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『灰の血族』 三神 宵
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「どうしましたか」
眼鏡の男性医師と、看護師らしき女性がやって来た。
医師は白衣にスーツ。
看護師の女性は、シャツワンピース風のナース服を着て、コック帽のようなナースキャップを被っている。しかも、ナース服は布が厚めで、現代の化学繊維のペラペラな布とは違うし、足首まで丈がある。
洗濯大変そうだし、乾くの時間かかりそうだな、と現実的な感想を抱いていると、神から驚愕の発言が飛び出した。
「妻の様子がおかしい」
は?
ん?
今、なんと?
つま?
うわーーーー。
痛い、痛い、痛い、痛い!
「うぅ……」
「なっ……大丈夫か⁉」
余りに、痛い妄想設定だ。
私は羞恥心で顔を顰め、神に抑えられていない方の手で胸を搔きむしった。
いつもは、不貞腐れた様子で半分閉じている神の目が、開眼した。
そして、神を押しのけて医師と看護師がやって来た。
胸元で両手を挙げて下がった神が、可愛い。
「三神さん、どうしました? 呼吸は苦しくないですか?」
医師は、黒の太い有線イヤホンみたいなものを耳に突っ込むと、看護師が私の着物の胸元を開いた。
あっ、和服着てたんだ、と今更気が付いた。
神は、私に背を向けて猫背気味に小さくなっていた。
聴診器が、ステンレスじゃない。
何かの角とか、そんな素材っぽい。
何、この夢。
設定が詳細すぎる。
私の想像力、いや、妄想力を褒めてあげたい。
「胸に痛みや不快感はありますか?」
「ありま、せん」
これから死ぬのに、診察される夢。
思わず、ふっと笑ってしまった。
医師が、きょとんと私を見た。
看護師さんが、手際よく私の着物を直し、腕についた血を拭ってくれた。
「すみません、夢なのに、ご迷惑をおかけします」
「……」
三人が、私の顔をじっと見た。
え?
メタ発言禁止の夢の中でしょうか?
「三神さん、ご自分のお名前を言ってみてください」
「三神さんがどなたか分かりませんが、私は、高泉と申します」
病室の空気が凍ったのを感じた。
ふむ、やっぱりメタ発言は駄目なのね。
設定に乗るのね。
そうだよね、せっかくのご褒美だもんね。
人は死ぬと、冥途の土産を貰うボーナスステージに入るのかな?
生きてるときは厳しいけど、最後は慈悲みせるのね。
ありがたい。
「……おい、妻は頭でも打ったのか? 高熱が出たせいか⁉」
神が医師の肩を、がしっと掴んだ。
医師の目が泳ぎ、ずれていない眼鏡を直した。
「いえ……あー、まぁ、しばらく意識を失っていた方は、少しの間、ぼんやりしていたり、妙な事を言い出したりすることがあります」
「本当か?」
「ええ」
医師の言葉を聞き、少し時を置いたのちに、神が大きなため息をついた。
そして、医師を押しのけて私と顔を見合わせた。
きょ、今日も、最高に素敵です。
「いいか、君は私の妻で、三神 絹子だ」
神は暗い顔、恐ろしく低い声で、死を宣告するかのように言った。
「みかみ きぬこ」
口に出して言ってみた。
とても、この大正時代っぽい雰囲気の名前だ。
それにしても、神の妻役の夢など――
ん?
あれ?
三神?
大正時代風?
んん?
「どうした? まさか、自分の名前も分からないのか?」
神の顔は、色を失って強張っている。
とても血色が悪い。
気難しそうで、神経質そうで――まさに『灰の血族』に出演していた時のビジュアルではないか。
ああ、そうなんだ。
物語を見届けられなかった無念な気持ちのせいかな?
「私は、三神 絹子で――か、いえ……貴方様は、三神 宵さま?」
あってますか?
