174 / 214
第十二章 蒼穹の方舟と、空に還る想い
響き渡る魂の歌
しおりを挟む
《この音なき地に、世界で最も美しい音を響かせなさい》
双子の神柱から告げられた試練は、あまりにも無慈悲で、そして絶望的だった。
俺たち――イッセイ・アークフェルド一行は、水晶に眠る神柱たちを前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
音のない世界。
ここでは鳥のさえずりも、風の囁きも、自分の心臓の鼓動すら聞こえない。
そんな場所で、「音」を響かせろ? しかも、「世界で最も美しい」音を?
(……無理難題にも程があるだろ)
俺の隣で、フィーナが蒼白な顔で唇を噛み締めていた。彼女の長いウサ耳は力なく垂れ下がり、その瞳からは輝きが消えかけている。
歌姫から歌を奪うことが、どれほど残酷なことか。彼女の武器も、誇りも、存在意義すらも、この静寂の世界では意味をなさない。
リリィも同じだった。いつもなら真っ先に声を上げ、その商魂たくましい弁舌で場を引っ掻き回すはずの彼女が、今は何も言えずに俯いている。彼女にとって「声」とは、人を動かし、商売を成立させるための最強の武器だ。その武器を封じられ、無力感に苛まれているのだろう。
『……どうすればいいのですか』
セリアが魔導ボードに厳しい表情で書き込む。彼女は常に冷静であろうと努めているが、その文字の運びには焦りの色が滲んでいた。
『物理的に音を発生させられない以上、魔法的な手段を考えるべきです。例えば、空間そのものを振動させる魔術とか……』
『試してみる価値はあるかもしれませんわね』
クラリスも同意するように書き込むが、その表情は険しい。
『ですが、「美しい」という定義が曖昧すぎます。どのような音色が、神柱にとっての“美”に相当するのか……』
『うーん、こういうのって芸術点の採点みたいなものよねぇ。審査員の好み次第ってこと?』
ルーナがボードに書きながら、困ったように首を傾げた。
シャルロッテは静かに目を閉じ、精霊たちに問いかけているようだった。だが、しばらくしてゆっくりと目を開けると、小さく首を横に振る。
『精霊たちも……ただ、待っている、としか……。“魂が震える音”を、待っている、と……』
魂が震える音。
その言葉が、俺の心の奥に小さな棘のように引っかかった。
(フィーナ視点)
もう、ダメかもしれない。
イッセイくんたちが何か話し合ってるみたいだけど、わたしの頭には何も入ってこなかった。
「最も美しい音」
その言葉が、鉛のように重くのしかかる。
美しい音……それは、わたしの歌のことじゃなかったの?
心を込めて、みんなを励ますために、世界に希望を届けるために歌ってきたわたしの歌が、一番美しいって……そう信じてきたのに。
でも、声が出ないこの場所で、わたしに何ができるの?
わたしは、ただの足手まといだ。
みんなが必死に考えてくれてるのに、わたしだけが、この試練の前で完全に無力だった。
悔しくて、情けなくて、涙が出そうになる。でも、ここで泣いたら、もっとみんなに心配をかけてしまう。
ぎゅっと拳を握りしめて、俯くことしかできなかった。
イッセイくんの役に立ちたい。みんなの力になりたい。
そう思えば思うほど、自分の無力さが際立って、心がきしむ。
(ごめんなさい、みんな……ごめんなさい、イッセイくん……)
心の中で謝罪を繰り返していた、その時だった。
ふわりと、温かいものがわたしの頭に触れた。
顔を上げると、すぐ目の前に、イッセイくんの優しい瞳があった。
彼は何も言わなかった。声が出ないから。
でも、その眼差しは、どんな言葉よりも雄弁に語りかけてくれていた。
――『大丈夫だ』、と。
そして、彼は魔導ボードに、ゆっくりと文字を書いていく。
『フィーナ。君の歌は、声だけでできているのか?』
……え?
どういう、意味……?
わたしが戸惑っていると、彼はさらに言葉を続けた。
『俺は、そうは思わない。君の歌は、君の“想い”そのものだ。誰かを励ましたい、笑顔にしたいっていう、その温かい心が音になってるだけだ。だから――』
彼の指が、力強く、最後の言葉を綴った。
『――声が出なくても、君の魂は、今も歌っている』
魂が、歌っている……?
