13 / 20
王都断罪編①
魔界の湯治場
しおりを挟む
「ま、魔力? 俺はそんなモノ、持っていない」
ファウストを見つめるイリスの目は、まるで「コイツは何を言っているんだ?」と物語っていた。
「もしかして……アンタ、自分が普通の人間だって思ってるの?」
イリスの唇が皮肉めいた笑みを形作る。
「アンタの身体を流れてるのは、ただの血じゃない。魔力を持たない人間なら、魔界の空気を吸った瞬間に内側から焼き尽くされてるはずよ。でも、アンタは生きてる。それが普通の人間じゃない証拠ね」
イリスの言葉が、頭の中で何度も反響する。
「普通の人間じゃない」という一言が、冷たい杭のように胸に突き刺さった。
理解が追いつかず、ファウストは思わず眉をひそめる。
「じゃあ、俺は……何なんだ?」
ファウストは自分が発した声が、ひどく遠くに聞こえた。
「それは――」
一拍置いて、イリスはわざとらしく肩をすくめた。
「知りたいことは山ほどあるんでしょ? でも、その前にやることがあるわ」
そう言って、イリスはファウストをじっと見つめた。
紅い瞳が一瞬だけ真剣な光を宿したかと思うと、ふっと口元が緩む。
「――で、そのためにまずやること。分かる?」
「……やること?」
「決まってるじゃない」
イリスはにやりと笑い、パチンと軽く指を鳴らす。
その瞬間だった。
何かが、反転する。
ベッドがふっと消えた感覚に襲われ、視界がぐらりと傾いた。
「……あ?」と思った瞬間、全身を柔らかな温もりが包み込み、視界が暗く染まる。
ドボンッ――
盛大な音を立てて落ちた先は湯。
「ぶはっ……!?」
水飛沫と共に飛び起きたファウストが周囲を見渡すと、その湯は夜空をそのまま閉じ込めたような深い黒色で、波紋のひとつひとつが銀のきらめきを帯びている。
湯は驚くほど滑らかで、肌に触れると心地よい重みがのしかかる。
熱すぎず、ぬるすぎず、体の芯を優しく温める温度。
ひと息吸い込めば、薬草と鉱石のほのかな香りが肺に満ち、痛みや疲れが溶けていくようだった。
「痛みが……消えてく?」
さきほどまで咳き込んでいた胸が、次第に楽になっていく。
湯の中には淡く光る粒子が漂い、ゆらゆらと揺れながらファウストの身体にまとわりついた。
粒子は肌に触れると溶けるように消え、
そのまま体の内側へと吸い込まれていく。
呼吸をするたび、胸の奥に溜まっていた重さが、静かにほどけていった。
「……普通の、お湯じゃない」
張りつめていた神経が、一本ずつほどけていく。
体の奥で固まっていた感覚がゆっくりと緩み、失われていた力が、静かに戻ってくるのが分かった。
つい先ほどまでは、呼吸をするだけで精一杯だった。
肺を動かすことすら意識しなければならず、ただ生きるために息を吸って、吐いているだけだった。
それが今は、違う。
呼吸は自然に巡り、指先に確かな力が宿る。
思うままに手を動かし、身体を起こすことができる。
自分の意思で、再び身体を動かせる。
その感覚が、確かに戻ってきていた。
「……ふぅ……」
するりと張り詰めていた緊張感が解れ、吐息を漏らす。
すると、ファウストが落とされた所からふわりとイリスが降り立った。
「ようこそ、魔界の大浴場へ。……回復にはちょうどいいでしょ?」
イリスは口元を愉快そうに歪めた。
「少しは、呼吸が楽になったんじゃない?」
「……ああ。確かに、体の中に“何か”が戻ってきてる感覚はある」
ファウストは、腕を持ち上げ、拳を握ってみる。
まだ力は弱々しいが、手が震えずに動くことに、小さく息を飲んだ。
「その湯は……黒泉《こくせん》と呼ばれているわ」
イリスの声は、湯気に溶けるように低く響いた。
「魔界の地脈を流れる水脈に、数千年をかけて薬草と鉱石が溶け合い、さらに大地そのものの魔力が溶け込んで生まれた泉。疲弊した魂すら魔力で満たされる」
イリスは指先ですくった雫をファウストに見せる。
その黒い滴は淡い蒼光をきらめかせた。
「だからこそ、黒泉に入ることを許されているのは、魔界でもほんの一握りなの」
「でも……正直……気持ち悪い」
湯に溶けた魔力が、呼吸と共に肺へ皮膚からは血流へと染み込んでいく。
