12 / 42
前編
第十一話
しおりを挟むそれから暫くは不快な好奇の目に晒されながら寮生活を送っていたけれど、一月もすると以前と同じ平和な生活が戻ってきた。元々そうだ。オメガに好奇の目が向けられるのは、なぜか学校中に知られているヒートの周期の前後だけで、それ以外はただの目立たない学生のうちの一人に過ぎない。
アーサーも拍子抜けするほどすっかり普段通りに戻ってしまって、点呼の時も、何度か講義の助手に来た時も、ほとんど視線さえ合わなかった。それはなんとなく面白くなかった。
そして次のヒートが来る頃には、風はすっかり冷たくなっていた。
十二月。もうすぐ前期の期末試験が始まる。三ヶ月に一回、規則正しいリースのヒートは、どうも中学の頃から試験期間に被ることが多かった。薬を飲んでいれば完全に発情してしまうことはないけれど、ただでさえ試験勉強で息が詰まっているという時にぞわぞわと肌に張り付く気配は、リースをどうしても苛立たせた。
それでも、学業を疎かにするわけにはいかない。戦艦クラスの最前線で指揮を執るには、学生時代の成績も重要だ。リースがオメガなら尚更だった。
気がかりなのはそれだけではない。成績上位の者が選抜される、年末恒例の艦隊演習--通称『クリスマス演習』の存在も、ちらついている。
二年生以上の学生から選抜され寮対抗形式で行われるその演習は、艦隊志望にとって最初の実戦に近い場とされている。体力も精神力も削られるものの、最終日にある華やかなパーティーの存在も相まって、多くの学生にとっては憧れの行事であった。
「どうしたんだよ、ぼーっとして」
その声にふと目を上げると、目の前でノートに目を通していたジュリアンが、怪訝な顔でこちらを見ていた。
「別に、ちょっと疲れただけ」
試験前のセント・エルモ寮談話室は騒がしい。休憩しながら雑談しているだけの者もいれば、教科書を見ながら真剣な顔をして小声で話し合っている者たちもいた。名目上ここでの勉強は禁止だが、一人でペンを走らせでもしていない限り、試験前の情報交換と談話の境界など曖昧すぎて誰にも分からない。
去年は自室で黙々と勉強していたリースだったが、ジュリアンが一年で大きく成績を上げて転寮してきてきたために、今年はこうして級友と一緒に机に向かう時間もできた。
「やっぱりセント・エルモの学生は意識が高くていいね。ドレイクだと、試験前でも遊んでる奴らばかりだったよ」
ジュリアンが去年いたドレイク寮は、座学というよりはどちらかといえば実技を得意としている学生の集まる寮だ。進路も指揮官というよりは、パイロットや整備班が多いと聞いている。
ジュリアンは入学試験前日に当時付き合っていた恋人に振られ、傷心のままに酷い点数を取り、一年間をその寮で過ごしすことになってしまったらしい。この男は、どうも色恋に色々なことを左右されるところがあるようだ。
「休暇が待ち遠しいなー。早く彼女にも会いたいし、コナンドイルの新作も……。リースは何するの?」
今の会話で集中が切れたのか、ジュリアンが大きく伸びをした。
「普通に家族で過ごすけど。その前にクリスマス演習、君は行かないのか?」
「うーん、あれ、めちゃくちゃきついんだろ?正直艦隊志望でもないし、どうしようかな」
今回の期末試験の成績次第で選抜されるかどうかが決まるのだが、どうやらこの男は自分が選抜されることには疑いを持っていないらしい。よっぽど今の彼女と上手くいっているのだろう。
リースはひとつ溜息をつき、ノートに目を落とした。
学業に、進路に--ヒート。全部を天秤にかけながら――それでも、進まなければならない。
「まあ、リースが選抜されて、演習で派手に活躍して。アーサー・ケインがその隣に立ってるのは、見てみたいね」
ジュリアンが、いつもの調子でペンをくるくると回しながらからかってくる。
リースは彼にも、アーサーとのことは詳しく話していない。ジュリアンのほうも、そうしたことは無理に詮索してこなかった。彼の性格なら気になって仕方ないだろうに、きっとよっぽどリースがうんざりした顔をしていたのだろう。アーサーの話をこうしてたまに軽口でつついてくることはあっても、制度やバースに関わること――とりわけヒートや処理の詳しい話については、決して触れようとしない。
気を遣っているのか、あるいはベータとして、どこか線を引いているのかもしれない。多少の申し訳なさは感じつつも、だからといって進んで話す気にもなれなかった。