その言葉が、雷のように私の心を貫いた。
そうだ。わたしは、ただ声を出していただけじゃない。
嬉しいとき、悲しいとき、楽しいとき、いつも心が先に動いて、それが歌になっていた。
わたしの歌の源は、声帯じゃない。この、胸の奥にある……魂なんだ。
「……っ!」
涙が、一粒こぼれた。
でも、それはさっきまでの悔し涙じゃなかった。
温かくて、嬉しい涙だった。
イッセイくんは、わたしのこと、ちゃんと見ててくれたんだ。
声が出なくても、わたしはわたしだって、信じててくれたんだ。
わたしは涙を拭うと、彼に向かって、今までで一番の笑顔で頷いた。
もう、迷わない。わたしも、戦う。
この、魂で。
(三人称視点)
フィーナの瞳に再び光が灯ったのを見て、俺は静かに頷いた。
そうだ。諦めるのはまだ早い。
神柱の試練は、いつだって俺たちの“本質”を問うてきた。力だけでなく、心そのものを。
ならば、この試練の答えも、きっとそこにある。
(音とは何か? 美しいとは何か?)
俺は思考を巡らせる。
前世、俺はゲーム開発者だった。サウンドエフェクトやBGMの設計にも関わったことがある。
音とは、物理的には物体の「振動」が、空気などの媒体を伝わって耳に届く現象だ。
この《静寂の海》には、その媒体となる「空気の振動」が存在しない。だから音は伝わらない。
だが、本当にそうか?
この世界には「魔力」があり、「精霊」がいる。
空気だけが、唯一の媒体じゃないはずだ。
(振動……そうか、振動だ)
風の神柱。風王。
この章のテーマは、ずっと「風」だった。
そして、「風」とは何か?
――空気の移動、つまり「空気という媒体の振動」そのものじゃないか。
(音が空気の振動で、風も空気の振動……なら、音と風は本質的に同じものだ!)
点と点が、線で繋がった。
この音なき地は、風なき地でもある。神柱は「音」と「風」の両方を封じているんだ。
だから、物理的な音を発生させるのは不可能。
では、「世界で最も美しい音」とは?
美しい、という感覚は主観的なものだ。ある人にとって美しいメロディも、別の人には雑音かもしれない。
だが、万人が、いや、この世界の精霊や神々までもが「美しい」と感じる普遍的な音があるとすれば……それは何だ?
シャルロッテが言っていた。
『魂が震える音を、待っている』
魂の振動。
生命の鼓動。
想いの響き。
(――それだ!)
俺は確信した。
神柱たちが求めているのは、楽器や歌声といった物理的な音じゃない。
俺たち自身の「魂の振動」――つまり、「魂の歌」なんだ。
俺は魔導ボードを掲げ、仲間たちに書き記した。
『答えがわかった。俺たちが響かせるべき音は、外にあるんじゃない。俺たちの“内側”にある』
仲間たちが怪訝な顔で俺を見る。
『音の本質は振動だ。そして、最も純粋で美しい振動は、俺たちの“魂”そのものだ。みんなの想いを一つに重ねて、共鳴させる。それがきっと、「世界で最も美しい音」になる』
突拍子もない提案。だが、俺の目は真剣だった。
俺はフィーナに視線を送る。彼女は力強く頷き返してくれた。その瞳には、もう迷いはない。
『どうやって……?』
セリアが問いかける。
『エリュアの音叉を使う。あれは風を束ねるものだと言っていた。風が振動であるなら、魂の振動も束ねられるはずだ。俺が中心になって、みんなの想いを音叉に集める。そして、一つの“歌”として、この神殿に響かせるんだ』
俺の言葉に、仲間たちの間に動揺が走る。だが、それはすぐに決意の色に変わっていった。
今の俺たちには、これしか道はない。そして、イッセイ・アークフェルドという男が、決して根拠のない無謀な賭けはしないことを、彼女たちは知っていた。
『……信じますわ、イッセイ様』
クラリスが凛とした表情で書き込む。
『ふふっ、面白くなってきたじゃない。魂のセッションってわけね!』
ルーナが楽しげに笑う。
『よし、決まりだな』
俺は神柱たちに向き直り、心の内で告げた。
(待っててくれ。今から、俺たちの最高の歌を聴かせてやる)
俺たちは輪になり、そっと手を繋いだ。
ひんやりとしたフィーナの手、少し汗ばんだリリィの手、固く引き締まったセリアの手……それぞれの体温が、想いが、掌から伝わってくる。
俺は中央に立ち、風王の音叉を両手で静かに構えた。
目を閉じる。
「……いくぞ」
声にはならない、心の声。
仲間たちに、そして自分自身に語りかける。
