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第十六章 最終学年

9、出版社での再会

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校正の仕事に入り込んでいた櫻は新たな人物が編集部の中に入ったことを気がついていなかった。

「えー、そろそろ気がついてほしいんですが。」
なんと、空席だった櫻の隣に望月が座っていたのである。

「あ!えと、お久しぶりです。」
「あら、この間の素晴らしい会を開いた僕にそれだけ?」
「あ、本当に素晴らしかったです。ありがとうございます。」
「本当、僕って才能あるよね。」

いつもの望月の調子だったので、とても心地よかった。
「あの、あぐりさんは?」
「僕に会って早々、あぐりのことかい?」
「えー、はい。」
「もうね、お産が近いからってよく動いてるよ。」
「よく動くものなんですか?」
「うん、生まれてからじゃ色々できないしね。うちは女中も雇ってないし。」
「淳之介君の時は群馬のお家でだったんですよね。」
「そうなんだよ。でも、今度はこっちの家でだからね。産婆さんとか来て家に居づらいよ。」
「いいことじゃないですか?」
「まあ、膨れたお腹を見るのも一興だよね。」
「その言い方、あまり好ましくありません。」
「あ、櫻くん、令嬢になったからって偉そうに。」
「偉そうではありません。」
「ああ、佐藤さんところではいい心地だろ?」
「はい、まあ。」
「その、歯切れの悪い?」
「令嬢っていうのもなかなか大変ですね。」
「僕の苦労がわかったかな?」
「え?」
「僕、もう群馬じゃ、もう家をつげ、坊っちゃま勉強しろって何かとうるさくてさ。東京出てきちゃったよ。」
「でも、群馬のお宅もいいところですね。」
「ああ、君は旅行でよったんだよね。」
「はい。」
「親父がまあ、僕みたいな風来坊もしていた時期もあるんだけどね。でも、どうしても世継ぎ世継ぎって。」
「お金のあるところには苦労も絶えないみたいですね。」
「おお!令嬢!」
「やめてください。他の方に聞こえます。」
「いいじゃないか。もう、佐藤なんだし。」
「よくないです。食べ物みたいに言わないでください。」
「砂糖と塩。相性いいよ。」
「え?」
「君の未来には塩みたいな人が現れるかもね。」
「しお?」
「まあ、色々人生にはあるからね。さあ、僕は原稿でも書こうかな。」
「自由ですね。」
「うん!自由を謳歌しなきゃだね!」

相変わらずの望月節であった。そんな彼と寝食を共にしていたのが昨日のようなことだともう、思えないのも事実であった。
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