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第2章 幼馴染と崖っぷちの未来
プロローグ 六歳の誕生日、或いは死の秒読み
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ゴゴゴゴゴゴッ―――!!!
凄まじい地響きと共に、足元の世界が崩れ落ちていく。それは、まるで大地という生き物が、断末魔の叫びを上げているかのようだった。耳を劈く轟音、鋭い岩石の破砕音、そして、全てを飲み込まんと舞い上がる、赭土色の土煙。巨大な岩塊が積み木のように虚空に放り出されては、遥か眼下の谷底へと、蒼い空虚に吸い込まれていった。
ほんの数秒前まで、二人が立っていたはずの崖の上が、今はもう存在しない。抉り取られた大地の断面が、無惨な姿を晒している。
呆然と、信じられないものを見る目でその光景を見つめる少女、マリア。
その生命力にあふれた快活な翠色の瞳が、今は恐怖と理解不能な現実を映して、大きく見開かれていた。
そして、その小さな腕を掴み、崩落の寸前に安全な場所まで引きずった少年、カイルは、肺が焼け付くような痛みを感じながら、荒い息をついていた。彼の視線は、マリアではなく、今や虚空となった空間の一点に、固く、固く縫い付けられていた。
(間に合った……!)
心臓が、まるで城の警鐘のように、彼の肋骨の内側で乱暴に鳴り響いていた。安堵。
全身の力が抜けていくような、凄まじい安堵感。
だが、それと同時に、自らの無力さを改めて噛み締めていた。
未来を視ることができても、六歳の少年の身体では、出来ることがあまりにも少ない。
あと一歩間違えれば、あと一秒判断が遅れていれば、この腕の中にいる温かい感触は、永遠に失われていたのだ。
これが、彼がカイル・ヴァルモットとして六歳になった誕生日に起きた、神が仕掛けた理不尽な運命に対する、最初の戦いの結末だった。
ーーーーー
――その日の朝は、どこまでも平穏な、祝福に満ちた光景から始まった。
ヴァルモット辺境伯邸の一室。カイル・ヴァルモットは、小鳥のさえずりと共に静かに目を覚ます。豪奢だが華美ではない、質実剛健な趣味で統一された部屋に、朝の柔らかな光が差し込んでいた。厚いガラス窓を通り抜けた光が、磨き上げられた床の上に金色の縞模様を描き出している。
今日で、彼は六歳になった。
前世、佐藤翔太として生きた三十年間を思えば、まだほんの子供だ。しかし、この世界に生を受けてからは、一日一日が前世の一ヶ月にも匹敵するほど濃密だった。
カイルは、ベッドからそっと抜け出すと、窓辺に歩み寄った。窓の外には、彼が愛するようになった故郷の景色が広がっている。
(誕生日、か……)
前世の記憶を持つ彼にとって、誕生日は、失われた年月を思い出し、少しだけ感傷的になる日でもあった。三十歳の誕生日は、確かプロジェクトの最終デッドラインと重なり、コンビニで買ったショートケーキをデスクの隅で食べただけだった。誰かに祝われることもなく、ただ一人、モニターの光の中で迎えた、孤独な記念日。
それに比べれば、今の自分はどれほど恵まれていることか。優しい母、厳格だが愛情深い父、そして、彼を慕ってくれる侍女や騎士たち。この温かい世界が、彼にとってはあまりにも眩しく、そしてかけがえのないものだった。
彼は、自分の小さな手のひらを見つめる。六歳児の、まだ丸みを帯びた、頼りない手。この小さな手で、一体何が守れるというのか。
いや、と彼は首を振る。
無力ではない。自分には【神眼】がある。
あの忌まわしきベビーベッド事件から五年。
彼は、この力を制御し、日常に潜む小さな不幸を回避する術を学んできた。
床の軋みを予知して侍女の転倒を防ぎ、料理人の火傷を未然に防ぎ、馬の蹄の異常を指摘して落馬事故を回避する。
彼の的確すぎる助言は、周囲の大人たちから「カイル様は、不思議なほどよく気がつく賢いお子様だ」と、感心されるだけに留まっていた。誰も、彼が本当の「未来」を視ているなどとは、夢にも思っていない。
それでいい。この力は、切り札だ。
来るべき大きな「滅びのフラグ」に立ち向かうための、僕だけの武器なのだから。
(さて、今日の予定は……)
カイルが静かな一日の計画を立てようとした、その時だった。
遠くの廊下から、タタタタッ、という軽快で、そして非常に慌ただしい足音が聞こえてくる。
その足音は、まるで小さな台風のように、一切の躊躇なく彼の部屋へと向かってきていた。
(……来たな)
カイルは、ふっと口元を緩めた。
彼の静かで感傷的な朝は、どうやらあと数十秒で、終わりを告げるらしい。
なぜなら、あの嵐のような幼馴染が、もうすぐやってくる時間だからだ。
彼の平穏を祝福し、そして、盛大にかき乱すために。
凄まじい地響きと共に、足元の世界が崩れ落ちていく。それは、まるで大地という生き物が、断末魔の叫びを上げているかのようだった。耳を劈く轟音、鋭い岩石の破砕音、そして、全てを飲み込まんと舞い上がる、赭土色の土煙。巨大な岩塊が積み木のように虚空に放り出されては、遥か眼下の谷底へと、蒼い空虚に吸い込まれていった。
ほんの数秒前まで、二人が立っていたはずの崖の上が、今はもう存在しない。抉り取られた大地の断面が、無惨な姿を晒している。
呆然と、信じられないものを見る目でその光景を見つめる少女、マリア。
その生命力にあふれた快活な翠色の瞳が、今は恐怖と理解不能な現実を映して、大きく見開かれていた。
そして、その小さな腕を掴み、崩落の寸前に安全な場所まで引きずった少年、カイルは、肺が焼け付くような痛みを感じながら、荒い息をついていた。彼の視線は、マリアではなく、今や虚空となった空間の一点に、固く、固く縫い付けられていた。
(間に合った……!)