(思い出せ。俺たちが何のために旅をしてきたのか)
――クラリスは、王女としての責務と民への愛を。窮屈な王宮を飛び出し、仲間と共に世界を知り、守るべきもののために戦うと決めた、その気高き魂を。
――ルーナは、公爵令嬢としての仮面を脱ぎ捨て、一人の少女として仲間との絆を求めた。イッセイの隣で笑い、支えると誓った、その一途な魂を。
――リリィは、商人として夢を追い、ぷるぷるの泡で世界を笑顔にすると決めた。仲間を癒し、未来を切り拓こうとする、その快活な魂を。
――セリアは、守られるだけの侍女ではなく、主君の背中を守る剣になると誓った。不器用な優しさと、秘めた恋心を力に変える、その忠誠の魂を。
――フィーナは、歌を奪われた絶望を乗り越え、魂で歌うことの意味を知った。誰かを元気づけたいと願う、その純粋な魂を。
――ミュリルは、孤独だった過去を越え、仲間という家族を得た。この温かい居場所を守りたいと願う、その無垢な魂を。
――シャルロッテは、精霊の声を聞き、人間と自然の架け橋になると決めた。世界の調和を祈る、その清らかな魂を。
――そして、俺は。転生者として、多くの仲間と出会い、この世界で“生きる”と決めた。彼女たち全員の未来を、この手で守り抜くと誓った、この魂を。
それぞれの想いが、祈りが、願いが、温かい光となって胸から溢れ出す。
その光は手と手を伝って繋がり、輪を描き、そして中央に立つ俺の身体へと流れ込んできた。
音叉が、熱い。
まるで生き物のように脈打ち、共鳴を始める。
音は、ない。
だが、空間が震えている。
神殿の石畳が、柱が、天井の水晶が、俺たちの魂の振動に呼応して、微かに、しかし確かに震えている。
キィィィィン――!
音叉から放たれた光の波紋が、神殿全体に広がっていく。
それは音なき歌。言葉なき詩。
俺たちの魂が紡いだ、たった一つのハーモニー。
その時、水晶の中で眠っていた双子の神柱のまぶたが、ゆっくりと開かれた。
白銀の髪の少女と、深紅の髪の少女。
その瞳は、俺たちの魂の歌を、確かに捉えていた。
《……ああ、なんと……美しい……響き……》
《これこそが、生命の歌……世界の始まりの音……》
シルフィアとラプシアの声が、優しく、そして感極まったように心に響く。
水晶が淡い光を放ち、ゆっくりと溶けていく。二人の神柱が、千年の眠りから、ついに覚醒したのだ。
《試練を越えし者たちよ。我らの名は静寂のシルフィア、喧騒のラプシア》
《汝らの魂の歌、しかと聞き届けました。我らもまた、風王の柱として力を貸しましょう》
音が、世界に戻ってきた。
神殿の外から、穏やかな風の音が流れ込んでくる。
「……あ……」
フィーナの唇から、小さな、しかし澄んだ声が漏れた。
「……歌える……」
彼女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ち、そして、歓喜の歌声となって神殿に響き渡った。
『目覚めの礼として、真実の一端を伝えましょう』
シルフィアが静かに語りかける。
『風王アナフィエルが長き眠りについたのは、世界を守るため』
ラプシアが言葉を継ぐ。
『――そして、自らの心に生まれた“穢れ”を、その身に封じ込めるためでした』
「穢れ……?」
俺の問いに、二人の神柱は哀しげに頷いた。
『かつて風王は、あまりに強大な力故に、その魂に影を宿しました。愛する世界をその影で汚さぬよう、自らを十二の柱で封印したのです』
『ですが、その封印も永遠ではありません。風王の目覚めが近い今、その“穢れ”もまた、目覚めようとしています……』
その言葉は、俺たちの心に新たな戦いの予感を刻み込んだ。
だが、今はただ、音が戻ってきたこの世界で、仲間たちの声が聞こえる喜びを噛み締めていた。
フィーナの歌声が、まるで祝福のように、神殿に響き渡っていた。
それはまさしく、「世界で最も美しい音」だった。
双子の神柱から告げられた試練は、あまりにも無慈悲で、そして絶望的だった。
俺たち――イッセイ・アークフェルド一行は、水晶に眠る神柱たちを前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
音のない世界。
ここでは鳥のさえずりも、風の囁きも、自分の心臓の鼓動すら聞こえない。
そんな場所で、「音」を響かせろ? しかも、「世界で最も美しい」音を?
