【完結】ドグマ

大塚波

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第三章 融ける。

第三話 蛍川②

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 政岡まさおか邸を出る頃には、傍らに立つ刑事・小燕こつばめ向葵あおいはすっかり消沈していた。無理もない、とスーツにこびり付いた塩と饐えた匂いを振り払いながら錆殻さびがら光臣みつおみは思う。
 小燕向葵──人間を相手に仕事をしている刑事とは、まったく関係のない世界が狭苦しい政岡邸の中には広がっていた。政岡邸は、此岸にない。亡くなった政岡涼子りょうこの母親・信子のぶこも、祖母・勝子かつこも此岸の存在ではない。
 ふたりは生きている。彼岸に渡ったわけではない。死んだのは涼子だけだ。だが、政岡という姓を冠する三人の女性は──この世のものではないなにかを見る能力を持っていた。信子の証言が正しければ、涼子は特にその力が強かったのだという。幼い頃から通学路で、通っていた小学校で、そろばん教室で、化け物を見ては怯える涼子を宥めるのは大変だったという。

「そんなモン見えてたらさ」

 投げやりな口調で言う信子の視線はひどく曖昧で、光臣のことも、小燕のことも見てはいなかった。
 成仏できていない涼子が、この部屋にいるのかもしれないと光臣は思った。

普通ふつーの子たちと仲良くできねーだろ。だからさ」

 見えないふりをした。母と祖母が何にも気付いていないふりをしたから、娘もまたそれに倣った。

「結婚するって言うからさぁ……秋元あきもととかいったっけ? 何も見えてないやつだから、安心したんだ。見えないやつと一緒にいると、薄まっていくから……」

 小燕が大きく溜息を吐く。「帰るか?」と光臣は尋ねる。「なに?」と小燕が眼鏡越しに睨み上げてくる。

「個人的にもう一箇所、訪ねたい場所がある。だが、あんたには別に帰ってもらっても構わない」
「どういう……」
「疲れただろ」

 政岡邸から少し離れたコインパーキングに停めた自家用車に乗り込みながら、光臣は言う。助手席に滑り込んだ小燕が、僅かに顔を顰めたのが分かる。

「ああいう……に対峙するのは、俺でも疲れる」
「本物……菅原すがわらくんのような存在か」
「アレは化け物だから、少しばかり条件が違う。俺が言っているのは、人間の肉体を持つ本物のことだ」
「……言っている意味が、良く分からない」

 素直な刑事の頭を撫でてやりたくなった。光臣にしては珍しい衝動だったが、ひょいと上げた右手で小燕の髪を撫でるような真似はせず、煙草を取り出して火を点けた。小燕もまた光臣に倣うようにして、スーツのふところから煙草の箱を掴み出した。

「さっき言っただろ、政岡涼子の母親に。俺は偽物だが、案件を本物に繋ぐ程度の人脈は持ってるって」
「ああ。それは……甥御さんのことじゃないのか?」
「基本的には甥に回す。弟が生きていた頃は弟もその対象だった。他にもいる。たとえば狐の一族」
「……何?」
「別に知らなくてもいい。果樹園と呼ばれる穢れた地の出身者も知っている」
「意味が分からない」
「だから分からなくていいんだって。刑事……あんたらみたいな連中は、ただの人間を相手にする。俺はただの人間を相手にできないし、化け物の相手もできないが、化け物の相手ができる奴らへの繋ぎをする。……同じことばっかり言ってる気がするな。とにかく」

 紫煙を吐き出す。小燕が大きく目を見開いて、光臣の横顔を見詰めている。強い視線だった。あまり長い時間見詰められていたら、焼け焦げてしまいそうだとすら思った。

「政岡涼子の能力は。母親──信子の証言によれば、小学二年生の頃の遠足で足を運んだということだったな」
「ああ。今から……二十年近く前の話だ。それに」

 と、小燕はダッシュボードに放り出していたスマートフォンを手に取り、液晶画面をタップし、

「二十年前の時点で蛍川は枯れていた。違うか?」
「いや」

 二十年前。
 灰皿に紙巻きを押し込みながら、光臣は唸る。

「まだ枯れていなかった」
「……は?」
「俺の弟が、蛍川で溺れてくたばった話はしただろう。あの頃甥が小学生……うちの甥は政岡涼子より少し年下だから……十五年ぐらい前か。あの川はまだあった」
「だが、政岡信子さんは……」

『あんな枯れた川に何しに行ったのか分かんないけど、とにかく涼子りょーこはあっこでなんかを拾ってきて、

「だからさ」

 そういう場所なんだよ、と光臣は唸った。
 蛍川。
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