心臓が、まるで城の警鐘のように、彼の肋骨の内側で乱暴に鳴り響いていた。安堵。
全身の力が抜けていくような、凄まじい安堵感。
だが、それと同時に、自らの無力さを改めて噛み締めていた。
未来を視ることができても、六歳の少年の身体では、出来ることがあまりにも少ない。
あと一歩間違えれば、あと一秒判断が遅れていれば、この腕の中にいる温かい感触は、永遠に失われていたのだ。
これが、彼がカイル・ヴァルモットとして六歳になった誕生日に起きた、神が仕掛けた理不尽な運命に対する、最初の戦いの結末だった。
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――その日の朝は、どこまでも平穏な、祝福に満ちた光景から始まった。
ヴァルモット辺境伯邸の一室。カイル・ヴァルモットは、小鳥のさえずりと共に静かに目を覚ます。豪奢だが華美ではない、質実剛健な趣味で統一された部屋に、朝の柔らかな光が差し込んでいた。厚いガラス窓を通り抜けた光が、磨き上げられた床の上に金色の縞模様を描き出している。
今日で、彼は六歳になった。
前世、佐藤翔太として生きた三十年間を思えば、まだほんの子供だ。しかし、この世界に生を受けてからは、一日一日が前世の一ヶ月にも匹敵するほど濃密だった。
カイルは、ベッドからそっと抜け出すと、窓辺に歩み寄った。窓の外には、彼が愛するようになった故郷の景色が広がっている。
(誕生日、か……)
前世の記憶を持つ彼にとって、誕生日は、失われた年月を思い出し、少しだけ感傷的になる日でもあった。三十歳の誕生日は、確かプロジェクトの最終デッドラインと重なり、コンビニで買ったショートケーキをデスクの隅で食べただけだった。誰かに祝われることもなく、ただ一人、モニターの光の中で迎えた、孤独な記念日。
それに比べれば、今の自分はどれほど恵まれていることか。優しい母、厳格だが愛情深い父、そして、彼を慕ってくれる侍女や騎士たち。この温かい世界が、彼にとってはあまりにも眩しく、そしてかけがえのないものだった。
彼は、自分の小さな手のひらを見つめる。六歳児の、まだ丸みを帯びた、頼りない手。この小さな手で、一体何が守れるというのか。
いや、と彼は首を振る。
無力ではない。自分には【神眼】がある。
あの忌まわしきベビーベッド事件から五年。
彼は、この力を制御し、日常に潜む小さな不幸を回避する術を学んできた。
床の軋みを予知して侍女の転倒を防ぎ、料理人の火傷を未然に防ぎ、馬の蹄の異常を指摘して落馬事故を回避する。
彼の的確すぎる助言は、周囲の大人たちから「カイル様は、不思議なほどよく気がつく賢いお子様だ」と、感心されるだけに留まっていた。誰も、彼が本当の「未来」を視ているなどとは、夢にも思っていない。
それでいい。この力は、切り札だ。
来るべき大きな「滅びのフラグ」に立ち向かうための、僕だけの武器なのだから。
(さて、今日の予定は……)
カイルが静かな一日の計画を立てようとした、その時だった。
遠くの廊下から、タタタタッ、という軽快で、そして非常に慌ただしい足音が聞こえてくる。
その足音は、まるで小さな台風のように、一切の躊躇なく彼の部屋へと向かってきていた。
(……来たな)
カイルは、ふっと口元を緩めた。
彼の静かで感傷的な朝は、どうやらあと数十秒で、終わりを告げるらしい。
なぜなら、あの嵐のような幼馴染が、もうすぐやってくる時間だからだ。
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