その力を受け入れてはいるが、自分のものではないと体が認識している。
それを察したか、イリスはクスッと笑う。
「魔界の魔力は、“性質”が違うからね。嫌がるのも無理ないけど……そのうち慣れるわよ」
そう言って笑ったイリスの表情に、ふと陰りが射す。
その瞳はどこか遠くを見つめていて、微かな寂しさを湛えていた。
ファウストはその空気を感じ取り、湯の中で身を起こしながら静かに問いかける。
「イリス……お前って、何者なんだ?」
問いかけに、イリスはわずかに目を細めた。
湯気の向こう、その金色の瞳が一瞬、きらりと煌めいた。
そして、どこか冗談めかしながらも、乾いた声音で答える。
「私? ……私はね、魔王よ」
あまりにも軽やかに、あまりにも自然に告げられたその言葉。
だが、冗談には聞こえなかった。
ファウストは小さく息を呑み、湯気の向こうにいるイリスの姿をじっと見つめる。
「…………魔王、イリス・イェルムヴァレーン。想像と違った?」
イリスは唇の端を持ち上げ、クスリと笑った。
ファウストを見つめるイリスの目は、まるで「コイツは何を言っているんだ?」と物語っていた。
「もしかして……アンタ、自分が普通の人間だって思ってるの?」
イリスの唇が皮肉めいた笑みを形作る。
「アンタの身体を流れてるのは、ただの血じゃない。魔力を持たない人間なら、魔界の空気を吸った瞬間に内側から焼き尽くされてるはずよ。でも、アンタは生きてる。それが普通の人間じゃない証拠ね」
イリスの言葉が、頭の中で何度も反響する。
「普通の人間じゃない」という一言が、冷たい杭のように胸に突き刺さった。
理解が追いつかず、ファウストは思わず眉をひそめる。
「じゃあ、俺は……何なんだ?」
ファウストは自分が発した声が、ひどく遠くに聞こえた。
「それは――」
一拍置いて、イリスはわざとらしく肩をすくめた。
「知りたいことは山ほどあるんでしょ? でも、その前にやることがあるわ」
そう言って、イリスはファウストをじっと見つめた。
紅い瞳が一瞬だけ真剣な光を宿したかと思うと、ふっと口元が緩む。
「――で、そのためにまずやること。分かる?」
「……やること?」
「決まってるじゃない」
イリスはにやりと笑い、パチンと軽く指を鳴らす。
その瞬間だった。
何かが、反転する。
ベッドがふっと消えた感覚に襲われ、視界がぐらりと傾いた。
「……あ?」と思った瞬間、全身を柔らかな温もりが包み込み、視界が暗く染まる。
ドボンッ――
盛大な音を立てて落ちた先は湯。
「ぶはっ……!?」
水飛沫と共に飛び起きたファウストが周囲を見渡すと、その湯は夜空をそのまま閉じ込めたような深い黒色で、波紋のひとつひとつが銀のきらめきを帯びている。
湯は驚くほど滑らかで、肌に触れると心地よい重みがのしかかる。
熱すぎず、ぬるすぎず、体の芯を優しく温める温度。
ひと息吸い込めば、薬草と鉱石のほのかな香りが肺に満ち、痛みや疲れが溶けていくようだった。
「痛みが……消えてく?」
さきほどまで咳き込んでいた胸が、次第に楽になっていく。
湯の中には淡く光る粒子が漂い、ゆらゆらと揺れながらファウストの身体にまとわりついた。
粒子は肌に触れると溶けるように消え、
そのまま体の内側へと吸い込まれていく。
呼吸をするたび、胸の奥に溜まっていた重さが、静かにほどけていった。
「……普通の、お湯じゃない」
張りつめていた神経が、一本ずつほどけていく。
体の奥で固まっていた感覚がゆっくりと緩み、失われていた力が、静かに戻ってくるのが分かった。
つい先ほどまでは、呼吸をするだけで精一杯だった。
肺を動かすことすら意識しなければならず、ただ生きるために息を吸って、吐いているだけだった。
それが今は、違う。
呼吸は自然に巡り、指先に確かな力が宿る。
思うままに手を動かし、身体を起こすことができる。
自分の意思で、再び身体を動かせる。
その感覚が、確かに戻ってきていた。
「……ふぅ……」
するりと張り詰めていた緊張感が解れ、吐息を漏らす。
すると、ファウストが落とされた所からふわりとイリスが降り立った。
