黒のシャンタル 第一話 「過去への旅」<完結>

小椋夏己

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第二章 第五節 もう一人のマユリア

23 悪夢

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 ラーラ様を見送りトーヤも自室へと戻る。

 ラーラ様に会えたのはよかったが、話が進むどころかかえって混乱しただけのような気がする。だが会って話をして、とりあえず間違えた道を進んではいないらしいと知ったことだけは収穫だったと言えるだろうか。

「連れ出す方法は考えなくていい、か……なんでなんだ?」

 大きな疑問ではあるが、一番の難関と思われた問題があっさりと解決してしまったことも拍子抜けであった。
 夜も遅くなりキノス行きの疲れもまだ残っている。トーヤはベッドの上にどさりと倒れ込むとそのまま眠ってしまった。

 トーヤは夢を見た。
 冷たい水の中で溺れている夢だ。
 冷たい、苦しい、息ができない、動けない、手足の感覚がなくなる、意識が消えていく。
 もう自分は死ぬのだとおぼろに思った。
 嫌だ死にたくない!
 そう思って必死に手を伸ばす。
 誰か助けて!
 そう思ってさらに手を伸ばす。
 誰か!
 誰か!
 誰か……

 「トーヤ、トーヤ、トーヤ!」

 必死に伸ばした手を誰かが掴んでくれた。

「助け……」
「トーヤ、どうしました!」

 握る手に力が入る。

「トーヤ!」
「ミーヤか……」

 ミーヤに手を握られたままぐったりと返事をする。

「どうしました!」
「いや……夢、見た……」
「夢?」
「ああ……」

 全身汗びっしょりで力が入らない。

「嵐にな……巻き込まれた時の、あの時の夢みたいだ」
「あの時の……」

 ミーヤは海岸で発見されカースの神殿に運び込まれた時のトーヤを思い出した。
 まったくひどい有様であった。
 着ている服はあちこち破れ、髪はぐっしょりと顔に張り付き、肌は色をなくしてとても生きている人間とは思えなかった。医者が脈を取って「生きている」と言わなければ流れ着いた遺体だと判断されてもおかしくなかった。
 その意識のない体を清めて着替えさせ、医者の許可が出たので輿に乗せて宮へと運んだ。その間ずっとミーヤが付き添っていた。
 宮の客殿に運ばれ客室の寝台に寝かされた後もしばらく意識が戻らず、何回も顔に触れてみたり息をしているのかと口元に手を当てたりしていた。手を握ったりもした。このまま意識が戻らないまま命が失われてしまうのではないかと恐れもした。
 そのことを思い出した。

「……なんでだろな……今までそんな夢見たことなかったのに……」
「それは……」

 なぜかなど2人に分かるはずもない。

「怖かった……」

 ミーヤはトーヤが怖いと言うのを初めて聞いた。
 これまで自分の置かれた状況に戸惑ったり怒りを露わにしたことはあっても怖いなどと言うことは、恐れる姿を見せることはなかったのに。そのことをミーヤも怖いと思った。

「キノスに行った時な……」
「はい」
「久しぶりに海に出て、それでダルが怖くないのかと聞いてきたんだよ」
「はい」
「でな、怖くないと答えた」
「はい」
「もっと怖い中に放り込まれてるから怖くないと答えた」
「はい」
「そう言ったけど本当は何も怖いなんて思ってなかったんだよ」
「はい」
「でもな、今は怖かった……なんでだろな……」
「ええ、なんででしょう」

 ミーヤはトーヤをあやすように、しっかりと手を握ったまま返事を返していた。

 トーヤはミーヤの手を離さず呼吸を整えるように何度も大きく息をした。まるで、今にも肺いっぱいに流れ込んだ水に押しつぶされようとするのを止めさせるかのように。

「怖かった……」

 もう一度そう言った。

「それは、あんな体験をしたのですもの、思い出して怖いと思っても仕方ありません」
「そうなのかな……」

 トーヤは思い出したくもないと思いながらもぼんやりとさっきの感覚を思い出していた。

「違う……」
「え?」
「海じゃなかった……」
「え?」
「あれは海水じゃない、真水だった」
「何がですか?」
「今、俺が溺れていた水……」
 
 ミーヤはトーヤが何を言わんとするのか理解できず返事をすることができなかった。

「あれは海じゃない、俺が投げ出された海じゃない……」

 もう一度そう言う。

「なんだったんだ、あれは……」
「お疲れなんですよ」

 ミーヤが励ますように言う。

「毎日忙しくして、遠くまで行って、そして昨夜はラーラ様ともお会いになって、色んなことがあったので疲れてらっしゃるんですよ」
「そう、なのかな……」
「ええ、そうですよ」

 ミーヤはぐったりとしたままのトーヤの手をもっとしっかりと握って言う。

「もう朝ですよ、起こしに来たらうなされていたので驚きました……起き抜けの夢ははっきりと残ると言います。ただの夢です、何も怖いことはありません」
「そう、なのかな……」
「ええ、そうですよ」
「そうなのか?」
「そうです」
「そうか……」

 そう言いながらもトーヤは本当にそうだとは思っていないようであった。

「怖かった……」

 もう一度そう言うと、それだけが命の綱でもあるように、ミーヤの手をしっかりと握り返した。
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