「何の話だよ」
「ごめんって」
ため息混じりにそう言ったものの、その名前が出たことによって、ある紙の存在が頭に蘇る。いつもより僅かに少なく感じる申請書の束の中に届いた、薄いピンク色の紙。それは更新依頼書だった。差出人はもちろん、アーサー・ケインである。
あの物言いからして届くとは思っていたけれど、いざ受け取った時は動揺した。そしてリースはその紙切れを受け取ってからの一週間、ずっと自室の引き出しの中にしまっていた。
それを取り出そうとするたび、エドワードとの会話が頭をよぎる。あの鋭い視線に見つめられている気がして、慌てて引き出しの奥へと戻す。そんなことを、今週一体何回繰り返しただろうか。
そうやってのらりくらりと躱しながらギリギリまで考えないようにしようと思っていたのに、今朝、ついに点呼の時に言われてしまった。
ヒートの気配がするから、早く更新しろ、と、耳元で。
考えるだけで気が滅入る。ひとつため息をついて、視線をノートに落とした。
再び勉強に戻ってしばらくした時、突然ジュリアンが耳元に口を寄せてきた。何事かと思って耳を傾けると、ジュリアンが興奮したような小声で囁いた。
「おい、あれ、寮長じゃないか」
顔を上げると、アーサー・ケインを筆頭に、数人の四年生が入ってくるのが見えた。中にはエドワードの姿もある。リースは思わず顔を伏せた。
「おい、あんまりジロジロ見るな。気付かれる」
「なんで気付かれちゃダメなんだよ。パートナーだろ?」
「更新してない」
そう言うとジュリアンは目を僅かに見開き、顔を伏せた。リースはノートを見つめながら、息が荒くなるのを感じた。
--ヒート?なんで。まだ、いつもの周期からしたら、あと数日……。
それに、薬は以前にも増してしっかり飲んでいる。それなのに、どうしてこんなあからさまな発情が?
--まさか、アーサーの姿を見たから?
そうであるなら、あまりにも腹立たしいことだ。きっとストレスで数日ずれてしまっただけだ、そうに違いない。そう言い聞かせながら、なんとか深呼吸を繰り返す。
「大丈夫か?」
それでも、心配そうな表情を浮かべているジュリアンの輪郭さえ、ぼんやりと滲み始めた。これは本当にダメかもしれない。
「……ちょっと、失礼」
リースはそう言って立ち上がり、アーサーたちの視界に入らないようにトイレに向かった。
149
あなたにおすすめの小説
転化オメガの優等生はアルファの頂点に組み敷かれる
さち喜
BL
優等生・聖利(ひじり)と校則破りの常習犯・來(らい)は、ともに優秀なアルファ。
ライバルとして競い合ってきたふたりは、高等部寮でルームメイトに。
來を意識してしまう聖利は、あるとき自分の身体に妙な変化を感じる。
すると、來が獣のように押し倒してきて……。
「その顔、煽ってんだろ? 俺を」
アルファからオメガに転化してしまった聖利と、過保護に執着する來の焦れ恋物語。
※性描写がありますので、苦手な方はご注意ください。
※2021年に他サイトで連載した作品です。ラストに番外編を加筆予定です。
☆登場人物☆
楠見野聖利(くすみのひじり)
高校一年、175センチ、黒髪の美少年アルファ。
中等部から学年トップの秀才。
來に好意があるが、叶わぬ気持ちだと諦めている。
ある日、バース性が転化しアルファからオメガになってしまう。
海瀬來(かいせらい)
高校一年、185センチ、端正な顔立ちのアルファ。
聖利のライバルで、身体能力は聖利より上。
海瀬グループの御曹司。さらに成績優秀なため、多少素行が悪くても教師も生徒も手出しできない。
聖利のオメガ転化を前にして自身を抑えきれず……。
【BL】『Ωである俺』に居場所をくれたのは、貴男が初めてのひとでした
圭琴子
BL
この世界は、αとβとΩで出来てる。
生まれながらにエリートのαや、人口の大多数を占める『普通』のβにはさして意識するほどの事でもないだろうけど、俺たちΩにとっては、この世界はけして優しくはなかった。
今日も寝坊した。二学期の初め、転校初日だったけど、ワクワクもドキドキも、期待に胸を膨らませる事もない。何故なら、高校三年生にして、もう七度目の転校だったから。
βの両親から生まれてしまったΩの一人息子の行く末を心配して、若かった父さんと母さんは、一つの罪を犯した。
小学校に入る時に義務付けられている血液検査日に、俺の血液と父さんの血液をすり替えるという罪を。
従って俺は戸籍上、β籍になっている。
あとは、一度吐(つ)いてしまった嘘がバレないよう、嘘を上塗りするばかりだった。
俺がΩとバレそうになる度に転校を繰り返し、流れ流れていつの間にか、東京の一大エスカレーター式私立校、小鳥遊(たかなし)学園に通う事になっていた。
今まで、俺に『好き』と言った連中は、みんなΩの発情期に当てられた奴らばかりだった。
だから『好き』と言われて、ピンときたことはない。
だけど。優しいキスに、心が動いて、いつの間にかそのひとを『好き』になっていた。
学園の事実上のトップで、生まれた時から許嫁が居て、俺のことを遊びだと言い切るあいつを。
どんなに酷いことをされても、一度愛したあのひとを、忘れることは出来なかった。
『Ωである俺』に居場所をくれたのは、貴男が初めてのひとだったから。
平凡なぼくが男子校でイケメンたちに囲まれています
七瀬
BL
あらすじ
春の空の下、名門私立蒼嶺(そうれい)学園に入学した柊凛音(ひいらぎ りおん)。全寮制男子校という新しい環境で、彼の無自覚な美しさと天然な魅力が、周囲の男たちを次々と虜にしていく——。
政治家や実業家の子息が通う格式高い学園で、凛音は完璧な兄・蒼真(そうま)への憧れを胸に、新たな青春を歩み始める。しかし、彼の純粋で愛らしい存在は、学園の秩序を静かに揺るがしていく。
****
初投稿なので優しい目で見守ってくださると助かります‼️ご指摘などございましたら、気軽にコメントよろしくお願いしますm(_ _)m
ワケありくんの愛され転生
鬼塚ベジータ
BL
彼は”勇敢な魂"として、彼が望むままに男同士の恋愛が当たり前の世界に転生させてもらえることになった。しかし彼が宿った体は、婚活をバリバリにしていた平凡なベータの伯爵家の次男。さらにお見合いの直前に転生してしまい、やけに顔のいい執事に連れられて3人の男(イケメン)と顔合わせをさせられた。見合いは辞退してイケメン同士の恋愛を拝もうと思っていたのだが、なぜかそれが上手くいかず……。
アルファ4人とオメガ1人に愛される、かなり変わった世界から来た彼のお話。
※オメガバース設定です。
のろまの矜持 恋人に蔑ろにされすぎて逃げた男の子のお話
月夜の晩に
BL
イケメンエリートの恋人からは、雑な扱いばかり。良い加減嫌気がさして逃げた受けくん。ようやくやばいと青ざめた攻めくん。間に立ち塞がる恋のライバルたち。そんな男の子たちの嫉妬にまみれた4角関係物語です。
最愛の番になる話
屑籠
BL
坂牧というアルファの名家に生まれたベータの咲也。
色々あって、坂牧の家から逃げ出そうとしたら、運命の番に捕まった話。
誤字脱字とうとう、あるとは思いますが脳内補完でお願いします。
久しぶりに書いてます。長い。
完結させるぞって意気込んで、書いた所まで。
アルファのアイツが勃起不全だって言ったの誰だよ!?
モト
BL
中学の頃から一緒のアルファが勃起不全だと噂が流れた。おいおい。それって本当かよ。あんな完璧なアルファが勃起不全とかありえねぇって。
平凡モブのオメガが油断して美味しくいただかれる話。ラブコメ。
ムーンライトノベルズにも掲載しております。
落ちこぼれβの恋の諦め方
めろめろす
BL
αやΩへの劣等感により、幼少時からひたすら努力してきたβの男、山口尚幸。
努力の甲斐あって、一流商社に就職し、営業成績トップを走り続けていた。しかし、新入社員であり極上のαである瀬尾時宗に一目惚れしてしまう。
世話役に立候補し、彼をサポートしていたが、徐々に体調の悪さを感じる山口。成績も落ち、瀬尾からは「もうあの人から何も学ぶことはない」と言われる始末。
失恋から仕事も辞めてしまおうとするが引き止められたい結果、新設のデータベース部に異動することに。そこには美しいΩ三目海里がいた。彼は山口を嫌っているようで中々上手くいかなかったが、ある事件をきっかけに随分と懐いてきて…。
しかも、瀬尾も黙っていなくなった山口を探しているようで。見つけられた山口は瀬尾に捕まってしまい。
あれ?俺、βなはずなにのどうしてフェロモン感じるんだ…?
コンプレックスの固まりの男が、αとΩにデロデロに甘やかされて幸せになるお話です。
小説家になろうにも掲載。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる