黒のシャンタル 第二話 「新しい嵐の中へ」<完結>

小椋夏己

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第一章 第二部 船上にて

 4 小芝居

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 トーヤは不愉快な気持ちで船長室へと戻った。

「なんだなんだ、えらい凶悪な顔して戻ってきたな。またあのおっさんになんか言われたか」

 ベルがからかうように、それでも心配するようにトーヤに声をかけた。

「ああ、まったくな。イライラする」
「珍しいな、トーヤがそこまでになるって」

 アランも心配そうに言う。

「思った通り、俺が外に出たらディレンの野郎が寄って来てな、奥様が外に出るかもっつーたら、いつ頃かって聞いてきた」
「それでなんて答えたの?」
「ああいうお方だから、出ると言ってても気が向かないとやめるって言うかもな、って言っといた」
「いい答えだね」

 聞いてシャンタルが笑う。

「まあ、出たくなったら言うよ」

 事も無げにそう言って、また寝台に寝そべるようにする。

「ほんっと、よく寝るよなあ、シャンタル」

 ベルが呆れるように言うが、

「ずっと寝てたようなもんだったからねえ、子どもの頃。だから慣れてる」

 冗談とも言えないような冗談を言って笑う。

 シャンタルの過去を知った今となっては、あまり笑える冗談ではないとベルが顔をしかめた。

 そんなベルの顔をじっと見ていてシャンタルが、

「さ、じゃあ行こうかな」
「突然だな、おい!」
「奥様というのは気まぐれなものだからね」

 そう言ってクスクス笑ってから、

「外に出てみたくなった、さ、行こう。侍女、支度して」

 準備をかし、侍女と2人の用心棒を引き連れてお出ましになられる。
  


 朝食後、そろそろ船底の客人たちも一度外の空気を吸おうかと甲板に出て来始める時間のため、いつもよりたくさんの人間が「中の国の奥様」の姿を見ることとなった。

 着ているのはありふれた木綿の上下に生成りのマントと普通なのだが、顔の部分もストールを巻き、マントを目深にかぶっているために顔は一切見えない。
 手は、これだけはトーヤもディレンも用意をしていなかったため、絹の手袋を履いているのが分かる。
 足元はスカートとマントに隠され、全く見えない。

 そうして、やはり頭からストールをかぶって全身を隠し、こちらは目元だけが見えている「侍女」に手を引かれ、2人の護衛を従えて、ゆっくりと甲板の手すりまで歩いていく。

 ゆっくりゆっくりと歩く姿の優美さに、悠然と侍女を従えたその姿に、中身は見えなくともただものではない気品が湧き出すようだ。
 
 あちらこちらからほおっと見えない声が上がった。

 そこから遠く、自分が来た方向、船尾の方から、これから進む方向、船首に向かってゆっくりと首をめぐらしている様子がマントの動きで分かった。

 トーヤはシャンタルがバルコニーにお出ましになった時を、ふと思い出していた。

「出てこられたか」

 背後からディレンが声をかけてくる。

「声かけんなよ、仕事中だ」

 舌打ちしながらトーヤがそう言って離れ、奥様の近くに待機する。

「悪いが俺も仕事だ」
 
 ディレンがそう言ってトーヤを追い越すようにして奥様に近寄る。
 奥様が少し身を引くようにし、侍女が間に割って入る。

「ご不自由はございませんか?」

 船長が侍女を通して尋ねる。

 侍女が奥様に何か耳打ちし、奥様が何かを侍女に囁くと、侍女が船長を向き直って答える。

「おかげさまで不自由はありません、快適に過ごしております、とお答えです」
「それはよかった」

 その演劇のようなやり取りを見、船客たちが「ああ」と納得する。
 あれは、あの方は、あの国から来られたのだろう、道理で警備が厳重なはずだ、と。

 中の国のいくつかの国ではそういう風習だと聞いてはいても、初めて見る者は物珍しそうにし、一度でも見たことのある者はそのことをひけらかすように、得意そうに、そのさまを見守る。
 ついでのように、あの2名の若い男は護衛なのだ、とトーヤとアランを見てそちらも納得をする。これで自分たちを見る胡散臭い目も少しはなくなりそうだな、とトーヤは様子を伺ってホッとしていた。

「海をご覧になられたことは?」

 また船長が尋ね、侍女を通して奥様が答える。

「いえ、初めてです。どこまでも陸地が見えぬとの話は本当だったのですね、とおっしゃっています」
「そうですか、珍しい風景をお目にかけられて光栄です」

 船長がにこやかに言い、侍女から伝え聞いた奥様がゆっくりと頭を縦に振る。

「今は穏やかな海ですが、この先荒れることもございます。その時にはまた色々とお世話させていただきますが、とりあえず旅の始まりが穏やかでよかった」

 船長の言葉を聞いた奥様が、

「嵐の話は物語などで読んだことはございますが、この平らかな海がそのように荒れるなど、今は到底信じられません。嵐の海も見てみたい気持ちはありますが、できれば最後まで穏やかであるように祈ります、とおっしゃっています」

 完璧な奥様と侍女の芝居を船長がじっと見守る。

「こればかりは自然相手のことですからなあ、ですが乗客の安全を守る船長として、私もそう祈っております。では、よい旅を」

 そう言って話が伝わって奥様が軽く頭を下げるのを見守ると、ディレンはその場を離れていった。

 短い芝居を見終えた船客たちも、満足したように散り散りに散っていき、残った役者たちももう少しだけ海を見てから部屋へと戻っていった。

 船が港を出てから5日目の朝のことであった。
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