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最終章 さよならを言う前に

第45話 孤軍

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 巨大な荒魂がゆっくりと足を踏み出す。大きさからそう見えるだけで、実際には常人の全力疾走に近い速度だ。
 車道を堂々を歩く姿を確認すれば、哉太の焦る理由が充分に理解できた。これは、一刻も早く止める必要がある。

『あいつ、隠す気がないぞ』

 荒魂の存在に気付かない自動車が、足の側面を掠めた。突然に進路をずらされた運転手は、慌ててハンドルを切る。しかし間に合わず、減速しつつもガードレールへと突き刺さった。
 幸いにも存在を喰われた様子はなかった。だが、このままでは【そこに何かある】と認識されるのは時間の問題だろう。

『行ってくれ。俺はビルの中のを止める』
「了解」

 哉太は《操》を使うつもりだ。もしかしたら、このまま消えてしまうかもしれない。最悪の事態を想像ながらも、由美は肯定の言葉を返した。
 
『切るぞ』
「うん、また後で」
『たぶん、来るからな。気を付けろよ』
「了解、ありがとう」
 
 由美の中から哉太の意思が消える。ここから暫くは、それぞれの戦いだ。そして、これを機とする者がいることも予想の範疇だ。いつでも対応できるように意識を強く持つ必要がある。
 
「よしっ!」

 気合を入れた由美は《動》を込めてアスファルトを蹴った。

 あの荒魂には五体それぞれに核がある。まずは動きを止めるため、脚部を集中して狙うと決めた。左は膝、右は脹脛ふくらはぎ。先程哉太から送られた位置情報で、大まかな狙いどころは把握できていた。
 通常のものより遥かに太い脚は、矢で射貫くことはできないだろう。突き刺すにしても切り裂くにしても、肉薄しなければならない。

 由美が荒魂に追い付いた時には、数台の車が接触事故を起こしていた。決して良いとは言えないが、青白い光が見えない事だけが救いだった。
 戦いは可能な限り短期決着が望ましい。核の詳細な位置を確認するため、由美は走りながら両掌を合わせた。

「ん……」

 肉体から意識が離れていくような感覚を抑え込んだ。荒魂の背中を睨めば、核の位置が手に取るようにわかる。由美は《動》を使ったままで《調》を発動していた。
 広範囲を認識調査するのでなければ、肉体から意識を放つ必要はない。今夜の決戦に向け、由美が習得した新たな力の使い方だ。

「はあっ!」

 長槍を手に、由美は跳躍した。狙うは左膝だ。

「ふっ!」

 全力で突き出した槍は、的確に核を捉えていた。はずだった。刃が核に触れる直前で、由美の身体が硬直していた。

『《調》にそんな使い方があったとはね。だが、やらせはしないよ』

 由美の頭に声が響く。想定通りの《操》だ。前回の時よりも力が増しているように感じられる。これは、容易には抜けられないだろう。

『今からでもいい。俺と共に来ないか?』

 誘いに乗る気など、全くなかった。そもそもの価値観が違うとわかった相手だ、返答をする価値もない。かつて恋をしていた思い出だけは胸に残し、今はその存在を振り切っていた。
 哉太によれば《操》とは《調》で相手の意思を把握し、《伝》で自分の意思を送り込む技術だ。意のままに操作するには、深くまで相手を把握することが求められる。つまり、現状の久隆は由美を完全に捕まえておくことはできない、という事だ。

「ふぅっ!」

 由美は全力で《動》を行使した。深くまで入り込まれていないならば、あとは単純な力比べだ。

『由美、そんなことをしたら、存在を失うぞ』

 平静を装ってはいても、内心の動揺は隠せていなかった。消耗していくのは、由美だけではないからだ。だからといって、力の行使を緩めたりしない。由美の身体は、少しずつ呪縛から逃れ始めていた。
 
『ちいっ! もういい!』

 舌打ちと共に、久隆の意思が由美から離れた。直後、幕森大社に向かい前進していた荒魂が、踵を返す。由美を止めることよりも、排除することを選んだのだ。
 
 巨体は右足を持ち上げ、由美の真上へと移動させる。そのまま踏みつけるつもりだ。
 由美は素早く右側に移動し、足の裏から逃れる。それを見計らったように、眼前に巨大な拳が迫った。
 
「くっ!」

 避ける余裕はなかった。分厚い壁を造りだし身を守る。次の攻撃はすぐにでも来るはずだ。動きを止めることは敗北に直結する。
 由美は青く煌めく刀を片手に、勢いを失った腕に飛び乗った。二歩先の肩口に、左腕の核がある。

「はぁっ!」

 掛け声とともに刀を振り下ろす。なまじ巨体なだけに、近付いてしまえば対応が鈍くなる。核を破壊する手応えと共に、荒魂の左腕が消失した。
 着地する直前、頭上に掌が見えた。夏場の蚊にするように、叩き落とそうとしている。未だ由美は空中だ、そのままでは回避できない。

「ああっ!」

 両手に刀を持ち、上を向けて振り回す。荒魂の指が細切れになり、そのまま消えた。ただし、由美が地に足を付けた時には、既に再生が完了していた。体の各所に核を配置した意図はそれだった。左腕の再生に時間がかかっていることが証拠だ。
 
 再び振り下ろされる平手を避けつつ、由美は二振りの刀を投擲した。目標は左の膝だ。
 狙いを由美から変更した右手が、刀を打ち落とす。その隙に、最速で荒魂の後ろに回り込んだ。手には長大な薙刀。力の出し惜しみはしていられない。

「だぁ!」

 横薙ぎに振られた刃は、右脚を核もろとも両断した。太腿から先を失った荒魂は、バランスを崩し道路へと倒れ込む。無人のワンボックスカーが巨躯に押し潰された。
 
 核は残り三つ。左腕はまだ再生しきっていない。畳みかけるのならば、今だ。
 次は無防備になっている左膝を狙う。得物は長槍が妥当だろう。由美は《造》を行使しながら、自身の脚に力を込めた。

「なっ……」

 一瞬、状況が理解できなかった。直進しているはずが、目の前には黒いアスファルト。次の瞬間、地面へと倒れ込んだことで、漸く事態を把握した。
 力の使い過ぎだ。いくら哉太との存在証明が強固とはいえ、今夜は無理をし過ぎている。

「もう少し、なのに……」

 立ち上がろうにも、全身に力が入らない。自分の存在も、どこか揺らいでいるように感じられる。

『これで終わりかい?』

 愉悦交じりの声が頭に入ってくると同時に、身体の自由が奪われた。必死に抵抗しようとするが、《動》は発揚しなかった。
 倒れたままの由美を、巨大荒魂が掴み上げた。辛うじて自分の周りに壁を造だす。握り潰されないようにするのが精一杯だった。

『時間の問題だね。少しだけ待とうか』

 徐々に壁が割れてきている感覚がある。久隆の言う通り、時間の問題なのかもしれない。しかし、諦めるつもりなどなかった。

『お待たせ』

 なぜなら、由美は一人で戦っているのではない。頼りになる相棒であり、愛おしい相手が一緒なのだから。
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