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第十六章 歓喜の城塞と、偽りの楽園
違和感の正体と、孤独な王様
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偽りの楽園は、どこまでも甘美だった。
サーシャは、平和な故郷ヒノモトで、生きて笑っている兄と共に剣を振るっていた。
もう二度と失うことのない、温かい日常。
ルーナは、しがらみの一切ない自由な空の下、冒険者の俺と共に、まだ見ぬ世界へと旅を続けていた。
毎日が刺激と喜びに満ちていた。
セリアは、完璧に清潔で、一点の曇りもない城で、危険なことなど何一つしない、穏やかな俺に仕えていた。
その日々は、彼女が理想とした“完璧な奉仕”そのものだった。
シャルロッテ、フィーナ、ミュリル……誰もが、心の最も深い場所で望んでいたはずの“完璧な幸福”を与えられていた。
だが、その完璧すぎるが故に、違和感の正体は、やがてはっきりとその輪郭を現し始めた。
――それは、“孤独”だった。
自分だけの幸福には、共に苦しみ、笑い合った仲間たちの、あの騒がしくて、愛おしい姿がなかったのだ。
その事実に気づき始めた彼女たちの楽園は、少しずつ、しかし確実に、その鮮やかな色彩を失っていく。
「兄上、今日の稽古も見事でした。……ですが、時折、思い出します。わたくしには、他にも守るべき“仲間”がいたような……」
サーシャの問いに、幻影の兄はただ優しく微笑むだけだった。
「何を言っている、サーシャ。お前の居場所は、ここだけだ。お前には、もう我らがいれば十分であろう?」
(……十分? 本当に、そうなのだろうか。あの商人の娘のけたたましい笑い声も、王女殿下の気高き叱責も……それらがないこの平穏は、あまりにも静かすぎる……)
「イッセイくん、見て! すごい財宝よ! これだけあれば、一生遊んで暮らせるわね!」
ルーナの歓声に、幻影の俺は愛おしげに頷く。
「ああ。二人で、誰にも邪魔されず、世界の果てまで行こう」
(……二人で? ……そうか、二人だけ、か。……なんだろう、この胸の空洞は。こんなすごい発見、一番に見せびらかして、悔しがらせたい相手がいたはずなのに。……あの、いつもすましている、金髪のお姫様に……)
その頃、俺の試練もまた、続いていた。
俺の世界では、ただ一人のヒロインだけが、俺の隣にいた。穏やかな田舎町。
小さな家。
隣には、王女の身分を捨てた、ただの優しい少女としてのクラリスがいる。
完璧な、幸せな毎日。
だが、朝目覚めると、彼女は消えている。
代わりに、公爵家の身分を捨てた、快活な冒険者としてのルーナがいる。
昼食の後、ふと気づくと、彼女は世界一の商人になったリリィに変わっている。
クラリスが消えればルーナが現れ、ルーナが消えればリリィが現れる。
その度に、前のヒロインが存在したという事実そのものが、世界から消去されていく。
だが、俺の心の中の記憶だけは、消えない。
「選びなさい」と、世界が囁く。
誰か一人を選べば、他の全員を失う。
それは、幸福などではなく、俺の心をじわじわと殺していく、究極の苦痛だった。
(やめろ……やめてくれ……! 俺は、誰も失いたくない……! クラリスの気品も、ルーナの笑顔も、リリィのガッツも……その全てが、俺の宝物なんだ……!)
