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チャプタ―13

君へ向かうシナリオ13

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 ファミレスの奥まった席に僕と従兄弟の雄大の姿があった。夕刻でまだ夕食までは時間があるせいで客の入りはまばらだ。
 お互いにドリンクバーのグラスを前にテーブルを挟んで向かい合っている。
「まず、基本的なことを確認する」
「うん」
「本気なんだな?」
「本気だよ」
 真剣な問いかけに返ってきたのは真っ直ぐなまなざしだった。
「死ぬほど努力する覚悟はあるのか」
「あるよ」
「理不尽なことが多いぞ、この職種は」
「それでもやりたいんだ」
 僕はデジャヴを覚えた。学生の頃に専門学校の先生とこんな話をした記憶がある。あの当時の、生徒を心配する講師の気持ちが理解できる。
「月に本は何冊読んでる」
「二十冊ぐらい。もちろんパソゲーをプレイしてるし、映画もドラマも観てる」
 聞いている限りにはクリエイターを目指すには模範的な人間だ。
「例えば、ライトノベル作家になるのは小説を千冊読む必要があるらしい。どれぐらい、本を読んだことがある?」
「それは」
 ここで初めて従兄弟は言葉に詰まった。だがすぐに、
「これから千冊を突破するまで読書するよ」
 と強い語気で断言する。
“千冊”にもひるまないか、と僕は頬が弛みそうになった。専門学校でこの数字を出すと、大抵の生徒が尻込みするのだ。正直、僕はそれを不満に思っていた。千冊といわず、二千冊、三千冊読んで見せるという気概を生徒には示して欲しかったのだ。
「もちろん、小説だけじゃない。様々な知識を求められるぞ。ファンタジーを書くなら、衣食住、風俗・風習、軍事、諸々の資料を読み込まなければならない」
「知識を溜め込むのは好きだから」
 迷いのない従兄弟の返答に、これは血筋かもしれないなあ、と自分のことも含めて思った。祖父、祖父の叔父、従兄弟、甥と母方は学者の家系だ。そんな家系の性癖が彼にもあらわれているかもしれない。
 それからクリエイターとしての適性を見るためにしばらくエンターテインメントの趣味嗜好についてしばらく尋ねた。
「それで、シナリオどうだった?」
 会話の間隙に従兄弟が質問をぶつけてきた。
 既に彼の今後を占うシナリオは受け取って目を通している。ライトノベル一冊分の分量があり、なおかつきちんと完結していた。目指したいという思いや、シナリオの書き方を勉強してきたという言葉に偽りがないのがそれで伝わってきた。
「そうだなあ、ライトノベルの新人賞なら二次選考通過ってところかな」
「そうかあ」
 従兄弟が如実にがっかりした顔をする。
 だが、二次選考といえばその作品を読んだ下読みが面白いという判断をつけたということであり大したものだった。もちろん、初めて書き上げた作品でデビューを飾る人間もいるが、完成した作品がそういう域にないなら諦めて努力するか、その道自体を諦めるしかない。
「落胆するほどのことじゃないと思うぞ」
 調子づかせない程度に従兄弟のことを励ます。叔父に仇敵のごとく見られるのは勘弁してほしいが、一定以上のやる気を見せる従兄弟に頑張ってほしい、という思いを抱いていた。
「実は俺、最初に書き上げた長編原稿は新人賞の一次通過で終わってるし」
「え、そうなの?」
 従兄弟は光明を見た、という顔をする。が、
「その次の次の作品で最終選考まで残ったけど」
 僕がつけ加えた言葉にふたたび落胆の表情を浮かべた。
「まあ、人の当落の話を聞いて落ち込む程度のメンタルしかないなら、クリエイターは目指さないほうが自分のためだけどな」
「いや、おれはそれでもやる」
 ふたたび気力をとりもどした男が腹に力のこもった声を漏らす。
「じゃあ、まずは叔父さん説得しないとな。一度、目指すことを明かした以上、賛成を取りつけないと反対の声がうるさいと創作に集中できないだろうし」
 こういうとき、専門学校のかつてのクラスメートや今教える生徒で、親の反対がまったくなく小説家やシナリオライターを目指しているという人間は羨ましいと思う。ふつう、こんなヤクザな商売を目指すことは反対されるだろうに。
「やっぱ、説得しないとダメかあ」
「まあ、自分で蒔いた種だ、刈り取りまで自分でやるしかない」
 そこは当人のやる気にかかっていると思い、僕はさほど協力するつもりはなかった。