「ようこそ、魔界の大浴場へ。……回復にはちょうどいいでしょ?」
イリスは口元を愉快そうに歪めた。
「少しは、呼吸が楽になったんじゃない?」
「……ああ。確かに、体の中に“何か”が戻ってきてる感覚はある」
ファウストは、腕を持ち上げ、拳を握ってみる。
まだ力は弱々しいが、手が震えずに動くことに、小さく息を飲んだ。
「その湯は……黒泉《こくせん》と呼ばれているわ」
イリスの声は、湯気に溶けるように低く響いた。
「魔界の地脈を流れる水脈に、数千年をかけて薬草と鉱石が溶け合い、さらに大地そのものの魔力が溶け込んで生まれた泉。疲弊した魂すら魔力で満たされる」
イリスは指先ですくった雫をファウストに見せる。
その黒い滴は淡い蒼光をきらめかせた。
「だからこそ、黒泉に入ることを許されているのは、魔界でもほんの一握りなの」
「でも……正直……気持ち悪い」
湯に溶けた魔力が、呼吸と共に肺へ皮膚からは血流へと染み込んでいく。
その力を受け入れてはいるが、自分のものではないと体が認識している。
それを察したか、イリスはクスッと笑う。
「魔界の魔力は、“性質”が違うからね。嫌がるのも無理ないけど……そのうち慣れるわよ」
そう言って笑ったイリスの表情に、ふと陰りが射す。
その瞳はどこか遠くを見つめていて、微かな寂しさを湛えていた。
ファウストはその空気を感じ取り、湯の中で身を起こしながら静かに問いかける。
「イリス……お前って、何者なんだ?」
問いかけに、イリスはわずかに目を細めた。
湯気の向こう、その金色の瞳が一瞬、きらりと煌めいた。
そして、どこか冗談めかしながらも、乾いた声音で答える。
「私? ……私はね、魔王よ」
あまりにも軽やかに、あまりにも自然に告げられたその言葉。
だが、冗談には聞こえなかった。
ファウストは小さく息を呑み、湯気の向こうにいるイリスの姿をじっと見つめる。
「…………魔王、イリス・イェルムヴァレーン。想像と違った?」
イリスは唇の端を持ち上げ、クスリと笑った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
触手エイリアンの交配実験〜研究者、被験体になる〜
桜井ベアトリクス
恋愛
異星で触手エイリアンを研究する科学者アヴァ。 唯一観察できていなかったのは、彼らの交配儀式。
上司の制止を振り切り、禁断の儀式を覗き見たアヴァは―― 交わる触手に、抑えきれない欲望を覚える。
「私も……私も交配したい」
太く長い触手が、体の奥深くまで侵入してくる。 研究者が、快楽の実験体になる夜。
「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」
まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。
目が覚めたら、婚約破棄されていた。
理由は「地味で面白みがない」から。
泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。
最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。
でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。
厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。
そして就任スピーチで宣言した。
「500人全員の名前を、覚えます」
冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。
悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。
元婚約者は——後悔し始めていた。
婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。
なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる