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救世主は、助けない。
しおりを挟む「なっ……夕太郎……何、してんの……」
白いビニール紐が、僕の両手を拘束していく。
「時間稼ぎ。理斗が追いかけてくるのも迷惑だし。直ぐに通報されても困るし」
僕の手首を一纏めにしたビニール紐は、夕太郎のトレーニング器具に結びつけられた。そして、夕太郎はリュックに財布を詰めて、スマホをポケットから取り出して、少し思案してから僕の足下に投げ捨てた。
「まっ、待って! ねぇ、置いて行かないで。ぼ、僕、良いよ。犯人にされたって、それだって良いから、一緒に、連れてって!」
僕は腕を必死に引っ張って夕太郎に向かって叫んだ。僕は、もう周囲の都合の良い、聞き分けの良い子になりたくなかった。利用されても良い。絵に描いたような幸せじゃなくて良い。僕は、僕の意思で、選んで生きていきたい。夕太郎と一緒に居たい。
「理斗、話きいてた? もう理斗じゃ駄目なんだって」
リュックを背負った夕太郎が、僕に近づいて来た。
「で、でも! 嫌だ! こんな……さよならしたくない! まだ聞きたいこと一杯ある。紳一のこととか、二人の事とか! それに、僕……僕…っん!」
夕太郎が、僕の髪を掴んで上を向かせると、噛みつくように唇を合わせた。
「じゃあね、理斗」
夕太郎は笑った。
ニヤリ、と歯を見せて少し不気味に微笑んだ。
「……」
僕は、美しくて不気味な夕太郎の笑顔に言葉を失った。その間にも夕太郎の背中が遠ざかっていく。
「まっ……まって! 置いて行かないで! 夕太郎!」
夕太郎は、振り返らず、部屋を出て行った。駐車場の方から、軽トラックのエンジン音が聞こえる。タイヤが、砂利を潰し音を立て、やがて何も聞こえなくなった。
僕は、一人残された
夕太郎が部屋から出て、何とか手首を拘束するビニール紐を取ろうと藻掻いた。
でも、動けば動くほど、手首が食い込んで痛い。
家庭用の懸垂器具の真ん中辺りに、縛られた腕が固定されてしまっている。僕は、足下に落ちている夕太郎のスマホを、たぐり寄せようとつま先を伸ばした。
「と、とどかない!」
スマホは、あと少しの所で届かない。
「もー! どうしろっていうんだよ!」
僕は、手も足も出ない状況に、イライラして頭を器具の棒に叩きつけた。そして、閃いた。
「節子さーん! すみません! 節子さん! 助けて下さい!」
このアパートは、大きな音や声が筒抜けだ。きっと大きな声で叫べば、聞こえるはず。それに、夕太郎は、鍵を掛けて出かけなかった。
「節子さん! 居ませんか⁉」
僕は、噎せ返るほど大きな声で叫んだ。そして、少し疲れて叫ぶのを辞めると、アパートの外の階段から音が聞こえてきた。一歩ずつ、静かに登ってくる足音だ。
「節子さん!」
僕は期待に胸を膨らませて玄関を見つめ、ついにその扉がゆっくりと開いた。
現れた小柄な節子さんが、とても大きな存在に思え、涙すら浮かんできた。
「……あんた、何それ」
「節子さん」
僕が涙ながらに満面の笑みで彼女をみると、彼女は、ものすごく苦い顔をした。
「そういう、行為が流行なの?」
「は? た、助けて欲しいんです。コレ、切ってください! 夕太郎が出て行っちゃって!」
必死に説明する僕をよそに、節子さんは「よっこいしょ」と言いながら履いてきたサンダルを脱いで、ゆっくりと僕に近づいて来た。
「は、ハサミが、キッチンの引出しに入ってます」
「あの子出て行ったの? アンタを置いて?」
節子さんは僕の話を無視して、此方まで来るとスマホを拾い上げた。
「そ、そうです……色々あって……」
僕は顔を伏せて唇を噛みしめた。
「そう、コレをやったのが、あの子なら。私は解かないわ」
「え⁉ ど、どうしてですか」
「悪いけど、あんたより、あの子の方が付き合い長いし。ほら、せめてもの情けよ」
節子さんが、僕の縛られた手にスマホを載せてくれた。それでも助けてくれませんか、と言い募ろうとしたけれど、節子さんの有無を言わせない強い眼差しに、無理だと悟った。
「あ……りがとうございます。騒いで、ごめんなさい」
僕は手の中にあるスマホを取り落とさないように、ギュッと握った。
「まぁ、二時間ぐらい経って誰も助けに来なかったら、また来てあげるわ。あんた、おしっこは? 尿パットいる?」
至極真面目に聞いてきた節子さんに、大丈夫ですと首を振った。
「じゃあね。最後に言っておくけど……あの子、相当嘘つきよ。私は嫌いじゃ無いけど、恋人にするには、難解だわ。追いかけたりしない方が身の為よ」
「……ありがとうございます。でも……もう、ちょっと無理っぽくて」
僕は、自分自身に苦笑した。だって、夕太郎の隣は、居心地が良すぎた。今までの僕は、常に誰かに気を遣っていた。嫌われないように、邪魔にならないように。でも、夕太郎には、自然体で居られた。自分の言いたいことを言えたし、甘えられるようになった。必要とされることにも満たされた。
夕太郎がヘラヘラした笑顔で抱きついてくるのが大好きだった。
今までの事が、全部嘘だったとは、どうしても思えない。このままじゃ終われない。
「もっと、ちゃんと振って貰わないと、納得できないんです」
それに、紳一の事も、教えて欲しい。
「若いわね。話聞いてるだけで疲れるわ……」
節子さんは、ふんっと鼻で息を吐いて、僕に背を向けて出て行った。
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