【太平洋戦争海軍BL】やがて藍になる

中村梅雨(ナカムラツユ)

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前編

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 見下ろされた瞬間、妙な威圧感が九条を襲った。
「では、失礼します」
 成瀬は手袋を外してマップの上に手を置き、九条の策定した作戦に素早く目を通し始める。その時間、九条はひどく緊張していた。ただマップの上を忙しなく動き回る大きな小麦色の指先を、落ち着かない気持ちで見つめていた。しばらくしたのち、成瀬の視線と手の動きが止まる。ゆっくりと九条を見下ろし、口を開いた。
「……悪くはないですが。でも敵の動きを少し読み違えてます。多分、これだと間に合わない」
 成瀬は淡々とした口調でそう言った。その瞬間、顔がわずかに熱を帯びた気がした。自分で呼び付けておきながら、癪に触ったのだ。九条は戦術マップに目を落として、静かに反論した。
「……敵を迎え撃つ前に、こちらに優位な位置を確保するためのフォーメーションだ」
「だから、それが間に合わないかもしれない。たぶん大尉の想定より、敵はずっと早い。あの回り込み方、見たでしょう?」
 成瀬は一切の動揺も見せず、再びマップに視線を落とし、その一点を指した。
「この前の戦闘を見ていて思いましたが、敵は想像以上に動きを分析した上で、予測して動いてます。この前の動きをなぞったら、また読まれて終わりです」
 成瀬の言葉は理路整然としていて、腹立たしいほどに筋が通っている。九条は無言で作戦マップを見下ろしたまま、指先に力を込めた。
 確かに、前回の戦闘でもこちらは戦力において劣っていたわけではなかった。それでも、成瀬はあの場で「この陣形では勝てない」と判断したのだ。そして実際、あの無謀な奇襲で、戦局は動いた。成瀬は気づいていたのだ。敵にこちらの動きが読まれていることを。九条が感じていた違和感の正体を、この男はとっくに掴んでいたのだ。思わず唇の内側を噛む。
「……なら、どうしろと言う」
「迎撃ポイントを変更した方がいいと思います。この地点ではなく、ここ……」
 成瀬の指がマップをなぞり、その先のある一点をトントンと叩いた。
「敵の進行ルートを逆手に取って、先に待ち伏せる形にした方が確実です」
 九条はマップの上のその地点を見つめる。確かに理論上は成瀬の言うことに一理あった。だが、それは「成功すれば」の話だ。敵が本当にそのルートを通るかの保証などない。
「迎撃地点を敵が通らなかったらどうする」
「そのときは、俺が先行して奴らをあのルートへ誘導します。前にやった手を、もう一度使える」
 成瀬は淡々と言った。大言壮語ではない。ただ、現場で培った読みと、自分の勘を信じている男の声だった。それでも、そんなことをなんでもないように言い放ててしまうその豪胆さは、やはり一筋縄に理解できるものではなかった。九条は沈黙したまま、マップを見つめた。
 ーーやれるのか。この男なら。
 指揮官として、こんな賭けのような作戦に出ていいのかと言われれば、それは褒められたものではないだろう。それでも直感的に、この男の言葉には信じる価値があるような、そんな気がしてしまった。いや、信じてみたいと、そう思ってしまったのかもしれない。九条はゆっくり視線を上げ、ごくりと唾を飲み込んだ。
「……分かった」
 そう言った時、成瀬がわずかに息を飲むのがわかった。
「迎撃地点を変更しよう。ただし、条件付きだ」
「条件?」
 成瀬の目を真っ直ぐ見つめ返しながら、マップの上に手を置き、続ける。
「お前の言う地点に、第二中隊を前進配置する。偵察機と連携させ、敵の接近を確認した時点で待ち伏せを行う。その後方に、貴様ら第一中隊を待機させる。柔軟に対応できるよう即応体制を維持したまま、控えろ」
 そう言って成瀬を見上げると、成瀬は僅かに目を見開いた。
「……大尉」
「気に入らないなら言え」
「いえ……異論ありません。ただ、大尉が本当に俺の意見を取り入れるなど思わなかったので。ありがとうございます」
 九条は成瀬を一瞥した。成瀬が本当に面食らったような顔をしていたので思わず苦笑しそうになったが、すぐに表情を引き締める。軽く息を吐き、あくまでも淡々と言った。
「礼はいらん。……使えるものを、合理的に使っているだけだ」
「それでも嬉しいのです。指揮官からこのように意見を求められるなんて、初めてのことです」
 成瀬はそう言って目元を緩めた。眼裂の長い一重瞼が、ふっと細くなる。普段睨みつけるような冷たい目しか見慣れていない顔が、ふいに柔らかく崩れた。
 笑った。そう思った。
 ただそれだけのことなのに、薄暗いランプだけに照らされた部屋がパッと明るくなったような、そんな錯覚に陥った。
 九条は振り切るように目を逸らすと、努めて淡々と言った。
「そう思うなら、次からはあんな不要な無茶はやめろ」
「それは……どうでしょう」
 成瀬は悪びれる様子もなく、肩をすくめた。挑発ではない。ただ、あくまで己の信念に基づいているという顔だった。その表情が、妙に気に触った。九条は思わず机に両手をついて、身を乗り出した。
「本気で言っているのだぞ。そんなことを続けていたら、いつか無駄に命を落とすことになるぞ」
 口にしてみて、少し後悔した。指揮官として当然の忠告だったはずなのに、何か、余計なものまで含んでしまった気がした。おそらく先程とは違う理由で、顔から首にかけてが再び熱を持つ。しかしそんな九条をよそに、成瀬は真顔のまま静かに問い返す。
「俺が死んだら困ります?」
 くだらない問いだった。上官として、戦力を失えば当然困る。それだけのはずなのに、咄嗟にそうだと言い切れなかった。どうしてこうも調子が狂うのだろうか。
「……くだらんことを聞くな」
 九条はため息混じりにそう答えた。成瀬は少しの間九条を見つめていたが、やがて目線を外し、口元を緩ませた。
「まあ、俺は死にませんが」
 そう言うと成瀬は 僅かに笑って、彼にしては珍しく軍規通りの綺麗な敬礼をして部屋を出て行った。九条はその背中を見送りながら、指先が無意識に強張っていることに気づいた。
 ーー全く、それがどれほど無責任な言葉か、あの男は分かっているのか。
 それでもその無根拠な自信に、少しだけ安堵している自分に腹が立った。















