天魔の血脈

黒ひげの猫

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王都断罪編①

処刑台の下のリュドミラ

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 その時だった――。
 それは、まるで暗闇の中から何かが這い出てきたかのように、脳裏に記憶の断片がよみがえってくる。
 あの笑顔。
 あの声。
 自分を「兄さん」と呼んだ、妹の姿が――。
 目の前の黒い塊と、記憶の中の妹が、ゆっくりと重なっていく。
 そして、ファウストは知ってしまった。
 その焦げた物体が、ただの「見せしめ」などではないことを。
 それが確かに、自分が守るはずだった、たった一人の家族だったことを。

「お前の妹は――魔族にしか扱えないはずの魔法を、子供相手に使用しているところを多くの目撃者に見られた」

 アドルフの声は淡々としていた。
 感情の起伏すらない。
 それが逆にファウストの中にじくじくと広がる怒りを煽る。

「な……なんで……そんな……」

 信じたくない。
 信じられない。
 混乱するファウストをよそに、アドルフは処刑台の前方にある丸太の束を順に指差していく。

「左端がリュドミラ。隣が彼女の婚約者。次が、魔法をかけられたとされる子供と、その母親だ。国王陛下の命により――昨日、四人とも火炙りにされた。“疑わしきは罰せよ”。それが我が国の正義だ」

 息が一瞬詰まり、呼吸が短く、浅くなる。
 全身から血の気が引き、体温が急激に落ちていく。
 その直後、どろりとした嫌な冷や汗が背中を伝い、体じゅうから噴き出した。
 次第に周囲の音が遠ざかり、視界の端からじわじわと白いモヤが広がり、世界がぼやけ始める。
 
「……いや……そんな……なんでだよ……っ」

 全身から力が抜け、膝にかかる重力が二倍にも三倍にも感じる。
 歯を食いしばる。
 認めたくない。

「リュドミラは……妹は……俺と関係ないはずだ。何も……関係ない……」

 その呟きに、アドルフはくつくつと喉の奥で笑った。

「“関係ない”? 忘れたのか。お前が、なぜ今この場所にいるのかを。お前は魔族の手先として、この国を裏切った。ならばお前の血筋もまた、穢れていると考えるのが当然だろう?」

 アドルフの目は笑っていなかった。
 無慈悲で、冷たい鉄のような瞳。
 感情の一切が宿っていない、処刑人の目だった。

「……話が……違うだろ……」

 ファウストの唇が震える。

「話が違うじゃねぇかああぁっ!」

 怒りに我を忘れ、ファウストはアドルフに飛びかかろうとする。
 しかし――

 ガシャリ!

 拘束された鎖が甲高い音を立てて引き絞られ、ファウストの身体を無情にもその場に縛りつけた。

「っ――ぐ……!」

 その隙を逃さず、アドルフの拳が勢いよく振り抜かれた。

 ドゴッ――!!

「ガハッ……!」

 鈍い音と共に、ファウストの腹へ重たい衝撃が突き刺さる。
 拷問と衰弱で弱り切った肉体には致命的だった。
 膝から崩れ落ち、身体を支えきれず前のめりに倒れ込む。
 そして――

「ゲホッ……カハッ……!」

 激しく咳き込みながら、口の端から熱い血が溢れ出した。
 赤黒く泡立った血が、斬首台の禍々しい染みに混ざっていく。
 息が詰まる。
 血が止まらない。
 苦しい。
 苦しい。
 苦しい。
 苦しい――。

「カハッ……! ハァッ、ハァッ……!」

 意識が遠のく。
 寒い。
 いや、冷たい。
 肉体ではなく、心が。
 胸の奥から、何かが崩れていく。
 リュドミラ。
 頭の中に、その名が幾度となくこだまする。
 リュドミラ。
 リュドミラ。
 リュドミラ。
 リュドミラ――!

「リュドミラ……リュドミラッ、リュドミラ……リュドミラッ! リュドミラァァアァァッ!!」

 声が嗄れるほど叫ぶ。
 命に代えて守ると誓った、唯一無二の妹。
 この世界に自分が存在する理由。
 全てを失ってなお、最後まで手放さなかった存在。

「妹を……リュドミラを……返せ……っ!」

 血まみれの身体を引き摺りながら、ファウストはアドルフに縋りつく。
 高貴な衣を汚すことも構わず、必死に縋りつく。

「リュドミラが……あいつが、お前たちに何をしたっていうんだ……! 死ぬのは、俺だけでいいだろ……!」

 荒く息を吐き、嗚咽を堪える。
 その姿は、かつて“英雄”と呼ばれた男のものではなかった。
 哀れな、ひとりの兄だった。
 だが、アドルフはそれを見下ろしながら、まるで慰めるように、囁く。

「お前の言う通りだ。リュドミラは、我々に“何もしていない”」

「……っ!」

 ファウストの瞳が見開かれる。

「ただな、“その特別な力”を持つ人間は――お前だけで、充分だ」

「…………は……?」

 時間が止まったかのように、ファウストの脳が言葉の意味を拒絶する。
 理解が追いつかない。
 アドルフは微笑すら浮かべず、無慈悲な事実を突きつけるように言う。

「お前をこの処刑台に立たせるだけでも、どれほどの手間がかかったか……。余計な駒はいらない。妹は……“その程度”の理由で処分された」

 この茶番をさっさと終わらせたい――そう言わんばかりに、アドルフは剣を鞘から抜き放ち、無造作に高く振り上げた。

「……ふざけるな……。ふざけるなっ! ふざけるなっ、ふざけんなよ……」

 ファウストの怒声が響く。
 その声は、もはや叫びではなかった。
 呪詛だった。

「そんな理由で……! リュドミラを……!」

 全身を怒りで震わせ、歯を食いしばるファウストの瞳には、剣の煌めきが映っていた。

「ぶっ殺してやる……お前ら、全員ッ!!」

 断罪の言葉を叫ぶファウストの声をよそに、アドルフは冷ややかに言い放つ。

「――しばしの別れだ。ファウスト」

 剣が振り下ろされる。
 視界が、鋭く煌めく剣先に染まる――その瞬間だった。

 ドゴォォオォォンッ――!!

 大地が爆ぜた。
 斬首台ごと世界が揺れる。

「っ――!?」

 誰もが息を飲んだ。
 風が巻き、土煙が舞う。
 その中から――どこかで聞いた、凛とした声が聞こえてきた。

「……良かった。間に合った……」
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