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第十六章 最終学年

49、揺れる心

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辻は大学での研究が終わった後、坂本の運転する自動車に乗った。

「坊っちゃま、話そうかどうか迷ったのですが。」
「ん?いいよ。どうした?」
「あの、今日、届け物があって佐藤邸に行きまして。」
「ああ、櫻くんにあったの?」
「いえ、届け物は佐藤支店長宛で社長からでしたのでお会いしませんでした。」
「どうした?」
「それが、ナカさんから聞きまして。」
「何を?」
「大杉緑さんが櫻さんを訪れたそうです。」
「どうして大杉くんが?」
「何やら先日、大杉社長のところに櫻さんがお使いに行ったそうで。」
「そのお返しということか。」


辻は考え込んだ。
櫻は新婦人社でも大杉の随筆を随分と熱心に読んでいることをカヨから聞いている。

「大杉くんは最近、離婚したそうだね。」
「そうです。活動が激しくなって、家族にも特高が寄るのではないかと心配なさって。」
「彼のプレイボーイぶりは過去から知っているからね。」
「坊っちゃまも、一時期一緒に遊ばれてましたね。」
「うん、知らない仲ではない。」

考え込んだ。
櫻は絶対、あの男の魅力を見抜いてしまう。
自分より、あの男は自由である。
それゆえに、勝てない部分があると過去から思っていた。

「坊っちゃま、言わないほうがよかったですか?」
「坂本、今更だよ。」
「それはそうですね。」

「まあ、いいんじゃないか?」
「え?」
「彼は弁護士だし、勉強の励みになるかもしない。」
「でも。」
「坂本。」
「はい。」
「僕は彼には櫻くんは奪われたくない。実際のところはね。でも、彼から吸収できる何かをもぎ取りたくない。」
「いいんですか?」
「僕は自由主義だから。」
「坊っちゃま、自由主義と、自分に枷を負うのは違いますよ。」
「え?」
「自分の言いたいことを言うのも自由主義ですよ。」

言われてみればそうだ。
でも、自分が荷物になって、櫻の将来の邪魔をしたくない。

「坊っちゃま。」
「ん?」
「櫻さんはわかってますよ。」
「何を?」
「大切なものが何かを。」
「でも、不安なんだ。」
「坊ちゃんんがおっしゃるのはわかります。でも、伝えたいことを甘えてもいいんでしょう。」
「時々、坂本はドキッとすることをいうね。」
「こう見えても、世界を飛び回ってきてませんですから。」
「そうだね。坂本は僕の倍の経験をしてるんだからね。」
「年長者、敬うべき、ですよ。」
「そうだね。君に敬意を払うよ。」


坂本があえて言ったのは、いずれわかることを前もっていてたからだ。
それをありがたく受け取ることにした。
そして、その嫉妬なのか、よくわからない思いを素直に櫻に伝えよう。
それが話すことなのか、手紙なのかまだ決めてはいない。
でも、自分が素直になることも自由主義だと言うことを坂本に気付かされた日だった。
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