「俺だって通った道だ、目指すなら頑張れ」
「嫌だなあ、創作に直接関係ないことでわずわらしいことするなんて」
「うっさい、お前のせいで親子喧嘩に巻き込まれた僕の身にもなれ」
「ああ、それは悪かったと思う。本当に悪かったと思う」
 抗議の言葉に従兄弟は本当に申し訳なさそうな顔をする。
 そこで僕は腕時計を見た。そろそろ時間だ。
「ほら、先に帰れ。グルになってると思われると困るからな」
 これから叔父に従兄弟の原稿を読んだ感想をつたえることになっていた。
「苦労をかけます」
 従兄弟が謝罪しながら席を立った。
 しばらく文庫本に目を通して時間を潰し僕もファミレスをあとにする。
 従兄弟との対面は叔父一家の住まいの近所を選んでいたから十分ほどで目的のマンションについた。
 エントランスでインターフォンに訪問をつたえる。
『よく来た』
 叔父は勝手に僕が百パーセントの味方と決めつけているらしく嬉しそうな声で応じた。
 エントランスの扉を抜けて、七階に向かう。
 エレベーターの中でひとつため息をついた。やはり、気が重い。自分で自分に嘘をつかないと決めたとはいえ場合によってはいい歳した大人が怒鳴られるのは憂鬱だ。
 エレベーターを降りて右手、709号室へと足を運んだ。
 呼び鈴を鳴らすと叔父の奥さんた出てきた。彼女は顔を合わせるなり、
「ごめんなさいね、巻き込んじゃって」
 と表情を曇らせて謝った。
「まあ、僕の影響も皆無とは言えないので仕方ないですよ」
 そうだ、止めてくれ、とは口にできずそんなことを告げる。
 奥さんに案内され、僕はリビングに向かった。
 幾度か来たことがあるそこに、叔父と従兄弟が顔を揃えていた。L字型のソファの両端に腰かけている。僕はローテーブルを挟んで対面にある椅子に腰かけた。
 奥さんが紅茶と茶菓子をテーブルに用意し、彼女が男ふたりの間に腰を下ろしたところで話が始まった。
「原稿は読んでくれたんだな」
「はい」
 念のための確認に、僕はうなずいた。いや、保身に走って従兄弟のことを最初から否定する気なら原稿には目を通さず適当なことを言う選択肢もあったか。
 半拍ほど叔父が間を置き、
「どうだった」
 と険しい表情で尋ねる。
「あの作品からすると、才能はないとは言えませんね」
 嘘をつかずに正確に事実を伝えるための言葉を選んだ。
「どういうところが」
「構成のよさ、コメディータッチな内容といったところです」
 否定の言葉が欲しい叔父の粗探しには協力しない。
「だが、そういう者は他にもたくさんいるんだろう?」
「そうですね、野球に例えると甲子園大会決勝に参加した選手は、ひとりきりではないですよね。決勝出場の人数を多いとみるか少ないと見るかはその人次第です」
 僕の言葉に叔父の表情がいよいよ険しくなっていた。
「それで結局のところ、なれるのかなれないのか」
「それは誰にも分かりませんよ。やってみないと」
 叔父のこちらを見る目が殺人的になってきた。
「だが、そんな可能性に人生をかけるのはリスクが高すぎるだろう」
「それは僕じゃなくて、叔父さんや雄大の考え方です」
 なんとか強力な駒を仲間に引き込もうとする叔父、僕はノーを叩きつける。敵にまわしたくはないが、いいように使われるつもりもない。大体、その“リスクが高すぎる”職種についた身で、「人生を考えたら安全が一番」などとおいうせりふは口にできたものではないはずだ。
「僕に言えるには、雄大の作品が目も当てられないような出来ではなかった、ということです」
 むう、と叔父がこちらの言葉に唸る。
「巽くん、お茶をどうぞ」
 頃合いを見て奥さんが声を割り込ませた。
「はい、遠慮なく」
 紅茶のカップを手に取り口に運ぶ。ダージリンの香りに、静かに昂ぶっていた神経が和らぐのを感じた。
「巽くん、どう仕事のほうは?」
「まあ、順調ですかねえ」
「そういえば、恋人はいたのかしら」
「最近、それらしい人ができました」
「まあ、それはいいわね」
 奥さんとの会話で先ほどまでの刺々しい空気が希釈されていく。
 結局、その後は奥さんとの世間話に、叔父と僕の会話の間は黙っていた従兄妹が口を挟むという形になり再び、従兄弟の進路の是非の会話にはならなかった。
 夕食までいて、栄養士の資格を持つ奥さんの手料理を食べて帰宅した。
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