2 / 56
2
しおりを挟む
二
貞享四年旧暦の一月も終わりが近いある日、寒さの峠こそ越えたもののそれでも江戸は寒かった。ゆっくりと寒気が肌に染み込んでくるようだ。
けれども、両国広小路は今日も賑わいを見せている。茶屋、そば屋、甘酒売りなどの屋台、猿まわし、居合い抜きといった大道芸、手品や軽業、玉乗りなどの見世物小屋が客を呼び、商売人、芸人と客とのやり取りがうるさいくらいの喧噪を生んでいた。
その一角に、土御門光脩(つちみかどみつなが)は台を置き床机椅子に腰かけて客を待っている。水干姿に総髪という身なりは周囲からは浮いていた。ちなみに、台の向こう側には「女人禁制」の四文字が記された紙が張り出してある。
「あー」なんで人がこれだけいて、幽霊、妖(あやかし)の数は限られてるんだよ――光脩は筮竹をもてあそびながら物憂い表情を浮かべていた。実態は簡単だ。妖の減少は歴代の陰陽師、密教僧、修験者たちが狩りつづけた成果であり、幽霊は世が平和となったおかげで悪霊になるほどの恨みを残して死ぬ者が圧倒的に減ったからだ。
俺は生まれるのが六百年以上遅かった――通行人に声をかけるでもなく光脩は筮竹をなおもいじくる。眉間に皺が寄っているのが自分でもわかった。日々の食事にまでは事欠かないが、家賃は時に待ってもらうといった正確を光脩は送っている。大家に家賃の支払いの最大限下手に出て猶予を求めるときの惨めさったらない。
徳川五代将軍綱吉の治世。綱吉は俗に言う生類憐れみの令の件でとかく悪く言われる将軍だが、天和の知と呼ばれる善政をおこなっている。これは財政管理の体制を確立し、不正代官を一掃して、幕臣の官僚化を促進した。これは武家にしてみれば大転換だったのは疑いようがない。
もっとも、下々には関係のない話だがな――やさぐれた気分で、つらつらとどうでもいいことを考えていたせいで中身が自分に縁のなさすぎるものになり過ぎた。
そんな彼に声をかけてくる者が現れる。
「あの」「占ってほしいのか」
光脩は筮竹から視線を正面に転じて無愛想な声で応じる。仕事に取り込むことに気が進まない。
「だったら、向かいの床机椅子に座ってくれ」
それでも一応は仕事だ、と向かいに用意してある床机椅子を示した。客は中性的な顔立ちで光脩と同じで髪を総髪にしている、それに男にしてはかなり華奢な体格をしていた。にしてもあれだな、と光脩は思う。「なんだか、ようすがおかしくないか」と光脩は客について感じた。
貞享四年旧暦の一月も終わりが近いある日、寒さの峠こそ越えたもののそれでも江戸は寒かった。ゆっくりと寒気が肌に染み込んでくるようだ。
けれども、両国広小路は今日も賑わいを見せている。茶屋、そば屋、甘酒売りなどの屋台、猿まわし、居合い抜きといった大道芸、手品や軽業、玉乗りなどの見世物小屋が客を呼び、商売人、芸人と客とのやり取りがうるさいくらいの喧噪を生んでいた。
その一角に、土御門光脩(つちみかどみつなが)は台を置き床机椅子に腰かけて客を待っている。水干姿に総髪という身なりは周囲からは浮いていた。ちなみに、台の向こう側には「女人禁制」の四文字が記された紙が張り出してある。
「あー」なんで人がこれだけいて、幽霊、妖(あやかし)の数は限られてるんだよ――光脩は筮竹をもてあそびながら物憂い表情を浮かべていた。実態は簡単だ。妖の減少は歴代の陰陽師、密教僧、修験者たちが狩りつづけた成果であり、幽霊は世が平和となったおかげで悪霊になるほどの恨みを残して死ぬ者が圧倒的に減ったからだ。
俺は生まれるのが六百年以上遅かった――通行人に声をかけるでもなく光脩は筮竹をなおもいじくる。眉間に皺が寄っているのが自分でもわかった。日々の食事にまでは事欠かないが、家賃は時に待ってもらうといった正確を光脩は送っている。大家に家賃の支払いの最大限下手に出て猶予を求めるときの惨めさったらない。
徳川五代将軍綱吉の治世。綱吉は俗に言う生類憐れみの令の件でとかく悪く言われる将軍だが、天和の知と呼ばれる善政をおこなっている。これは財政管理の体制を確立し、不正代官を一掃して、幕臣の官僚化を促進した。これは武家にしてみれば大転換だったのは疑いようがない。
もっとも、下々には関係のない話だがな――やさぐれた気分で、つらつらとどうでもいいことを考えていたせいで中身が自分に縁のなさすぎるものになり過ぎた。
そんな彼に声をかけてくる者が現れる。
「あの」「占ってほしいのか」
光脩は筮竹から視線を正面に転じて無愛想な声で応じる。仕事に取り込むことに気が進まない。
「だったら、向かいの床机椅子に座ってくれ」
それでも一応は仕事だ、と向かいに用意してある床机椅子を示した。客は中性的な顔立ちで光脩と同じで髪を総髪にしている、それに男にしてはかなり華奢な体格をしていた。にしてもあれだな、と光脩は思う。「なんだか、ようすがおかしくないか」と光脩は客について感じた。
0
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜
旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】
文化文政の江戸・深川。
人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。
暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。
家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、
「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。
常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!?
変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。
鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋……
その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。
涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。
これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる