【太平洋戦争海軍BL】やがて藍になる

中村梅雨(ナカムラツユ)

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前編

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 あの作戦から三日がたった日の夜、九条は敵編隊が接近中との報告を受け、急きょ迎撃体制を敷くため自室のデスクに戦術マップを広げていた。偵察結果によると、襲来は翌朝。次編隊の進行ルート、敵の予測進路、気流と天候の変化。それらすべてを数値に落とし込み、参謀の意見も採り入れつつ最も合理的な配置を探っているつもりだった。だがどんなに策定を繰り返しても、どうにも違和感が残った。
 九条は椅子の背もたれに体を預けて、しばし目を閉じた。瞼裏に浮かぶのは、やはり先の戦闘である。
 命令を無視した無謀な動き。だが確かに、あの無謀な機動によって戦局は動いた。そして何より、あの男は現場を完璧に読んでいた。それを思い返すたび、あの時見て見ぬふりをした気持ちが、今更になって九条の胸に燻っていた。
 あの飛び姿を、素直にーー美しい、と思ってしまった自分がいたのだ。
 九条だって約八年前、二十歳で兵学校を出たばかりの頃には飛行機に乗っていた。パイロットとしての才能も、ない方ではなかったと思う。だが、現場であそこまでの戦況把握ができるだろうか。できたところで、あんなふうに飛べるだろうか。
――羨ましい。
 そんな幼稚な感情が、胸の底にチリ、と燃える。戦闘機乗りという特殊な仕事に必要なものは多く、それは勇気や闘魂だのとそんな単純なものだけではない。空の上で機体が制御不能になるその限界に挑戦しながら、なお己を信じて生きて帰ること。それを涼しい顔でやってのけ、部下に慕われるあの男。
 マップを掴む指先に、ぐっと力が入る。
 それに比べ、戦術マップを前にした今の自分はどうだろう。いくら計算を重ねても、現場でそれが機能しなければ、一人の天才の機転に守られるような作戦では――。これでは、ただ数字だけを並べた空論と変わらない。
 机上の空論――それは、何より嫌っていた言葉のはずだった。命を扱う指揮官が、それでいいはずがない。
 ならば、必要なのではないか。誰よりも現場を知り、誰よりも生きて帰ってきた男の視点が。自分にないものを持っている人間の声が。
 ――だから、これはあくまで合理的な判断だ。
 そう言い聞かせながら、卓上の電話機に手を伸ばす。その指先は冷たく汗ばんでいた。九条は少し躊躇ったあと、素早く手元の受話器を取った。やや早口で、通信士に指示を飛ばす。
「成瀬中尉を呼べ。作戦案について、意見を聞く」
 九条は受話器を戻すと机上で手を組み、その甲に額を埋めた。
 そして扉の向こうにあの男の足音が聞こえた瞬間、胸の奥がざわめいた。そうしているうちに足音がピタリと止まり、戸が二度、叩かれる音がした。
「……入れ」
 扉が開き現れた成瀬が、入り口を屈むように潜り抜ける。そのたった一歩で、部屋が狭くなるような男だ。
「大尉殿、なんの御用でしょう」
 成瀬は扉の前に立ったまま、怪訝な顔つきで九条をじっと見つめている。
「次の作戦についての意見を」
「俺がですか?」
 成瀬はその言葉に眉をひそめた。九条はその目をまっすぐに見つめ返し、小さく息を吸い込んだ。
「ああ。成瀬中尉、貴様の意見が聞きたい」
 鼓動が速い。無意識に脈拍を数えるその間、何秒間目が合っていたのかわからない。成瀬は一瞬目を見開いた。そしてようやく足を踏み出し、一歩ずつこちらに歩み寄ってきた。
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