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第四章 視据える。
第五話 昨晩
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──前夜。
木蓮の手を借りて政岡・秋元アベック自死事件の一端を解決した後、錆殻光臣は新宿歌舞伎町にある純喫茶へと向かった。会いたい人間がいた。別に誘ってもいないのに小燕向葵が付いてきたが、特に追い払いはしなかった。そんなことをしている時間すら惜しかった。
「お~、錆殻さん。こがい頻繁に顔合わすなんて、珍しのぉ」
目当ての人間は、その夜も純喫茶カズイのカウンター席に腰を下ろしていた──鹿野迷宮。民俗学の研究者であり、光臣にとっては情報源としての一面も持つ男。
「それに……そっちは刑事さん?」
「小燕と申します。以前……お嬢さんが関係した事件に少し……」
「ああ、ああ、劇場のね。素直から聞いちょるよ。ほいでおふたりは……わざわざこんな時間に、揃って歌舞伎町までお茶しにきたん?」
壁に掛かった時計は、午後九時を示していた。
「だとしたらありがたい話だな」
小燕はカウンター席に、光臣は丸テーブル前に置かれた椅子にそれぞれ腰を下ろした。カウンターの中から出てきた店主、逢坂一威がふたりの前におしぼりとお冷やを置きながら笑う。
「人気タレントの錆殻光臣さんと敏腕刑事の小燕向葵さんに贔屓にされてる店ってことで、SNSでバズるかもしれん」
「一威さん、バズりとか狙ったことあるん?」
「ない」
軽口を交わすふたりを呆れたように見遣った光臣が、
「ブレンドをくれ」
「ああ、私も同じものを」
「はいはい」
笑いながらキッチンの方へと引っ込む逢坂の銀髪を見送った鹿野迷宮が、
「ほいで──事件はどうなったん。解決した? 悪化した?」
「アベックが自死したマンション、あの建物がある土地自体に何かあるんじゃねえかっていうあんたの予想は大当たりでしたよ、鹿野迷宮先生」
「それはそれは」
飴色のカウンターに頬杖を付いた迷宮が「良かったわぁ」と煙草に火を点けた。
「ほんなら、事件は無事解決……」
「まさか」
「はいブレンド」
「どうも」
逢坂からコーヒーカップを受け取りながら、光臣は笑った。
「この案件が馬鹿でかい川だとして、それが氾濫しているとして、俺が──助手にやらせたのは溢れ返る水を一部どうにかした。それだけのこと」
「おん……つまりどういうことじゃ、刑事さん?」
「ああ、つまり、……つまりどういうことだ? 錆殻光臣。あの、木蓮という女性は祓いを行ったんじゃないのか?」
「木蓮んんん?」
小燕の言葉を受けた迷宮が、素っ頓狂な声を上げる。
「木蓮ちゆうたら、あれじゃないの、果樹園の……」
「生き残り。いやぁ、迷宮先生は流石、そちら側にも造詣が深くいらっしゃる」
咥え煙草で軽薄に笑う光臣を、迷宮がじっとりと睨み付ける。喫茶店の主人・逢坂もある程度は会話に付いていけているらしく、小燕だけが困惑して視線を彷徨わせるという有様だった。
「生き残り……果樹園……さっきも思ったんだが、いったい何の話を……」
「刑事さん、小燕さん、あんたは知らんでええ。知らん方がええこともあんのよ」
「しかし……」
「それより錆殻さん。いつものことじゃけど、引っかかる言い方をするなぁあんたは。馬鹿でかい川の氾濫を──その一部を抑え込んだとして、あんたはこの先どがいするつもりなんじゃ」
「その相談をしたくて、ね」
紫煙を吐き出しながら、光臣は肩を竦めた。
「これ以上、その筋の人間を引っ張り出すことはできない」
「狐も?」
「よっぽどのことがなければ」
「中華街は?」
「俺が直接足を踏み込める場所じゃない」
「ほんなら……」
「俺が行くしかないんですよ」
蛍川にね。そう言い添えた光臣を呆気に取られた様子で迷宮は見詰め、
「刑事さん」
「はい」
「あんた、まさかとは思うけど、こん人と一緒に行く気じゃないじゃろうね」
「え……? えーっと、それは……」
両の眉を下げて困り果てた顔をする小燕に、
「やめときな」
口を挟んだのは、逢坂だった。