ーーーーー
「もう、たくさんですわ!」
最初に偽りの楽園を、自らの意志で拒絶したのは、クラリスだった。
その日、完璧な王であるはずの幻影の俺が、彼女に一つの政策を提案した。
「永遠の平和を維持するため、民の感情と思想を、我らが管理するのです」と。
それは、オリオンが語った“理”そのものだった。
その瞬間、クラリスの中で何かが切れた。
「……あなた、誰ですの?」
クラリスは、玉座から静かに立ち上がると、冷たい目で幻影の俺を見つめた。
「わたくしの知るイッセイ様は、そんな氷のような目をなさらない! 彼はもっと、不器用で、お人好しで……そして、誰よりも人の心の痛みに寄り添える、温かい心を持った方!」
彼女の瞳から、涙が溢れ出す。
「たとえ国が乱れようと、わたくしは、そんな偽物の平和など望みません! わたくしが欲しいのは、完璧な世界じゃない! あの騒がしくて、手のかかる、かけがえのない仲間たちと……わたくしが愛した“あなた”がいる、不完全な現実です! 返しなさい!」
彼女がそう叫んだ瞬間、完璧だったはずの平和な王国が、ガラスのように砕け散った。
その魂の叫びは、連鎖反応を引き起こした。
偽りの幸福に囚われていたヒロインたちが、次々と自らの意志で、その牢獄を打ち破っていく。
「そうだ! あたしが欲しいのは、金でも名声でもない! あいつらと馬鹿騒ぎできる、あの時間なんだよ!」
リリィが叫ぶと、黄金の会長室は崩れ落ちた。
「拙者の剣は、もはや過去の復讐のためには振るわぬ! 今ここにある、仲間たちの未来を守るためにこそある!」
サーシャが叫ぶと、燃える故郷は光の中に消えた。
「あたしは、もう独りじゃない! あたしの本当の笑顔を、好きだと言ってくれる人がいる!」
ルーナが叫ぶと、仮面舞踏会は霧散した。
セリアが、シャルロッテが、フィーナが、ミュリルが。
一人、また一人と、仲間たちが俺の声に応えるように、自らの力で悪夢を打ち破っていく。
彼女たちは、俺との旅の中で得た“絆”という名の光で、自らの過去の影を照らし出したのだ。
そして、俺の世界でも、決断の時が来ていた。
全てのヒロインの幻影が目の前に並び、世界が最後の選択を迫る。
「さあ、イッセイ。誰を選ぶの?」
その愛しい幻影たちに向かって、俺は、はっきりと告げた。
「……決まってる。――お前じゃない」
「え……?」
幻影が、哀しげに揺れる。
「俺が欲しいのは、たった一人の完璧な恋人じゃない! やかましくて、わがままで、手のかかる……それでも、どうしようもなく愛おしい、俺の大切な“全員”だ!」
俺は、拳を握りしめた。
「誰一人欠けた未来なんて、俺は選ばない! クラリスの気高さを、ルーナの自由さを、リリィのたくましさを、セリアの不器用さを、サーシャの誠実さを、シャルロッテの優しさを、フィーナの歌声を、ミュリルの温もりを! その全てがあって、初めて俺の未来は完成するんだ! 俺の仲間たちを、返せ!」
俺がそう叫び、虚空を殴りつけた瞬間、俺の手の中に《精霊剣リアナ》が光と共に具現化した。
俺は、その剣を、偽りの世界そのものへと、力任せに叩きつけた。
世界が、断ち切られる音がした。
サーシャは、平和な故郷ヒノモトで、生きて笑っている兄と共に剣を振るっていた。
もう二度と失うことのない、温かい日常。
ルーナは、しがらみの一切ない自由な空の下、冒険者の俺と共に、まだ見ぬ世界へと旅を続けていた。
毎日が刺激と喜びに満ちていた。
セリアは、完璧に清潔で、一点の曇りもない城で、危険なことなど何一つしない、穏やかな俺に仕えていた。
その日々は、彼女が理想とした“完璧な奉仕”そのものだった。
シャルロッテ、フィーナ、ミュリル……誰もが、心の最も深い場所で望んでいたはずの“完璧な幸福”を与えられていた。
だが、その完璧すぎるが故に、違和感の正体は、やがてはっきりとその輪郭を現し始めた。
――それは、“孤独”だった。
自分だけの幸福には、共に苦しみ、笑い合った仲間たちの、あの騒がしくて、愛おしい姿がなかったのだ。
その事実に気づき始めた彼女たちの楽園は、少しずつ、しかし確実に、その鮮やかな色彩を失っていく。
「兄上、今日の稽古も見事でした。……ですが、時折、思い出します。わたくしには、他にも守るべき“仲間”がいたような……」
サーシャの問いに、幻影の兄はただ優しく微笑むだけだった。
「何を言っている、サーシャ。お前の居場所は、ここだけだ。お前には、もう我らがいれば十分であろう?」
(……十分? 本当に、そうなのだろうか。あの商人の娘のけたたましい笑い声も、王女殿下の気高き叱責も……それらがないこの平穏は、あまりにも静かすぎる……)
「イッセイくん、見て! すごい財宝よ! これだけあれば、一生遊んで暮らせるわね!」
ルーナの歓声に、幻影の俺は愛おしげに頷く。
「ああ。二人で、誰にも邪魔されず、世界の果てまで行こう」
(……二人で? ……そうか、二人だけ、か。……なんだろう、この胸の空洞は。こんなすごい発見、一番に見せびらかして、悔しがらせたい相手がいたはずなのに。……あの、いつもすましている、金髪のお姫様に……)
その頃、俺の試練もまた、続いていた。
俺の世界では、ただ一人のヒロインだけが、俺の隣にいた。穏やかな田舎町。
小さな家。
隣には、王女の身分を捨てた、ただの優しい少女としてのクラリスがいる。
完璧な、幸せな毎日。
だが、朝目覚めると、彼女は消えている。
代わりに、公爵家の身分を捨てた、快活な冒険者としてのルーナがいる。
昼食の後、ふと気づくと、彼女は世界一の商人になったリリィに変わっている。
クラリスが消えればルーナが現れ、ルーナが消えればリリィが現れる。
その度に、前のヒロインが存在したという事実そのものが、世界から消去されていく。
だが、俺の心の中の記憶だけは、消えない。
「選びなさい」と、世界が囁く。
誰か一人を選べば、他の全員を失う。
それは、幸福などではなく、俺の心をじわじわと殺していく、究極の苦痛だった。
(やめろ……やめてくれ……! 俺は、誰も失いたくない……! クラリスの気品も、ルーナの笑顔も、リリィのガッツも……その全てが、俺の宝物なんだ……!)