探るように神、もとい 三神 宵を見つめた。
すると、彼の顔がふっと緩んだ気がした。
「なんだ、くだらない。驚かすな」
神は笑った。
「まったく……私は忙しい。家の者を呼んでくる」
心配して損をした。
そんな雰囲気で、自嘲し興味を失ったように踵を返した。
「なんて、人騒がせな……」
神は、コートを腕にかけ、手袋をソファから取り上げようとして、落とした。
すかさず拾い上げてくれた看護師から奪うように手袋を取り返し、こちらを見た。
もう行ってしまうのか。
一瞬、目があったけれど、神は何も言葉にせず再び背を向け、ドアへと歩きだした。
神が部屋を出たら、私の夢も終わりだろうか。
急に物悲しくなってきた。
仕事は割と好きだったけど、輝かしい青春は一切なかった。でも、神のおかげで、ここ数年は彩のある生活だった。
「あ、あの!」
私が呼び止めると、ドアノブを回す手がピタリと止まった。
「何だ」
不自然な姿勢のまま、神が問うた。
「お会いできて、嬉しかったです」
「……っ」
弾かれたように振り返った神は目を見開き、表情には信じられない……と書いてある気がする。
何なんだ――聞き逃しそうなほど、小さな声が聞こえた。
「おい、医者!妻は、やはり何かおかしい。ちゃんと調べろ……」
長い指が突き刺すように私を示した。
「は、はい?」
「いいか、隅から隅まで調べろ。明日、出社する前に結果を聞きに来る。朝一番にだ!」
「はい!」
神は、恫喝するように医師に申し付け、颯爽と部屋を出たけれど、ドアは静かに閉まった。
すると、医師が安堵したように息を吐いた。
仕方ないことだ。
この夢の世界観が『灰の血族』ならば、貧富の差は大きく、身分の差も歴然。
神は、商家の丁稚奉公からのしあがり海外へ飛び出し、帰国した後、起業した実業家だ。
商売の嗅覚が鋭く、大胆だが堅実。
絹子は身分を買われた華族の令嬢だ。
映画の中で『三神 宵』は、周囲の人間に、悪魔か死神か、そんな悪しきように言われ恐れられていた。
この時代の男性の平均からしたら、飛びぬけて大きな背も不気味に映ったようだ。
あんなに素敵なのに、気味の悪い男扱い。
金がなければ、近寄りたくないとか……。
もちろん、妻の絹子も、夫を嫌っていた。
「ご心配なさっていましたよ」
思考の海に潜っていたら、看護士に話しかけられ「は、はい?」と変な声が出た。
「腸炎を患って、治まったのに、日に日に衰弱したと」
「腸炎?」
なんだろう、食あたりとか?
あぁ、それで点滴を?
「もう少し遅かったら、危なかったんですよ」
「そうなんですか?」
脱水?
まぁ、確かにこの世界観だと、水分補給もあれだろうし。医学的知識も乏しく、病気への対処法も正解を得るのが難しい。
「昨日は、夜通し御付き添いなさってましたが、朝になって、もう心配ないと言われると出社なさってました」
「は、はぁ」
「食欲が沸いて、少し食べられるようになってから退院にしますか」
医師が、にこやかに微笑んで言った。
「食欲……そういえば、お腹がすいているような」
「それは良い。五日も食べてなかったそうですよ」
食欲。
夢の中なのに、食欲がある。
温かい、おうどんが食べたい。
医師と看護師の話を、ぼんやりと聞きながら思った。
この夢、いつ終わるの?
眼鏡の男性医師と、看護師らしき女性がやって来た。
医師は白衣にスーツ。
看護師の女性は、シャツワンピース風のナース服を着て、コック帽のようなナースキャップを被っている。しかも、ナース服は布が厚めで、現代の化学繊維のペラペラな布とは違うし、足首まで丈がある。
洗濯大変そうだし、乾くの時間かかりそうだな、と現実的な感想を抱いていると、神から驚愕の発言が飛び出した。
「妻の様子がおかしい」
は?
ん?
今、なんと?
つま?
うわーーーー。
痛い、痛い、痛い、痛い!
「うぅ……」
「なっ……大丈夫か⁉」
余りに、痛い妄想設定だ。
私は羞恥心で顔を顰め、神に抑えられていない方の手で胸を搔きむしった。
いつもは、不貞腐れた様子で半分閉じている神の目が、開眼した。
そして、神を押しのけて医師と看護師がやって来た。
胸元で両手を挙げて下がった神が、可愛い。
「三神さん、どうしました? 呼吸は苦しくないですか?」
医師は、黒の太い有線イヤホンみたいなものを耳に突っ込むと、看護師が私の着物の胸元を開いた。
あっ、和服着てたんだ、と今更気が付いた。
神は、私に背を向けて猫背気味に小さくなっていた。
聴診器が、ステンレスじゃない。
何かの角とか、そんな素材っぽい。
何、この夢。
設定が詳細すぎる。
私の想像力、いや、妄想力を褒めてあげたい。
「胸に痛みや不快感はありますか?」
「ありま、せん」
これから死ぬのに、診察される夢。
思わず、ふっと笑ってしまった。
医師が、きょとんと私を見た。
看護師さんが、手際よく私の着物を直し、腕についた血を拭ってくれた。
「すみません、夢なのに、ご迷惑をおかけします」
「……」
三人が、私の顔をじっと見た。
え?
メタ発言禁止の夢の中でしょうか?
「三神さん、ご自分のお名前を言ってみてください」
「三神さんがどなたか分かりませんが、私は、高泉と申します」
病室の空気が凍ったのを感じた。
ふむ、やっぱりメタ発言は駄目なのね。
設定に乗るのね。
そうだよね、せっかくのご褒美だもんね。
人は死ぬと、冥途の土産を貰うボーナスステージに入るのかな?