「マスター」
「俺も迷宮さんもその筋の人間じゃあないが、それでも分かる。この男は、蛍川で死ぬぞ」
「死っ……!?」
裏返った声を上げる小燕に、光臣は何の言い訳もしない。
錆殻光臣が蛍川で死ぬと思っているのは、今の時点では鹿野迷宮と逢坂一威だけだ。光臣は別に、自分がどうなるとも思っていない。何の予想も立てていない。小燕がどう思おうと──どうでもいい。関係ない。
「そんな……それじゃ尚更、私が……!」
「刑事さん。こがなこと、ほとんど初対面みとぉなおれに言われたくないじゃろうけどね。そん男は疫病神よ。一緒におってもええことない」
散々な言い草にも、光臣は反論しない。黙って新しい煙草に火を点ける。
「疫病神……いや、しかし、錆殻光臣は人間です。一般市民が危険な場所に足を踏み入れようとするのを、放っておくわけには……」
「真面目だなぁ、小燕さん」
と、次は逢坂一威だ。
「放っておきゃいいんだよ。なあ迷宮先生? なにもこんな男と心中する必要はない」
「心中……」
「光臣さんも、なんか言わんかい。自分のことじゃろうが」
「別に」
肩を竦めて、光臣は笑った。
「あんたたちの言い分は正しいし、それに反論する気は俺にはない。蛍川。あんな場所には二度と行きたくなかったが、今回ばかりは俺が自分で足を運ばないと何も始まらないし終わらない。だから渋々明日から休暇を取って向かおうとしていて──その前に鹿野迷宮先生、あんたから何か助言をもらおうと思ってわざわざ歌舞伎町まで来たらそのお人好しの刑事さんがくっついて来て、俺のことを一般市民だとか言って心配してる。親切はありがたいが、俺のやるべきことは変わらない。よろしいか? 以上だ」
朗々と語る光臣を、迷宮は呆れ、一威は話半分、そして小燕は困惑し切った顔付きで見詰めていた。
「さて、迷宮先生。俺の言い分は以上だ。だから聞かせてくれ。蛍川は二十年近く前──俺の甥が今よりもっとクソガキだった頃に、俺の弟を食って乾涸びたはずなんだ。それが今になって、どうしてまた暴れ始めている? あの土地で何が起きている?」
「……あんた、ほんまに、くたばるど」
鹿野迷宮が、絞り出すように繰り返した。
別にいいよ、と錆殻光臣は答えた。
木蓮の手を借りて政岡・秋元アベック自死事件の一端を解決した後、錆殻光臣は新宿歌舞伎町にある純喫茶へと向かった。会いたい人間がいた。別に誘ってもいないのに小燕向葵が付いてきたが、特に追い払いはしなかった。そんなことをしている時間すら惜しかった。
「お~、錆殻さん。こがい頻繁に顔合わすなんて、珍しのぉ」
目当ての人間は、その夜も純喫茶カズイのカウンター席に腰を下ろしていた──鹿野迷宮。民俗学の研究者であり、光臣にとっては情報源としての一面も持つ男。
「それに……そっちは刑事さん?」
「小燕と申します。以前……お嬢さんが関係した事件に少し……」
「ああ、ああ、劇場のね。素直から聞いちょるよ。ほいでおふたりは……わざわざこんな時間に、揃って歌舞伎町までお茶しにきたん?」
壁に掛かった時計は、午後九時を示していた。
「だとしたらありがたい話だな」
小燕はカウンター席に、光臣は丸テーブル前に置かれた椅子にそれぞれ腰を下ろした。カウンターの中から出てきた店主、逢坂一威がふたりの前におしぼりとお冷やを置きながら笑う。
「人気タレントの錆殻光臣さんと敏腕刑事の小燕向葵さんに贔屓にされてる店ってことで、SNSでバズるかもしれん」
「一威さん、バズりとか狙ったことあるん?」
「ない」
軽口を交わすふたりを呆れたように見遣った光臣が、
「ブレンドをくれ」
「ああ、私も同じものを」
「はいはい」
笑いながらキッチンの方へと引っ込む逢坂の銀髪を見送った鹿野迷宮が、
「ほいで──事件はどうなったん。解決した? 悪化した?」
「アベックが自死したマンション、あの建物がある土地自体に何かあるんじゃねえかっていうあんたの予想は大当たりでしたよ、鹿野迷宮先生」
「それはそれは」
飴色のカウンターに頬杖を付いた迷宮が「良かったわぁ」と煙草に火を点けた。
「ほんなら、事件は無事解決……」
「まさか」
「はいブレンド」
