黒のシャンタル 第一話 「過去への旅」<完結>

小椋夏己

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第二章 第六節 奇跡

 7 涙一粒

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 ミーヤは固まったように動かない。

 トーヤは空白の時間ができるのが怖いように、返事を待てずにもう一度聞く。

「なあ、俺、戻ってきてもいいか?」
「いいか、って……」

 そう言うなり、ミーヤの目から一粒の涙がぽろりとこぼれた。

「わ、わわわ、なんでだよ、なんで泣くんだよ!」
「え、私、泣いてます?」

 ミーヤが自分の目を押さえ、濡れた手を見て驚いた顔になった。

「本当に……泣いてますね……どうしてでしょう……」
「どうしてって……」

 トーヤの方が聞きたかった。

「本当に、どうしてでしょう……」

 そう言う瞳から、また一粒、一粒と涙がこぼれる。

「どうすりゃいいんだよ……」

 トーヤの方が泣きたくなる。
 なんで泣いてるんだ……

「すみません……」

 ミーヤは止めようと思うのだが、自分でも止められない。
 次から次へと一粒、また一粒と涙がこぼれ続ける。

「ごめんなさい……」

 そう言いながら、とうとう耐えきれなくなったように両手で顔を押さえ、声を殺して泣き始めた。

「お、おい……」

 トーヤは正面に座るミーヤに手を出しかけて、出しかねて、そのままうろうろと手を握ったり開いたりしている。

「な、なあ……なんで泣くんだよ……なんで泣いてるんだよ……よお……」

 うろうろとそんな言葉が出てくるだけだ。

 ミーヤはしばらくの間静かに、声を出さないまま泣いていたが、少しずつ落ち着いていった。

「これ……」
 
 トーヤがテーブルのそばに置いてあったタオルを渡す。

 こういう時はハンカチを渡す方がかっこいいのにと、手の届く範囲にタオルしかないのを悔しく思った。

「ありがとうございます……」

 ミーヤは微笑みながらタオルを受け取り、それで涙を拭いた。

「なんか、あれだよな……」
「え?」
「こういう時って、本当はさっとハンカチ渡す方がかっこつくよな……」
「え……ええ、そうですね」
「俺、これからは絶対ハンカチ忘れねえようにするよ」
「まあ」

 そう言ってミーヤが笑った。
 トーヤは少しほっとした。

「あんたもさ、タオルじゃなくて、ハンカチで涙拭く方がいいと思うしな、うん」
「確かにそうですね……ちょっと、おかしいですよね、これは……」

 そう言ってミーヤが笑い出し、トーヤも一緒になって笑った。

「はあぁ~かっこわるいな~」
「誰がですか?」
「んー2人ともかな」
「まあ……でも、そうですね」

 ひとしきり笑うと、そっと聞いてみる。

「なあ、なんで泣いたんだ?」
「そうですね……」

 もう落ち着いた様子でミーヤが考える。

「なんだかほっとした気がします……」
「ほっとした?」
「はい、多分……」

 ミーヤが言葉を探しながら続ける。

「私、トーヤが行ってしまったら、もう、二度と会えないのだと思ってました……」

 トーヤが驚いた顔をする。

「それが、戻ってくると聞いてすごくほっとしたんです……会えなくなるわけではないのだと、また会えるのだと思うと、ほっとしました」
「そ、そうか、ほっとしたか……」
「それで、ほっとしたら何かが切れてしまったようになって、気がついたら泣いてました……」
「そうか……」
「ええ……」
「そうか……」

 トーヤは自分も泣きたいような気持ちになったが、ぐっと我慢をした。

「だからな、戻ってきていいよな?」
「ええ」
「いいんだよな?」
「いいですよ」
「そうか……」
「ええ……」

 同じような言葉をお互いに繰り返す。

「何年かかるか分かんねえけど」
「ええ」
「戻るためには、とりあえず行かなくちゃなんねえからな。行かないと戻れないだろ?」
「何をおっしゃってるんですか」

 ミーヤが笑った。

「でもそうだろ?」
「そうですね」
「ダルがな」
「はい」
「行くのに二月ふたつきかかるのなら、往復するのに四月よつきありゃ足りるだろうってさ」
「簡単に言いますね」

 ミーヤがまた笑う。

「だよなあ! ダルのやつ、単純だからなあ」
「本当ですね」
「だけどな、計算すると合ってるよな」
「ですね」
「だからな、そのぐらいの距離なんだよ」
「はい」
「だから、戻ってくるからな」
「はい」

『待っててくれ』

『待っています』

 言いたい言葉が出てこない。

「戻ってくるからよ」
「はい」
「絶対、絶対に戻ってくるからな」
「分かりました、何回言ってるんですか」
「何回言ってもいいだろ?」
「まあ、いいですけどね」
「なんだよ、その言い方」
「すみませんね、こんな言い方しかできなくて」
「いや、そうじゃなくてだな……だから、戻ってくるっての」
「だから分かりましたって言ってます」
「そうなんだけどな」
「本当に何回言ってるんですか」

 何度も何度も同じやりとりを繰り返し、ただ時間だけが過ぎていった。
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