侯爵家三男からはじまる異世界チート冒険録 〜元プログラマー、スキルと現代知識で理想の異世界ライフ満喫中!〜【奨励賞】

のびすけ。

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第十二章 蒼穹の方舟と、空に還る想い

黒き風の胎動

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世界に「音」が還ってきた。

それは、当たり前であるはずの、しかし失われて初めてその尊さを知る奇跡だった。



「あ……あ……歌える……! わたしの声が、ちゃんと風に乗ってるウサ!」



神殿の広間に、フィーナの歓喜に満ちた歌声が響き渡る。それはまだ拙い即興のメロディだったが、どんな名曲よりも俺たちの心を震わせた。彼女の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ち、それが頬を伝って光の粒のようにきらめいている。



「まったく……大げさなんだから。でも……うん、悪くないわね、声が出せるって」



リリィがわざとそっぽを向きながら言うが、その目元が赤くなっているのを俺は見逃さなかった。誰よりも声を武器にしてきた彼女もまた、この静寂の世界で己の無力さを痛感していたのだろう。



「にゃはは! これでやっと、おしゃべりできるにゃん!」

「衛生管理マニュアルの読み上げも再開できます。皆さん、第一章から復唱の準備を」

(……セリア、それは誰も求めてないと思うぞ)



俺が心の中でツッコミを入れていると、水晶の台座から降り立った双子の神柱が、不思議そうに俺たちを見つめていた。

白銀の髪を持つ姉、《静寂》のシルフィアが、直接俺の脳内に澄んだ声を響かせる。



《……これが、喧騒。なるほど……少しだけ、心が温かくなるのですね》



対照的に、深紅の髪を持つ妹、《喧騒》のラプシアは、ぱちぱちと目を瞬かせながらフィーナの歌に耳を傾けていた。

「すごいすごい! それが歌っていうものなのね! もっと聴かせて!」



こうして二柱の神柱が目覚めたことで、俺たちの旅はまた一つ、大きな前進を遂げた。

音なき世界から解放された俺たちは、シルフィアとラプシアに丁重な礼を述べ、再び《アルセア号》へと帰還した。



船に戻ると、早速その変化は現れていた。

「イッセイさん! 方舟全体の魔力循環が……安定しています! 風の流れが、以前よりもずっと力強い!」



操舵室で計器を監視していたシャルロッテが、興奮した様子で報告する。彼女の言う通り、船全体が生命力を取り戻したかのように、軽やかに空を進んでいく。風の精霊たちも、心なしか嬉しげに船の周りを舞っているようだった。



「風王様の封印を支える十二神柱……その力が戻れば、方舟の機能も回復する。理屈は分かるけど、こうして実感するとすごいわね」

クラリスが感心したように呟き、ルーナがその肩にこてんと頭を乗せた。

「ま、イッセイくんがいれば、世界の一つや二つ、軽く救えちゃうってことよ」

(その信頼は嬉しいが、プレッシャーも半端ないんだがな……)



とにかく、事態は好転している。そう思えた。

方舟は安定し、仲間たちの表情も明るい。このまま残りの神柱たちを目覚めさせれば、風王アナフィエルも完全に解放され、この空に真の平和が訪れるはずだ。



誰もが、そう信じていた。

この穏やかな風の裏側で、千年の封印が軋む音が響いていることにも気づかずに。



(シャルロッテ視点)



風が、喜んでいる。

シルフィア様とラプシア様が目覚めたことで、方舟の風は本来の循環を取り戻しつつありました。精霊たちの声も、以前よりずっと鮮明に聞こえます。

イッセイさんの周りを舞う風は、特に楽しげで、まるで彼にじゃれついているかのよう。



(……イッセイさん。あなたは、本当に風に愛されているのですね)



その光景を見ているだけで、私の心まで温かくなる。

ハイエルフとして生まれ、精霊の声を聞くことが私のすべてでした。でも、あなたと出会って、私は知ったのです。声を聞くだけでなく、その声と共に歩み、未来を創ることの尊さを。



あなたがいれば、この空はきっと救われる。

そう、確信していました。



……だから、気づいてしまったのかもしれません。

その、温かい風の奥底に潜む、ほんの僅かな“不協和音”に。



(……ん? 今の、なに……?)



操舵輪を握る私の指先に、ぴり、と嫌な振動が走りました。

それは精霊の喜びの声とは明らかに違う、低く、冷たい響き。まるで、澄んだ水底に一滴だけ落ちた、黒いインクのような……。



「シャルロッテ? どうかしたのか?」



イッセイさんが、私の異変に気づいて声をかけてくれました。

「いえ……なんでもありません。少し、気流が乱れただけかと」

心配をかけたくなくて、私は笑顔で取り繕いました。でも、胸のざわめきは消えません。



風が、泣いている?

