天魔の血脈

黒ひげの猫

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王都断罪編①

処刑の乱入者

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 爆ぜるような轟音と共に巻き上がった濁った砂煙が、処刑台一帯を覆い尽くす。

「ゴホッ、ゴホッ……! な、何が起きた!」

 アドルフは咳き込みながらも、とっさに振りかざしていた剣を収め、警戒の目を周囲に向けた。
 視界は砂塵に閉ざされ、何も見えない。
 処刑台は混乱に包まれ、兵士たちの怒号と、鼓膜を劈く爆音に驚いた子供たちの泣き声が重なり、場の空気は一瞬にして壊れた。
 濃く淀んだ砂煙は、やがて風に流され、ゆっくりと晴れていく。
 それに伴って、混乱に巻き込まれた観衆も少しずつ落ち着きを取り戻していった。

「な、なんだったんだ……今の騒ぎは……」
 
「ゴホッ……爆発、か? まさか……」
 
「ファウストの仕業じゃないだろうな……?」

 ざわめく群衆の中から漏れた“ファウスト”の名に、アドルフの眉がピクリと動いた。
 即座に隣を振り返る――が、そこにあるべき姿は、なかった。

「……消えた!」

 アドルフの表情が一瞬にして険しくなる。

「クソッ――ファウストが姿を消した! 探せ! この状況でそう遠くへは行けないはずだ!」

 怒鳴ると同時に、数名の騎士たちが反応し、周囲へと動き出す。
 だが、彼らが一歩踏み出そうとした、その瞬間――。
 
 グルルルルルッ――

 まるで地鳴りのような、腹の底を震わせる低い唸り声が響く。
 それは動物のものとは明らかに異なり、本能が拒絶するような異質な音だった。

「……なんだ? この音は……」
 
「唸り声……? まさか、獣か?」

 ざわつき始めた群衆の中から、小さな――しかし張り詰めた空気を引き裂くような悲鳴が上がった。

「あ、あ、あ……あぁっ! アレッ!」

 指差された先へ、周囲の視線が一斉に向かう。
 次の瞬間、誰かが息を呑み、別の誰かが声にならない叫びを上げた。

「なっ……!」
 
「そ、そんなはずは……ッ!」

 恐怖と混乱が伝染病のように広がり、見た者の顔が次々に蒼白へと変わっていく。
 中にはその場に崩れ落ち、震える手で地面に額を押しつけ、祈るように身を丸める者さえいた。
 誰もが、声を発することすら恐れていた。
 小さな子供が母親の裾にしがみつき、堪えきれず泣き出す。
 その泣き声がかえって周囲の緊張を強めていく。
 やがて、風が砂埃をさらい上げ、舞い上がっていた濁った空気が静かに晴れていく。
 そして、その奥から“それ”が姿を現した。
 
「ど、どうして……ここに――」

 グゥォォォォオオオッッ――ッ!!

「ど、どうして……どうして……ドラゴンがここにっ!?」

 誰かが叫ぶ。
 その声がきっかけだった。
 恐怖が、空気を引き裂いた。
 ただ、そこに“在る”というだけで――。
 目に映るだけで、魂の芯が凍りつく。
 その巨体はまるで、伝承の中から這い出てきた“悪夢”そのものだった。
 その正体は“ドラゴン”。
 かつて魔族と共に現れ、人間界を焼き尽くし、数多の命を喰らった、伝説の終焉の象徴。

 グルルルッ――

 喉奥から低く響く唸りと共に、大きく裂けた口の奥に、密集する鋭い牙が不気味に並ぶ。
 純白に輝くその巨体は、どこか神聖ですらある。
 しかしそれを覆うのは、びっしりと張り巡らされた鱗と、鋭く突き出た無数の棘。
 双翼は天を裂き、地をも砕くほどの存在感を放ち、その先端に煌めく刃のような爪は、まるでこの世界そのものへの刃だった。

 グゥォォォォオオオォオオォッッ――――!!!

 耳を劈く轟音と共に、ドラゴンが咆哮する。
 その一声で大地が揺れ、処刑台が軋み、風が唸りを上げて押し寄せた。
 
 ガダガダガタガタッ――!!

 巻き起こされた突風が広場を襲い、周囲の家々の窓ガラスが悲鳴のような音を立てて次々に砕け散る。
 屋台の天幕はもはや布切れとなって空に舞い上がり、無残にも遠くへ飛ばされていく。

「……な、なんでだ。どうしてドラゴンがここに……!」
 
「アレは、アレは魔界にしか生息しないはずッ!」
 
「アドルフ様! ご指示を……我々はどうすればッ!」

 狼狽し、逃げ惑う騎士たち。
 状況がまるで理解できず、右往左往する人間たちの姿を、ドラゴンの深く澄んだ青い瞳が静かに見下ろしていた。

「……っ、全員、剣を構えろっ!」

 アドルフの怒号が処刑広場に響く。
 その声に応じ、処刑台付近に控えていた騎士たちが一斉に剣を抜き、ドラゴンを囲むように陣を敷く。
 誰もが一瞬の油断も許されぬ緊張の中、睨み合いが続く。
 その時アドルフの目が、ドラゴンの足元に動く。

「っ……!」

 そこには、意識の薄れたファウストを抱き起こす一人の女性の姿があった。

「おい、何をしている……!」
 
 アドルフの怒声が飛ぶ。

「――その男から、今すぐ離れろっ!!」
 
 アドルフに声を掛けられたその女性は、返事をすることなく、そっと膝をつき、血に濡れたファウストの頬に優しく手を添えた。

「……ファウスト。無事で、本当に良かった」

「……ア、アンタは……」

 ファウストの目はかすみ、声は今にも消えてしまいそうなほど掠れていた。
 それでも、聞き覚えのある声に微かに反応する。
 女性は、白く長い指でファウストの頬を伝う血を、慈しむように拭い取る。
 その手は震えも怒りもなく、ただ彼の無事を確かめた安堵の温度だけが宿っていた。

「おいっ! 女、聞いているのか! その男から離れろと命じている!」

 激昂したアドルフの怒声が響く。
 だが、女性は一瞥すらせず、まるで存在すら認識していないかのように静かにファウストの額に手を当てる。

 すると――。

 グゥルルルルルッ……ッ

 その瞬間、女性を庇うようにドラゴンが片翼を広げ、まるで大地が震えるような低音の唸り声を放った。

「ヒッ……!」

 その音を真正面から浴びたアドルフの身体がビクリと跳ねる。
 鋭く光る双眸が彼を睨みつけ、理性を削るような威圧が全身を締め付けた。
 手足は小刻みに震え、顔の筋肉が引きつる。
 それは、王子として初めて味わう“死”の気配だった。
 そんなアドルフの様子を横目に、女性はドラゴンの元へ静かに寄り添い、その巨大な口元。
 密集した牙が鈍く光る恐るべき部位に、なんの躊躇もなく手を伸ばす。
 指先でそっと、その鱗を撫でながら言った。

「……もう、大丈夫だよ。グリエス」

 彼女の優しい声が、まるで魔法のように空気を和らげた。
 その言葉の意味が伝わったのか、『グリエス』と呼ばれたドラゴンは喉の奥で低くグルルと鳴き、ゆっくりと顔を傾け、まるで子供が母に甘えるように女性の華奢な身体に、その巨体を寄せた。

「ふふ……ありがとう、怒ってくれたのね。優しいね、グリエスは」

 グルルッ、グルルルッ――

 まるで返事をするかのように、喉を鳴らすドラゴン。
 巨大な顎からは未だ鋭い牙が覗いているというのに、女性の前ではまるで牙のない仔猫のようにおとなしい。
 この光景を目の当たりにしたアドルフたちは、まるで呪文でもかけられたかのように言葉を失っていた。
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