そんなことをするか? それは現在の政治が大老堀田正俊に主導されたものということにある。これが他の老中は面白くなかった。
 そこで、大権現こと徳川家康の魂をこの世に呼び戻しこれを味方につけることで錦の御旗として堀田の政治に終止符を打つという陰謀が練られていた。事実、無数の気配が濡れ縁のほうに感じられる。彼、登照(とうしょう)は背筋に薄ら寒いものを感じた。もし、万が一にも儀式を失敗すれば自分は藩士たちに斬殺されてしまうだろう。
 自分は道を誤ったか――多額の謝礼に目が眩んでこの依頼に飛びついてしまった。市井ではそれなりに名も売れているのだから欲張る必用はなかったのではないか。そこで、いかんいかん、と彼は胸のうちでつぶやいた。どちらにしろすでに依頼を受けてしまったのだ。今さら止めるなどと言い出したらそれこそ刀の錆にされてしまう。
 やがて、呪文も終わりに近づいた。
「泰山府君問、死者蘇生是非、願死者現世還」
 急急如律令、と唱えた瞬間、肩に激痛が走った。とても集中を保つことはできなかった。
 それでも、彼の呪文は効果を発揮する。登照は天から魂が降りてくるのが見えた。
 が、異常があった。三つ、だと――苦痛とは別の意味で顔を歪める。しかも、
「ま、待て」
 魂はなんと、贄として用意した三匹の犬に吸い込まれるようにして消えた。
 現将軍の縁を利用したのが裏目に出たか――だが、後悔しても遅い。
 いや、それよりこの肩の激痛――。
「棒手裏剣だと」
 ということは、濡れ縁の方が騒がしくなった。頻りに呻くような声が聞こえてくる。
「この儀式、幕閣に、堀田に露見していたか」
 登照は歯の間から息を吐いた。
 そんな彼の前に三人の忍者が現れ素早く犬を抱えた。縄は忍刀(しのびがたな)で断ち切る。
「おのれ、戦国の亡霊め」「貴様こそ、平安の異物め」
 登照の罵声に、忍者のひとりから怒声が帰ってきた。転瞬、忍者たちは闇へと消えた。
 とにかく終わりだ。ことが堀田に露見したとなれば儀式など二度と叶うはずもない。というより、こののちも命があるかもおおいに危うかった。
「やはり、手を出してはならぬ依頼であったか」
 登照は苦渋の声を吐いてその場に立ち尽くす。夜気が常より妙に寒く感じられた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜

旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】 文化文政の江戸・深川。 人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。 暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。 家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、 「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。 常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!? 変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。 鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋…… その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。 涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。 これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

処理中です...