(……無理難題にも程があるだろ)
俺の隣で、フィーナが蒼白な顔で唇を噛み締めていた。彼女の長いウサ耳は力なく垂れ下がり、その瞳からは輝きが消えかけている。
歌姫から歌を奪うことが、どれほど残酷なことか。彼女の武器も、誇りも、存在意義すらも、この静寂の世界では意味をなさない。
リリィも同じだった。いつもなら真っ先に声を上げ、その商魂たくましい弁舌で場を引っ掻き回すはずの彼女が、今は何も言えずに俯いている。彼女にとって「声」とは、人を動かし、商売を成立させるための最強の武器だ。その武器を封じられ、無力感に苛まれているのだろう。
『……どうすればいいのですか』
セリアが魔導ボードに厳しい表情で書き込む。彼女は常に冷静であろうと努めているが、その文字の運びには焦りの色が滲んでいた。
『物理的に音を発生させられない以上、魔法的な手段を考えるべきです。例えば、空間そのものを振動させる魔術とか……』
『試してみる価値はあるかもしれませんわね』
クラリスも同意するように書き込むが、その表情は険しい。
『ですが、「美しい」という定義が曖昧すぎます。どのような音色が、神柱にとっての“美”に相当するのか……』
『うーん、こういうのって芸術点の採点みたいなものよねぇ。審査員の好み次第ってこと?』
ルーナがボードに書きながら、困ったように首を傾げた。
シャルロッテは静かに目を閉じ、精霊たちに問いかけているようだった。だが、しばらくしてゆっくりと目を開けると、小さく首を横に振る。
『精霊たちも……ただ、待っている、としか……。“魂が震える音”を、待っている、と……』
魂が震える音。
その言葉が、俺の心の奥に小さな棘のように引っかかった。
(フィーナ視点)
もう、ダメかもしれない。
イッセイくんたちが何か話し合ってるみたいだけど、わたしの頭には何も入ってこなかった。
「最も美しい音」
その言葉が、鉛のように重くのしかかる。
美しい音……それは、わたしの歌のことじゃなかったの?
心を込めて、みんなを励ますために、世界に希望を届けるために歌ってきたわたしの歌が、一番美しいって……そう信じてきたのに。
でも、声が出ないこの場所で、わたしに何ができるの?
わたしは、ただの足手まといだ。
みんなが必死に考えてくれてるのに、わたしだけが、この試練の前で完全に無力だった。
悔しくて、情けなくて、涙が出そうになる。でも、ここで泣いたら、もっとみんなに心配をかけてしまう。
ぎゅっと拳を握りしめて、俯くことしかできなかった。
イッセイくんの役に立ちたい。みんなの力になりたい。
そう思えば思うほど、自分の無力さが際立って、心がきしむ。
(ごめんなさい、みんな……ごめんなさい、イッセイくん……)
心の中で謝罪を繰り返していた、その時だった。
ふわりと、温かいものがわたしの頭に触れた。
顔を上げると、すぐ目の前に、イッセイくんの優しい瞳があった。
彼は何も言わなかった。声が出ないから。
でも、その眼差しは、どんな言葉よりも雄弁に語りかけてくれていた。
――『大丈夫だ』、と。
そして、彼は魔導ボードに、ゆっくりと文字を書いていく。
『フィーナ。君の歌は、声だけでできているのか?』
……え?
どういう、意味……?
わたしが戸惑っていると、彼はさらに言葉を続けた。
『俺は、そうは思わない。君の歌は、君の“想い”そのものだ。誰かを励ましたい、笑顔にしたいっていう、その温かい心が音になってるだけだ。だから――』
彼の指が、力強く、最後の言葉を綴った。
『――声が出なくても、君の魂は、今も歌っている』
魂が、歌っている……?
