銀の月

紅花翁草

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外伝 アルカ・シーノ

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 水の都市『リエムリム』の市長室で、アルカ・シーノは妹の帰りを待ちわびていた。
「市長!船は定刻通りに帰ってきてますから、仕事に専念してください。」
「判ってはいるんだ。だけど、だめなんだ。妹が危ない目にあったんだぞ。無事だと判っていても、目の前で確かめなければ、不安なんだよ。」
「はいはい、そうですね。わたくしも、そんな貴方の事を判っていますから。ですから、エリオナ様が戻るまでに、今日の業務を終わらせてください。と言っているのですよ。終わらなければ、会わせませんから。」
「あぁああ。もう・・・セシリアはほんと優秀で感謝しているよ!」
 シーノは机の書類に向かって筆を下ろす。
「ありがとうございます。」
 秘書のセシリアは、同年で幼馴染で、俺が市長に立候補した時、
「アルカが市長なら、私が秘書で面倒みないとだめじゃない。」
 と、言って俺に拒否権は無かった。

 妹のエリオナは、『水竜アンリノエ』の『姫巫女』として任命された。それは今から3年前のエリオナが9歳の時だった。
 ほぼ20年周期で世代交代をする『姫巫女』は、20代の巫女から選ばれるのが常で、稀に17・18くらいの若い巫女が選ばれたりもしていた。だけど、9歳の子供が『姫巫女』に任命されるなんてことは、一度も無い異例中の異例。
 『リエムリム』だけの問題では、収まらない出来事になっていた。
 だけど、『水竜アンリノエ』に異見を述べる事など、誰にも出来ず、当時の議員達は、オルトリアスの光の司祭と月の王妃に相談し、金竜と銀竜に説得を頼み込んだが叶わず、俺の妹は、周囲の重圧と妬みを受けながら『姫巫女』になる。
 そんな妹を、助けない兄など、兄ではない!『俺は命を懸けて妹を守る!』と誓い、実際に命を差し出して、精獣と契約し、傍で妹を守れる地位の市長になった。
 契約者の絶対的な権力を使って、俺は市長の椅子を奪い取った。のが正解なので、
 それはもう、兄弟揃って、妬みの対象になったのは必然だったが、俺にとっては何も問題なかった。
 『セシリアが秘書!』
 これさえ、無ければ・・・

「セシリア!書類は全て見終わったぞ。次は何だ!」
「次は、王都からご帰還される方々に向けた声明文を暗記してもらいます。」
 俺は言葉使いがあまり良くないので、公の発言は全て、セシリアが作ってくれている。
 まあ、これに関しては有難く思っている。俺への市民からの好感度上昇にも成っているからな。だけど、やっぱり面倒なのは面倒なので、
「そんな事案、今まで無かったじゃないか。」
 と、文句が出てしまう。セシリアが決めた事じゃない事案だと判っていても。
「今回のオルトリアス事件の一連に、多大な貢献を残した者達に、市長が何も示さないのは駄目だと、私が判断しましたので、議員委員長に申し出をしました。」
「おまえなのかよ!!!」
 唐突な発言に、俺は手に持っていたペンをセシリアに突き出す。
「市長・・・ペンを人に向けるのは、ダメだっていってるでしょうぉお!」
 セシリアの鉄槌が飛ぶ。
 大きな机を挟んで座っていた俺は、思いっきり壁に飛ばされている。
 文字通りの『鉄槌』を俺は食らっていたのだ。
 セシリアの魔術はもちろん水属性。しかし、水で出来た鉄鎚を強固!石のような強度まで上げる。
 そして、さらに強固!!強度は鋼に匹敵する。
 が!そこでやめないのがセシリア。
 ダメ押しの強固?!!で、強度は金剛石(ダイアモンド)と同じになる。
 無色透明のハンマーは、見た目通りの『ダイアモンドハンマー』
 一瞬で、空気中の水分から『ダイアモンドハンマー』を作る魔術は超高度な術で、セシリア以外で出来るのは、『姫巫女』を妹に譲ったヘスメル様しか、俺は知らなかった。

 おもいっきり、壁にぶつかった俺は、『フラフラとよろけて壁に当たった男が、何事も無かったように姿勢を正して立ち直す』と、同じような行動で椅子に座り直す。
「すみません、そのとおりです。えっと、作ってくれた声明文書を。」
 俺は素直に謝り、差し出された紙に目を通す。

 普通の人間なら、最低でも全身骨折。悪ければ即死する攻撃を俺は平然と受ける事が出来る。
 精獣との契約で、俺が望んだのは妹をずっと見守る力だった。具体的な事を考えていなかったので、契約した精獣『リノス』に相談した結果、『どんな物理攻撃も魔法も効かない盾のような男』って事になり、皮膚一枚、膜のような防御壁を、全身に纏う恩恵を授かった。
 なので、セシリアの全力の攻撃で飛ばされても、ハンマーに押し出されただけで、痛みはまったく無く、本当によろけただけでになる。