生きてるときは厳しいけど、最後は慈悲みせるのね。
ありがたい。
「……おい、妻は頭でも打ったのか? 高熱が出たせいか⁉」
神が医師の肩を、がしっと掴んだ。
医師の目が泳ぎ、ずれていない眼鏡を直した。
「いえ……あー、まぁ、しばらく意識を失っていた方は、少しの間、ぼんやりしていたり、妙な事を言い出したりすることがあります」
「本当か?」
「ええ」
医師の言葉を聞き、少し時を置いたのちに、神が大きなため息をついた。
そして、医師を押しのけて私と顔を見合わせた。
きょ、今日も、最高に素敵です。
「いいか、君は私の妻で、三神 絹子だ」
神は暗い顔、恐ろしく低い声で、死を宣告するかのように言った。
「みかみ きぬこ」
口に出して言ってみた。
とても、この大正時代っぽい雰囲気の名前だ。
それにしても、神の妻役の夢など――
ん?
あれ?
三神?
大正時代風?
んん?
「どうした? まさか、自分の名前も分からないのか?」
神の顔は、色を失って強張っている。
とても血色が悪い。
気難しそうで、神経質そうで――まさに『灰の血族』に出演していた時のビジュアルではないか。
ああ、そうなんだ。
物語を見届けられなかった無念な気持ちのせいかな?
「私は、三神 絹子で――か、いえ……貴方様は、三神 宵さま?」
あってますか?
探るように神、もとい 三神 宵を見つめた。
すると、彼の顔がふっと緩んだ気がした。
「なんだ、くだらない。驚かすな」
神は笑った。
「まったく……私は忙しい。家の者を呼んでくる」
心配して損をした。
そんな雰囲気で、自嘲し興味を失ったように踵を返した。
「なんて、人騒がせな……」
神は、コートを腕にかけ、手袋をソファから取り上げようとして、落とした。
すかさず拾い上げてくれた看護師から奪うように手袋を取り返し、こちらを見た。
もう行ってしまうのか。
一瞬、目があったけれど、神は何も言葉にせず再び背を向け、ドアへと歩きだした。
神が部屋を出たら、私の夢も終わりだろうか。
急に物悲しくなってきた。
仕事は割と好きだったけど、輝かしい青春は一切なかった。でも、神のおかげで、ここ数年は彩のある生活だった。
「あ、あの!」
私が呼び止めると、ドアノブを回す手がピタリと止まった。
「何だ」
不自然な姿勢のまま、神が問うた。
「お会いできて、嬉しかったです」
「……っ」
弾かれたように振り返った神は目を見開き、表情には信じられない……と書いてある気がする。
何なんだ――聞き逃しそうなほど、小さな声が聞こえた。
「おい、医者!妻は、やはり何かおかしい。ちゃんと調べろ……」
長い指が突き刺すように私を示した。
「は、はい?」
「いいか、隅から隅まで調べろ。明日、出社する前に結果を聞きに来る。朝一番にだ!」
「はい!」
神は、恫喝するように医師に申し付け、颯爽と部屋を出たけれど、ドアは静かに閉まった。
すると、医師が安堵したように息を吐いた。
仕方ないことだ。
この夢の世界観が『灰の血族』ならば、貧富の差は大きく、身分の差も歴然。
神は、商家の丁稚奉公からのしあがり海外へ飛び出し、帰国した後、起業した実業家だ。
商売の嗅覚が鋭く、大胆だが堅実。
絹子は身分を買われた華族の令嬢だ。
映画の中で『三神 宵』は、周囲の人間に、悪魔か死神か、そんな悪しきように言われ恐れられていた。
この時代の男性の平均からしたら、飛びぬけて大きな背も不気味に映ったようだ。
あんなに素敵なのに、気味の悪い男扱い。
金がなければ、近寄りたくないとか……。
もちろん、妻の絹子も、夫を嫌っていた。
「ご心配なさっていましたよ」
思考の海に潜っていたら、看護士に話しかけられ「は、はい?」と変な声が出た。
「腸炎を患って、治まったのに、日に日に衰弱したと」
「腸炎?」
なんだろう、食あたりとか?
あぁ、それで点滴を?
「もう少し遅かったら、危なかったんですよ」
「そうなんですか?」
脱水?
まぁ、確かにこの世界観だと、水分補給もあれだろうし。医学的知識も乏しく、病気への対処法も正解を得るのが難しい。
「昨日は、夜通し御付き添いなさってましたが、朝になって、もう心配ないと言われると出社なさってました」
「は、はぁ」
「食欲が沸いて、少し食べられるようになってから退院にしますか」
医師が、にこやかに微笑んで言った。
「食欲……そういえば、お腹がすいているような」
「それは良い。五日も食べてなかったそうですよ」
食欲。
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