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消えていく【兄視点】
しおりを挟む理斗と桜川警部補の姿が見えなくなった。
俺は、神妙な面持ちで手錠を掛けられ、こちらを見ている海棠夕太郎と向き合った。
今から、殴る。
俺は、海棠が左に倒れ込むと想定して、左側を確認した。墓石に頭を打ったら死ぬかも知れないが、こいつの隙の無さと、体幹、歩き方を見る限り、倒れ込む事は無いだろう。
よし、右足を半歩下げて、思いっきり海棠の顔面に振りかぶった。
「っ!」
海棠が攻撃を察知した瞬間、一瞬防御しかけたが、すぐに抑圧したようだ。ノーガードの海棠の頬を拳で殴った。
「……くそ」
海棠は一歩下がっただけで、ふらつきもしない。黒いキャップだけが、パサリと芝生に落ちた。
「すいません……つい頚逃がしました。あの……もう一回お願いします」
手錠の掛かった手の甲で切れた唇を拭いながら、海棠が直立した。
「今日は、これくらいにしておく。理斗に嫌われるからな。で、何でお前は海棠夕太郎を名乗ってるんだ」
俺は、海棠のキャップを拾い、押しつけるように被せた。そして、至近距離で睨み付けた。
「……」
海棠は、眉を上げて微笑むだけで何も答えない。
「お前、星野紳一だろ。確かにガリガリの小さい頃に比べて面変わりしているが、親しかった人間が気づかない程じゃ無い」
俺は、職業柄、人の顔を覚えるのは得意だ。相手が雰囲気や格好を変えても、気がつく。だが、この男の顔立ちは、俺じゃ無くても気がつくだろう。子供の頃から小さくシャープな顔は、巨匠の彫刻のようになめらかに凹凸があり、強い印象を抱かせる鋭い眉と、目が印象的だ。
「……」
海棠は口を開かない。そこで、俺は疑問を言葉にした。
「なぜ、理斗が気づかない?」
纏う空気から、海棠の動揺が伝わってくる。
海棠は、一歩さがり、俺から視線をはずして話し始めた。
「昔、一冊の本を能力で飛ばしました。それは十年の時が経って、部屋の中にいつの間にかあって、不思議に思ってました。その本は、以前、俺が持っていた本と少し違ったんです。何ページかが白紙になっているし、所どころ、不自然に文字が薄くなっていて……月日と共に消えました。理斗のマスコットは、見た目は、変わりなかったけど……理斗にとっての白紙のページは、飛ばされる前の出来事で、消えた文字は星野紳一なのかもしれない」
「……それは、お前の能力は副作用みたいなものがあるってことか? 理斗は、今後大丈夫なのか⁉」
俺は、海棠の胸ぐらを掴んで引き寄せた。
「わかりません。理斗以外は、物か死体しか飛ばしてないんで」
「……どういう事だ。そもそも、なぜ海棠鴻大は、お前を息子とすり替えた?」
「……さぁ、俺に分かるわけない。ただ……俺と本当の夕太郎は、家出仲間でした。夕太郎がどんな家庭で育ったかなんて聞いた事無かった。そんな時に夕太郎があんな怪我して、病院に運ばれて……アイツ保険証なんて持ってなかったから、俺の名前を貸した。俺は、良くも悪くも養育を放棄されている未成年だった。コイツは施設から抜け出してきた少年だと色々教えたら、後は全部やってくれた」
「ちょっと待て……おかしくないか。じゃあ、なぜ星野剛は面会に? 入院していたのは海棠夕太郎なんだろう?」
俺は、海棠から手を離し、コメカミに手を当てた。
「面会に来てたのは、親父……海棠鴻大だ。息子を探して、病院に来た。その時には、夕太郎は未成年じゃなくなってたから、俺がずっと治療費を払って、面倒みてたから、恩義を感じたんだろうな。親父、義理堅いから。そこで、色々話して……そのままで良いって言いだした。星野剛として見舞いに来るし、治療費も払うって」
「それは、おかしいだろう。なら……そもそも星野剛との金銭トラブルもない」
海棠の顔を見ると、ヤツは、冷めた表情で薄らと微笑んでいた。
「そうですね。もう死んでましたし」
「は? 星野剛の死亡推定時刻は……お前……」
まさか、思い浮かんだ考えに、体が強ばった。
「十年前に殺したんです。その死体を処理するために力を使った。そしたら……理斗を巻き込んでしまった。すみません」
「……どういうことだ」
「アイツは……十年前、金に困って悪い奴らと関わるようになって、能力のある子供が高く売れることを知った。それで、俺を迎えに来ました。もちろん、俺は断って抵抗した」
俺は、海棠の言葉に耳を傾けながら、最近あった事件の事を思い出した。逮捕された野良のリーディング能力者も、幼少期に親に売られ、ずっと闇の社会で生きて来たようだった。よくある話だ。
「そこに、理斗が現れて……アイツがナイフで理斗を追い払おうと脅した。だけど、理斗は、俺を助けようと向かって来た。揉み合いになって、落ちたナイフで俺がアイツを刺した」
スラスラと語られる過去は、その情景が思い浮かぶほどだが、違和感が拭えない。何故だ。
「小銭、本、マスコット……随分小さい物も限局して消せるのに……なぜ、理斗を巻き込むことになった?」
例えば、コイツが能力で父親を消そうとした時に、理斗が星野剛を刺していたなら?
「俺も混乱してたんですよ」
「……」
このまま、この話でコイツを逮捕すれば良い。だが、思わぬ所で足を掬われるかも知れない。全てを知った上で、判断したい。俺は、もう少し海棠から情報を引き出そうと決めた。
「海棠鴻大は出頭する前に、俺に理斗のスマホと当時着ていた服を送ってきた。そしてカッターナイフと星野剛の免許証を持参して出頭した。あのスマホはずっとお前が持っていた……ソコには何がある? 海棠鴻大が自首するのに、相応しく無い証拠品なのか?」
「……別に、何も」
「データなんて消しても復元できるし、お前が知り得ない能力もある。なぜ、廃棄しなかった……もしも、お前が理斗を庇う気なら……もっと、ちゃんとやれよ。俺が廃棄する。で、何が入っている?」
俺は、海棠と肩を組むように身を寄せた。海棠が深いため息を吐いた。
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