「15分・・・いや20分で覚える。」
「それでは、お茶の準備をしてきますね。今日のお茶とお菓子は何が宜しいですか?」
「ん~。カフィルと甘いクッキーを頼めるかな。」
「判りました。少しお待ち下さい。」
 笑顔を見せたセシリアに、俺はいつも、ときめいてしまう。
 市長になる前は、俺と妹と3人で楽しく過ごしていて、彼女の笑顔が、俺は妹の次に大好きだった。
 秘書になってからは、口調や立ち振る舞いが何故か、秘書のそれになっている。
 まあ、主人に『ダイヤモンドハンマー』を全力で打ち当てる秘書なんていないだろうが。
 でも、さっきみたいに時々、優しい笑顔の素に戻る。
 俺は幼馴染の頃と同じようにして欲しいと頼んだが、
「市長としての品位を身に着けて欲しいから、駄目。秘書としてわたしは手伝うのよ。」だと言われた。
 その結果が『ダイヤモンドハンマー』なのは、どうなのだろうか・・・
「なあ、リノス。ずっと悩んでいるんだが、セシリアは俺の事が好きじゃないのか?」
「また、その話ぃ?直接聞けばいいって何度も言ってるでしょ。」
 青いふわふわの、ウサギのような精獣『リノス』は、部屋にある観葉樹の枝にいつも座っている。
 座り心地がいい観葉樹をリノスと選び、市長室に置いた、リノス専用の椅子だ。
「それが出来ないから、悩んでいるんだろ。」
「妹の事になると、見境なく突っ走るくせに。」
 胸が痛い言葉だった。
「まあ、それはそれだ。悪い事ばかり起こしてないだろ。ほら、リノスと契約出来たのは良い事だろ。」
「まあ、良いか悪いかは分からないけど、私は楽しいからいいけど。」
 俺と契約した精獣は「妹への愛情を熱弁した姿に笑ったから。」と言って、俺を選んでくれた。
 だから俺は、リノスの要望にも出来るだけ応えている。
 といっても、海に潜って海中散歩がほとんどだったが。

 扉が開いてセシリアがワゴンを持って帰ってきた。
「覚えましたか?少し休憩に致しましょう。」
 秘書の顔に戻っているセシリアに、俺は昔と変わらない態度で接している。
「ああ、大体覚えた。・・・」
 自分でも言葉が足りないと自覚しているが、いつも、次の言葉を出すことが出来ない。
 カフィルの独特の苦味のお茶で目を覚まし、甘いクッキーで気持ちの疲労を取る。特に頭を使う時には、好んでする休憩だ。
「そうだ。『炎竜姫ミリア』の生誕祭に妹と一緒に行こうと思う。もちろんセシリアも一緒に来てくれるよな。」
「秘書ですので、ご同行するのは当然ですが?なぜ強調されるのですか?」
「あぁっうん。久しぶりの旅行みたいなものだし、3人で一緒に行きたいと、今思ったんだ。それと・・・」
「なんですか?」
 セシリアの真っ直ぐに見つめる目から、俺は目を外し、
「今回の船旅に行った者達に、功績を称えて休暇を与えようと思うのだ。なので、妹とその護衛者達には、生誕祭の後『バレン』の温泉とか、どうかとな・・・」
「いいですね。皆さん喜ばれると思います。」
 俺は意気揚々とセシリアの賛同に喜びを表している。
「だろ!だから、セシリアも俺と一緒に、休暇を楽しまないか?」
「なぜ、市長が休暇を取る話になっているのですか?」
 セシリアの視線が痛い。
「ほら、妹の護衛者達を休暇にしたら、妹の休暇中は俺とセシリアで護衛するって事で・・・」
 少しの沈黙が流れる。
「判りました。そういう話なら問題ありませんね。議長にも承諾を得られるでしょう。」
 よっしゃーーーーー!!

「それでは、その申請書を今から作りますから、市長は暗記の方をお願いします。」
「ああ!任せておけ。いつも通り、完璧に覚えるからな。」

 俺は気分上々で、妹のエリオナを向かえに港にセシリアと向かっている。
「市長、いいですか。いつもの確認ですよ。」
 俺はいつもの合言葉を隣を歩くセシリアに小声で答える。
「叫ばない。抱きつかない。デレデレしない。」
 市長として『姫巫女』会う時の約束。
 
 純白の帆を連ねる壮大な帆船『エルディアニス』は、すでに目の前に悠然と停泊している。
 船から一番に下りてくるのは、もちろん『姫巫女』。
 俺は、愛おしさと安堵の笑みで『姫巫女』を見ていた。
「市長、口を閉めてください。」

 俺は妹の為だけに、市長になった。妹の笑顔を見るのが、俺の生き甲斐だ。
 その次は、もちろんセシリアの笑顔を見る事だ。
 それ以外は、どうでもいいと、本気で思っている。
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