【完結】ドグマ

大塚波

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第三章 融ける。

第五話 十五分

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 政岡まさおか邸から車で二時間ほど──東京都を出て隣県に入り、更に少し走った辺りに、その邸宅はあった。
 白い家だった。
 真っ白い洋館。

「ここが……次の目的地?」
「そう」

 些か鼻白んだ様子の小燕こつばめ向葵あおいを洋館の持ち物である駐車場に停めた車の側に置き去りにしたまま、錆殻さびがら光臣みつおみは洋館を囲む低い壁から庭の中を覗き込む。普通の庭だ。雑草が少し多い気がするが、なんだか良く分からない花をたくさん育てているのが分かる。チャイムを鳴らさずに門を押し開き、洋館の敷地内に足を踏み込む。「錆柄光臣!」と小燕が慌てたように名を呼ぶが、気にしない。政岡邸とは異なり、この洋館には事前に訪問の予約をしてあった。

「不法侵入……!」
「連絡してある」
「は?」

 洋館の扉の前に到着する。チャイムを鳴らす。「錆殻です」と名乗る。僅かな沈黙の後、内側から鍵を開ける音が聞こえる。扉が開く。
 光臣よりもふた回りほど年上の女性が、穏やかな笑みを浮かべて立っている。

「ここは──罪を犯した人々が最後に辿り着く、救済の家なんです」

 真っ白な髪に優しげな丸顔。目尻の皺を深めて微笑む女性は、工藤くどう典子のりこと名乗った。工藤は様々な犯罪を犯し、収監され、その後出所したものの行き場や家族のない元受刑者たちに仕事や住居を斡旋する──特定非営利活動を行う集団の代表者だった。

「錆殻さん……それに、そちらの方が、電話で仰っていた?」
「ああ、刑事です」
「小燕と申します」

 光臣としては、工藤との面会に小燕を同行させるつもりは本当になかった。政岡邸で心身ともに疲れ果てて帰宅してくれれば良いと思っていた。だが、小燕は思いの外頑固だった。次の訪問先にも絶対について行くと言い張り、実際、今、光臣と並んで来客室のソファに腰を下ろしている。

「小燕さん……綺麗なお名前ですね」
「は? あ、いや、そう、どうも……」

 老婦人相手に小燕がタジタジになっているのは──光臣としては都合が良かった。やはり連れてきて良かったのかもしれない。結論を出すにはまだ早いが。
 白一色で統一された来客室の眩しさに少しばかり目を眇めた光臣は、

「事前に連絡した通りです。小池こいけ俊二しゅんじ氏のことを伺いたい」
「小池さんですか」

 深く皺の寄った首を傾げ、工藤は息を吐いた。

「彼は──十年ほど前から、当館で暮らし、仕事をしています」
「仕事? 具体的には何を?」
「庭師です。逮捕される以前も、彼は庭師として生計を立てていました」
「小池……小池俊二……政岡まさおか涼子りょうこの!」

 やっと合点がいった様子で声を上げる小燕に、

「彼はきちんと刑期を終え、今は社会復帰のために懸命に仕事をこなしています、刑事さん」

 と、工藤が厳しい口調で言い放った。

 小池俊二──政岡涼子が小学生だった頃、盗撮犯として検挙された男の名。彼には盗撮以外にも様々な余罪があり、執行猶予なしの実刑判決を受けた。出所後はなかなか新しい仕事や住居を得ることができず、最終的に工藤典子の元に流れ着いた──という情報を、光臣は政岡邸を訪問する前に、旧知の雑誌記者から手に入れていた。
 政岡涼子は、通学路に点々と存在する交通事故現場などに縛り付けられている幽霊の存在に苦しめられていた。当時まだ、小学生だ。ほんの子どもの目の前に幽霊たちがどのような姿で現れたのかを光臣には想像することしかできないが──

(気持ちのいーもんじゃなかったよ)