違う。これは、もっと暗い感情。

風が……“何か”を恐れている……?



(三人称視点)



その“何か”は、俺たちが方舟の中枢区画へと帰還した瞬間に、その姿を現した。



方舟に到着し、安堵の息をついたのも束の間。

突如として、船全体を激しい揺れが襲った。それはガイアルのトラップの時とは比較にならない、もっと根源的な、方舟そのものが悲鳴を上げているかのような振動だった。



「きゃあっ!?」

「な、何が起きたんだ!?」



警報が鳴り響く中、俺は船の外を見た。

そして、言葉を失う。



方舟を包むように流れていた祝福の風が、黒く、淀んでいた。

それは瘴気とは違う。もっと純粋な、けれど底なしの負の感情。

憎悪、絶望、哀しみ、そして自己破壊への衝動。

それらが渦を巻いて、一つの巨大な“黒い風”となっていた。



《……ア……アア……》



風の中から、声にならない呻きが聞こえる。

それは、かつてガイアルが口にした言葉を、俺の脳裏に蘇らせた。



――『精霊の核に囚われた“あれ”がな……ふふふ……』



「まさか……これが……!」



「イッセイさん、あれを! 風王様の封印が……!」

シャルロッテが指差す先、方舟の中枢に浮かぶ風王の封印紋が、禍々しい紫黒の光を放ち、激しく明滅していた。

神柱たちの覚醒は、方舟の力を回復させると同時に、皮肉にも風王を縛る封印そのものを揺るがしてしまったのだ。



そして、その揺らぎによって生まれた亀裂から、封印されていた“モノ”が漏れ出している。



「あれは……王の……哀しみ……!」

俺の隣で、シルフィアとラプシアが震える声で呟いた。神柱である彼女たちには、その正体が分かったのだ。



黒い風が、ゆっくりと形を成していく。

それは実体を持たない、純粋な感情の集合体。風王アナフィエルが、世界を愛するがゆえに自ら切り離し、封印の奥底に閉じ込めた、彼自身の「絶望」。



風の中から、怨嗟に満ちた声が響き渡った。



《ナゼ……ワタシダケガ……コノママ……朽チ果テルノカ……》



「……《風の怨嗟》……!」

俺は、その存在の名を叫んだ。風が抱く、悲しき怨念。それが今、千年の時を経て、解放されようとしている。



《風の怨嗟》は、俺たちに敵意を向けるそぶりは見せなかった。

その黒い風は、まるで明確な意志を持っているかのように、方舟の内部へと流れ込んでいく。その向かう先は――



「まずい! あいつ、他の神柱たちが眠る場所へ……!」



俺の叫びに、仲間たちがはっと息を呑む。

《風の怨嗟》の狙いは、俺たちとの戦闘ではない。まだ眠りについている他の神柱たちを、その絶望で汚染し、自らの僕として目覚めさせることだ。そうなれば、方舟は内部から完全に崩壊する。



「止めさせるか!」

俺は《精霊剣リアナ》を抜き放ち、黒い風の流れを断ち切ろうと斬りかかる。だが、刃は空を切るだけ。実体を持たない怨念に、物理攻撃は通じない。



「イッセイ様、浄化魔法を!」

クラリスが叫び、聖なる光を放つ。しかし、《風の怨嗟》は風王自身の感情。聖なる力さえも、その深い絶望の前では霧散してしまう。



《オマエタチニ……ワタシノ苦シミガ……ワカルモノカ……》



怨嗟の声が嘲笑うかのように響き渡る。

なす術なく、黒い風は方舟の深層部へと侵入していく。

魔導コンソールに表示されていた、眠れる神柱たちの生命反応を示す光点が、次々と紫黒の色に汚染されていくのが見えた。



「……そんな……」

フィーナが絶望に膝をつく。



だが、俺は諦めなかった。

「……いや、まだだ」

俺は《風を束ねる音叉》を強く握りしめる。

「物理攻撃がダメなら。浄化魔法がダメなら。……なら、届くものは一つしかない」



俺は仲間たちを振り返る。

「もう一度、やるぞ。俺たちの……“魂の歌”を!」



絶望には、希望を。怨嗟には、絆を。

風王が生み出した哀しき影に、俺たちの魂の響きは届くのか。



黒き風の胎動は、もう止められない。

世界の空の命運を賭けた、次なる戦いの幕が、今まさに上がろうとしていた。
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