その言葉が、雷のように私の心を貫いた。
そうだ。わたしは、ただ声を出していただけじゃない。
嬉しいとき、悲しいとき、楽しいとき、いつも心が先に動いて、それが歌になっていた。
わたしの歌の源は、声帯じゃない。この、胸の奥にある……魂なんだ。
「……っ!」
涙が、一粒こぼれた。
でも、それはさっきまでの悔し涙じゃなかった。
温かくて、嬉しい涙だった。
イッセイくんは、わたしのこと、ちゃんと見ててくれたんだ。
声が出なくても、わたしはわたしだって、信じててくれたんだ。
わたしは涙を拭うと、彼に向かって、今までで一番の笑顔で頷いた。
もう、迷わない。わたしも、戦う。
この、魂で。
(三人称視点)
フィーナの瞳に再び光が灯ったのを見て、俺は静かに頷いた。
そうだ。諦めるのはまだ早い。
神柱の試練は、いつだって俺たちの“本質”を問うてきた。力だけでなく、心そのものを。
ならば、この試練の答えも、きっとそこにある。
(音とは何か? 美しいとは何か?)
俺は思考を巡らせる。
前世、俺はゲーム開発者だった。サウンドエフェクトやBGMの設計にも関わったことがある。
音とは、物理的には物体の「振動」が、空気などの媒体を伝わって耳に届く現象だ。
この《静寂の海》には、その媒体となる「空気の振動」が存在しない。だから音は伝わらない。
だが、本当にそうか?
この世界には「魔力」があり、「精霊」がいる。
空気だけが、唯一の媒体じゃないはずだ。
(振動……そうか、振動だ)
風の神柱。風王。
この章のテーマは、ずっと「風」だった。
そして、「風」とは何か?
――空気の移動、つまり「空気という媒体の振動」そのものじゃないか。
(音が空気の振動で、風も空気の振動……なら、音と風は本質的に同じものだ!)
点と点が、線で繋がった。
この音なき地は、風なき地でもある。神柱は「音」と「風」の両方を封じているんだ。
だから、物理的な音を発生させるのは不可能。
では、「世界で最も美しい音」とは?
美しい、という感覚は主観的なものだ。ある人にとって美しいメロディも、別の人には雑音かもしれない。
だが、万人が、いや、この世界の精霊や神々までもが「美しい」と感じる普遍的な音があるとすれば……それは何だ?
シャルロッテが言っていた。
『魂が震える音を、待っている』
魂の振動。
生命の鼓動。
想いの響き。
(――それだ!)
俺は確信した。
神柱たちが求めているのは、楽器や歌声といった物理的な音じゃない。
俺たち自身の「魂の振動」――つまり、「魂の歌」なんだ。
俺は魔導ボードを掲げ、仲間たちに書き記した。
『答えがわかった。俺たちが響かせるべき音は、外にあるんじゃない。俺たちの“内側”にある』
仲間たちが怪訝な顔で俺を見る。
『音の本質は振動だ。そして、最も純粋で美しい振動は、俺たちの“魂”そのものだ。みんなの想いを一つに重ねて、共鳴させる。それがきっと、「世界で最も美しい音」になる』
突拍子もない提案。だが、俺の目は真剣だった。
俺はフィーナに視線を送る。彼女は力強く頷き返してくれた。その瞳には、もう迷いはない。
『どうやって……?』
セリアが問いかける。
『エリュアの音叉を使う。あれは風を束ねるものだと言っていた。風が振動であるなら、魂の振動も束ねられるはずだ。俺が中心になって、みんなの想いを音叉に集める。そして、一つの“歌”として、この神殿に響かせるんだ』
俺の言葉に、仲間たちの間に動揺が走る。だが、それはすぐに決意の色に変わっていった。
今の俺たちには、これしか道はない。そして、イッセイ・アークフェルドという男が、決して根拠のない無謀な賭けはしないことを、彼女たちは知っていた。
『……信じますわ、イッセイ様』
クラリスが凛とした表情で書き込む。
『ふふっ、面白くなってきたじゃない。魂のセッションってわけね!』
ルーナが楽しげに笑う。
『よし、決まりだな』
俺は神柱たちに向き直り、心の内で告げた。
(待っててくれ。今から、俺たちの最高の歌を聴かせてやる)
俺たちは輪になり、そっと手を繋いだ。
ひんやりとしたフィーナの手、少し汗ばんだリリィの手、固く引き締まったセリアの手……それぞれの体温が、想いが、掌から伝わってくる。
俺は中央に立ち、風王の音叉を両手で静かに構えた。
目を閉じる。
「……いくぞ」
声にはならない、心の声。
仲間たちに、そして自分自身に語りかける。
(思い出せ。俺たちが何のために旅をしてきたのか)
――クラリスは、王女としての責務と民への愛を。窮屈な王宮を飛び出し、仲間と共に世界を知り、守るべきもののために戦うと決めた、その気高き魂を。
――ルーナは、公爵令嬢としての仮面を脱ぎ捨て、一人の少女として仲間との絆を求めた。イッセイの隣で笑い、支えると誓った、その一途な魂を。
――リリィは、商人として夢を追い、ぷるぷるの泡で世界を笑顔にすると決めた。仲間を癒し、未来を切り拓こうとする、その快活な魂を。
