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王都断罪編①
魔界の湯治場
「ま、魔力? 俺はそんなモノ、持っていない」
ファウストを見つめるイリスの目は、まるで「コイツは何を言っているんだ?」と物語っていた。
「もしかして……アンタ、自分が普通の人間だって思ってるの?」
イリスの唇が皮肉めいた笑みを形作る。
「アンタの身体を流れてるのは、ただの血じゃない。魔力を持たない人間なら、魔界の空気を吸った瞬間に内側から焼き尽くされてるはずよ。でも、アンタは生きてる。それが普通の人間じゃない証拠ね」
イリスの言葉が、頭の中で何度も反響する。
「普通の人間じゃない」という一言が、冷たい杭のように胸に突き刺さった。
理解が追いつかず、ファウストは思わず眉をひそめる。
「じゃあ、俺は……何なんだ?」
ファウストは自分が発した声が、ひどく遠くに聞こえた。
「それは――」
一拍置いて、イリスはわざとらしく肩をすくめた。
「知りたいことは山ほどあるんでしょ? でも、その前にやることがあるわ」
そう言って、イリスはファウストをじっと見つめた。
紅い瞳が一瞬だけ真剣な光を宿したかと思うと、ふっと口元が緩む。
「――で、そのためにまずやること。分かる?」
「……やること?」
「決まってるじゃない」
イリスはにやりと笑い、パチンと軽く指を鳴らす。
その瞬間だった。
何かが、反転する。
ベッドがふっと消えた感覚に襲われ、視界がぐらりと傾いた。
「……あ?」と思った瞬間、全身を柔らかな温もりが包み込み、視界が暗く染まる。
ドボンッ――
盛大な音を立てて落ちた先は湯。
「ぶはっ……!?」
水飛沫と共に飛び起きたファウストが周囲を見渡すと、その湯は夜空をそのまま閉じ込めたような深い黒色で、波紋のひとつひとつが銀のきらめきを帯びている。
湯は驚くほど滑らかで、肌に触れると心地よい重みがのしかかる。
熱すぎず、ぬるすぎず、体の芯を優しく温める温度。
ひと息吸い込めば、薬草と鉱石のほのかな香りが肺に満ち、痛みや疲れが溶けていくようだった。
「痛みが……消えてく?」
さきほどまで咳き込んでいた胸が、次第に楽になっていく。
湯の中には淡く光る粒子が漂い、ゆらゆらと揺れながらファウストの身体にまとわりついた。
粒子は肌に触れると溶けるように消え、
そのまま体の内側へと吸い込まれていく。
呼吸をするたび、胸の奥に溜まっていた重さが、静かにほどけていった。
「……普通の、お湯じゃない」
張りつめていた神経が、一本ずつほどけていく。
体の奥で固まっていた感覚がゆっくりと緩み、失われていた力が、静かに戻ってくるのが分かった。
つい先ほどまでは、呼吸をするだけで精一杯だった。
肺を動かすことすら意識しなければならず、ただ生きるために息を吸って、吐いているだけだった。
それが今は、違う。
呼吸は自然に巡り、指先に確かな力が宿る。
思うままに手を動かし、身体を起こすことができる。
自分の意思で、再び身体を動かせる。
その感覚が、確かに戻ってきていた。
「……ふぅ……」
するりと張り詰めていた緊張感が解れ、吐息を漏らす。
すると、ファウストが落とされた所からふわりとイリスが降り立った。
「ようこそ、魔界の大浴場へ。……回復にはちょうどいいでしょ?」
イリスは口元を愉快そうに歪めた。
「少しは、呼吸が楽になったんじゃない?」
「……ああ。確かに、体の中に“何か”が戻ってきてる感覚はある」
ファウストは、腕を持ち上げ、拳を握ってみる。
まだ力は弱々しいが、手が震えずに動くことに、小さく息を飲んだ。
「その湯は……黒泉《こくせん》と呼ばれているわ」
イリスの声は、湯気に溶けるように低く響いた。
「魔界の地脈を流れる水脈に、数千年をかけて薬草と鉱石が溶け合い、さらに大地そのものの魔力が溶け込んで生まれた泉。疲弊した魂すら魔力で満たされる」
イリスは指先ですくった雫をファウストに見せる。
その黒い滴は淡い蒼光をきらめかせた。
「だからこそ、黒泉に入ることを許されているのは、魔界でもほんの一握りなの」
「でも……正直……気持ち悪い」
湯に溶けた魔力が、呼吸と共に肺へ皮膚からは血流へと染み込んでいく。
その力を受け入れてはいるが、自分のものではないと体が認識している。
それを察したか、イリスはクスッと笑う。
「魔界の魔力は、“性質”が違うからね。嫌がるのも無理ないけど……そのうち慣れるわよ」
そう言って笑ったイリスの表情に、ふと陰りが射す。
その瞳はどこか遠くを見つめていて、微かな寂しさを湛えていた。
ファウストはその空気を感じ取り、湯の中で身を起こしながら静かに問いかける。
「イリス……お前って、何者なんだ?」
問いかけに、イリスはわずかに目を細めた。
湯気の向こう、その金色の瞳が一瞬、きらりと煌めいた。
そして、どこか冗談めかしながらも、乾いた声音で答える。
「私? ……私はね、魔王よ」
あまりにも軽やかに、あまりにも自然に告げられたその言葉。
だが、冗談には聞こえなかった。
ファウストは小さく息を呑み、湯気の向こうにいるイリスの姿をじっと見つめる。
「…………魔王、イリス・イェルムヴァレーン。想像と違った?」
