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前編
第十一話
しおりを挟むそれから暫くは不快な好奇の目に晒されながら寮生活を送っていたけれど、一月もすると以前と同じ平和な生活が戻ってきた。元々そうだ。オメガに好奇の目が向けられるのは、なぜか学校中に知られているヒートの周期の前後だけで、それ以外はただの目立たない学生のうちの一人に過ぎない。
アーサーも拍子抜けするほどすっかり普段通りに戻ってしまって、点呼の時も、何度か講義の助手に来た時も、ほとんど視線さえ合わなかった。それはなんとなく面白くなかった。
そして次のヒートが来る頃には、風はすっかり冷たくなっていた。
十二月。もうすぐ前期の期末試験が始まる。三ヶ月に一回、規則正しいリースのヒートは、どうも中学の頃から試験期間に被ることが多かった。薬を飲んでいれば完全に発情してしまうことはないけれど、ただでさえ試験勉強で息が詰まっているという時にぞわぞわと肌に張り付く気配は、リースをどうしても苛立たせた。
それでも、学業を疎かにするわけにはいかない。戦艦クラスの最前線で指揮を執るには、学生時代の成績も重要だ。リースがオメガなら尚更だった。
気がかりなのはそれだけではない。成績上位の者が選抜される、年末恒例の艦隊演習--通称『クリスマス演習』の存在も、ちらついている。
二年生以上の学生から選抜され寮対抗形式で行われるその演習は、艦隊志望にとって最初の実戦に近い場とされている。体力も精神力も削られるものの、最終日にある華やかなパーティーの存在も相まって、多くの学生にとっては憧れの行事であった。
「どうしたんだよ、ぼーっとして」
その声にふと目を上げると、目の前でノートに目を通していたジュリアンが、怪訝な顔でこちらを見ていた。
「別に、ちょっと疲れただけ」
試験前のセント・エルモ寮談話室は騒がしい。休憩しながら雑談しているだけの者もいれば、教科書を見ながら真剣な顔をして小声で話し合っている者たちもいた。名目上ここでの勉強は禁止だが、一人でペンを走らせでもしていない限り、試験前の情報交換と談話の境界など曖昧すぎて誰にも分からない。
去年は自室で黙々と勉強していたリースだったが、ジュリアンが一年で大きく成績を上げて転寮してきてきたために、今年はこうして級友と一緒に机に向かう時間もできた。
「やっぱりセント・エルモの学生は意識が高くていいね。ドレイクだと、試験前でも遊んでる奴らばかりだったよ」
ジュリアンが去年いたドレイク寮は、座学というよりはどちらかといえば実技を得意としている学生の集まる寮だ。進路も指揮官というよりは、パイロットや整備班が多いと聞いている。
ジュリアンは入学試験前日に当時付き合っていた恋人に振られ、傷心のままに酷い点数を取り、一年間をその寮で過ごしすことになってしまったらしい。この男は、どうも色恋に色々なことを左右されるところがあるようだ。
「休暇が待ち遠しいなー。早く彼女にも会いたいし、コナンドイルの新作も……。リースは何するの?」
今の会話で集中が切れたのか、ジュリアンが大きく伸びをした。
「普通に家族で過ごすけど。その前にクリスマス演習、君は行かないのか?」
「うーん、あれ、めちゃくちゃきついんだろ?正直艦隊志望でもないし、どうしようかな」
今回の期末試験の成績次第で選抜されるかどうかが決まるのだが、どうやらこの男は自分が選抜されることには疑いを持っていないらしい。よっぽど今の彼女と上手くいっているのだろう。
リースはひとつ溜息をつき、ノートに目を落とした。
学業に、進路に--ヒート。全部を天秤にかけながら――それでも、進まなければならない。
「まあ、リースが選抜されて、演習で派手に活躍して。アーサー・ケインがその隣に立ってるのは、見てみたいね」
ジュリアンが、いつもの調子でペンをくるくると回しながらからかってくる。
リースは彼にも、アーサーとのことは詳しく話していない。ジュリアンのほうも、そうしたことは無理に詮索してこなかった。彼の性格なら気になって仕方ないだろうに、きっとよっぽどリースがうんざりした顔をしていたのだろう。アーサーの話をこうしてたまに軽口でつついてくることはあっても、制度やバースに関わること――とりわけヒートや処理の詳しい話については、決して触れようとしない。
気を遣っているのか、あるいはベータとして、どこか線を引いているのかもしれない。多少の申し訳なさは感じつつも、だからといって進んで話す気にもなれなかった。
「何の話だよ」
「ごめんって」
ため息混じりにそう言ったものの、その名前が出たことによって、ある紙の存在が頭に蘇る。いつもより僅かに少なく感じる申請書の束の中に届いた、薄いピンク色の紙。それは更新依頼書だった。差出人はもちろん、アーサー・ケインである。
あの物言いからして届くとは思っていたけれど、いざ受け取った時は動揺した。そしてリースはその紙切れを受け取ってからの一週間、ずっと自室の引き出しの中にしまっていた。
それを取り出そうとするたび、エドワードとの会話が頭をよぎる。あの鋭い視線に見つめられている気がして、慌てて引き出しの奥へと戻す。そんなことを、今週一体何回繰り返しただろうか。
そうやってのらりくらりと躱しながらギリギリまで考えないようにしようと思っていたのに、今朝、ついに点呼の時に言われてしまった。
ヒートの気配がするから、早く更新しろ、と、耳元で。
考えるだけで気が滅入る。ひとつため息をついて、視線をノートに落とした。
再び勉強に戻ってしばらくした時、突然ジュリアンが耳元に口を寄せてきた。何事かと思って耳を傾けると、ジュリアンが興奮したような小声で囁いた。
「おい、あれ、寮長じゃないか」
顔を上げると、アーサー・ケインを筆頭に、数人の四年生が入ってくるのが見えた。中にはエドワードの姿もある。リースは思わず顔を伏せた。
「おい、あんまりジロジロ見るな。気付かれる」
「なんで気付かれちゃダメなんだよ。パートナーだろ?」
「更新してない」
そう言うとジュリアンは目を僅かに見開き、顔を伏せた。リースはノートを見つめながら、息が荒くなるのを感じた。
--ヒート?なんで。まだ、いつもの周期からしたら、あと数日……。
それに、薬は以前にも増してしっかり飲んでいる。それなのに、どうしてこんなあからさまな発情が?
--まさか、アーサーの姿を見たから?
そうであるなら、あまりにも腹立たしいことだ。きっとストレスで数日ずれてしまっただけだ、そうに違いない。そう言い聞かせながら、なんとか深呼吸を繰り返す。
「大丈夫か?」
それでも、心配そうな表情を浮かべているジュリアンの輪郭さえ、ぼんやりと滲み始めた。これは本当にダメかもしれない。
「……ちょっと、失礼」
リースはそう言って立ち上がり、アーサーたちの視界に入らないようにトイレに向かった。
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