――セリアは、守られるだけの侍女ではなく、主君の背中を守る剣になると誓った。不器用な優しさと、秘めた恋心を力に変える、その忠誠の魂を。
――フィーナは、歌を奪われた絶望を乗り越え、魂で歌うことの意味を知った。誰かを元気づけたいと願う、その純粋な魂を。
――ミュリルは、孤独だった過去を越え、仲間という家族を得た。この温かい居場所を守りたいと願う、その無垢な魂を。
――シャルロッテは、精霊の声を聞き、人間と自然の架け橋になると決めた。世界の調和を祈る、その清らかな魂を。
――そして、俺は。転生者として、多くの仲間と出会い、この世界で“生きる”と決めた。彼女たち全員の未来を、この手で守り抜くと誓った、この魂を。
それぞれの想いが、祈りが、願いが、温かい光となって胸から溢れ出す。
その光は手と手を伝って繋がり、輪を描き、そして中央に立つ俺の身体へと流れ込んできた。
音叉が、熱い。
まるで生き物のように脈打ち、共鳴を始める。
音は、ない。
だが、空間が震えている。
神殿の石畳が、柱が、天井の水晶が、俺たちの魂の振動に呼応して、微かに、しかし確かに震えている。
キィィィィン――!
音叉から放たれた光の波紋が、神殿全体に広がっていく。
それは音なき歌。言葉なき詩。
俺たちの魂が紡いだ、たった一つのハーモニー。
その時、水晶の中で眠っていた双子の神柱のまぶたが、ゆっくりと開かれた。
白銀の髪の少女と、深紅の髪の少女。
その瞳は、俺たちの魂の歌を、確かに捉えていた。
《……ああ、なんと……美しい……響き……》
《これこそが、生命の歌……世界の始まりの音……》
シルフィアとラプシアの声が、優しく、そして感極まったように心に響く。
水晶が淡い光を放ち、ゆっくりと溶けていく。二人の神柱が、千年の眠りから、ついに覚醒したのだ。
《試練を越えし者たちよ。我らの名は静寂のシルフィア、喧騒のラプシア》
《汝らの魂の歌、しかと聞き届けました。我らもまた、風王の柱として力を貸しましょう》
音が、世界に戻ってきた。
神殿の外から、穏やかな風の音が流れ込んでくる。
「……あ……」
フィーナの唇から、小さな、しかし澄んだ声が漏れた。
「……歌える……」
彼女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ち、そして、歓喜の歌声となって神殿に響き渡った。
『目覚めの礼として、真実の一端を伝えましょう』
シルフィアが静かに語りかける。
『風王アナフィエルが長き眠りについたのは、世界を守るため』
ラプシアが言葉を継ぐ。
『――そして、自らの心に生まれた“穢れ”を、その身に封じ込めるためでした』
「穢れ……?」
俺の問いに、二人の神柱は哀しげに頷いた。
『かつて風王は、あまりに強大な力故に、その魂に影を宿しました。愛する世界をその影で汚さぬよう、自らを十二の柱で封印したのです』
『ですが、その封印も永遠ではありません。風王の目覚めが近い今、その“穢れ”もまた、目覚めようとしています……』
その言葉は、俺たちの心に新たな戦いの予感を刻み込んだ。
だが、今はただ、音が戻ってきたこの世界で、仲間たちの声が聞こえる喜びを噛み締めていた。
フィーナの歌声が、まるで祝福のように、神殿に響き渡っていた。
それはまさしく、「世界で最も美しい音」だった。
21
あなたにおすすめの小説
最強無敗の少年は影を従え全てを制す
ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。
産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。
カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。
しかし彼の力は生まれながらにして最強。
そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。
スキルはコピーして上書き最強でいいですか~改造初級魔法で便利に異世界ライフ~
深田くれと
ファンタジー
【文庫版2が4月8日に発売されます! ありがとうございます!】
異世界に飛ばされたものの、何の能力も得られなかった青年サナト。街で清掃係として働くかたわら、雑魚モンスターを狩る日々が続いていた。しかしある日、突然仕事を首になり、生きる糧を失ってしまう――。 そこで、サナトの人生を変える大事件が発生する!途方に暮れて挑んだダンジョンにて、ダンジョンを支配するドラゴンと遭遇し、自らを破壊するよう頼まれたのだ。その願いを聞きつつも、ダンジョンの後継者にはならず、能力だけを受け継いだサナト。新たな力――ダンジョンコアとともに、スキルを駆使して異世界で成り上がる!