「おいおい、誰の入れ知恵だ?」
 作戦前のブリーフィングが終わり部屋を出ようとしたその時、背後から揶揄うような声が飛んできた。振り返るまでもなく、声の主は明白だ。
「部下に意見を求めただけだ」
 九条が淡々と返すと、佐伯は例の如くにやつきながら歩調を合わせてきた。
「おかげで俺ら第二中隊は、最前線でお出迎えだ。ありがたく思えよ」
「……それを考えたのは俺だ。前進配置はお前の得意分野だろう」
 九条がそう返すと、佐伯は口笛でも吹くように唇を鳴らして肩をすくめた。
「指揮官殿に腕を買われているとは、精を出さんとな。それにしても、うちのエースに意見を聞くとはお目が高い」
「黙れ」
 九条は吐き捨てるようにそう言うと、歩を早めた。探るようなその物言いに、まったくため息が出てしまう。
「判断したのは指揮官だ。あまり茶化すな」
「はいはい。まあ、うちの子たちはちゃんと動かすよ。無駄死にさせる気は、さらさらないんでな」
 肩を揺らしながら笑う佐伯に、九条は目を細めた。全く、掴みどころのない男であるが、軽口の裏にある責任感の強さは士官学校時代から変わらない。
「頼む」
 それだけ言って、佐伯と別れた。戦場で最後に拠り所になるのは、信頼だけだ。
 作戦が動き出す。あとは、結果がすべてだ。

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