ーーーーー
「もう、たくさんですわ!」
最初に偽りの楽園を、自らの意志で拒絶したのは、クラリスだった。
その日、完璧な王であるはずの幻影の俺が、彼女に一つの政策を提案した。
「永遠の平和を維持するため、民の感情と思想を、我らが管理するのです」と。
それは、オリオンが語った“理”そのものだった。
その瞬間、クラリスの中で何かが切れた。
「……あなた、誰ですの?」
クラリスは、玉座から静かに立ち上がると、冷たい目で幻影の俺を見つめた。
「わたくしの知るイッセイ様は、そんな氷のような目をなさらない! 彼はもっと、不器用で、お人好しで……そして、誰よりも人の心の痛みに寄り添える、温かい心を持った方!」
彼女の瞳から、涙が溢れ出す。
「たとえ国が乱れようと、わたくしは、そんな偽物の平和など望みません! わたくしが欲しいのは、完璧な世界じゃない! あの騒がしくて、手のかかる、かけがえのない仲間たちと……わたくしが愛した“あなた”がいる、不完全な現実です! 返しなさい!」
彼女がそう叫んだ瞬間、完璧だったはずの平和な王国が、ガラスのように砕け散った。
その魂の叫びは、連鎖反応を引き起こした。
偽りの幸福に囚われていたヒロインたちが、次々と自らの意志で、その牢獄を打ち破っていく。
「そうだ! あたしが欲しいのは、金でも名声でもない! あいつらと馬鹿騒ぎできる、あの時間なんだよ!」
リリィが叫ぶと、黄金の会長室は崩れ落ちた。
「拙者の剣は、もはや過去の復讐のためには振るわぬ! 今ここにある、仲間たちの未来を守るためにこそある!」
サーシャが叫ぶと、燃える故郷は光の中に消えた。
「あたしは、もう独りじゃない! あたしの本当の笑顔を、好きだと言ってくれる人がいる!」
ルーナが叫ぶと、仮面舞踏会は霧散した。
セリアが、シャルロッテが、フィーナが、ミュリルが。
一人、また一人と、仲間たちが俺の声に応えるように、自らの力で悪夢を打ち破っていく。
彼女たちは、俺との旅の中で得た“絆”という名の光で、自らの過去の影を照らし出したのだ。
そして、俺の世界でも、決断の時が来ていた。
全てのヒロインの幻影が目の前に並び、世界が最後の選択を迫る。
「さあ、イッセイ。誰を選ぶの?」
その愛しい幻影たちに向かって、俺は、はっきりと告げた。
「……決まってる。――お前じゃない」
「え……?」
幻影が、哀しげに揺れる。
「俺が欲しいのは、たった一人の完璧な恋人じゃない! やかましくて、わがままで、手のかかる……それでも、どうしようもなく愛おしい、俺の大切な“全員”だ!」
俺は、拳を握りしめた。
「誰一人欠けた未来なんて、俺は選ばない! クラリスの気高さを、ルーナの自由さを、リリィのたくましさを、セリアの不器用さを、サーシャの誠実さを、シャルロッテの優しさを、フィーナの歌声を、ミュリルの温もりを! その全てがあって、初めて俺の未来は完成するんだ! 俺の仲間たちを、返せ!」
俺がそう叫び、虚空を殴りつけた瞬間、俺の手の中に《精霊剣リアナ》が光と共に具現化した。
俺は、その剣を、偽りの世界そのものへと、力任せに叩きつけた。
世界が、断ち切られる音がした。
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