 政岡信子のぶこはそう言っていた。涼子の母親である信子にも見えていたのだ。しかし、信子は見えないふりをしていた。

(見ちゃうとさ、あいつら調子ちょーしに乗るから)

 付き纏ってくるから──信子の言い分は、分からなくもない。だが、「見えないふり」ができなかった涼子の気持ちも理解できなくはない。
 そこで幼かった涼子は、母親に訴えたのだ。「あの道を通ると気分が悪くなる」「誰かがこっちを見ている気がする」──と。
 その結果通学路の見回りが強化され、小学生、特に低学年の女子生徒を狙って盗撮行為を繰り返していた小池俊二の存在が明るみに出て、彼は逮捕された。
 幽霊は存在する。それと同じように、変質者も存在したのだ。

「小燕」
「ああ……申し訳ない、工藤さん」

 小燕の脇腹を光臣が小突き、小燕が頭を下げる。「分かっていただければ構いません」と工藤が優雅に微笑む。

「それで……ええ。事前にお伝えした通りなんですが」
「小池さんが刑に服すきっかけになったお嬢さんの件ですよね。亡くなられたとか……」

 お気の毒に、と呟く老婦人の口の端をじっと見据えながら、光臣は口を開く。

「政岡涼子──というのが亡くなった女性の名前です。もう報道にも乗っている。小池さんは、何か反応されていませんでしたか?」
「反応?」

 眉を顰める工藤に、光臣は大きく頷く。

「個人的にはどうかと思うんですけど、所謂変死でしたからね。政岡涼子さんの写真を掲載した週刊誌もそれなりにあったし、インターネット……SNSなんかにも記事が転載されていた」
「さあ……」

 光臣の言葉に、工藤は再度優雅に首を傾げて見せる。

「この家には私も含めて高齢者ばかりが暮らしていますし……ボランティアで若い方がいらっしゃることもありますが、わざわざSNS? を住人に見せる人はおりませんし……」
「工藤さん、すみません。ちょっとお手洗い借りていいですか」

 工藤の言葉を遮るように小燕が声を上げる。少々ムッとした様子で顔を歪めた工藤はしかし、「廊下の突き当たりにありますよ」と優しい声で応じる。
 小燕が来客室を出て行く。光臣は溜め息を吐く。

「いや申し訳ない。本当は置いてこようと思ったんですけどね、彼のこと」
「いいえ、構いませんのよ。警察の方ですものね。小池さんがまだ……罪を重ねていると勘違いされても、無理はありません」
「お気遣い、ありがとうございます」

 にこりと笑みを浮かべる光臣に、ようやく工藤が緊張を解いたのが分かった。上手な笑い方を心得ていて良かった、と光臣は密かに思う。その辺りのモデルや俳優には負けないほどに端正な顔をしているお陰で、他者のふところに入り込むのばかりがうまくなった。
 それから十五分ほど。錆殻光臣と工藤典子は、小池俊二元受刑者とは何の関係もない話をした。主にテレビ番組の話題が多かった。ネットやSNSを見ないという割に、工藤はSNS上で流れている噂話に詳しかった。特に──錆殻光臣が偽物の霊能者ではないかという噂の真相を、知りたがった。

「いやぁ、どうでしょうね。ふふ」
「せっかくお会いしたんですもの、教えてくださっても良いのでは?」
「いやいや。そこはね、なんというか、業務上あまりペラペラと喋れないというか……」
「あらぁ。そんなことを仰ると、本当は偽物なのでは? と思ってしまいますけど……?」

 十五分。
 じゅうぶん過ぎる時間が経過した。
 小燕が腰を下ろしていたソファのスペースに放り出していたスマートフォンが、甲高い音で着信を知らせる。
 発信者は──小燕向葵。
 呆気に取られた様子の工藤典子を無視して、通話ボタンをタップする。

「どうだ」


 短いやり取りを終え、錆殻光臣は息を吐く。

「工藤典子さん──」

 十五分。刑事・小燕向葵から目を離したのが、彼女の人生最大のミスだ。
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