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第五章 新たなる世界へ

13、鶴岡の海辺で

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湯治宿に泊まると言うのは、なかなか風情があると毎回辻は思う。
食事を頼む人もいれば、長居して自炊する人もいる。
温泉の中で、いや温泉の世界に没頭できると言うのが楽しみなのだ。

今いる、山形の鶴岡は日本海の海沿いの街だった。
宿はたくさんあり、海の1番長めのいい宿はかの、大臣が泊まりに来たなどと聞いた。

ヨーロッパ巡りをしていた時、辻は新鮮な気持ちでいたが、この日本独特のゆったりとした時間とこズレている感じがして、何やら日本恋しくなり、部屋にこもって本を読み漁った時期もあった。

「ねえ、辻くん、海辺に散歩に行かないかい?」
望月が暇そうに見えた辻に話しかけてきた。
「ああ、海水浴の家族を見るのも一興だね。」

二人は宿を出て、海沿いに来た。
思ったより、浜辺は盛況だった。

「僕もさ、去年、大森の方に海水浴に行ったんだ。淳之介連れてね。でも、大森って海水浴場の横が料亭街なんだよ。もう、僕のダメところなんだけど、遊んでいきたいけど、淳之介もいるしさ。アグリに内緒だよって行ってね、淳之介を座敷に連れて行っちゃった。」
「実に君らしい生き方だね。破天荒だよ。でも、僕も教師なんてしてるけど、望月くんがまじめ腐って子守してる方が気持ち悪いと思うがね。」
「そう!辻くんならわかってくれると思った。淳之介なんて緊張しちゃってさ、芸妓さんとは最後に打ち解けちゃって、次にお座敷行くのいつとか聞いてきちゃってね。」
「多分、というか僕の見立てだと淳之介くんは君のようになると思うよ。」
「辻くん、それは風来坊ってこと?」
「いいや、自由な文士かな。君を超えるかもしれないよ。」
「今はあんなに勉強を嫌がっているのにね。そうなるかな?」
「勉強の不出来で文士の才能が決まるってもんじゃない。だから、君と違った形で淳之介くんは大成すると思うよ。」
「かい被りすぎだよ。でも、若い時にできた子だから、僕はさ、なんだか父親っていうよりも友達みたいに淳之介と付き合ってるんだ。」
「君が父親ぶってる姿も見てみたいけどね。女の子ができたら溺愛するんじゃないか?」
「もう10年子供ができてないのに二人目なんてあるかね?」
「アグリくんはまだ26才じゃないか。すぐにそんなことあるさ。」
「そしたら、家族で海水浴に行くのかな?」
「それこそ、望月らしからぬ行動だね!ハハハ。君に幸あれだ。」

二人は海辺を散歩しながら遠く、波打つ海を見ていた。

心の中の櫻が言う。
「先生、もうすぐ吉報がやってきますよ。」
「どんな吉報だい?」
「アグリ先生と、望月さんに天使が来ますよ」
「そりゃあめでたい事だ。いつ、かな?」
「もうアグリ先生は知ってるみたい。望月さんに伝えられないから。」
「望月は大喜びだな。僕たちもいつかは天使がやってくるのかな。」
「ええ。素敵な天使がやってきますよ。」
「どんな?」
「一緒にフランスに行ったりするんですよ。親子でね。」
「それから?」
「先生、もうこの先は秘密。」

ふっと櫻の心の声が終わった。
本当のことだろうか。もし本当でなくても、それはそれでいい。
未来を楽しみに生きることができるのだから。
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