「どうも」
逢坂からコーヒーカップを受け取りながら、光臣は笑った。
「この案件が馬鹿でかい川だとして、それが氾濫しているとして、俺が──助手にやらせたのは溢れ返る水を一部どうにかした。それだけのこと」
「おん……つまりどういうことじゃ、刑事さん?」
「ああ、つまり、……つまりどういうことだ? 錆殻光臣。あの、木蓮という女性は祓いを行ったんじゃないのか?」
「木蓮んんん?」
小燕の言葉を受けた迷宮が、素っ頓狂な声を上げる。
「木蓮ちゆうたら、あれじゃないの、果樹園の……」
「生き残り。いやぁ、迷宮先生は流石、そちら側にも造詣が深くいらっしゃる」
咥え煙草で軽薄に笑う光臣を、迷宮がじっとりと睨み付ける。喫茶店の主人・逢坂もある程度は会話に付いていけているらしく、小燕だけが困惑して視線を彷徨わせるという有様だった。
「生き残り……果樹園……さっきも思ったんだが、いったい何の話を……」
「刑事さん、小燕さん、あんたは知らんでええ。知らん方がええこともあんのよ」
「しかし……」
「それより錆殻さん。いつものことじゃけど、引っかかる言い方をするなぁあんたは。馬鹿でかい川の氾濫を──その一部を抑え込んだとして、あんたはこの先どがいするつもりなんじゃ」
「その相談をしたくて、ね」
紫煙を吐き出しながら、光臣は肩を竦めた。
「これ以上、その筋の人間を引っ張り出すことはできない」
「狐も?」
「よっぽどのことがなければ」
「中華街は?」
「俺が直接足を踏み込める場所じゃない」
「ほんなら……」
「俺が行くしかないんですよ」
蛍川にね。そう言い添えた光臣を呆気に取られた様子で迷宮は見詰め、
「刑事さん」
「はい」
「あんた、まさかとは思うけど、こん人と一緒に行く気じゃないじゃろうね」
「え……? えーっと、それは……」
両の眉を下げて困り果てた顔をする小燕に、
「やめときな」
口を挟んだのは、逢坂だった。
「マスター」
「俺も迷宮さんもその筋の人間じゃあないが、それでも分かる。この男は、蛍川で死ぬぞ」
「死っ……!?」
裏返った声を上げる小燕に、光臣は何の言い訳もしない。
錆殻光臣が蛍川で死ぬと思っているのは、今の時点では鹿野迷宮と逢坂一威だけだ。光臣は別に、自分がどうなるとも思っていない。何の予想も立てていない。小燕がどう思おうと──どうでもいい。関係ない。
「そんな……それじゃ尚更、私が……!」
「刑事さん。こがなこと、ほとんど初対面みとぉなおれに言われたくないじゃろうけどね。そん男は疫病神よ。一緒におってもええことない」
散々な言い草にも、光臣は反論しない。黙って新しい煙草に火を点ける。
「疫病神……いや、しかし、錆殻光臣は人間です。一般市民が危険な場所に足を踏み入れようとするのを、放っておくわけには……」
「真面目だなぁ、小燕さん」
と、次は逢坂一威だ。
「放っておきゃいいんだよ。なあ迷宮先生? なにもこんな男と心中する必要はない」
「心中……」
「光臣さんも、なんか言わんかい。自分のことじゃろうが」
「別に」
肩を竦めて、光臣は笑った。
「あんたたちの言い分は正しいし、それに反論する気は俺にはない。蛍川。あんな場所には二度と行きたくなかったが、今回ばかりは俺が自分で足を運ばないと何も始まらないし終わらない。だから渋々明日から休暇を取って向かおうとしていて──その前に鹿野迷宮先生、あんたから何か助言をもらおうと思ってわざわざ歌舞伎町まで来たらそのお人好しの刑事さんがくっついて来て、俺のことを一般市民だとか言って心配してる。親切はありがたいが、俺のやるべきことは変わらない。よろしいか? 以上だ」
朗々と語る光臣を、迷宮は呆れ、一威は話半分、そして小燕は困惑し切った顔付きで見詰めていた。
「さて、迷宮先生。俺の言い分は以上だ。だから聞かせてくれ。蛍川は二十年近く前──俺の甥が今よりもっとクソガキだった頃に、俺の弟を食って乾涸びたはずなんだ。それが今になって、どうしてまた暴れ始めている? あの土地で何が起きている?」
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