神様のひとさじ

いんげん

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残された者

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 アダムは、うたた寝をしていた。

 目が覚めると、目の前には、すっかり冷めた紅茶が二人分、用意されていた。

「……あれ?」

 誰と、飲もうとしていたのだろうか。
 向かい側の椅子を見据えた。
 誰もいないのに、そこに温もりを感じるのは、なぜだろうか?
 アダムは、酷い喪失感に襲われ、頭に手を当てて考えた。

 思い出せない。

 椅子の向こうには、ふかふかのベッドがある。誰か、大切な人が眠っていた気がする。

「……イブ?」

 自分の片割れの女性、イブは何処だろうか。彼女の姿形が、ぼんやりと浮かんでは消えていく。

 アダムは、イブの幻を捕らえようと席を立った。

 胸がざわつく。彼女は何処だ?
 大変だ。早く、イブを探さないと!!
 また、手遅れにってしまう。

「……また?」

 アダムは、自分の記憶に首をかしげながら、外に飛び出した。

「イブ⁉」

 乱暴にドアを開け放ち、外を見回した。

 きっと、すぐ側に居るはずだ。
 彼女は、真っ白なワンピースに、美しい長い髪を風に遊ばせながら、待ってるはずだ。

「イブ!」

 畑にも、藁人間たちの家にも居ない。
 花畑にも、水車小屋にも。

 イブは、見当たらない。

 朝を迎えた楽園では、藁人間達が作業を開始している。
 彼らは、取り乱し、叫んで走り回るアダムに目もくれない。

「イブ! どこに居るの⁉」

 アダムは、楽園中を走り回って、彼女の痕跡を探した。

 何処にも居ない。

 イブが居ない。

 心臓が絞られたように痛んだ。そうだ、お腹がすいて実を食べに行ったのかも知れない。
 そう思い、赤い実の成る木へ走った。

「……イブ?」

 木の根元には、何処か見覚えのあるサンダルが、片方だけ落ちていた。
 とても嫌な予感がする。

「イブ、困った事が起きたの? どうして、僕を呼ばないの?」

 アダムは、サンダルを拾い、あたりを見回した。
 イブの木には、実は一つもなかった。

 おかしい……昨日、実をつけた気がするのに。

 この楽園で、自ら実を食べようとする者はいない。イブだけなはずだ。
 でも、彼女には手が届かない。

 実を、取るのは、僕の役目なんだ。
 
 サンダルを握るアダムの手が、震えている。

「イブ⁉」

 アダムは、必死に彼女の名前を呼んで、もう一度楽園を駆け回った。

 居ない。
 此処に居たはずの、イブが居ない。
 彼女は何処へ行ったんだ?

 ふと、思い出した。
 背の高い、暗い顔をした男だ。

「僕のイブを、唆した奴がいる……確か、ヘビとかいう人間だ」

 この地に、ポツポツと生まれた、偽物の人間。
 この辺りに住んでいたはずだ。

「イブを、取り戻さないと……」

 アダムは、爪が刺さるほど、サンダルを握りしめた。
 
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