称号チートで異世界ハッピーライフ!~お願いしたスキルよりも女神様からもらった称号がチートすぎて無双状態です~
しらかめこう
ファンタジー
「これ、スキルよりも称号の方がチートじゃね?」
病により急死した主人公、突然現れた女神によって異世界へと転生することに?!
女神から様々なスキルを授かったが、それよりも想像以上の効果があったチート称号によって超ハイスピードで強くなっていく。
そして気づいた時にはすでに世界最強になっていた!?
そんな主人公の新しい人生が平穏であるはずもなく、行く先々で様々な面倒ごとに巻き込まれてしまう...?!
しかし、この世界で出会った友や愛するヒロインたちとの幸せで平穏な生活を手に入れるためにどんな無理難題がやってこようと最強の力で無双する!主人公たちが平穏なハッピーエンドに辿り着くまでの壮大な物語。
異世界転生の王道を行く最強無双劇!!!
ときにのんびり!そしてシリアス。楽しい異世界ライフのスタートだ!!
小説家になろう、カクヨム等、各種投稿サイトにて連載中。毎週金・土・日の18時ごろに最新話を投稿予定!!
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
ギルドの片隅で飲んだくれてるおっさん冒険者
哀上
ファンタジー
チートを貰い転生した。
何も成し遂げることなく35年……
ついに前世の年齢を超えた。
※ 第5回次世代ファンタジーカップにて“超個性的キャラクター賞”を受賞。
※この小説は他サイトにも投稿しています。
スティールスキルが進化したら魔物の天敵になりました
東束末木
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞、いただきました!!
スティールスキル。
皆さん、どんなイメージを持ってますか?
使うのが敵であっても主人公であっても、あまりいい印象は持たれない……そんなスキル。
でもこの物語のスティールスキルはちょっと違います。
スティールスキルが一人の少年の人生を救い、やがて世界を変えてゆく。
楽しくも心温まるそんなスティールの物語をお楽しみください。
それでは「スティールスキルが進化したら魔物の天敵になりました」、開幕です。
2025/12/7
一話あたりの文字数が多くなってしまったため、第31話から1回2~3千文字となるよう分割掲載となっています。
インターネットで異世界無双!?
kryuaga
ファンタジー
世界アムパトリに転生した青年、南宮虹夜(ミナミヤコウヤ)は女神様にいくつものチート能力を授かった。
その中で彼の目を一番引いたのは〈電脳網接続〉というギフトだ。これを駆使し彼は、ネット通販で日本の製品を仕入れそれを売って大儲けしたり、日本の企業に建物の設計依頼を出して異世界で技術無双をしたりと、やりたい放題の異世界ライフを送るのだった。
これは剣と魔法の異世界アムパトリが、コウヤがもたらした日本文化によって徐々に浸食を受けていく変革の物語です。
独身貴族の異世界転生~ゲームの能力を引き継いで俺TUEEEチート生活
髙龍
ファンタジー
MMORPGで念願のアイテムを入手した次の瞬間大量の水に押し流され無念の中生涯を終えてしまう。
しかし神は彼を見捨てていなかった。
そんなにゲームが好きならと手にしたステータスとアイテムを持ったままゲームに似た世界に転生させてやろうと。
これは俺TUEEEしながら異世界に新しい風を巻き起こす一人の男の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる