天魔の血脈

黒ひげの猫

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王都断罪編①

魔界に連れてこられた英雄

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「んっ…………」

 目覚めると、そこは見慣れない場所だった。

「ここは……」

 ファウストはぼやける視界で周囲を見回す。
 石造りのだだっ広い空間に、青白く揺れる燭台の火がぼんやりと照らし出されていた。
 ファウストが横たわっているのは、一人では持て余すほどに広く、肌触りの良い絹が敷かれたベッド。
 まるで貴族どころか、王族すらもためらうほどの豪奢さだった。

「ど、どこなんだ。ここは……」

 脳裏に浮かぶ、断片的な記憶。
 処刑台、時計塔、アドルフ、そして――リュドミラ。

「リュドミラッ……!」

 半ば反射的に体を起こした瞬間、ベッド脇から微かな寝息が聞こえた。

「んー……ぅ……」

 視線を向けると、赤髪の女性がベッドに突っ伏して眠っていた。
 背中まで流れる髪がさらりと揺れ、睫毛の影が頬に落ちる。
 少し幼さを残した寝顔に、年頃の少女らしいあどけなさが見える。

「……誰だ……?」

 ファウストの問いに、女性はピクリと身じろぎした。

「あっ……起きてたのね」

 ゆっくりと顔を上げた彼女は、ぱちんと瞬きをして、少し気恥ずかしそうに微笑んだ。

「ふふっ、よかった……ずっと寝たきりだったから、心配したのよ?」

 その声は、どこか懐かしさすら感じさせる、柔らかな響きだった。
 だが――目の奥に、一瞬ぞくりとするような光が走る。
 底の見えない闇が、瞳の奥にひっそりと潜んでいるかのようだった。
 言葉にできない“違和感”が、ファウストの警戒心を強めていく。

「おはよう、ファウスト」

 名も知らぬ相手に名前を呼ばれ、背筋に冷たい緊張が走る。

「……どうして、俺のことを知っている?」

「あれ、私のこと忘れちゃった?」

 ファウストが眉をひそめると、彼女はぱちりと瞬きをして、唇を尖らせた。

「ひどいなあ。せっかく助けてあげたのに。まあ、あの時のアンタは意識がなかったし、覚えてないのも無理ないか……」

 頬をふくらませて文句を言いながらも、どこか楽しげな声色。
 そして、少しだけ間を置いて、穏やかな口調で名乗った。

「私の名前は――」

 その声音に、ファウストの脳裏で何かが弾けた。

「……イリス……?」

 思わず口をついて出た名前。
 ファウストに名をも呼ばれた彼女は、かすかに目を見開く。

「……イリス・イェルムヴァレーン」

 ファウストがそう口にすると、イリスはふっと微笑んだ。

「やっと思い出してくれた?」

 まるで、再会をずっと待っていたかのように、静かに微笑んだ。
 確かに、名は思い出した。
 だが、それだけで頭の中の混乱が晴れることはなかった。

「……ここは、どこなんだ!」

 霧のような状況は依然として掴みどころがなく、現実の輪郭さえ曖昧なまま。
 混乱と警戒が入り混じる中、ファウストは声を荒げて問う。
 その鋭い声に、イリスは「あーあ」と言いたげに眉をひそめ、やれやれといった風にため息をついた。

「そんなに無理しちゃダメだって言おうとしたのに……ほら、もう……」

 その言葉を最後まで聞く前に、ファウストの喉奥から熱いものがこみ上げる。

 ――ゴプッ、ゲボッ。

 次の瞬間、ベッドの上に真紅の飛沫が散った。
 激しく咳き込みながら、大量の血を吐き出すファウスト。
 呼吸は乱れ、肺の奥が焼けつくように痛む。

「……あーあ、やっぱりね。魔力、完全に切れてるじゃない。アンタの身体」
 
 イリスは、どこか他人事のように呟きながらも、心配そうに顔を覗き込んだ。

「大丈夫?」

「ゲホッ、ゲボッ――」

 呼吸を乱し、血混じりの咳を繰り返すファウストに、イリスは無邪気な微笑みを浮かべたまま、ひとつ首をかしげた。

「ねぇ、気づいてないの? ここがどこか……ここは魔界よ?」

「ま、魔界……?」

「血を吐いたのも、ファウストの体に魔力が全く残っていないから」

 イリスは静かに立ち上がり、ベッドの端にそっと腰を下ろす。
 細い指先が、ファウストの額に滲んだ汗を優しく拭った。
 すると、イリスの指先からほのかに光が漏れる。
 ぬくもりの代わりに、どこか異質な気配を帯びた、無機質な輝きだった。
 光る指先はそっとファウストの頬に触れる。
 そして――イリスの指先から、「トクン」と何かが体内に流れ込む感覚が走る。
 それは血でも毒でもない。
 だが確かに、“自分ではない何か”が体内に侵入してくる。

「今のアンタの状態にこの処置はあまり良くないけど……辛そうだから少しだけ、私の魔力を分けてあげる」

 トクン、トクンと、力がファウストの体内を駆け巡る。

「このまま放っておくと――“本当に”死んじゃうよ?」
 
 ファウストの喉がひくりと鳴った。
 肺の奥が焼けつくように熱を持ち、まだ残っていた血を、こみ上げるように吐き出した。

「ほら、言ったでしょ……無理しちゃダメなんだから」

 イリスは淡々とした口調で続ける。

「今のアンタは、魔力を持たないただの人間。魔力が無い状態で魔界の空気吸うなんて……猛毒ガスの中で深呼吸してるようなもんよ?」

 イリスの言葉にファウストは眉間に皺を寄せ、わずかに口を開いたまま固まった。
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