イリスは唇の端を持ち上げ、クスリと笑った。
ファウストを見つめるイリスの目は、まるで「コイツは何を言っているんだ?」と物語っていた。
「もしかして……アンタ、自分が普通の人間だって思ってるの?」
イリスの唇が皮肉めいた笑みを形作る。
「アンタの身体を流れてるのは、ただの血じゃない。魔力を持たない人間なら、魔界の空気を吸った瞬間に内側から焼き尽くされてるはずよ。でも、アンタは生きてる。それが普通の人間じゃない証拠ね」
イリスの言葉が、頭の中で何度も反響する。
「普通の人間じゃない」という一言が、冷たい杭のように胸に突き刺さった。
理解が追いつかず、ファウストは思わず眉をひそめる。
「じゃあ、俺は……何なんだ?」
ファウストは自分が発した声が、ひどく遠くに聞こえた。
「それは――」
一拍置いて、イリスはわざとらしく肩をすくめた。
「知りたいことは山ほどあるんでしょ? でも、その前にやることがあるわ」
そう言って、イリスはファウストをじっと見つめた。
紅い瞳が一瞬だけ真剣な光を宿したかと思うと、ふっと口元が緩む。
「――で、そのためにまずやること。分かる?」
「……やること?」
「決まってるじゃない」
イリスはにやりと笑い、パチンと軽く指を鳴らす。
その瞬間だった。
何かが、反転する。
ベッドがふっと消えた感覚に襲われ、視界がぐらりと傾いた。
「……あ?」と思った瞬間、全身を柔らかな温もりが包み込み、視界が暗く染まる。
ドボンッ――
盛大な音を立てて落ちた先は湯。
「ぶはっ……!?」
水飛沫と共に飛び起きたファウストが周囲を見渡すと、その湯は夜空をそのまま閉じ込めたような深い黒色で、波紋のひとつひとつが銀のきらめきを帯びている。
湯は驚くほど滑らかで、肌に触れると心地よい重みがのしかかる。
熱すぎず、ぬるすぎず、体の芯を優しく温める温度。
ひと息吸い込めば、薬草と鉱石のほのかな香りが肺に満ち、痛みや疲れが溶けていくようだった。
「痛みが……消えてく?」
さきほどまで咳き込んでいた胸が、次第に楽になっていく。
湯の中には淡く光る粒子が漂い、ゆらゆらと揺れながらファウストの身体にまとわりついた。
粒子は肌に触れると溶けるように消え、
そのまま体の内側へと吸い込まれていく。
呼吸をするたび、胸の奥に溜まっていた重さが、静かにほどけていった。
「……普通の、お湯じゃない」
張りつめていた神経が、一本ずつほどけていく。
体の奥で固まっていた感覚がゆっくりと緩み、失われていた力が、静かに戻ってくるのが分かった。
つい先ほどまでは、呼吸をするだけで精一杯だった。
肺を動かすことすら意識しなければならず、ただ生きるために息を吸って、吐いているだけだった。
それが今は、違う。
呼吸は自然に巡り、指先に確かな力が宿る。
思うままに手を動かし、身体を起こすことができる。
自分の意思で、再び身体を動かせる。
その感覚が、確かに戻ってきていた。
「……ふぅ……」
するりと張り詰めていた緊張感が解れ、吐息を漏らす。
すると、ファウストが落とされた所からふわりとイリスが降り立った。
「ようこそ、魔界の大浴場へ。……回復にはちょうどいいでしょ?」
イリスは口元を愉快そうに歪めた。
「少しは、呼吸が楽になったんじゃない?」
「……ああ。確かに、体の中に“何か”が戻ってきてる感覚はある」
ファウストは、腕を持ち上げ、拳を握ってみる。
まだ力は弱々しいが、手が震えずに動くことに、小さく息を飲んだ。
「その湯は……黒泉《こくせん》と呼ばれているわ」
イリスの声は、湯気に溶けるように低く響いた。
「魔界の地脈を流れる水脈に、数千年をかけて薬草と鉱石が溶け合い、さらに大地そのものの魔力が溶け込んで生まれた泉。疲弊した魂すら魔力で満たされる」
イリスは指先ですくった雫をファウストに見せる。
その黒い滴は淡い蒼光をきらめかせた。
「だからこそ、黒泉に入ることを許されているのは、魔界でもほんの一握りなの」
「でも……正直……気持ち悪い」
湯に溶けた魔力が、呼吸と共に肺へ皮膚からは血流へと染み込んでいく。
その力を受け入れてはいるが、自分のものではないと体が認識している。
それを察したか、イリスはクスッと笑う。
「魔界の魔力は、“性質”が違うからね。嫌がるのも無理ないけど……そのうち慣れるわよ」
そう言って笑ったイリスの表情に、ふと陰りが射す。
その瞳はどこか遠くを見つめていて、微かな寂しさを湛えていた。
ファウストはその空気を感じ取り、湯の中で身を起こしながら静かに問いかける。
「イリス……お前って、何者なんだ?」
問いかけに、イリスはわずかに目を細めた。
湯気の向こう、その金色の瞳が一瞬、きらりと煌めいた。
そして、どこか冗談めかしながらも、乾いた声音で答える。
「私? ……私はね、魔王よ」
あまりにも軽やかに、あまりにも自然に告げられたその言葉。
だが、冗談には聞こえなかった。
ファウストは小さく息を呑み、湯気の向こうにいるイリスの姿をじっと見つめる。
「…………魔王、イリス・イェルムヴァレーン。想像と違った?」
イリスは唇の端を持ち上げ、クスリと笑った。
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